I am.


Mirror. 37

季節は夏───学校は夏休みに入った。
俺は学校がないので、オフィスに出勤するか、ナルのユージン探しの旅に同行するかの二択でほとんどナルの顔を見て過ごしていた。
今日来た場所は東京から高速バスに乗って三時間半、群馬の奥地にある水辺だったが、その場所に俺が見覚えがないように、ナルにもない。
俺達は顔を見合わせて小さく頷いた後、ため息を吐き東京に戻ることにした。

まどかがイギリスに帰る前、二人で話す機会があった。
ナルとリンが所用といって事務所を出ていた時に、挨拶しに来たそうだった。あらかじめ連絡を入れてからくるとか、そもそもその連絡で挨拶をすればいいのにな。
ともあれ事務所に来た人間は漏れなくもてなしの対象なので、お茶を飲むかと尋ねてみれば彼女は笑って応じた。
その時俺は、ナルがいつまで日本に居る予定なのかを聞いてみた。───俺がナルのことをどこまで知っているかを考えあぐねたようだが、イギリスとか、SPRとか具体的な名前は出さずこの事務所の存続についてだけ、教えてくれた。
あの時点であと半年の予定、と言っていたので───三ヶ月経った今で言うと、あと三ヶ月だ。

ナルは、それまでに湖を見つけるだろうか。



「あれ、二人そろって出勤かい?」
「さっき電話鳴ってたわよ」
東京についたのが昼過ぎだったので、その足でオフィスへ行くとそこにはなぜか滝川さんと綾子がいて、俺たちを出迎えた。
いつから彼らはここのバイトになったんだったか。
「留守電になるからいいよ。リンは?」
「資料室におこもり中」
「ふうん」
「麻衣、お茶」
ナルは疲れていて文句を言う気にもならないのか、うんざりした顔でそう言いつけて所長室へ向かって行く。
そこへ綾子がすかさず「あたしにも」と言って滝川さんも「おれもー」続くのを、ナルが一度振り返ってぎろりと睨んだが、彼らも俺もその視線を受け流した。

「んで、珍しいじゃん。二人でどっか行ってたのかよ」
「うん。昨日から群馬の方に行ってたの」
「昨日から、って───泊まり!?」
「なんで!?リンは!?」
飲み物を渡しながら聞かれたので、素直に答えると今度は驚かれた。
泊まりでどこかへ行くことがそんなに変かな。……ああ、今の俺たちは男女だったか。
「別の部屋に寝泊まりしてるよ?リンは留守番」
「当たり前よそんなの!」
「普通、お前が留守番じゃねえの」
「んー……あたしの力が必要だから?」
そこまで言うと、二人はむっすりと口を閉ざした。何を考えてるのやら。
しかし彼らが再び言葉を紡ぎだす前に、オフィスのドアが開きベルが鳴る。

視線をやるとそこには青年と少女がいた。
青年は中の様子を自信なさそうに覗き、おずおずと口を開く。
「こんにちは、……こちらは霊能者さんの事務所でよろしいでしょうか」
「いらっしゃいませ、ご相談ですか?」
俺はソファから立ち上がり、彼を出迎えに行く。
青年の腰にしがみつくように隠れる女の子に目線を合わせて屈み、彼女にも「こんにちは」と挨拶をしてみる。
ドアを開けた途端にオフィス内に舞い込んできた甘い香りは、こっちの子からしていた。



ナルを呼び出すと、客人とまだいる霊能者を見て、あからさまに顔をしかめた。
だが一応話を聞く気はあるのか、ふだんよく座っている一人掛けソファに座って足を組む。
話すなら勝手に話せ、といった態度だったので俺は客人と目を合わせて頷いた。
「僕は吉見彰文と言います。こちらの、姪の葉月を診ていただきたくて」
「病気の治療でしたら病院に行かれるべきでは?」
「……びょういんきらい……」
首の周りに包帯を巻いた少女は、ナルの口にした言葉に反応して弱弱しく彰文さんにしがみついた。
ナルはつまり、病院に見てもらったのか、普通の体調不良ではないのか、という点を確認したかったのだろうが、話はかみ合っていない。
そこを嗜めるのは滝川さんで、大した手間ではないだろうと言われればナルはため息を吐いて受け入れた。

『彰文さん』が遠慮がちに『葉月ちゃん』の首をあらわにすると、細い首を一周する爛れたような痕があった。
ナルの言う通り皮膚病に見えなくもないが。
「全く痛みはないのです。それに、背中にもあって」
「───……、」
彰文さんは続いて葉月ちゃんの着ていたワンピースの背中のファスナーを下ろし、身体を回転させた。
そして小さくて白い背中をあらわにすると、そこには肌に焼き付けるようにして書かれた漢字の羅列がある。
『喘月院落獄童女』という文字を見た面々は、息をのみ言葉を失った。

「お嬢ちゃん、アイス好きかい?」

ふいに、滝川さんが葉月ちゃんに明るい声で尋ねた。
アイスという言葉に目を輝かせた葉月ちゃんだが、残念ながらうちにアイスはない。買いに行ってこいということね、の気持ちで頷いたけれど、
「あのおねーさんと、下の喫茶店でアイス食べに行かない?」
「……あきにい」
「いっておいで。お願いしてもよろしいでしょうか」
「はあい」
どうやら俺の想像とは違い、葉月ちゃんを外に連れ出せという意味だったらしい。
まあこの先真面目な話をするのに、子供は退屈だろう。俺は言われるがままに葉月ちゃんの小さな手を握って、オフィスを出た。

滝川さんに言われた通り、俺は葉月ちゃんと一緒に下の喫茶店で時間を潰した。
最初はアイスにしか目が行かない様子だったが、それは俺とどうやって接したらいいかわからなかっただけのようで、話しかけているうちに徐々に緊張がほぐれてきて、言葉の数も増え始める。

彼女は飛行機に乗ってここに来たらしく、家にはたくさんの家族がいる。
彰文さんは普段東京で暮らしているので、久しぶりに会ったとか。
お兄ちゃんがいるけど、最近は"わかちゃん"とばっかりで遊んでくれない。
あと、おじいちゃんが最近死んだらしい。

そんな感じで話を聞き出しつつ、彼女の記憶でも読み取ろうかとせわしなく動く目をじっと見つめ、タイミングを窺っていたところで俺のスマホに着信が入った。
おや、タイムオーバーだ。



彰文さんが喫茶店に下りてきて俺の分まで会計してくれた。そして「また」と言って帰って行ったのでどうやらナルは依頼を受けることにしたようだ。
オフィスに戻ると明日出発で、滝川さんも綾子も一緒に行くことにしたと話を聞く。
「麻衣、葉月ちゃんを見て何か気づいたことは?」
「あの子、健康状態に問題は?」
「ないと思うが?」
最近事務員から調査員にされた挙句、調査の場において気づいたことがあったらナルに些細な事でも報告しろと言われたので、今回は聞かれるがままに答えた。
「近いうちに死ぬ」
「……それは霊に憑依されているからか?」
「そういう訳ではないと思うな、霊の姿や悪意なんかは見えなかったけど」
「じゃ、なんで死ぬなんてわかるのよ。あ、もしかしてまた呪い?」
「さあ」
「背中にある戒名のことを言ってるのか?」
「ううん。単純に、あの子には死が迫ってるとわかるだけ」
「…………はー…………ナルちゃん、どうしてこいつをここまで放っておいたんじゃい」
「それは僕も今後悔してるところだ」
滝川さんだけでなく綾子も天井を見上げているし、ナルは深いため息を吐いた。
まあ、ナルのこういう態度は今に始まったことではないけれど。



俺達は翌日の早朝から、石川県に向けて東京を出発した。
日本列島をほとんど端から端まで横断する為、高速道路を利用して、途中で休憩を挟みながら八時間程。
到着する頃には、すっかり午後になっていた。

吉見家は料亭を営む家で、海の傍の切り立った崖の上にその店と家が建てられていた。
周囲は林に囲まれており、細い道から大きな道路へとつながる以外に他の建造物は見当たらない。
店の前を通って横道にそれると、家が見える開けた場所に辿り着き、車を停めた。
外に出て凝り固まった身体を伸ばす面々を背に、俺は立ち並ぶ木々のその先に目を凝らした。
「おうい、どうした行くぞ」
「───うん」
彰文さんが出迎えに来ており、ぼうっとしている俺を滝川さんが呼ぶ。
なんだか腹がムズムズするような、肌の表面をじわじわ触られるような、妙な感覚がこの身を襲っていたのだが、振り切るようにして滝川さんを追いかけた。



家の中は甘い匂いで充満していた。
この家の人間の誰から発せられているのかわからないほどだ。
だがそれ以上に、妙に自分の身体が落ち着かない。本来の依頼人である彰文さんの祖母、『やえさん』や父母である『泰造さん』と『裕恵さん』と対面し、詳しい内容を聞いている時もどこか意識が遠のき話が頭に入ってこない。……あとでナルに叱られそうだ。

どうせ聞こえないなら家の中に意識をやってしまおうかと思っていると、不思議と身体がこわばった。
誰かに見られているような、そして押さえつけられているかのような感覚に、思わず眉を顰める。

───トプン。

と、水が揺蕩う音がした。
水中に頭まで沈められたように、視界が滲んだ。
息が出来ない、が、それは問題ないとして。圧迫してくる水によって身体が言うことをきかない、みたいな感覚。
ゆっくりと押された身体がのけぞり、やがて波が引いていくような気配がして視界が開けていく。
無意識に唇を舐めると、なぜだか舌に刺激が走った。
それは塩を舐めた時の痺れと似ていた。
さっき水中に沈んだイメージを見たことといい、これは───海水だろうか。実際に舐めたことがないけど、たしか構成は水と塩と微量な金属だったはずだ。

「麻衣?もしかして足痺れて立てない?」
「え、あ」

畳に正座したまま硬直してる俺の頭を、綾子がツンと突いて揺らした。
俺は後ろに両手をついたまま、ヘンな体勢で固まったままだったらしい。
みんなは既に話を聞き終えて立っていて、俺を見下ろしたり、既に見放して先に部屋を出て行ったりしている。
綾子がちょっと笑いながら、俺の手を引っ張ってくれるのに従って立ち上がると、膝が不思議と震えてた。


どうやらこの家は過去、かなりの人間が死んでいる。聞いてた話だと代替わりの時に家から死人が立て続けに出るらしいから、その所為だろうけれど。
それにしたって代替わりの時の死人の多さに、理由はいまひとつわからない。事故死や病死など、運が悪くて死んだみたいなものとか、家族同士の諍いで死んだとか、一貫性のない死だったし。
その死者たちがここに残っていて、家族を引き込もうとしているようにも思えない。
そういった強い意思や感情は、よく死と結びついていてわかりやすいはずだけれど。

「よかったわね、こんなところで食事なんてあんたは一生できないかもよ」

再び考え事に耽っていた俺は、こつん、と小突かれて我に返る。綾子が俺を揶揄うように笑って見ていた。
シャットアウトしていた周囲の状況を思いだすと、今はベースとなる店の広い一室に、彰文さんが案内してくれたところだった。そこで吉見の家が営む料亭について綾子が尋ねたのがきっかけだろう。
会員制の料亭だと吉見さんが言っていたが、それがどういう意味なのかは俺にはよくわからない。
ただ綾子の言葉通りに受け取っておくことにしよう。本来なら一生縁のない場所で食事をするそうだから。
「じゃあ、たのしみだねえ」
「そ、そんなことは……」
もてなす側の彰文さんは綾子の言葉に謙遜していたが、俺は特に気にすることなく期待の言葉をよせた。
すると綾子は、一瞬目を見開いた後やけに瞬きを繰り返して、滝川さんを見る。
「お前、いい加減学んだら?麻衣を打ったところで響かんぞ」
「~~わかってるわよ!」
どういう意味かな?と思ってそのやり取りを見ていたが、ナルに無駄話をするなと怒られて有耶無耶になった。



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Sep.2024

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