Mirror. 30
*三人称視点麻衣に紙幣を取り上げられた時、ナルは瞬時に不満を抱いた。
サイコメトリーをしようとしたわけではないのだが、そういった思いもわずかにあった。それを麻衣に見透かされ、挙句の果てに心配されたからだ。
自分の能力との付き合い方は、自分が一番知っている。
調査を進展させるためには多少の苦痛もやむを得ない。
ナルが頭の中で色々なことを考慮した上での行動を、阻むものは誰であろうと不快である。
それがたとえジーンであろうとも、麻衣であろうとも変わらないことだった。
「───返せ、見てるだけだ」
麻衣に奪われた紙幣を、ナルはすぐに取り返した。
あ、と口を開いた麻衣だったが、結局それ以上ナルを追いかけてくることはない。
ナルの言葉を信じたというよりは、一度警告をしただけのことなのだろう。
その警告はナルも信用して、読むのは”後で"と決めた。
窓から侵入したまどかが滝川たちに見送られて帰ったところで、ナルは皆に作業の終了を告げた。
綾子と真砂子は麻衣をつれて夕食をとるためベースを出て行き、滝川もそれに続く。安原とジョンは、五十嵐教授を心配して彼女の元を訪ねるらしい。
ベースには、ナルとリンだけが残った。
「麻衣は何か見てると思うか?」
「さあ……聞けば答えそうではありますけど」
ナルの問いかけに、リンは手を止めた。
麻衣は自発的に霊を見たということは稀だが、絶対に口にしないわけではない。こちらが予期しないタイミングで、何気なく漏らす。
繊細な感覚を持っているくせにかなり鈍いので、聞かれなかったから言わないだけのことがかなりあるのだろう。
だがその判断を二人は間違っているとは思わない。普通の社会で生きるにはその方が平和である。
もちろん、調査時は口にして共有すべきことだが、麻衣は単に事務員のアルバイトという扱いでいるため、あてにしようと思っていたわけではない。
なのでナルは、麻衣をそろそろ調査員に昇級させようかと考えている。というのは余談である。
「……それより図面はどうだ」
「三分の二くらいは」
「明日には出来そうだな」
「ええ。ですがやはり、谷山さんが考えていた通り空白部分がありそうで」
「───家があるのは本当かな。もう一度大橋さんに先々代の住んでいた家のことを聞いてくる」
ナルはリンの作っている最中の図面から視線を外して部屋を出ていった。
夜中、ナルは誰かに呼びかけられるようにして目を覚ました。
だが目を開けてもナルの身体は、目以外を動かすことが出来ない。
おそらく脳は起きているのに身体が眠ったままの状態なのだろうと冷静に分析したところで、胴体に違和感を感じた。
何かがナルの身体を後ろに引っ張るのだ。
背中にはマットレスしかないというのに、ナルは不思議と柔らかい暗闇の中に沈み込んでいく。
先ほどまでナルの胴体に巻き付いていた何かは誰かの手で、今度はナルの手を引いた。視界がうっすらと明るくなったと思えば、ナルはタイル張りの部屋に立っていた。
麻衣に止められた後にしたサイコメトリーでも見た部屋だった。
だが、視点はナルのみたヴィジョンとは違う。ナルのサイコメトリーは殺された人間の思念だったので、まさに自分が殺される瞬間を味わうことになったが、今ナルの目の前で起きていたのは他人───鈴木直子が殺される場面だった。
彼女の持ち物にナルは触れていない。そして視点が違うことからナルが自分の能力で見ている光景ではないはずだ。
つまり、この手の持ち主が見せている。
暗闇の中では、その手から先は見えない。指の形や肌の色、感触さえも曖昧だ。
ふと、繋がれていた手が動いた。離される前触れだと気づいたナルは反射的にその手を掴もうとしたが、闇に溶けるようにして逃げられる。
「待て、───ジーン……!」
ナルは昨夜眠ったベッドで目を覚ました。
カーテンのない窓からは朝日が差し込んでいて、急にそちらをみたナルの視界を眩ませた。
ナルの手にはもちろん何も残っていないが、荒々しい胸の鼓動と冷や汗、それから短い呼吸がナルの動揺を物語る。
起きる気になれず、そのまま寝返りを打った。
視界に入った隣のベッドにはリンがおらず、シャワールームに繋がるドアが開く音がしたことから、先に起きて身支度を整えていたことが分かる。
「ナル……?」
心なしベッドでぐったりしているナルに、リンは物珍し気に呼び掛けた。
口をきく気にもなれないほどに疲れていたが、言葉にして吐き出したい気分でもあった。
「───夢を見た」
「……夢、ですか?」
切り出した話の冒頭を、リンは戸惑うように復唱した。
まさかナルが『今日見た夢の話』なんてどうでも良い話題を出すとは思えなかったのだろう、黙って次の言葉を待つ。
「鈴木さんが殺される夢だった」
「!……持ち物に触れたんですか?」
「いや、触れてないはずだ」
ナルはやっとの思いで身体を起こして、座る体勢になる。
サイコメトリーをしても、必ず持ち主本人の視点になるとは限らないが、それでもナルは自分の能力ではないと感じていた。
起きる直前の直感に従えば、あれはジーンが霊視をして死者の最期を見る時と似ている。
ナルにはもちろんそんな能力はないが、ジーンとナルの間には意識を共有できる線があり、それを通して互いの見たものや声のやり取りをしていたことがあったから、過去に体験したことはある。
「ジーンがどこかにいるのか……それとも」
言いかけた言葉を、ナルは止めた。
その先にある人物の名前を出してしまうのは、あまりに短絡的だと思ったからだ。
リンもまさかと口ごもる。それはジーンが霊としてこの場にいることに対してか、思い当たる人物に対してかは言葉にしなかった。
二人の間に思い浮かんだ人物───麻衣は、ジーンとほとんど同じ力を持っている可能性がある。そして、ジーンの記憶をほとんど全て見たかのような口ぶりだった。
なぜならジーンの死やナルが探しに来たこと、ナルの素性や、呼び名のことまで知っていた。
───「Oliverだから、nollでしょ?」
そう言われた時、ナルの脳裏にはジーンが初めて『オリヴァー』を『ナル』と呼んだ時の記憶が蘇った。
時期は覚えていないが、うんと小さいころの話だと思う。
あのころ、ナルはジーンだけの呼び名だった。だけどジーンがナルの手を引いて、色々な人に「ナルって呼んであげて」とおせっかいを焼いて回って今に至る。
対して麻衣も、意図してかは不明だが、勝手にナルのことを他人に呼ばせようとしていた。(滝川たちがそう呼ぶのも麻衣の所為である)
そういうわずかな部分が特にジーンと似ていると考えていたのだが、そういったこと全部、ジーンの記憶を倣ってナルとの接し方を考えていたのかもしれないと気づいた。
ナルは、落胆を覚えた。───と同時に、無意識に麻衣を通してジーンを探し求めていたことに気づいて、酷く自己嫌悪にかられた。
麻衣に求めるのは、ジーンと同等の力やジーンのような存在ではない。ジーンの情報や、行方である。
けれど彼女は凪いだ瞳でこういうのだ。
───ジーンはどこにもいないと。
麻衣はまだ、何か言ってないことがナルにある。
朝、顔を合わせた麻衣はいつも通りだ。ナルに夢見はどうだった、なんてことは聞いて来ない。
屋敷内の計測を第一に考えて、今日もまた滝川とジョン、安原を引き連れて出ていった。
その後、綾子と真砂子は連日の進展のなさから、仕事を始める前から口論を交わしながら騒がしくベースを出て行き、沈黙が残された。
行き場がなくなった視線をさまよわせたナルだが、そんな自分をリンがもの言いたげに見ているような気がして居心地が悪かった。
昼前の集合時間よりわずかに早く綾子と真砂子が戻って来た時、新たな行方不明者の報が届けられた。
それは南心霊調査会にいた助手の一人、福田という名前の若い女性だった。
綾子と真砂子はその顔に焦りや戸惑いを浮かべ、彼女の姿は見かけていないと目撃情報を聞きに来た職員へと返す。ナルとリンももちろんそうだった。
「麻衣たちもうすぐ戻ってくるわよね……?」
「ああ、じきに」
綾子は早く情報を届けようと思ったのか、単なる心配からか、時計を見て唇を噛む。
そして待つこと数分、ベースのドアが開いたことで綾子がすぐに立ち上がる。
「あ!戻って来た」
「なに?」
綾子の反応から、遅れたのかと心配になった麻衣は周囲を見回す。
だがすぐに「福田さんが居なくなったのよ」と続いた言葉を聞いて驚いたようだった。そして麻衣はジョンを振りかえって頷く。
「福田さん、二十代くらいの若い女性だったはず」
「せやったらやっぱり」
何事だろうとナルもその会話に耳を傾けていると、滝川がここに来るまでに話してて気づいたことがあると前置きして口を開いた。
───行方不明になったのは、全て二十代以下の若い人間である。と。
「最初は職員が一週間前くらいからここで準備してたって話聞いて、身内は対象外なのかもと思ったんだけど、それだと薄いだろ?で、もしかしたらってな」
「たしかに、職員の年齢層はかなり高かったはずだ」
「あとこれ、隠し部屋みたいなところで見つけたんだけど」
言いながら滝川は、額縁をナルに手渡す。
そこにあったのは写真で、五十代くらいの痩せた男がいた。裏面には日付と名前らしき文字が『浦戸』とあったが、日本人の名前とは思えずナルは首を傾げた。
「年代的には先々代くらいか?仲が良い人間だったのかってな」
「そうか……」
ナルもよくわからず、暫くその字を眺めてみたがふいに脳裏を何かが霞める。
思い出したのは紙幣にあった謎の文字の羅列だ。たしか浦戸の文字があった───と、机の上を探って紙幣を見ると『戸浦』の文字がある。
「これは、何か意味があるのか?」
「なに」
独り言ちるような言葉に反応したのは滝川で、近くにいた安原もナルの手元を覗き込む。
ナルは日本語の漢字についてをあまり詳しくない為、意味があるのだとしたら日本人の彼らに見てもらいたいと思って黙った。
「───あ、そうか、昔は右から左に文字を書くんだ」
安原が閃いたように口を開く。
すると滝川も納得し、改めて紙幣を見る。
それでも所々途切れてはいるのだろうが、紙幣に書かれた文章は何となく成立した。
『此処に来たものは皆浦戸に殺されたと聞く、───逃げよ』
next.
「Oliverだから、nollでしょ?」は5話に「オリヴァーだからナルだ」というナルの回想のセリフとリンクしてて、ナルは回想するくらいその言葉に思い入れがあった。無意識だけど。
それを麻衣がなぞるように言った時、(わざとじゃないにしても)記憶を共有してることを強く認識してがっかり。でもがっかりする自分に気づいて、最悪だって思ったかなと。
あくまで別人を、似ていると思うまではいいけど、妙な期待を抱いてしまっていたことが許せなかった。みたいな。
主人公視点の時は「途方に暮れたような顔」なんだけど、一瞬ナルは感情の行き場を失ってしまった。解説。
Aug.2024