I am.


Mirror. 32

部屋に戻ると、同室の二人は連日家中を歩き回っている為かなり疲れているようで、眠りにつくのは早い。
しかし夜が明けるよりも前に、廊下が騒がしくなって起きることになった。
またの行方不明者が出たのだ。それは厚木さんという、南心霊調査会から来ていた若い男だった。
彼はもう死んでいたし、もちろん福田さんもそう。だからこの家は早々に三人の人間を殺していることになるわけだが、

「いったいどうなってるんだこの家は」

と、言ったのは確か安原さんに若いからという理由で声をかけてきた人だ。
あしらってしまったのでちゃんと話すことはなかったけど、やけに年齢に固執して、若い人間への『若いから駄目』という偏見が目立つ。
職員たちは行方不明者が出たことによってその顔には戸惑いと、若干の罪悪感が滲む。だがへりくだって謝罪をしたり、慌てふためくでもない。
大橋さんは当初言っていた。───この屋敷は元々封鎖されていた空間だ。そこに勝手に入り込み行方不明者になったのは当人の責任である。探しに入った消防団員も言ってしまえば職務上危険な場所に入るのは了承しているはずだ。
そしてここに居る霊能者たちにも同じ。人が消えるということを留意させたうえで、どうにかしてほしいと依頼したのだ。
───それをできると言って屋敷に来た以上、責められる謂れはない。文句を言うのはお門違いというものだろう。




「で、どうする?俺たちもかなり気を付けないといけないんじゃないかい」

ベースに集まって早々、滝川さんがナルの様子を窺う。
今年に入って二名、そしてここにきて三名、若い人間が行方不明になって、殺されていることもわかっているナルは、益々神経をとがらせている。

「そうだな……。安原さんは滝川さんとジョンと常に行動を共にしてください。原さんと松崎さんは互いに補い合って」
「松崎さんとじゃ不安ですわ」
「なんですって!?」
「原さん、あなたも霊能者と名乗るなら自分の身は自分で守ってください。安原さんと麻衣は自衛ができない」
一瞬原さんと松崎さんの間に緊張が走ったが、ナルの言葉が二人の勢いを鎮めた。
だが、続く人選を感じ取ったリンが、今度はナルと揉めだした。
「それは私が谷山さんの護衛をするということですか?あなたはどうするんです。退魔法は使えないはず」
「僕は一人でどうとでもなる」
正確に言うとナルの退魔法はPKと言われるものなので、使えないこともないが一人で使った時の消耗は激しい。
下手したら命にもかかわってくるのでおそらく両親からは使うなと言われているはず。
「───安原さんをブラウンさんが、谷山さんを滝川さんで護衛してください」
「だめだ、滝川さん一人じゃ不安だ」
「おいナルちゃん」
「見縊っているわけじゃない。それだけこの屋敷は危険だと言ってる」
「でしたら一人帰してください」
「僕は基本的のここのメンバー以外を信用していない。安原さんも麻衣も必要なんだ───もしどうしても従えないというならリンに帰ってもらっても構わないが?」
「むろん私は帰っても構いませんよ。ですが私がここにいるのはあなたの監視のためだということをお忘れなく。ご両親のことをもう少し考えてはいかがですか」

みんな必要と言った口で、リンに帰れというあたりナルはかなり頭に来ているらしい。
こういうところがまだ子供なんだから。

で、結局どうなったかというと、安原さんが抜けると立候補した。
彼は今渋谷一也という名前で所長としてここに居るはずだが、所長が調査員に後を任せるのも問題はないはず、とのことだ。
実際に帰るわけではなく、市内で待機しているまどかと合流して、俺たちのバックアップに回るらしい。
大橋さんからの戸惑いや、周囲の霊能者からの影口にも動じず、笑顔でタクシーに乗っていく姿はかなり眩しかった、とここに記す。




その日の夜、まどかと安原さんがベースの窓を叩いた。
ナルはもう呆れてものが言えなくなっている。だが「安原くんってすごいのよ」「いやあ、そんなことは」と二人がはしゃいだ途端に「何の話を来たんですか」と口を挟んだ。
だが安原さんは「そうですよね、お話をしにきたんでした」と輝かしい笑顔で言ったので、ナルはなんだか疲れたみたいに顔を逸らした。
───やはり安原修、今まで出逢った人間の中で一番面白いぞ。

安原さんは、かつて鉦幸の家に出入りしていた人間を見つけ出し、話を聞いて来たそうだ。
曰く、その家には高い生垣があり、まるで迷路のようだった。
曰く、若い女中がよく世話をしていたが、いつ行っても人の顔が違った。
曰く、いつも墓場みたいな臭いがしていた。
曰く、二人の下男を従えていた。

二人の下男はどうやら実際にいた人間らしい。それが本当に死者の霊かどうかは定かではないが鉦幸の手足のような存在に間違いはないのだろう。
益々この家にいる霊が、美山鉦幸である線が濃厚になってきた。

そこにふと、俺の目に影が映り込む。原さんが隣でヒュッと息を吸い込んだのが同時だった。
ゆっくりと瞬きをしたときには、目の前にその姿はない。だが俺の中にその姿はある。
「いま、話していた女中さんかしら」
「……」
原さんが俺の肩に手を置いて、覗き込んでくる。
みんなの目にどこまで"彼女"が映っているかはわからないが、俺の身体はカタカタと震えていたみたい。
原さんに優しく諭される声があって、なんだかとても縋りたくなった。
すると身体の力が抜けていくように俺の中から"彼女"の姿は失せていく。
試しに原さんに、ぴとっとくっついてみたけど、もうそんな気持ちはなかったので出て行ったのだろう。
単に話をしていたから寄ってきて、運よく俺に入っただけみたい。
だがそれを皮切りにして、家の中の弱い霊たちがざわめき出す。次第に伝播していき、大きなエネルギーとなって膨張した。
ポルターガイストのように騒音や揺れが起こり、一時混乱を招いた。そして気づいたら壁にたくさんのメッセージが書かれていた。

死にたくない、怖い、助けて、などと悲痛であり助けを求めるようなものばかり。
それと、『浦戸』という文字もあり、かなり異彩を放っていた。

「なんだこりゃあ……?」

滝川さんが困惑したようにそう零した時、廊下から激しい足音がした。それは人が駆け寄ってくる足音で、安原さんとまどかは慌てて窓から脱出する。
ドアが開けられる直前に窓は閉められ、ジョンと滝川さんが何となくそこを背に隠した。
「───大丈夫ですか!?」
飛び込んできたのは大橋さんで、どうやらこの部屋だけではなく屋敷中の壁に夥しい量の文字が書かれているらしい。
廊下を覗いた松崎さんが、小さく悲鳴を上げていた。

大橋さんは俺達の無事を確認した後、他の部屋も見てこなければならないと言って去った。
見送るように彼の出て行ったドアの方を見ていた俺に、ナルが呼び掛ける。
「麻衣」
視線をやると、ナルは少し強いまなざしを俺に向けていた。
「鈴木さんはどうなった」
「……死んでるよ」
「福田さんと厚木さん」
「同じく」
聞かれるがままに答えると、今度ナルは原さんのことを見た。
その視線を感じた彼女はぴくりと動く。

「ここで降霊術をする自信がある者は?」
「あたくしが」

ナルが言いながら視線を動かそうとしたが、原さんが間髪入れずに返事をした。そのことでナルの視線は彼女に定まる。
───もしかして、俺にも聞いてたのか。と遅れて気づいた。



原さんは口寄せを得意としており、その腕前や評価はイギリスにいたころから知っている。
とはいえ、実際彼女が口寄せを行うのは初めて見るので、俺は内心ちょっとわくわくしていた。

机の上に蝋燭を立て、椅子に座る。
手には数珠を持ち、そっと両手で挟んだ。
着物の小さな背中を伸ばす後ろ姿から、気の揺らぎが見え始める。

ナルやリンが持つエネルギーとは違い、どこか薄くて柔らかな、明確に形を持たないもの。霊媒というのはその身体を介して死を受け入れるので、ああいう気を持つ人が多いのだ。

人に気づかれないよう、くん、と鼻を鳴らした。
死が放つ甘い香り以外だと、霊媒が霊を呼ぶときに放つ花のような香りも好きだった。
そういう時、霊は蝶の姿になって現れるのだ。

今日もまた花の匂いに誘われたように蝶が飛んできて、周囲をひらひらと舞った後に原さんの肩にとまる。

原さんの黒く艶やかな黒髪がさらりと動いた。
背中はいつしか丸まっていて、顔は俯く。
表情を見ようと横から覗き込むと、その瞳からはほとほとと涙が零れていた。
鈴木さんが泣いているのか、鈴木さんの記憶を見て原さんが泣いているのかはわからない。けれど今は誰も涙をぬぐいにはいけない、張りつめた空気があった。

「、っこれは、……」

震える声が嗚咽と混じる。
原さんの肩にいる蝶は、静かにその翅を揺らめかせた。
「鈴木直子さんは亡くなっています───殺されました、この家で」
「家のどこだかわかりますか?だれがどうやって?」
原さんがしたのは完全な憑依ではないが、鈴木さんの記憶が見えているのだろう。
喉から絞り出すようにして、その光景を言葉にしていく。
「この家の奥深くにある"家"です……男が二人やってきて、彼女を連れて行き、一面タイル張りの部屋にきました。身体を台に寝かされて縛り付けられて……その首を、裂、裂かれて、血を搾り取られる───……」

いつもとは違って、彼女は饒舌で少し早口。震えながら話を途切れ途切れに続ける。
しばらくして、はっと顔を上げた原さんはテーブルにびたりと手をついて、強く押し込む。
その時彼女の肩からふわりと蝶が離れて、壁に止まった。
思わずその様子を目で追うが、皆が原さんに寄っていくのですぐに視線をそちらにやった。

原さんは鈴木さんの命を落とすまでの記憶と、その後のことで読み取れたことをみんなに話した。
首を裂かれた際、鈴木さんの流れた血はバスタブに注がれた。その中からぬらりと浮き上がったのが、痩せた身体の男だったという。
おそらく俺が見たものだと言われながら目が合ったので、同意するように頷いた。
「ここにはたくさんの殺された霊たちがいます。存在自体はとても弱く、殺された時の恐怖に捕らわれたまま」
その時皆の脳裏にはきっと、鈴木さんが降霊会で書いた文字たちが思い浮かんだだろう。

原さんの話を他所に、俺は蝶のいる方へ手を伸ばした。
蝶はやがて飛んできて、ゆっくりと俺の指に止まった。
原さんのように花のような香りを醸しだせるとは思えないが、砂糖水くらいにはなれただろうか。
「麻衣?……そこに何かいるの?」
「ちょうちょ」
「は?」
動いた俺に気づいた松崎さんの問いかけに答えながら、窓を開けに行く。
ずっと大人しくしている蝶だが、俺が外へ手を動かすと指から離れて飛んでいった。
この家から離れられればいずれ蝶の姿でもなんでもなく、大気に溶けて消えていくだろう。
───言葉を変えればそれが浄化だ。

「蝶なんて、見えなかったけど」
「……今のは……鈴木さん……なのですね」
戸惑う松崎さんを他所に、涙の残る顔の原さんが言った。
「うん」
「そう、蝶の姿になれたのならよかった」
原さんは蝶の姿になった霊のその先を予感したらしく、胸を撫でおろす。
だがそうやって霊を美しい姿で呼び出したのは彼女の放つ気のおかげでもあるだろう。
外に飛んでいけたのは、原さんが鈴木さんの抱える辛い記憶を分かち合った為でもある。

「原さんがそうしたんじゃない」
「あたくしが……?」
「あたしはそうだと思った」
「……」

そんな話をしているのを他所に、滝川さんが「おい、あれ」と何かに気づいた声を上げた。
吸い寄せられるように彼の方へ視線が行き、今度は彼の視線と指の先を辿って顔が動いた。
滝川さんが見ていたのは、さっきまで蝶がいた壁である。
そこには『ヴラド』という文字が残されていた。



next.

蝶は生と死の象徴とか、霊魂そのものともいうので、今回はそういうニュアンスで演出しました。
真砂子はその"転身"を潜在的に良いものだと感じた。次の生へと飛んでいけるような。
Aug.2024

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