Mirror. 42
護符を拒否する人間がいたら無理に渡そうとはせず一旦引き下がり、ジョンと滝川さんで固めて向かう───と自分で言っていたにも関わらず無理をしたということで、滝川さんには叱られた。挙句の果てに霊を憑依させ、子供の首を絞めたとあっては立つ瀬がない。でも、やった価値はあった。
霊はちゃんと人間だったものが死んだ記憶に違いない。産砂先生が差し向けてきた悪霊や、湯浅高校で使われた霊とも、美山鉦幸とも違う───このあたりで死んだ命の中でも、特別恨みを持って死んでいった命であろう。……言ってしまえば大した存在ではないはずだ。
とはいえ、あの霊がどうして吉見の家の人間に強く当たるのかは定かではないけれど。
物思いにふけって海を眺めて考えていると、突如ベースにドスドスと重たい足音が響いた。
何事かと周囲が気づき始めた時、ベースの戸は勢いよく開く。そして、陽子さんが荒れた様子で中に足を踏み入れる。
克己くん首を絞めたことで母親である彼女が俺に物申しに来た───というわけではないようで、子供たちに"護符を持たせたこと"に怒り狂っていた。
「陽子さん、この護符は悪いものを退けるものなんですよ」
「それがなに?大した力なんて持ってないわよ!」
「では陽子さんはこの護符を持てますよね?」
滝川さんがうすら笑いを浮かべて煽る。
陽子さんは今かなり揺れている状態で、大した理性もなく滝川さんが差し出す護符をひったくるように受け取った。
そして、手に持った状態で護符を燃やして見せた。───発火現象だ。
「ほらみなさい、大した力はないでしょう?」
ふ、と笑う陽子さんを見て、誰も驚きはしなかった。
明らかに人間の所業ではないので、滝川さんとジョン、綾子も冷静に彼女を取り囲んだ。
「綾子、七博」
「はいよ」
「そのままでいとくれやす」
三人が連携して陽子さんの動きを阻み、ジョンの祈祷で憑依霊を身体から排除した。
その為陽子さんは突如自分の身体の主導権を取り戻し、ふらついて畳に座り込んだ。
滝川さんと綾子がなんとか支えているところに俺も近づいていくと、陽子さんはぼんやりと顔を上げる。
「大丈夫ですか?」
「───え、……ええ……、あの、あなたがたは?」
心配するように顔を覗き込めば、陽子さんはまるで初めて見た人間に対する戸惑いを見せる。
霊の浸食が深かったようで、憑依されていた間のことは全て記憶してないらしい。つまり、俺たちがこの家に来たことすら知らなかった。
家族から説明してもらった方が良いだろうと彰文さんを呼び出し、陽子さんを任せた。
ちなみに改めて護符を渡すと、戸惑いながらも普通に受け取っていたので、当分は彼女が憑依されることはないだろう。
「護符を受け取らなかったのは子供たちと陽子さんだけか?」
「和泰さんは見当たりませんでしたわ」
後からベースに戻って来た真砂子は、滝川さんの問いかけに答える。
「あと奈央さん、部屋に行ってみたらいなかったのよね……家族も見てないって」
「フウン」
綾子も大したことではないだろうけど、といった態度でそう続ける。
俺はその話を聞きながら奈央さんと和泰さんの姿を思い浮かべた。奈央さんは特別何かに憑依されている印象はなかったが、和泰さんは違うので、彼を先に探した方が良いだろう。
俺はまた、定位置ともなってる窓の桟に腰掛けて海風を浴びる。
この家にいる人間にはおおかた護符を渡したせいか、家の中に充満していた死の気配は薄まりつつある。
だというのに、今、吹き込んできた風に乗って、鼻孔をくすぐったのは───あの甘い匂い。
「え?」
思わず声を上げて立ち上がり、外に身を乗り出す。
リンが驚きぴくりと顔を上げたのは、俺がそのまま落ちかねないからだろう。
綾子や滝川さんが「危ない!」と後ろで声を上げている。
俺はそんなのもお構いなしに、匂いを辿ろうと更に身体を伸ばして周囲を見回した。
「こーら!」
結局、滝川さんに引っ張りこまれてしまったわけだが。
「いったいなんなのよ、急に」
「においが……」
「におい?」
綾子が呆れと安堵のため息をついて、真砂子は俺の言葉に首を傾げた。
甘い匂いがした、などといってもそれは俺の習性であるからして、彼女たちに伝わるわけではない。
なんなら俺は滝川さんには"バカ鼻"と言われているし。
「どうかしたのか?」
「んー、わからない」
麻衣の身体を保ったままだとあまり遠くを見ることはできない。
意識を抜いたらここで倒れることになるし、もうこの場所ではあまりそういうことをしたくないので。
死の気配を甘い匂いと感じるのは、死んでいないからこそなのだが───ほどなくしてふつりとその感覚が消えてしまった。
死の危機が去ったのではなくて、きっと、誰かが死んだ。
昼過ぎになると、滝川さんが昨晩呼んだ助っ人───安原さんが吉見の家にやってきた。
吉見の家で起きていること、これまで見聞きした情報、そして俺たちが調べてきてほしいことを大まかに彼に伝える。
きっと彼は、考えて他にも必要になりそうな情報は持ってきてくれるだろうと信じて。
「じゃあ早速行ってきますよ」
「来てすぐのところ悪いな」
「いってらっしゃーい」
安原さんを見送る為、滝川さんと俺は外に出ていた。
そこに近づいてくる家の人の影があり、なんとなく揃って視線をやる。
「お出掛けですか?よろしければ車でお送りしますよ」
声をかけてきたのは和泰さんだった。
曖昧な顔つきは俺から見ると異常だったが、安原さんと滝川さんは気づかない。それどころか好意的で「まず図書館いくんだっけか」「ですね」と二人で目配せをし合っていた。
でも俺は言い忘れていたことがあったので、滝川さんの指を握って待ったかけた。
驚いたようで俺を見る滝川さんに、ちょっと背伸びして耳元に顔を寄せて声を潜める。
「子供たちが、車がどうとか言ってた」
「え?」
「克己くんと和歌子ちゃんが、車に乗ってって」
「一応聞くけど、それは護符を渡す前?後?」
「前」
───ウン、と滝川さんは頷いてから笑顔になって「少年、トレーニングと観光も兼ねて歩いて行きなさい」と言い放つ。
安原さんと和泰さんは戸惑ってたようだが、滝川さんの有無を言わせぬ勢いによって押されながらその場を離れた。
和泰さんと別れた後、俺と滝川さんは彰文さんに声をかけて泰造さんと共に車を調べた。車はブレーキオイルが漏れていたため、このまま車に乗っていたら、走行中にブレーキをかけようとした時にうまく作動しない恐れがあった。
つまり、和泰さんと安原さんが車に乗って出かけていたら事故を起こしていただろう。
蒼褪めてる吉見の家の二人を見て、滝川さんはもはや顔色一つ変えず、俺の背中をぽんぽんと叩いた。今後もよく注意してろ、という事だろう。
まったく、手のかかる家だ。
さておき、一仕事終えた俺たちはベースに戻ることにした。
そこに、彰文さんが追いかけてくるようについてくる。
「あの、姉の奈央を見ていませんか?」
「いんや奈央さんなら見てないけど……な?」
「うん」
滝川さんと俺は顔を見合わせて、『奈央さん』の姿は今日一度も見てないことを確かめ合う。
「朝から家族の誰とも会っていなくて」
「俺達が護符を配って回ってた時も、綾子が言ってたけど」
「部屋に居なかったってね」
「そうですか」
彰文さんはそのままベースにやってきて、メンバー全員に聞いたが奈央さんを見かけた者はいなかった。
リンにはカメラに写っていないかも確認させたが、とくに奈央さんが映り込むこともない。
俺は、あの時感じた誰かの死の気配と消失を、不在にしているらしい和泰さんか奈央さんだろうと思っていたが、先ほど和泰さんと顔を合わせたことにより奈央さんだと断定した。
しかし、これを口にしたところで彰文さんには困惑を与えるだけなので、黙って彼が部屋を出て行くのを見送った。
───奈央さんが見つかったのは深夜だった。
遺体となって海に流され、洞窟付近に漂着したのがカメラに映った。始めはリンが気づき、滝川さんとジョンがリンと共に三人で引き上げに行った。
遺体の損傷具合からして崖から海に転落したのではないか、とのことだった。
ここに住んで長い、いい歳した大人が不注意で海に落ちるだろうか。そうは思っても、誰もそんなことは言わない。きっと殺された可能性があるという考えが過ったはずだ。
「降霊術をできるか?どっちでもいいんだが」
「……」
「……ん?」
滝川さんからの問いかけをどこか遠くに、意識の外で起きるものとして受け流していた。が、沈黙が続き、周囲───それも真砂子の視線が俺に向けられたことによって気づく。
「あたし?……真砂子まで」
「美山邸ではあたくしがやりましたもの、今回はお譲りするのが筋かと思いましたの」
「筋???……いやでも、自信ないな~」
筋とは、と思いつつも断ると、皆がざわついた。
これまでは意図して霊に憑依をさせてきたから、自信がないことに驚いたのだろう。
俺はこの土地と相性が悪いと伝えて辞退した。そして、そんな俺に代わって奈央さんを下ろすのは無事、真砂子が成功させてくれた。
奈央さんは近頃の憂鬱を少しでも晴らしたくて、茶室の傍から海を眺めていたらしい。昔からそこから海を見るのが好きだった、と。
だがその時、誰かに背中をおされて崖から転落した。
茶室があるのはこの敷地のはずれにある柵によって隔離された場所で、鍵がかかっていて家族以外は出入りができない。よって彼女は家族の誰かに殺されたのだと思っている。
姿を見てはいないが、「それでよかった」と呟き真砂子の身体で涙を流した。
その時突然起こった異変に、俺は身体をこわばらせた。
「いや、そっちにはいきたくない───っ、───化け物!」
奈央さんに憑依された真砂子が藻掻くように背を丸めた。
同時に俺は身体の内側を何かに掴まれて、引き寄せられるような感覚に陥る。
無理やり中身を剥がしていこうとするような濁流に、ぎゅっと麻衣の身体を抱きしめた。
自分の意思ではないのに意識が遠のいていくのが気持ち悪い。
このままだと俺"も"連れて行かれる。
───だが、奈央さんの憑依が真砂子から落ちるのとほぼ同時に、俺を襲う渦潮は去った。
奈央さんは真砂子の身体では抵抗もできなかったが、俺は俺以外いない慣れ親しんだ肉体が縁になったのだろう。
奈央さんの去り際、そして真砂子が覚醒したことで騒然となる周囲をよそに、俺は人知れず安堵の息を吐いて背中を襖に押し付けていた。
next.
浦戸(ヒト)<主人公(?)<おこぶ様(神)くらいの力関係。
おこぶ様は麻衣の中身も使役しようと思えばできるけど、普通の霊ほど弱くもないので今回は引っ張れなかった。
Sep.2024