Mirror. 45
手術を受けたあと病室に移され、誰もいなくなったタイミングで目を開く。起き上がろうとしたら、動けない。俺の身体は色々な管が繋がっていたので文字通りベッドに縛り付けられている状態だ。
手をちょっと動かすくらいはできるけど、連絡を入れるためにスマートフォンを探すこともできなかった。
起きているのがバレるのも面倒だし、そもそも連絡したらそれもバレてしまうから駄目か、と諦める。
朝、看護師が世話をしに来るだろうからその時に目を覚ました振りをすればいい。───と目を閉じて朝を待った。
ある時、俺は引き寄せられるようにして意識がとぷんと沈んでいく。
"呼ばれた"時の感覚と似ていた。
突如目の前に広がった暗闇が一瞬で開けると、そこは見覚えのある洞窟の中だった。
祠とナルが立っているのがまずわかり、その周囲には座り込む滝川さんやジョン、安原さんがいる。
彼らを心配する様子の綾子と真砂子とリンの姿もあったが、そんなことより。
「ナル、"呼んだ"?」
ナルの身体から力が滲みだしているのが分かって、後ろから抱き着くようにしてのしかかる。声や重みに反応して、弾かれるようにこっちを見たナルが目を見開いた。
ナルの力は触れた所から麻衣の身体の方へと流れてきて、肌を刺すように這う。
ユージンだったころほど相性がよくないのは、ナルの身体をベースにしていないのだから当たり前だろう。とはいえ力を返すことはできる為、ナルがそれに気づいてピクリと眉を顰めた。
もの言いたげなナルの視線から逃れるように、足をついてナルの背中から降りた。でもいつナルの力が暴発するかわからなくて、手は掴んだままでいる。
「いったいどうして、こんなことになってるの?」
ナルが目を覚まし、ここでおこぶ様と向き合っている経緯とか、今にも力を放出しようとしていた理由を知りたくておこぶ様を見た。
今は"引き"の力よりも"押し"の方が強い。祠の周りには濃厚な力が膜のように覆っている。そんな状況的に見て、彼らは霊ではなくこの神になんらかの攻撃を───つまり、除霊を試みたということになる。
ナルが答えないので「……人間が相手に出来る代物でもないのに」と言葉を続けた。
「だが、人間の信仰で力を付けた存在だ」
ナルが不満げに言い返してくる。
つまりは、おこぶ様も"気"とか"エネルギー"だとかそういう物で、結局は人間由来の存在だと言いたいのだろう。
そして除霊というのは同じく自分の"力"をぶつけて相手の形を壊して存在出来なくすること。つまり理論上、除霊は可能であると言いたいんだろう。
「信仰ってつまり多数の力の集合体でしょ、それを除霊するにはかなりの力が」
そこまで言いかけて、言葉を止めた。
ナルが人並外れた自分の力で解決しようとした、とわかったから。
でも、そんなことを"一人"ですればナルは死んでしまう。
「……こまるなぁ……ナルに死なれたら」
俺は両方の手を伸ばして、ナルに差し出した。
言われた言葉か、差し出す手か、その意図か、ともかくナルは驚いたように目を見開いたあと、同じように両方の手を俺の手に合わせた。
触れそうで触れない指先の間に、微弱に震える空気が生まれる。それは静電気みたいに肌をぴりぴりと刺した。
少しずつ伝わってくるナルのエネルギーを、俺の中で増幅させてナルに返すと、俺達の間に青白い光が生まれて互いの顔を照らす。
暫くそれを繰り返して、とうとう十分だろうと笑いかけると、それを合図にしたようにナルは俺からのトスを受け取って手を離す。そして自身の両手を組んでエネルギーをそこに終結させて、おこぶ様の祠めがけて撃ち放った。
ものすごい大きな音を立てて祠が壊れ、衝撃波の風が吹いて砂埃が舞う。
皆がその勢いに顔や頭を守っているのをよそに、俺はナルの背中に近づき、ぴとっと抱き着く。
「───っ」
「よかった、大丈夫そう」
驚いたらしいナルの身体がびくりと跳ねたが、やがて呆れたように俺を見下ろした。
「いったいお前は……」
何か言いたげだが、俺が身体を離しておこぶ様の祠に近づいていくと、ナルの声は止む。聞こえない距離になったのか、話すのを辞めたのかはわからない。
俺は割れて砕けたご神体の流木を拾う。
「あたたかい」
生き物ではないが、不思議な熱を持っていたそれを見下ろした。
神だったものでも、あっけなく人に壊されるんだな。いや、ナルの力は人の域を超えているからこそできたのだろうけど。
「霊場の気配は消えたね」
「……ええ」
振り返ってそう言うと、返事をしたのはもちろん真砂子だけだった。
しかし彼女はまだ戸惑いを隠せないようで、綾子と二人、顔を見合わせている。
「それで結局、どうしておこぶ様を除霊することになったの?」
「そ、んなことよりあんた」
何かをいいかけた綾子をよそに、洞窟に駆け込んでくる足音があった。
「皆さんっ、大変です、今病院から連絡があって谷山さんが───、え」
彰文さんの声が先に飛び込み、次いでその姿が現れる。
彼の突然の登場に皆も驚いていたが、彰文さんこそ、俺の姿を見て驚いて動きを止めた。
「谷山さん!?!?病室から居なくなったって大騒ぎですよ!?どうやってここまで来たんですか!?」
ありゃ。
やっぱり俺は麻衣の肉体でここに来ていたらしい。
「……病院って戻らないと駄目かな?」
「当たり前ですっ、谷山さんは手術中に一度心臓が止まったって聞きましたよ!あ、歩かないでくださいっ」
その後病院に連れ戻されて、怒られて、精密検査をされたことなどは割愛する。
安静にすること早七日。
俺はベッドから一歩も出るなと厳命されているので、ほとんど眠ったふりをしたままでいることにした。
身体の内側はほとんど元通りに回復しているので、あとは表面上の傷だけなのだが、医者に見られていると治す経過に気を使うから早く退院したいのだが、そうはさせてくれそうにない。
昼を過ぎたころ、ふいに部屋の外で声がした。
誰かが話している声がしたから、複数人いるらしい。
やがて静かにドアが開けられたので、消毒とか、点滴の交換とかかな、と目をつむったまま待つ。
看護師は必ず俺に声をかけて、説明しながら世話をするのだが、何も言わずに見下ろされる気配を感じたのでうっすらと目を開いた。
「───ナル」
そこに居た予想外の人物に少し驚く。
まさか一番最初に会いに来るのがナルだとは思わなかった。
「死んでいてもおかしくない怪我だったそうだな」
「そうなの?綾子は死なないって言った」
ナルはベッドサイドに立ったまま俺の言葉に首を傾げた。少し考えるように沈黙して、経緯を想像したのか「気休めだ」と投げやりに言った。
……そうか、綾子の言った死なないという言葉は気休めで、俺はあのまま死ぬのが"普通"だったのか。失敗した。
「丈夫なんだ、身体」
「たしかに殺しても死ななそうだ」
憎まれ口は黙殺する。
殺されたらちゃんと死ぬけどな、ユージンのように、と言ったところで意味はない。
「……ねえ、いつ退院できるのかなあ」
「あと二週間は入院。傷がちゃんと塞がるまではもっとかかるが───そんな状態であの洞窟まで一人で来られたのはいったいどういう訳なんだ。車で三十分の距離を、裸足で病院着のまま」
ナルが俺に会いに来たのは、このことを聞きたかったのだろうな。
「気がつけばそこにいたの。ベッドの上にいたのに、目を開いたら洞窟だった。ナルの後姿が見えて……ナルに呼ばれたんだと思った」
「僕が呼んだ?どうしてそう思うんだ」
「人が死に瀕した時、感情の波が大きくなる場合があって。意識してでも無意識でも、強いなんらかの感情が発生する。ナルはあの時それと同等の動きがあった」
俺がそう言うと、ナルは閉口した。
本来俺は死を目前にした人間の昂る感情、それこそ願いのようなものに呼ばれるのだが、ナルはそれを見事に再現してみせたというわけだ。けしてそうは言わないけど。
「ナルが明確にあたしを求めていたんじゃなくても、その強い感情とエネルギーがあたしを引き寄せた。……って言った方が分かりやすい?」
「緑陵高校で突然教室に現れたのも、同じ現象なのか」
「そうだね、坂内くんに呼ばれたんだと思う。彼はもう死んでたけど、それこそ感情が強く残った存在だったし、自分の撒いた呪いに喰われまいと藻掻いていたから必死で」
「……コントロールできないのか?いちいち引き寄せられていたら、命がいくつあっても足りない」
「うぅーん」
俺はそう言う習性だしなあ、と悩む。
そんな様子にナルは「まあいい」と割とあっさり諦めた。これは今後訓練していくべきことで、今すぐどうこう出来ることはないと思ったんだろう。大当たりです。
「───もう一つ、あれはいつからできるようになったんだ」
「"トス"?」
「ああ。湯浅高校でマンホールから落ちたときもやっていたんじゃないのか。思えばお前は人のエネルギーの動きに敏感な節がある。……僕が力を使うのもわかるようだし」
ナルが何も言わないから忘れられてるのか、気づかれなかったかと思っていたが、そんなことはないらしい。バレてたなあ、と思わず笑いかけるとナルは一瞬気まずそうに目を逸らした。
慎重なナルのことだから、最初は気のせいだと思っていただろうし、確証を得るまで言うつもりはなかったのだろう。それを今回俺が堂々披露したので聞く理由が出来たってわけだ。
「あとは、僕に夢を見せたりもしたな。美山邸で、鈴木さんが殺された時の記憶だ───。この二つはどちらとも、僕とジーンの間でしかできないことだったのに……、」
ナルの少し早くなる話を聞きながら、俺は身体を起こした。
まとわりついたチューブがまるで俺の動きを阻むように引き留めてきたけど、そんなの構わなかった。
「泣いてる?」
ナルは俺の動きに驚いて思わず手を出したが、問いかけにびくりと震えて手を下ろした。
「……僕が?」
「いや」
俺はナルに手を伸ばして頬に触れた。逃げられないからではなく、受け入れるようにナルが待っている気がする。
目の下を撫でても、もちろん涙なんて流していない。そもそもナルが泣いてるのを見たことは一度もなかった。初めて会った死の間際でさえ彼の瞳はどこか渇いていた。……死にかけていたのだから無理もないが。
だけど今のナルはあの時と同じような気配がした。命を削っているようにも、大きな感情を燃やしているわけでもない静謐が、目の奥底にある。
「───どうして、ナルに呼ばれたんだっけ」
この時俺は、初めて会った時のナルの感情を思い出そうとして、思い出せないことに気づいた。
next.
手術中、麻酔されたので、身体の機能を落とそうとしてうっかり心肺まで停止した。にんげんぶきっちょさん。
Sep.2024