I am.


Mirror. 38

家族と対面しながらの夕食を終えてしばらくすると、彰文さんがお茶を持ってベースにやってきた。
その時俺は窓を開けて下に広がる入り江を見ていたので、背中で声を聞き流す。
「食事はお口に合いましたでしょうか」
「それはもう」
「さすがのお味で」
彰文さんに滝川さんと綾子が調子よく返している。
そこに「麻衣ぃ、お茶入ったぞ」と声をかけられて、俺は窓の桟に乗せてた顎をゆっくりと持ち上げた。
「……おなか、いっぱい」
だからいらない、と言った俺に対して滝川さんと綾子だけじゃなく、ナルやリンまでもがこちらを見る。
「お腹がいっぱい?あの量で?麻衣が?」
「いつももっと食べてるじゃないのよ……あ!わかった、高級料理だったからだ」
滝川さんと綾子の言い分はわかる。が、俺は本当に何だかお腹がいっぱいなのだ。
「もしかしたら、食事の席で緊張させてしまったかもしれませんね。普段はもっと賑やかなんですが、今日はちょっと」
彰文さんの言いたいことはよくわからないが、とにかくそういうわけじゃないのだと首を振る。
「……具合が悪いなら横にでもなってたらどうだ」
「大げさじゃない?」
ナルまでそんなこというなんて。そう思って肩をすくめた。
確かに俺には満腹だという感覚は備わっていないし、食べ物は喉を通ったあと消滅しているレベルで腹に溜まった気配はない。だからいくらでも食べられて、出されたものは基本的に断らずに食べているが、断れないわけではないのだ。まあ、今まで出されたものを断ったことはないが。

体調が悪いわけではないので立ち上がって、綾子と滝川さんの隣に座り直す。
お茶を飲んで見せるまではしないが、彰文さんに声をかけて話を変えた。
「ご飯のとき、普段とは違うの?」
「え?ああ───そうですね、元々全員揃ってというのは少ないですが、ほとんど接客業ですから人当たりは悪くないし。靖兄さんは外で働いてますがかなりおしゃべりで……それに、栄次郎義兄さんも……あんな不機嫌そうなの初めて見ましたから」
彼は俺の問いかけに答えるようにして、普段の家族の様子を話した。
大人たちはピリピリしているらしいが、おそらくやえさんの怯えようなどに当てられている可能性があるそうだ。
「ああでも、うちで一番変わったと言ったら、子供たちですかね」
「子供"たち"ってーと、葉月ちゃんと?」
「あ、葉月の兄の克己と、光可姉さんの娘の和歌子という子供がいるんです。その二人が最近妙に仲良くつるみ始めてしまって、おかしいんですよね。どこが、と聞かれると説明が難しいですが」
滝川さんも会話に交じり、ナルや綾子も話に耳を傾けている。
俺はその子供たちを見てはいないが、今日食事の席で見た家族たちの、一部姿かたちがはっきりとわからない様子からして、何かが彼らに纏わりついてることだけはわかる。
だけど、それらの持つ強い感情などがわからず、まだナルに報告するに至っていない。
今のところは、そのまま人間についててもらった方が位置や目的もわかりやすいので。


雑談を終えた彰文さんが部屋を退出した後、ナルに動けるならカメラの調整に行くよう命じられて部屋を出た。
『客室の外に霊を見た』という従業員の証言もあったので、今夜はその部屋にカメラを置いていた。ナルとはインカムで通信しながらカメラの角度を弄り、動作確認も行い、ついでに部屋に何かいないかを見る。
ぐるりと一巡して見ても、特にこの部屋に霊がいるというわけではないので、さっさと見切りをつけて廊下に出た。

廊下は非常灯だけが光る暗闇で、少し先に並ぶ客室の出入り口あたりで、黒くて細い棒のようなものがぬうっと出てくるのが見える。
ゆらゆらと揺れて、まるで手招きされるようだった。
「ぇさん……おねえさん……」
どちらにせよ進行方向だったので近づいていくと、やがて声が聞こえ始める。
俺を呼んでいたのはどうやら二人の子供らしい。葉月ちゃんや彰文さんから聞いた『克己くん』と『和歌子ちゃん』だろう。
「おねえさんたち、何人いるの?」
「───どうしてそんなこときくの?」
しゃがんで、二人の顔を見つめる。
どこかぼやけたその姿に、俺は首を傾げながらも視線を逸らさない。
「いいから教えてよ」
「早く」
いくら見つめていても何も見えてこなくて、俺はこれ以上刺激するのは辞めようと諦めて、「五人だよ」と返事をする。
二人はその数字を聞くと、顔を見合わせてクスクスと笑った。
多いとか、大変とか口走っていたような気がするが、真意を問う前に子供たちは走り去っていった。
俺は妙にむずむずした気分になって、本当はベースに戻ろうとしたのに、気づけば裸足のまま庭に出て夜の海を見ていた。

「ベースに戻ってこないで何をやっている」

吸い込まれそうな闇に目を向けていると、背後から俺の意識を引き寄せる声がした。
振り返ればナルがいて、廊下に立ったままこっちを見ている。
大人しく近づいて行けば、俺の足元を見て眉を顰めた。
「何かあるのか?」
「……海みてた」
問われるままに、海を指さした。
ナルは唇だけで海と復唱しながら、視線を俺の指先へと向ける。
「今日は気がそぞろだ。初めて来た場所だから普段と見えるものが違うか」
「そうかもしれない。海は……久しぶりに見た」
「また海」
半ば呆れたようなナルに、俺は言い訳のように口を開いた。
「海はすごいんだ、……引き寄せる力が強い」
「何を引き寄せるって?」
「あたしを。海ではたくさんの命が死んで───沈殿してる」
「それと、お前が引き寄せられることに何の関係が?」
ユージンだったころも、麻衣でいる時も、ちゃんと海を見たことはないのでこんな風に感じたことはなかった。
まさか海がこんなにすごいものだとは思わなくて、結構自分でも驚いているのだ。
「なんだか不思議な場所」
「不思議って?」
「うーん、霊場と似てる。何か強い力が働いているのかもしれない。浦戸なんかとは違ってさ、こういうのはあたし苦手な場所かも」
ナルに自分の感じたことを話している途中で、大きな物音が聞こえて言葉を止める。

俺もナルも、一斉に母屋の方に意識が行った。



店と繋がる通路を通って母屋へ行くと、騒ぎ声がさらに大きくなる。
駆け付けた部屋には既に滝川さんと綾子がいて、獣のような咆哮を上げた『栄次郎さん』が、泰造さんと『和泰さん』に抑えられていた。
テーブルや畳は彼の手に持っていた刃物で切り付けられたようで傷がついており、妻の『光可さん』は顔面蒼白で髪を乱して茫然としている。
「───リン」
「はい」
ナルと俺に続いてやってきたリンが、ナルに言われて鴨居をくぐった。
その瞬間、栄次郎さんは二人の拘束を抜けてリンに飛び掛かる。だがリンは栄次郎さんの腕を避けてその首と背中を捕らえ、いともたやすく往なしてみせた。
「何か縛るものはありますか」
リンは言いながら、自分のネクタイを使って栄次郎さんの腕をまとめる。ひとまずこれで、といったところだろう。
彰文さんが慌てた様子で紐を持ってきたので、更にその上から胴回りを拘束していくと、栄次郎さんは不思議なことに少しだけ静かになった。

ナルが光可さんに経緯を聞いたところ、彼女は先ほど栄次郎さんに向かって食事の席での態度を咎めたそうだ。そして多少言い争いになった末に、一度席を立った栄次郎さんは台所へ行き、戻って来たと思えば刃物を持って襲い掛かって来たという。
「麻衣、見えるか?」
リンが側で待機しているので栄次郎さんに近づき観察していると、ナルから声がかかる。
だけど、いくら栄次郎さんの目を覗き込んでも何の姿も見えないことから、「わからない……」と返すしかなかった。
また浦戸の時みたいに正体がわからないのなら、単なる霊という訳でもなさそうだけど、それを判断するのもできかねていた。

「落としてみるか?滝川さん」
「……んあー……俺、憑依霊落とすのはどうもなあ」
栄次郎さんを納戸に隔離した後、ナルは霊を落とす判断を下して滝川さんに尋ねる。
いつもこういう時はジョンがやっていたので、滝川さんがやるのは新鮮だと思う。だが彼はどうも乗り気ではなく、その理由が分からず首を傾げた。
「なにあんた、憑依霊落とせないの?坊主が聞いてあきれるわあ」
「ほー?じゃあお前に向けてやってやろうか?どうなっても知らねえけどな」
綾子との茶化し合いはさておき、滝川さんの発言が気になって口を挟む。
「どうなるの?」
「法力ってのは人に向けちゃなんねえんだ……っていうか、向けたことがない。以前壷についた霊を除霊したことがあるんだが───壷が割れた。人間相手だとどーなると思う?」
「人間も割れちゃうね?」
「割れるってか……まあ、そういうことだ」
深く頷いた滝川さんに、ナルと綾子はそれ以上追及する気はなくなったらしい。

結局は綾子が躊躇いがちに「やってみてもいいけど……」といったので、祈祷の為に着替える為に部屋を出て行った。
その間、ナルはジョンに電話をしてくると言って席を外し、栄次郎さんは滝川さんが見張り、俺とリンでカメラを納戸に設置した。
そして着替えた綾子に続いてナルも戻って来て祈祷を始めようとした時、俺はふと気になったことを聞く。
「真砂子は呼ばないの」
「霊視なら麻衣が出来る」
「……それもそうか」
ナルの返答に俺はあっさり頷いた。
それを見てた滝川さんがふ、と笑って「んじゃあ綾子、いってみよー」と掛け声を上げる。
「いってみよー」
「のんきな掛け声しないで!」
俺も同じように綾子に声をかけたら、勢いよく振り向いた綾子は怒った。
確かに凶暴性のある憑依霊を前に、随分緊張感のないやり取りである。
正直舐めていたのだろう。

綾子が祈祷を始めると、大人しかった栄次郎さんは目玉を大きく見開き、唸り声をあげる。
苦しんだり嫌がったり威嚇したりと暴れながらも、身体は縛られて床に這いつくばっている状態で、こちらに危害を加えることはできない。いや、立とうと思えば立てるだろうが、その時はリンや滝川さんで押さえつけるだろう。

膝を立てて起き上がりつつある栄次郎さんに、綾子は少々怯む。
だが滝川さんに「続けろ!」と叱咤されて渋々向き合った。
再開された綾子の祈祷に、栄次郎さんは今度は狂ったような笑い声をあげ、上半身をずるりと床に落とした。
その時身体とは別の何かがその場に残り、狐のような獣の形の影となった。
「きゃあ!」
綾子の悲鳴が上がった時、半分ほど実体を持った獣は彼女を飛び越えて、俺やナルの前に着地した。
「リン、麻衣を外に出せ」
「こちらへ」
ぼさっとしていた俺は、リンに腕を引き寄せられて廊下に追いやられた。
リンの背中越しにナルを見ると、獣は警戒態勢のナルや滝川さんをあざ笑った後、ナルに向かって走っていく。

「ナル、いけません!」

身を屈めたナルを見た時、リンの背中がこわばり、低い声が響いた。
その声にびくりとナルの身体が跳ねる。
一瞬、エネルギーを押し出そうとするのを躊躇ったナルの腹に、獣が潜り込むようにして激突した。

あ、───。

声が出なかった。
ナルは部屋の壁に背中をぶつけて倒れて、皆が駆け寄っていく中で俺は廊下に立ち竦んだまま。
「ナル!大丈夫なの!?」
「っああ、……背中を打っただけだ」
軽く咳込むナルには意識があり、周囲を取り囲まれてその身体を起こす。
ゆらりと自分の足が前へ進みだすのを感じた。
近づいて来た俺に気づいた滝川さんと綾子、そしてリンが徐々に顔をあげて、こちらを見る。
最後にはナルも、「麻衣?」と俺を見上げた。

自分が今、どんな顔をしているのだかわからない。

ナルの身体を跨いでその顔に近づく。
そして、ナルの黒い目を見つめて、その奥底にいる"異物"に向かって口を開いた。

「その身体から出て行け」



next.

海に死が『沈殿してる』という表現は、かるかやから拝借。
主人公は死の気配に惹かれる習性があるのでお察し。
Sep.2024

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