I am.


Mirror. 43

夜中、俺は安原さんが集めてくれた資料をよく読みたいからと断ってベースに残った。
部屋にはリンと俺しかいなくなり、機械の稼働音と、僅かな身じろぎ、俺がぱらぱらと紙を捲ったり伸ばしたりする音以外はほとんど静寂と言っても良い。
窓を閉めているので、海の音もしなかった。

資料によると、吉見の先代、先々代に渡って起きた度重なる死は彼らがここに住む前に居た本家の筋でも起こっている。それどころかさらに前の、血縁ではない別の家でもだ。
克己くんと和歌子ちゃんから離れた霊はここにいる人間の死を望んでいたが、おそらくそれは血筋に関係するものではないだろう。
しかしこれだけ見ると、一揆の首謀者として殺された"彼"の恨みが強く、この場に残って人を殺しているように見えた。
しかしここは余りにも強いエネルギーが存在し、霊が多くこの地に集められている。───奈央さんや俺が引き寄せられたように、"彼"だってあれには逆らえないはずだ。
無論、おこぶ様がこの地の人間を守って、霊を懲らしめるなんてことはないが、


「───、?」

ふいにリンが息を詰めたような音がして、その背中を見る。
何か操作をし始めたので、歩みよって隣に座った。
「洞窟に妙な音が発生しています」
「聴かせて」
俺に気づいたリンがヘッドホンを外しながら説明したので頷く。
管理している映像や音声の切り替え作業が行われ、ベースの中に洞窟で録れた音声が流れ始めた。

ゴォオォ……グォ───……

低く唸るような音だった。
「自然音にはあてはまりません」
海が波打ったり、岩がぶつかり合ったり、風が洞窟の中を吹き抜けていく場合だとか、そういった色んなシチュエーションで発生する音の、膨大なモデルデータを俺たちは持っている。それらとこの音を比べて似たものを選出できるわけだが、そのどれにもこの音は当てはまらないとリンは言いたいのだろう。
「いきものみたい」
「……」
俺の思ったままの感想に、リンは否定も肯定もせず黙り込む。
しかし程なくして話を変えるように口を開いた。
「ナルの身体に入っている者の正体に、見当は?」
「さあ、やっぱり一度起こしてみるのが手っ取り早いかな。克己くんや陽子さんにしてみたように、中にいるものに語り掛けて揺さぶって、本性を引き摺り出すことはできると思うの。そのままあたしにうつってくれたら、ナルから切り離せるんだろうけど」
「それはあまりにも危険です。起きた途端にナルが何をするかわかりませんから」
「……そうだね」
俺だけで対応するならまだやりようがあるが、それを許す人はだれ一人いない。
フウ、と小さなため息を吐いた。



───とにかくわからないことが多い。そして俺自身、あまり動けない。
より広く深く探ろうとすれば、この土地の強大なエネルギーにものすごい引きで持って行かれそうになるので、怖くて。

「もう、安原さんが頼みの綱なの」
「え、なんですかそれ。責任重大だなあ」

翌朝、引き続き外に出て調べものをしてくれる安原さんの肩をぽんっと叩いて見送った。
彼に言ったことは本当だ。俺が自身の能力で探れないのなら情報や知識で推理するしかないのだから。

ベースに戻ると、起きだしてきた皆が、昨晩洞窟で発生した音を聞いて、おこぶ様にほんの少し関心を持ったように話し合っていた。
霊場の気配がすると言うのは真砂子と俺の共通で認識していたし、力が大きいことは誰もが認めている。
ただし昨日は色々と霊の顔が垣間見えたところだったから、皆の意識は強く霊の方へと偏った。
特に安原さんが調べてきた内容から、かつてこの地で一揆が起こり、その首謀者が処刑された事実は明るみになっていて、克己くんや俺の発言と一致していた。
それだけじゃなく、雄瘤や雌瘤にまつわる伝説、庭にある塚の六部殺しなども気になるところだ。
「やっぱ強い恨みを持ってる霊がいるんだよ、それでここに住む人間に恨みを晴らしてるんじゃないか」
「でも、ここにいる霊はとても空虚ですわ。透明で感情が見えづらいのですもの」
「克己くんや麻衣に憑いた霊は、随分恨みを持っていそうだったけど?真砂子が見えないだけじゃない?」
「麻衣さんは、憑依された時になんぞ感じたりしはったんですか?」
話を聞き流しながら近づくと、彼らは俺の存在に気づいたように顔を上げた。
話に参加するつもりはなかったけど、ジョンが俺を話に組み込むように問いかけてきたので立ち止まる。
「……たしかに強い恨みの感情は持ってたけど、ここにいる霊は真砂子の言う通りとても感情が見えづらいの」
「抑えてるだけ、ってことは?」
「確かに霊は点滅するように存在や悪意を消してしまう瞬間があるよね」
滝川さんの問いかけに対して、上手く違いが説明できなくて肩をすくめる。
こんなにたくさんの霊がいるのに、死の気配がするのに、視界が曇るようにして不明瞭。
「でも、あたしが気になったのは奈央さんの方だなあ」
「奈央さん……?確かに何かに怯えるみたいに拒否していたわよね。それに、家族の誰かにまだ霊がついてるかもしれないわけだし」
「奈央さんの姿が見えへんようになった時、まだ憑依されてはるお人はおりましたもんね……」
誰が奈央さんを殺したのかは俺にはわかっていたし、それは特に重要な事ではなかったので、会話が進むのを後目に真砂子に顔を近づける。そして、声を少しだけ潜めて問いかけた。
「ねえ、真砂子はあの時何か感じたりはしなかった?」
「あたくしは、よくわかりませんでしたわ」
どうやら憑依されていた間に何を話したのかを、覚えていないみたいだ。だが、それよりもあの感覚を覚えていないかと口を開く。
「つられて、自分の魂が、身体から出て行きそうになったりは……?」
「え……?」
戸惑うような小さな声と、揺らぐつぶらな瞳から、俺はそっと目を逸らした。
「なんでもない」



母屋から火が上がった、と報せが入ったのは昼過ぎに仮眠に行こうとした時だった。
俺たちがいるのは店の方で、すぐに燃え広がることはないだろうが、リンまでもがベースを出ていく。
ナルを寝かした部屋は結界が張ってあるためリンが離れても問題はないのだが、俺はひとまず仮眠はやめて、誰もいないベースに残ることにした。
まあ、火がこちらに来るよりも前にリンがナルを救助しに来るだろうが。

───と、思っていた俺の前に現れたのは和泰さんだった。
「何の用?」
襖を開けるなり無言で部屋の中を見回した彼に、俺は問う。
だが彼は答えることなく中に入ってきた。

リンの結界があるからナルは大丈夫、と先ほど考えた通りの思考で俺は和泰さんの前に立った。けして、ナルを守ろうと思ったわけじゃないのだ。麻衣の細腕じゃこの恰幅の良い中年男性を退かすことなどできない。
ただ、その顔を見て、目を見て、心を読もうと、正体を探ろうとしただけ。

「かず、ぅあ」

和泰さんは俺を前にしても止まるはなくそのまま進んできた。
がっしりとした肩が顎の下に入って、腹が強く押されて声が出る。
視界がぐらりと揺れて、身体が跳ね飛ばされたことが分かった。
上手くバランスが取れずに畳に倒れて、尻どころか背中や頭もぶつけて倒れる。
「なにすん、ぅえ」
起き上がろうとしたところで、和泰さんの身体がのしかかってきて、腹をどすりと殴られる。内臓が押しつぶされた感覚に反応して声が出た。
俺の腹に埋まっていた腕が引いて行ったあと、また振りかざされる。
その時ぴちゃっと水の跳ねる音がして、頬に飛んできた感触がした。和泰さんは先ほどからその手に包丁を持っていたらしい。
「ぁ」
咄嗟に自分の腹を確認したら、服が赤く染まって、ぐっしょりと血に濡れていた。
そこにまた、ずぶりと包丁が突き立てられて、麻衣の薄っぺらい身体が反動で跳ねる。
「や、めて、ぇう」
引き抜かれた包丁に手を翳して、下手な抵抗をした。
身体をねじったが、跨る太い足の間から抜け出すことができずに、肩やわき腹なんかをえぐられた。
「フーッ……フーッ……グル……ゥルル……」
荒々しい息は徐々に獣の唸りのようになっていく。
俺はなおも藻掻いて、這いずりながらナルの眠る部屋の襖に手をついたが、濡れていて滑った。
いけね、襖に血で手形をつけちゃった。……というか、壁や畳にも大量の血が零れてる。
あ……どうしよう。
すっかり人間のつもりでいたから血が出てしまった。身体は後で修復できたとして、零した血って消せるんだっけ。

「ゥガアァ!……ガァッ……グゥゥウ!!」

焦りと迷いで動けない俺から興味を失ったのか、和泰さんが今度は襖に攻撃を始めた。
まずい、と思って動きづらい身体で這って和泰さんの足を掴む。
襖を攻撃したら、リンの張った結界が反応し───リンが気づいてしまう。

「ナル!……───っ」

あぁ……来ちゃった。息をのんだリンは、まず間違いなく血まみれの俺に気が付いている。
俺は落胆して、ぱたりと畳に頭をついた。

「そこから離れなさい、すぐに!……谷山さん!意識はありますか?谷山さん!返事をっ」
「グァア!!」
リンの声が近くなる。和泰さんと俺の双方を気にかけているのだろうが、和泰さんはリンの声を聞き入れずなおも襖を攻撃していた。
俺はリンに答えるように、顔だけ上げて意識があると示す。
「───その襖を開ければあなたは大怪我ではすみませんよ」
がすっ、がすっ、と刃物を突き立てる音がする。
和泰さんを止めるのは無理だろう、かなり意識を乗っ取られているようだ。

俺は身体を動かして、上半身を起こしながらナルと和泰さんから遠ざかった。
リンが自力で起きた俺を見て小さく頷いたが、はっとして俺の身体をまじまじと見て眉を顰めた。
一方、リンの式と思しき大きな手が襖の切れ目から出てきて、和泰さんに襲い掛かる。
和泰さんは軽く傷つけられたが身軽に後ろへ飛びのき、その攻撃から逃れた。そして、式に阻まれることを理解して諦めた彼は、部屋を出ていく。
「谷山さん……っ」
リンは追おうとしたが、踏みとどまって俺に駆け寄って来た。
そして身体を観察するように視線が動くのを、手を伸ばして止める。
「リンは和泰さん追いかけていいよ」
「……っ、ベースに人を呼びます、救急車も。気をしっかり持ってください、いいですね!?」
「ウン」
俺の傷が心配のようで、リンは肩をがしっと掴んで俺に言い聞かせた後、廊下に飛び出して行った。
今更、傷をなかったことにはできないので、だらだらと流れる血をぎゅうっと手で押さえて止めながら、リンの言う通り人が来るのを待つ。
救急車を呼ばれてしまうから、あぁ、どうやって傷を治していこう……。
───そもそも、この傷はどの程度重症なのかしら。

やがて大慌てでやって来た綾子と真砂子が、俺の姿を見て引き攣った声を上げた後、畳に身体を寝かせた。
「ひどい……っ」
「麻衣、しっかりしなさいよ!すぐ救急車がくるからねっ!」
真砂子は蒼褪めて口元を手で覆った。綾子は俺の腹を服やなにかでぎゅっと押しながら必死で声をかけてくる。その様子を見て俺は、彼女たちに自分の状態を問う。

「……ひどい?……死んじゃう……?」

二人は、一瞬目を瞠った。
でもその後、ふるふると首を振った。その拍子に涙がきらりと光る。

「死なないわよ、馬鹿ぁ!!!」



next.

やめて!霊に憑依された和泰さんに刺されたら、人間の麻衣の身体は傷ついて血を流しちゃう! お願い、死なないで麻衣! あんたが今ここで倒れたら、ナルや吉見家はどうなっちゃうの? 意識はまだ残ってる。 綾子には死なないっていわれたんだから!
───次回「麻衣死す」 デュエルスタンバイ!
Sep.2024

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