I am.


Mirror. 44

*三人称視点

麻衣が救急車に乗せられていくのを、真砂子と綾子は茫然と見送る。
救急隊員は躊躇うように二人を一瞥したけれど、時は一刻を争うと言いたげに「いいんですね?」と念押ししながらドアを閉じた。
程なくして、遠ざかるサイレンと入れ替わるように、滝川たちが駆け寄ってくる足音が近づいてきた。
「付き添わなかったのか?せめて一人くらい」
「……本人が付き添いは要らないっていったの」
「そうかい」
汗を拭うようにTシャツの襟ぐりを引っ張り、ため息を吐く滝川は消火活動の時よりも生傷が増えているように見える。ジョンも、リンにも、謎の切り傷はある。
ベースには麻衣を刺したと思われる包丁が放られていたが、他にも刃物を持っていたのかもしれない。
「和泰さんは……?」
「……海に、飛び込ませちまった」
真砂子が問うと、滝川は深いため息とともに彼の最期を語った。
その言葉尻からは自責の念が見える。

ベースに戻ると、滝川とジョンはその惨状を目にして息をのんだ。
真砂子と綾子に多少血がついていても、救急車に乗せられた時の麻衣はタオルケットに包まれていたし、なるべく外から見えないようにされていた。だから彼らは、麻衣の怪我の度合いを───出血量を知らなかった。
「そんな……」
「おい、なんでこんな……聞いてねぇぞ」
ジョンは顔を蒼褪めさせたし、滝川はやり場のない怒りのようなものに震えた。
リンや、綾子、真砂子を順に見てきたが、続いて罵倒が出てくることはなかった。
「麻衣さん、意識があったって」
「ええ……あったわ」
「どれくらい怪我してたんだ?」
「お腹を二回、後は手や肩に掠ったそうです」
「二回も……」
「ベースに残していくんじゃなかった。なんであの子ったら……せめてあのまま仮眠にでも行ってればいいものを」
綾子は後悔の滲む声でつぶやいた。顔は青白く、手は震えている。
今回のことは誰も責められることではなかった。消火活動に駆け付けたのも、ベースに残ったのも決して悪い行動ではなかった。和泰が奇襲してくるなど予想できるわけがない。
「……本当に、馬鹿なことを」
「え?」
そこにこぼれ出た滝川の言葉に、誰かが聞き返すように声を漏らす。
滝川はナルの眠る部屋を隔てる襖の、角を指さした。
そこはひと際、血が飛び散るようについてる中で、麻衣の手形が残り下にずり落ちている。
滝川の指はやがて、畳に残る引き摺られたような血の跡を辿って動いた。
「麻衣を刺した和泰さんはナルの部屋を開けようとしたんだろ」
「私が駆けつけた時、谷山さんはたしかに襖を切りつける和泰さんの足にしがみついていました」
「渋谷さんを守ろうとしはった……」
「しかないわな」

夜、安原が調べものから帰ってくると家や店の状態に戸惑いながらベースに入ってきて───破れた襖や赤い血の跡に驚いた。彼には心配をかけまいと、誰も今日のことを連絡していなかったのだ。
いったい何があったのかと目を向けられたのは滝川で、彼は一度唇を噛んでから昼間に起こった騒動を説明した。
「……なるほど、そんなことが、……───元気だしましょう、僕らがくよくよしてても何も良い事は起きないですから」
話を聞いた安原は若干表情や声がぎこちなかったが、気丈な姿を手本としてみせてくれた。
「谷山さんは僕が『頼みの綱』とのことですからね、ぜひ役立ててくださいよ」
そういって彼は調べてきた内容を皆に共有する。内容は、この土地に関することが主だった。麻衣にはおこぶ様についてを調べて欲しいと言われていたらしい。
滝川や綾子、そしてジョンはこの地に霊がいて、その霊が強い恨みを持っていると認識していたため麻衣の気になることはよくわからない。
たしかにおこぶ様は強い力を持っていると麻衣は言っていた。それは真砂子にとって、ほんの少しだけ同調できる感覚だ。
なぜならここにいる霊は酷く感情が薄いように感じられた。
でも、麻衣に一瞬憑依した霊は、この地でかつて無念の死を遂げた霊だった。和泰に憑依していたものの正体は不明だけれど、何が望みなのかと聞かれて「死を」とだけ答えたそうだ。

麻衣も真砂子も、この地が霊場と同じ気配がすることで、勘が鈍っているのだろうか。
特に麻衣は相性が悪いとまで言っていた。
だから、真砂子はその違和感を飲み込むしかなかった。



ところが違和感は翌朝、目覚めたナルがあまりにも簡単にひも解いてみせた。

安原が調べてきた内容の、この土地の過去についていくつかの記述から見つけたことを、組み合わせる。
ここはかつて大時化などがあり海難事故や不漁などが頻出していたが、神社を建てて海の神(おそらくえびす神のことだろう)を祀ることによって被害は落ち着いた。けれど神は祀りを怠ると人々に厄災をもたらした。───とあった。
「昔は洞窟も神社と関わりのある祝のもので、神事もあたり一帯の土地も管理をしていただろう。だが土地を売り買いしていくうちに、神社と祠は分かれ、忘れ去られていった」
「その罰が、今ここで起きてるっていうの……?」
「ここにいる霊が原さんの言うように使役されているものなのも、目的がこの土地にいる人間の『死』というのも腑に落ちる。───ここは霊場に似ているようだし、おこぶ様は非常に強い力を持っているんだろう」
「よくもまあ、資料だけであっさり」
「この程度のこと、少し資料を読めばわかる」
ナルは起きてきたときから相当不機嫌だったので、滝川の感心にはにべもなく返した。
頭の出来が違うと言いたげな彼の口ぶりに、皆は口を噤む。
「谷山さんが引っかかってたのは、このことだったんですかね。この祀りを怠れば厄災が起こるというあたりは、僕が昨日調べてきた部分です」
「かもな。そもそも最初から、おこぶ様は気にしてた。霊の姿があまりにも見えてこないのも浦戸の時と似ていて、人の範疇から超えてる存在になっている時だって」
安原が少し肩を落としたのは、重要な記述を見つけてくるのが間に合わなかったからかもしれない。滝川も少し後悔が滲むように続いた。
ナルは二人の話に首をかしげ「人の範疇?」と続きを促す。
「本人曰く、そう感じるんだと。だが後になってわかる場合もある───今回も、よく見れば霊の本質なんかが分かる時もあった。それでも腑に落ちないから、ここで人が立て続けに死ぬ理由を探してたんだろう」
「麻衣がどこまでわかってたかなんてどうでもいいわよ。とにかく、やっと理由が分かったなら打つ手はあるのよね?」
「ああ、おそらくおこぶ様を丁重に奉ればいいってことだろう。吉見さんに報告して、すぐに神事を手配してもらおう」
綾子はいつも過程より結末、それが解決であることを重要視するので行動を急かした。
後悔などないのだろうか、と真砂子は少し思ったけれど、彼女は真砂子と違う生き物だったので想像するのはやめた。

「いや───おこぶ様は除霊する」

最後の仕事にとりかからんと勇む彼らの騒めきに、ナルの声が突き抜けた。
は、と聞き返すのは滝川であり、綾子であり、声を上げないがジョンやリンですら目を瞠る。
「いや、なんで?」
「今後祀りを怠れば同じようなことが起きるだろう」
「引き継いでいくのは吉見家に任せたらいい、そもそも俺達には分が悪いぜ」
「せやですね、麻衣さんは原因がおこぶ様やったら『倒せない覚悟』せんといかんゆうてました」
「ナル、私も反対です。相当の力を持っているはずですから」
「あたしだってもうおすがりできる樹はないからね!?」
「力量のない者は必要ない」
周囲の反対を押し切るナルに、皆が絶句した。
「───随分愉快な経験をさせてもらったんだ、しっかりお礼をしなければならないだろう」
そして底冷えするような声と美貌に、今度はおし負けてしまっていた。


洞窟には全員で行くが、着物では動きづらい真砂子は麻衣の服を借りることにした。サイズが同じくらいだし、彼女は調査の時はいつもTシャツとジーンズなどシンプルで動きやすい出で立ちをしているので理に適う。「今ならスニーカーも借りられるじゃない」と言ってのけた綾子は少し無神経すぎるような気がしたが。
正直、自分の趣味ではない格好は、違和感が強い服装である。けれど、いざという時に滝川やジョンを支える手にならなければならないと腹を括って部屋から出た。

ベースにいくとナルが一人、佇んでいる。
タオルや新聞紙で覆った麻衣の血の跡が残る場所の前に、その背中はあった。
彼は血の跡を見つめながらスマートフォンを取り出し、操作したと思えばそれを耳に当てる。
真砂子は動けないまま、その動向を見守った。

きっと、麻衣に電話をかけているのだと思った。
ナルは麻衣の不在を聞いた時、少しも顔の表情を変えなかったし、深く聞いてくることもなかった。
救急車でどの病院に運ばれたかは後から連絡があったけれど、処置に当たる前のことで詳しい説明は受けていない。さすがに、命を落としていれば連絡が来るはずだけれど。
「───……」
程なくして、ナルは微かに息を吐きながらスマートフォンを下ろした。そしてポケットにしまう。
そこでようやく真砂子は少し音を立てるようにして、ベースの中に入っていく。
きっと真砂子に気づいてるだろうに、視線は少しもくれなかった。
「お出になりませんでしたか」
意を決して、真砂子はナルに問う。
目覚めた時の不機嫌な顔から、ずっと眉を顰めているので、本当は少し怖い。なんなら恋したことも間違いなのではと思うほどだ。
でも、なぜだか目が離せない人。そんな彼は、違う物ばかりを目で追っていて、真砂子のことをちっとも気にかけてはくれない。
やっと振り返って真砂子を見たけれど、ナルはやはり何も言わないので、苦し紛れに自分の服装を話題にした。
「服をお借りしましたの」
しかし彼は人の服装にとやかく言うはずもなく、一瞥しただけだった。
───不毛だ。と、思った。

真砂子の勝たなければいけない───そして、けして勝てそうにない相手は麻衣なんかじゃなくて、彼の双子の兄だと思っていた。

でも、やっぱり、麻衣なのかもしれない。
彼女はいつも素知らぬ顔して、容易くナルの視線を奪う。

「ナル、呼んだ?」

なんて、余裕げに柔らかく微笑む。
普通の何の力も持たない少女だと思っていた彼女は、次第にその特殊な姿をナルや真砂子たち皆に見せるようになった。彼女もまた、目が離せない人。
神出鬼没という言葉が似合うかのように、飄々と現れて───いつか消えてしまいそうだからだろうか。

閉ざされた洞窟の中に麻衣が現れた時、真砂子はそんな気がした。



next.

私の調べたところによると、腹部などを刺された場合、外より中での出血がひどいらしいので本当は大きな血の痕は残らないのでは……と思ったのですが>>演出です<<
皆が血の痕見てウワってなる、望み薄ってなるのが書きたかった。
麻衣はナルを守ろうとしたんだな、ってみんながシンミリしてるが実際違くて、リンが来るまでの時間稼ぎを試みただけという勘違いが楽しいです。
Sep.2024

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