I am.


Mirror. 35


怪物は、正体を言い当ててやるのが破滅のセオリーだ。

ヴラドを名乗る吸血鬼などではなく、美山鉦幸であること、人間であること、死者であること、なんの力も持たないという"型"にはめ込んでやる。

「お前は"美山鉦幸"だ」

俺の目に映った鉦幸は、血飛沫となって弾け飛ぶように自壊した。
残されたのは血の痕だけ。
振り返ったら真砂子は蒼褪めた顔で俺を見上げていて、そのまま目を回して気を失っていた。
ずり落ちる肩を支えようとしたが身体が返り血に塗れてたので躊躇ってしまい、真砂子は床に倒れ込む。

まあ、大した怪我はしないだろ、たんこぶくらいで。



真砂子がここに連れ去られる直前、なんとか手を掴んだはいいものの、顔を見たくないと言われていたことを思い出して俺はナルの姿をとっていた。
一度暗闇に潜りこみ、美山鉦幸のねぐらに引き摺り込まれたので麻衣がついて来たとは思わないだろう。と。
実際この行動は良い判断だったと俺は思っている。なぜなら、ナルが俺たちの不在に気付き、生存が確認できたら、おそらくこの家まで迎えに来る。それまで真砂子と辛抱しなければならない。その間、麻衣の顔を見るよか、ナルの顔を見ていたほうが気分が良いだろうと。

案の定ナルの顔で下の名前を呼び、笑いかけて、言葉を交わすだけで、真砂子の恐怖で揺れた心にわずかばかり余裕が生まれた。
だがやはり状況を打破しないことには気は滅入る一方で、泣きだしてしまった時はかなり焦った。……なんとか心を持ち直してくれたけど。
途中で麻衣と呼びかけられた時は一瞬気づかれたのかと焦った。でもどうやら死を予感して自分の行動に後悔が生まれただけのようだった。
嫌いとか顔も見たくないというのは、まあ確かに理不尽なことを言われたような気がする。実際俺は、そんなことを言われましても、と思ったので。

「……もう顔を見てくれるのかな」
麻衣の身体に戻って、気を失った真砂子の頬をつんっとつつく。
「───、麻衣……」
「ん」
あ、またうっかり返事をしてしまった。今は麻衣で間違いないのだが。
確かめるように顔を覗き込むと、彼女の瞳は閉ざされたままだった。
けれどうわごとのようにもう一度「麻衣」と呼んだ。
そう言えばいつの間にか、呼び方が変わってるな。どういう気持ちの変化だかはわからない。
「ごめん……なさい……麻衣」
「いいよお」
寝言に返事をしながら、真砂子の身体を抱き起こして、膝の上に横たえた。
涙の残る目尻を、パーカーの袖を引っ張って拭き、そのあとぎゅっと抱きしめる。
こうやって身体を密着させていると、命のエネルギーを感じとれるからだ。さっきまで霊を寄せ付けないよう気を張って消耗していたので、安定させるように身体を一通り撫でる。これは直接触れるわけではなくて、例えるなら気を二人分の身体に巡らせる感じ。
実際には身体を抱えながら、片方の手を繋いでいるだけだ。

しばらくそうしていると、真砂子は落ち着いてきた。そして、外が騒がしくなる。
バタバタとした足音や、ガヤガヤとした騒めきが聞こえた。
次第に言葉や声色が判別できるようになりナルや綾子あたりの声だと理解した。

「ここか───」
ガチャ、……キィイィ───

ドアが開く音とナルの声に、顔を上げる。
隙間の形をした光が伸びてきたと思えば、ナルの形の影が部屋に出来た。
俺は真砂子を膝の間に抱えたまま、片手を上げる。
「ナル」
「!……二人ともいるな。怪我は?」
周囲に目を配りながらも足早に入ってくるナルは、俺たちのところへ来るとしゃがんで様子を確認する。
「な」
「麻衣ぃ!真砂子ぉ!!!」
ひと際大きな声で綾子に呼ばれて、返事は飲み込まれた。
思わず笑うと、ナルは「なさそうだな……原さんはどうした?」と俺に尋ねる。
「気を失ってるだけ」
「真砂子、真砂子大丈夫!?」
今度こそちゃんとナルに答えていると、綾子が真砂子の肩を激しく揺さぶる。
すると真砂子はぎゅっと顔をしかめた後、目を覚ました。
「あ、───あたくし……?」
「よかった、怪我とかしてないわね?」
「え、ええ……」
俺は綾子に腕を引かれる真砂子の手を放し、後ろから背中を押して立たせる。
リンも手を伸ばして原さんを引っ張り上げ、その後ナルが俺の腕を掴んだ。
「───麻衣も立てるか」
「うん、立てる」
「急いでここを出たほうがいいでしょう」
「そうね。真砂子走れる?無理そうだったらリンに背負ってもらいなさい」
「大丈夫ですわ」
慌ただしく廊下に出て小走りに進むと、角から滝川さんとジョン、安原さんとまどかが出てきて合流した。
皆それぞれ俺と真砂子の無事を喜んでくれながらも、とにかく家の外へと急いで走る。


とうとう家からも、屋敷からも出て正真正銘の外へ行くと、皆は芝生に倒れ込む勢いで転がった。一部、立っているけれど。
俺も皆に合わせて芝生に座っていると、真砂子がおずおずと近づいて来る。
「谷山さん……あなたがずっと、あたくしの手を握っていてくださったの?」
「え」
呼び方がまた麻衣じゃなくなっている。なんでだ。
「あたくしを追いかけてくれた時と、目が覚めた時、手を繋いでいましたでしょ」
「うん、繋いでたよ」
「そう……なら、あたくしはやっぱり、夢を見ていたのね……」
真砂子はそっと俺から目を背けて笑った。
何の話、と綾子や滝川さんが彼女の顔を覗き込むが、何も言わない。
いるはずのない人間と会ったなんて、易々と口にはしないだろう。

「───それで、いったいどうしてこんなことになったのか、聞かせてもらえませんか」
ナルの問いただすような口調と目つきが、俺と真砂子を襲う。
「あたくしが……先に廊下にでました」
「それは何故?この家の危険性をお忘れになりましたか。これは、三人にも言えることだ」
冷たい声が真砂子に向けられた後、視線は俺と綾子にまで及ぶ。
「理由はありません。ただ一人になりたかっただけ───谷山さんに止められましたけど、きつくついて来ないように言いました。その結果がこの通りですわ」
「……理由もなく気まぐれでそんな行動を?原さん、あなたはもっとプロ意識のある方だと思っていましたが」
「返す言葉もございません」
ナルの言葉に真砂子は唇を噛んだ。
彼女は別行動した理由を隠すため、そして俺に咎が行かないように自分を下げたらしい。
その結果ナルに軽蔑されても構わないということだろうか。
「麻衣はどうして原さんを一人にした後、今度は松崎さんを呼ばずに廊下に出た?」
「真砂子一人になりたいというから。でも外で変な感じがしたとき、真砂子に呼ばれた気がして」
真砂子が何も言う気がなさそうだとわかったのか、ナルの追及は俺に向けられた。
ついてくるなと言われて、ついていかなかった。異変を感じて部屋を出た───俺を突き動かすのは主に他者からの望みであるので。
「……原さんを一人にしたら危険だとは思わなかったか?しかも実際異変を感じて追いかけた結果、自分まで攫われることになることも予想できなかったのなら、随分頭が足りない行動だと思うが」
「ナル、谷山さんを責めるのはおやめになって」
「おいおいナルちゃん、麻衣は確かに軽率だったかもしれんが、そこまで頭ごなしに叱ることはねーだろうが」
「僕はいい加減、この馬鹿の考えの足りなさに、辟易しているんだ」
ナルったら、俺の日頃の行いが積み重なって今爆発してるらしい。それはそれ、これはこれだろ。これまでの、どの辺がいけなかったのか俺にはわからないけれど。

「わかった、ごめんね、ナル」

皆はやけに俺への当たりがきついナルを見て困惑気味だったが、ユージンだったころからよく怒られ倒していたので俺には当たり前の文句だ。
ほにゃっとした顔で謝ってしまえば、ナルは大抵「疲れた」と言って俺への怒りを手放す。とはいえこれで満足したり受け入れたというわけではない。無駄なことに感情を乱してエネルギーを使いたくないだけ。

今日も、ナルは俺の顔を見てぐっと言葉を飲み込み、深く深くため息を吐く。

「原さんが一人でいるところに浦戸が来たということですね。それを追いかけて麻衣が出て行ったことまではわかりました。その後は?」
「あ、ええ……谷山さんがあたくしの手を掴んでくれたその時、二人で闇に引きずり込まれてしまったんです。ただ、そのまま意識を失ってしまって、何もわかりません」
「麻衣は起きていたな?あの部屋で何があったか覚えているか」
「真砂子を抱えてじっとしてただけだよ」
気を取り直したナルに真砂子が応じるので、俺は話を合わせるだけにした。
真砂子には夢だと思ってもらった方が都合が良い。
どうせ浦戸は、この家から出られないし、俺たちはこの家から出て行くのだし。

「ただ───浦戸は、消滅したようです」

ところが、真砂子の発言がその場に落とされる。
ナルは目を見開いたし、滝川さんや松崎さんは「はあぁ!?」と声を上げたりしながらこちらへつめ寄ってくる。声こそ上げないが、他の皆も驚いていた。
「じょ、除霊出来たゆうことですか?」
「いやいや、真砂子も麻衣も除霊できないだろ?」
「じゃあ説得……って二人とも何もしてないのよね?自然に消えるってこと?」
「まさか、そう簡単に消えるような存在じゃない。何か大きな力に呑まれたかでないと……───心当たりや、気になることは?」
皆の困惑は当然のことで、おそらく真砂子自身もなぜ美山鉦幸が消えてしまったのかわからないからこそ、こうして伝えたのだろう。
かといって、"夢の中のナル"については口にしないで、真砂子は心当たりはないといって首を振る。
だから俺も同じように首を振ることにした。



俺達が行方不明になってから、随分時間が経っていた。
外に出た時の時刻は夜明けの四時ちょっとすぎ。
真砂子が言う浦戸の消滅を疑うわけではないが、昨日の今日であの屋敷に入りたくないというのが皆の本音だろう。だからせめて、朝までは屋敷に入るのを待とうと四十分程外で待機することにした。

「お、……ようやく朝が来たな」
「沁みますねえ」

太陽が見え始めると滝川さんと安原さんが声を上げる。
ナルも「そろそろ良いだろう」と言い出して、立ち上がった。
その時、手をついて広がったナルのジャケットの裾から何かが落ちたのが見える。
「ナル、何か落としたよ」
「これ?」
芝生に沈んだ何かを、俺の声に反応した綾子が拾った。
ナルはわずかに、あっと表情を崩したけど、時すでに遅し。
「───あたくしの櫛ですわ」
綾子の手元を覗き込んだ真砂子がぽつりとつぶやいてしまう。
サイコメトリーをしたんだろう、と思っていると、綾子が眉を顰めてナルに問いかける。
「なぁんでナルが真砂子の櫛なんて持ってるわけ?」
「へ~え?」
「おや」
「あら~そんなに心配だったのね!」
安原さんと滝川さん、そしてまどかはニコニコしているが、ナルはそのすべての反応を黙殺して歩き出す。

お、都合が悪くなったから逃げたぞ。



next.

浦戸の消滅は名を読んで縛るのとちょっと似ている感じ。
最初は主人公の目に映らない→鏡に映らない→怪物だったのですが、今は目に映る人間に格が下がっている(主人公が上回っている)というニュアンスです。
Aug.2024

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