I am.


Mirror. 33

「ヴラド───浦戸は、ヴラドという意味だったのか……」
「どういう意味?」
ナルがはっとして呟くと、松崎さんが首を傾げる。
知識としてなら俺はヴラドを知っている。おそらくかつて串刺し公とも呼ばれたヴラド・ツェペシュのことだろう。
怪奇小説で吸血鬼ドラキュラのモデルとなったことも有名で、名前から血を想像する人間は少なくないだろう。
「それと、よく混同されるようにした人物がいる。それがエリザベート・バートリ───血の侯爵夫人だ」
ナルの淡々とした語り口調は続き、誰もが口を挟むことなく聞き入った。
エリザベートは自身の美貌を維持するために、若い娘の血を搾り取ってバスタブに溜めて身体をそこへ浸した。
なんでも、侍女を叩いた時についた血の部分を拭ったら、その肌が美しく輝いて見えたとかで。

「鉦幸氏は身体が弱かった。そして治療のためにも若いころは外遊していたと聞くし、その頃にはドラキュラやエリザベートの話も聞いたことがあっただろう。そこから雅号にしたのだとして」
「生きてたころに、それをやってたって?」
「おそらく。だがそうまでしたのに長くは生きなかった───さぞ、無念だっただろう」

ナルの悔やみの言葉はなんだか白々しいものだった。




俺たちは翌日、大橋さんの許可を得て家の空白部分に値する場所に入るべく、壁を壊すことにした。───つまり、肉体労働である。

「安原さんは帰さない方がよかったんじゃ」
「俺も今そー思ってるとこ」
「はは……」

滝川さんとジョンは腕をぶらぶらしながらこっちを見た。
ナルはやる気がないのか参加しないし、原さんと松崎さんも女の身体なので非力。
壁を壊すために動くのは専ら滝川さんとジョンとリンであり、安原さんが一人加わるだけで、かなり楽にはなると思うけど、もう遅い。
そこで俺は、暇だったのと興味本位で、鶴嘴を手に壁に向き合った。
「あたしもやってみたい」
「遊びじゃねーぞ。お前の細腕じゃあむしろそっちが折れちまう」
「自己責任でOK」
滝川さんはちょっと休憩と言って座りながら、手を振ってやめておけというが、やりたいもんはやりたいし。
「麻衣やめろ、怪我されたら面倒だ」
「じゃあナルがやんなさいよ~、三人の疲労が見えないの?」
「暗くて何も見えない」
「……んじゃ、あたしが何をやってるかも見えないのね」
ナルを無視して鶴嘴を振りかぶり、壁にぶつけた。
だがやはり麻衣の身体は非力だった。壁にぶつけた振動が手にびりびりと伝わってきて、力が入らなくなる。そしてカランと音を立てて鶴嘴を落としてしまったので、慌てた滝川さんに止められた。
「こら!お前だけじゃなくて周りの人間も怪我すんだぞ」
「はあい」
落とした鶴嘴はジョンに拾われてそのまま「むこうで待っといておくれやす」とはんなり断られる。
ナルはそらみたことか、という顔をしていたので、ぷいっと顔を背けてリンを見た。
ユージンだったころも、その高い身長を羨んだことがあったな。

「……リンみたいに大きくなりたいなあ」
「麻衣がリンみたいになったら泣くぞ、俺は」

言われたリンは、ユージンが「いつかリンみたいに大きくなれる?」と聞いた時と同じ顔をしていた。



それから格闘することしばらく。
壁に小さな穴が開き、そこから徐々に崩しやすくなって、やっと人がかろうじて通れる規模になってきた。
向こうに何があるのかを外側から確かめてから、ジョンとリンが先に中へ入る。そして滝川さんとナルが続いた。
「あたしたちも入る?」
「え~いいわよ、埃っぽいし」
「行っても出来ることはありませんわよ」
「はあい」
松崎さんと原さんは動く気配がなかったので、俺も地面に座って皆の帰りを待つ。
すぐそこに居るので声は聞こえるし、と思っていたらジョンが「わあっ」と驚いた声をあげたので、俺達は三人で顔を見合わせた。
「なんかあったのかな」
「絶対ろくなもんじゃないわよ」
「気にはなりますけれど……」
なんとなく手を取り合ってもじもじ。
そして三人で壁に開いた穴のところに行くまではした。

「───入らなくていい、一旦部屋の外出るぞ」

穴から出てきた滝川さんがすれ違いながら俺の肩を外へと押し出す。
そして部屋の外の廊下を指さすのでつられて向かう。
ナルやジョン、リンも続々とやってきたので俺たちも従うしかない。
「いったい何があったのよ」
「……ヒト、です」
「二人いた。おそらく今年行方不明になった二人だろうな」
松崎さんの戸惑いにはジョンが控えめに答え、ナルが補足した。


大橋さんには広間に霊能者たちを集めてもらい、二名の死体があったことを全員に報告した。
霊能者はざわめくが、一番驚いていたのは大橋さんである。
警察を呼んだりその事後処理について大変なのは彼なので、最悪の事態に困惑しているのだろう。
「先生の判断を仰いでからの対応になります……皆さまどうか、くれぐれも外部への連絡等はお控えくださいますようお願い申し上げます」
「───あの、ご遺体はどちらにあったのですか?」
大橋さんがなんとか冷静に対応しようとしている時、五十嵐先生がナルに問う。
隠すことではないので西の方の部屋だと言うと、彼女は「まあ」と驚いた顔をした。そこにはなんだか、はしゃいだ雰囲気が見て取れる。

「デイヴィス博士のおっしゃってた通りですわね!先ほど透視をなさって西とおっしゃられましたのよ」

そう言うやいなや、周囲の視線がオリヴァー・デイヴィスに移る。
彼は確かナルと同じ能力を持ってるみたいだけど、失踪時に身に着けていたものではないとサイコメトリーが出来ないと言っていたから、ナルと比べて大した読みはできないのだと思う。
度々滝川さん達が話していたのはどうやらナルの方のオリヴァーのことで、混同されていたみたいだし……。

「五十嵐先生はお喜びになってる場合ではないと思いますが」
「え」
「鈴木さんも生きている可能性は低いです」

ふいに、ナルが彼女の興奮を冷ますように言い放った。

「我々が遺体を発見した場所は、壁を壊さなければ入れない場所です。相手は空間を捻じ曲げて人を攫って殺す───相当な力をもってないとそんなことはできません」

周囲は一瞬静まり返った後、にわかに騒がしくなった。
霊能者が次々と、この屋敷を恐れて逃げ出したのだ。
大橋さんは困惑のままに彼らを引き留めようとしたけれど、死の危険を感じ取った人間の素早さには勝てない。

「所長、私たちもここにいたら危険なのでは」
「あ、うん、そ……そうだね、私たちも降りましょう。ね、博士」
「ま、待ってくださいまし!あなたのところの福田さんと厚木さんも行方不明じゃありませんかっ」

南さんも残った助手とオリヴァー・デイヴィスを連れて帰ろうとしているが、五十嵐先生が同じく助手が失踪している身として彼らに縋る。
だが南さんは、彼女の腕を払った。
「そりゃ生きてるんなら助けたいと思いますけれどね、死んでるんじゃ助けようもありませんよ」
「そんな!でも、っデイヴィス博士!どうかお願いします!!鈴木さんのいる場所をお探しください、お願いっ」
「───っ、ワ、ワタシ……違います!!」
南さんの後、オリヴァー・デイヴィスに縋った五十嵐さんだったが、またも振り払われる。え、と強張る彼女の顔と、こちら側で動揺する何名かの気配を感じた。
やっぱり同姓同名だから勘違いしてたんだな。

「ワタシ、デイヴィス違う!南さんにそういえ、いわれた!」
お?
「本当の名前、レイモンド・ウォールいいます!!」
え~~~!?

そう言うや否や、オリヴァー・デイヴィス……ではなく、レイモンド・ウォールは走って一番に逃げて行った。そしてそれを、南さんが「おいお前!!!」と言って追いかける。で、その後助手が慌てて逃げる。
取り残されたのは放心状態の五十嵐先生のみだった。

ちなみに滝川さんも憧れの存在と会えたと思ったら別人だったということで、真っ白になっている。ジョンは苦笑、松崎さんはちょっと強がって「だと思った!」と息を吐いていた。
そして俺はというと、ナルとリンを見て首を傾げる。するとリンがスッと顔を背けた。
「リ、リンぅ~~~!!!!」
「……すみません」
俺はリンの腕を引っ張って、廊下を指さす。
この前俺がナルと同姓同名だねって話した時にきょとんとしていたのはこういうことだったのか。
俺は、ナルの名を騙る偽物が発生するなんて、ちっとも考えつかなかったのだ。
「あまりに…………純粋だったので、夢を壊すのはどうかと」
いや絶対嘘。気づいてないならそれでいいか、と思ったに違いない。
「───僕たちも撤収だ。そこでじゃれてる二人、聞いてるか?」
「あ、はーい」
リンの腕を振り回していたのをぽいっと投げ捨てる。
お返事だけは良い子と定評のある俺です。
だがそこに、ショックから復活した滝川さんが問う。
「なんだ、らしくない終わりかただな?」
「相手はただ『死にたくない』という妄執にとらわれて行動している。もはやそれは霊なんかじゃない、鬼とか化け物という。僕は霊を狩る方法は知っているが、化け物を狩る方法は知らない。それとも滝川さんは除霊が出来ると思うか?」
「…………無理だな」
「ジョンは?」
「ボクも、神の威光を信じぬ者は無理やと」
「だが幸いアレには弱点がある───家から出られないことだ。生前家の中でしていたことだから、その儀式を行うのは家の中でだけ。連れ去る人間もまた家の中にいる者だけだろう───だからこの家を解体してしまえば、奴は途端に存在できる場所を失う」
「へえ。なら誰にでも除霊できる方法が一つあるな」
なんだか興味深い内容が聞こえたので耳を傾ける。
滝川さんはにんまりと笑って「炎による浄化だ。炎で葬れないモンはいないからな」と言った。
「どちらにせよ、僕がやることじゃない。大橋さんにそう報告して、調査は終了だ」
「ふうん?しっぽ巻いて逃げるってわけかい」
なんでそうなる、と思ったのは俺だけじゃなく、多分ナルもだ。
プライドが高いナルは、滝川さんに挑発されるようにして言い返した。

「───僕はそもそもまどかの依頼をうけてここに居る。南心霊調査会がオリヴァー・デイヴィスの偽物を連れ歩いてるから見て来いというものだ。……この現場にさして興味はなかったし、今も大して面白いとは思えない。だからもうここに用はない」

途端、滝川さんだけではなく、松崎さん、ジョン、そして俺が「えええ!?」と声を上げる。
「なんではじめから言っといてくれなかったの!?」
「腹芸ができない人間がいるだろう」
俺はなんだかショックを受けてナルに詰め寄る。
「それあたしのこと?」
「さあ?自覚があるなら何よりなんですがね」
「嘘くらいつけますう~」
「麻衣の嘘なんて5分もすれば見破れる。行動が迂闊だからとにかく怪しい」
「えぇっ、ほんと??どうしよう」
オロオロと目を逸らすも、ナルが俺の肩を押して距離をとって溜め息を吐いた。

「いいから、さっさと片づけを始めろ」



next.

オリヴァー・デイヴィス(偽)のことは同姓同名、大した力のない人間で、滝川たちが噂する博士は彼ではなくナルのこと、程度には最終的に理解していた。
でも偽物とは思わなかったし、リンもナルも全然教えてくれなかったのでなんでって思った。
Aug.2024

PAGE TOP