I am.


Mirror. 36

*三人称視点

美山邸に来た一番の目的である、偽物のオリヴァー・デイヴィスは自白して逃げて行った。諸悪の根源たる南心霊調査会の南は信用を失い、さすがに今後同じような真似はしないはずだ。
この件について、ナルがこれ以上深彫りする必要はないと考えている。
罪や責任を問うのはそれこそ"所属"が勝手にすればいいし、捨て置いても問題ないだろう。

ナルは興味もわかない、しかしかなり危険な現場から、一刻も早く立ち去りたいと思っていた。
今は昼間である為あちらは活発ではないが、ここにいる怪物は短期間の間に三人の人間を手にかけている為、警戒するのは当然のことだった。
すぐに荷物をまとめてベースに集合させ、皆で機材を片付けそのまま屋敷を後にする───そのつもりで一時的に皆を解放した。

男というのは比較的荷物が少なく済むもので、麻衣と綾子と真砂子の三人が時間をかけるのは織り込み済みだった。
だがそれにしたって遅い……、とぼやいたのは滝川で、ナルも声にしないまでも同意だった。
安原とまどかには撤収するという連絡を入れた為、二人はこちらへ向かっている。そんな二人の方が早く着いてしまいそうなほどに待った。
そして、バタバタと足音を立てて駆けこんできたのは綾子一人だけだった。

「───っ、ねえ、ちょっと!」
綾子はベースの中にいる面々の顔を見て言う。
「麻衣と真砂子は!?先に来てないの!?」
「麻衣と真砂子はお前といるはずだろうが」
「あ、あたしがシャワー浴びてる間に、二人ともどっかいっちゃたのよ!」
「はあ!?なんだってこんな時に人待たせてシャワー浴びてんだよ」
「う、だ、だってこの後帰るのに何時間かかると思ってんのよ。さっきだって埃塗れのところにいて───」

口論がヒートアップしていきそうな滝川と綾子に、ナルは「うるさい」と言い放った。
今はそれどころではない。

「二人を最後に見たのは?」
「三十分くらい前よ……」
「一度、三人で麻衣と原さんを探すんだ。十五分……いや、十分でいい。見つからなかったらここに戻ってくること」
麻衣と真砂子が、単なる用事程度で消えるわけがない。
その為、悠長に探している暇はなかった。
「僕は一度部屋を見てくる───リンも来てくれ」
指示を飛ばして、ナルはベースを足早に出る。
リンが後ろからついてくる足音がするので振り返りはしなかった。



部屋にはまだ綾子たちの荷物が中途半端に広げられていた。
ナルはその中で目についた真砂子の櫛を手に取り、リンを一度振り返った。
許しを請うわけではなく、これはただの合図である。

耳を澄ませて目を凝らすように、今この部屋ではないもっとどこか遠くにあるものを感じられるように意識を遠ざける。

目をつむったわけではないのに、ナルの視界は帳が下りたように闇に包まれていた。
次第に闇に目が慣れたのか、微かな明りがあるのか、"あの部屋"が見え始める。
黴や埃、錆や腐臭まで思い出せそうなほどに、ナルはここを知っている。
視界の色合いからして、真砂子は生きてはいるようだった。
だがそれは時間の問題だろう。かつて行方不明になった人たちは、あの部屋に連れて行かれてすぐに殺されているのだ。

───次は、麻衣だ。
そう思って意識を遮断しようとしたその時、ナルの見ている視界に異変が生じた。
真砂子が手探りに見つけたそれを掴むと、手があった。瞬時に麻衣だと思いかけたがその輝くような白い手についた爪の形が、麻衣の小ぶりな爪とは違うことに気づく。
ナルの意識とリンクするように、視線がその手を辿って顔のある場所に動いた。

「ジーン……」

思わず口走ったその時、映像が途切れた。
そしてナルは、気づけば冷や汗をかきながら、マットレスに身体を凭れて呆然としていた。


ナルはリンに心配されながら、次に麻衣の私物であるキーホルダーのついた家の鍵を手に取った。
だがそれからは何も見えてこず、スマートフォン、ハンカチ、更には今日着ていたであろう寝間着にまで触れてみたが悉く麻衣を辿れなかった。
「こんなに試して読めないのは初めてだ、ものが悪いのか?」
訝しみ呟くと、リンは緊張の面持ちを浮かべる。
「既に殺されている可能性は」
「それなら余計に思念が残っていそうなものだが」
「原さんと一緒にいると考えられますか?」
「……原さんと一緒にいたのは…………ジーンだった」
「───」
ナルの返答にリンは言葉を失う。
ここへ来てジーンに会ったというのは二度目で、ナルは自分でも口にするのが億劫ではあった。だけど、自分の心のうちだけにとどめておけなかった。

「ジーンがまだこの世にいて、麻衣の身体を借りてるのか……?」

呟いたナルは、返答に困っているリンを置き去りに部屋を出た。
今は問答している時間が惜しかった。




結局、救助に行った時、目当ての部屋に麻衣はいた。
気を失っていた真砂子は救助後、その時に起きたことを『夢』という言葉に変えて詳細を語らない。麻衣は当然、何もわからなかったと真砂子に合わせた発言をする。
挙句の果てには美山鉦幸は消滅したと真砂子が言い出すので、ナルはさらに理解の及ばない事態に困惑した。
この屋敷にいた怪物そのものに興味はない、だが、それが消えうせるほどの何があったかについては興味があった。


長野から帰ってすぐ、ナルは初めて真砂子に調査以外の用事で自分から連絡を入れた。とはいえこれも調査の延長だが。
会えないかと言ったナルに対し、真砂子はもちろんオフィスの外を指定した。だが待ち合わせ場所にはリンもおり、合流した真砂子は落胆の顔をした。
ナルには、その表情の機微はわからないけれど。

他人に話を聞かれない店を予約しており、真砂子とナル、そしてリンの三人で入った。
席についてすぐに、ナルはあの時本当は何があったのか、麻衣は何をしたのかと切り出す。
「───それを聞きたくてあたくしをお呼びに?」
「そうです」
そんなナルを真砂子は目を細めて見ていたが、やがて、諦めの混じるため息を吐いた。
「あたくしにも、わからないことばかりですの。あまりにも荒唐無稽で」
「そのままにお話しください」
「……」
真砂子はナルの言葉にやや顔をしかめた。
彼女は霊能者として自分が感じたことをそのまま話すことには慣れている。相手がナルのような研究者であればさほど抵抗はないはずだ。
それを躊躇うような仕草にナルは首を傾げつつも、理由を探ろうとはしない。だが話の取っ掛かりにでもなればと、口を開いた。
「原さんがあの部屋に引きずり込まれた時、麻衣ではない、誰かに会いませんでしたか」
「!」
目を見開く真砂子の表情変化に、ナルは手ごたえを感じる。
「松崎さんから二人が行方不明になったと聞いた後、私物に触れました」
「───じゃあ、あの時、あたくしに会いに来てくださったのは……ナル……?」
真砂子の赤い唇から零れる言葉は、まさしくナルの思っていた通り───真砂子はナルと同じ顔をした人物を見ている可能性が高いということ。
だがナルは、期待に濡れた瞳で答えを待つ真砂子に、にべもなく返す。
「原さんがお会いしたのがこの顔の人間であれば、それは僕ではありません」
「え……」
「サイコメトリーをした時、相手に僕の姿が見えるはずはない……僕は体外離脱などの才能はないので」
「ではっ、どうして、誰かに会ったと分かるんです?」
「僕も原さんを通してその顔を見たから───あれは、…………ジーンだった、ユージン───……」
「!まさか、たとえ兄弟でも見間違えるはずがありません。あれは、ナルの顔をしていましたもの」
「同じ顔をなんです。無表情にしていれば誰も見わけがつかない」
真砂子は助けを求めるかのように、リンを見た。
そんなリンは、ナルの言葉を正しいというかのように、頷く。
「ナルとジーンは双子の兄弟です、本当に、とてもよく似た」
「そんなっ───……」
悲痛な真砂子の声を他所に、ナルは髪を乱雑に握るように額を抑えた。
ジーンがいることは、可能性としてはずっと考えていたことだった。霊視のヴィジョンを送られてきたことも、麻衣がジーンの記憶に詳しすぎることも、横でジーンがアシストしていたと聞けば納得がいく。
麻衣はもしかしたらナルに気を使って、ジーンはいないと言ったのかもしれないが───詰めが甘いので、こうやって嘘が破綻する。だから麻衣は嘘が下手なのだ。

その後、真砂子は観念したように、夢だと思っていた出来事をぽつりと零した。
ジーンがナルのふりをしながら真砂子を励ましたこと。それから、浦戸が現れた時のこと。
「あの方はあたくしの前に立って、浦戸に言い聞かせるように、怪物にはなれないと。もう死んだ、ただの人間だって言って、最後には名前を呼びかけました」
「名前……?」
「ええ。美山鉦幸と、そう呼んだ途端、浦戸は弾けるように飛散して、血しかその場に残りませんでした」
「それだけですか」
「にわかに信じがたい事ですが」
「───……」
ナルとリンはその出来事を聞いて、とうとう言葉を失った。
名前を呼ぶことで存在を捕らえたり、縛ることは多少なりともできる。だがそれができるレベルの相手ではないはずだし、ジーンにもそんな能力があるとは知らない。もちろん、ジーンに関しては昔からわからないことが多かったが。

「谷山さんには、お聞きになりませんの」

ジーンが生きていないこと、麻衣がジーンの霊を見たこと、そして麻衣にはジーンと同レベルの霊視能力があることは、真砂子に伝えた。
すると真砂子は、ナルが麻衣ではなく自分に話を聞こうとした理由が分からないと言う。麻衣がナルに言わない気持ちはわからないでもないが、気づいているのであればナルから口にすればいい話である、と言いたいのだろう。
ナルが直接聞かないのは理由が色々とあるが、一番の理由は「麻衣から、まともな答えが返ってくるとは思えない」である。
真砂子はナルの返答に沈黙した。おそらく麻衣の底知れぬ一面を、彼女も痛感していて、理解があるだろう。

「下手に追及して、逃げられたら困る。麻衣にも───ジーンにも」

言いながらナルはテーブルの下で手を握りしめた。



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ブラ……コン?
麻衣は能力や頭脳については徐々に信頼を得ているけど、人間性や言動については信用がありません。
Aug.2024

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