I am.


Mirror. 47

吉見家からの帰り道、ひょんなことで順路が逸れたことで予期せぬ道を行く車は、かつて俺が───ユージンが沈められた湖を横切ろうとした。
前を走る車が急に停止したと思ったら、ナルが飛び降りるように地面に着地し、道路の脇へと駆け寄る。
ガードレールに手をついて、じいと下に広がる湖を見つめた。
ナルだけではなくリンや真砂子まで道路に出たものだから、滝川さんや綾子も何事かと車を降りようとした。
「どうしたんでしょうね───、あ、谷山さん!?」
安原さんとジョンはまだ動き出すことはなかったようだが、俺がドアに手をかけると制止するような声を上げた。

「───見つけた」

外に出た時、ナルの確信めいた声がした。
俺は湖の、日を浴びてキラキラ光る水面を眺める。

見つけちゃったのか。
ここにはもう、誰もいないというのに。



ナルは近くにあったキャンプ場に立ち寄り、皆には先に帰るように言いつけた。
滝川さん達は困惑の中、一度は反発を見せる。だがナルが俺を見て「怪我人の麻衣を送り届けるのが優先じゃないのか」と言うせいで彼らは言葉を飲みこむ。
「なにいってんの、あたし残るよ」
俺がそう言った途端に、皆は一斉に驚いたようだった。ナルでさえもそうだ。
「ナルだって本当はあたしに残って欲しいでしょう?怪我のことなら心配いらないよ」
「…………わかった、麻衣は残っていい」
にっこり笑いかけると、ナルは居心地悪そうに目をそらし、仕方なしという顔をした。
だがそこに、すかさず滝川さんが声を上げる。
「ちょ───っと待てよ、なんだそりゃ!?なんで麻衣は残して他は全員帰れってことになるんだ!?」
「それ以外はいると邪魔だ」
「麻衣だけ邪魔じゃないっていうの?だいたい麻衣が残るんならあたしは残るわよ!一人にしておけるわけないじゃない」
続いて綾子、それから真砂子も「あたくしも残るつもりでしたわ、最初から」と意思表示をした。
ジョンや安原さんだって、ここまで来たら理由も聞かず帰る気はないようだ。
ナルは結局、滝川さんたちの勢いに飲まれて「ご勝手に」と背を向けてどこかへ行ってしまった。
素っ気ないその後姿に滝川さんが肩をすくめて、今度はぐるりと俺を見た。おそらく俺に何か知ってることを話させようとしたのだろうけど、彼の口が開かれるよりも先に、リンが俺を呼んだ。
「谷山さん、ちょっとよろしいですか」
「はぁい」
うっかりナルの素性を言いかねない、とでも思われたのだろうか。
呼ばれるがままにリンの方へ行き、そのまま車の影へと連れ込まれた。

「ナルの言う通り、ここなんですか?ジーンが沈められたのは」
「うん、そうだね」
声を潜めたリンは、内緒話であること以上に、口にしづらいことを話すトーンだった。
死体が沈められた話だから、さもありなん。
「でも、見つけられるとは思えないな」
「その可能性は十分理解しています。かなり大きい湖のようでしたし」
「ね」
俺はそう言う意味では言ってないけど、リンの懸念に頷く。
「……ナルはいつまで探すと思う、リン」
「おそらく、───いつまでも」
「そんなに?」
「そんなにです」
……そんなにかあ。
神妙な顔をしたリンがあてずっぽうを言ってるとは思えず、その言葉をしっかり受け止めた。不思議なことに、ぶるっと悪寒がした。



俺とリンが内緒の話をしているのを黙認した皆は、その隙にバンガローを二棟とった。ちなみに、ナルは少し離れた所に一棟とっているとのこと。
リンは忙しなくどこかへ連絡しているのを見たと綾子が言い、ナルはその姿を見かけないとジョンが言う。
ナルとリンのことについて、俺と真砂子が何かを知っているというのはさておき、綾子はすぐに現実に目を向け始めた。皆に買い出しの指示を出し、最後には俺を見る。
「ガーゼ替えちゃいましょ。汗で蒸れたりしたでしょうし」
「んん」
綾子の言う通りにして、Tシャツを捲ってお腹を出す。
すると綾子だけじゃなく、皆が驚いて目を丸めた。
「ばっ……か!……ちょっと何見てんのよ!あんたたちは買い出し!」
「はいぃっ」
「すみません!」
「いってきまーす!」
男三人が慌てて部屋から出て行ったのを見てると、真砂子がコホンと咳ばらいをした。
「恥じらいというものがございませんの?」


綾子に消毒してもらった後は、ガーゼと包帯を変えて「よし」と言われてから動き出す。
丁度その時、真砂子が一度外に出ていたけど戻って来た。リンとナルに食事をとるのか聞きに行っていたのだ。
「二人ともなんだって?」
「放っておいてください、だそうですわよ」
「そ、やっぱりね」
「わかりきってましたのに」
二人のやり取りから、ナルとリンの様子が容易く想像できた。
続いてがやがやしながら滝川さん達が部屋にやってきて、綾子と真砂子の二人で本格的に夕食の準備が始まる。
俺は安静を言い渡されているので、畳にごろんと転がりスマホを確認する。
ナルからの連絡があるかな、と思ったがない。ナルとリンはここでどうやってユージンの身体を探すのだろう。

ふいに、横向きに転がってた俺の頭をくすぐるような滝川さんの指先がある。
気を引くような仕草に視線をやると、案の定目が合った。
「さっきリンがナルのところに戻ってくるときに言ってた。ダイバーの手配をしたとかってな」
「ああ」
なるほど、と独り言ちて身体の向きを変える。
「湖の中に探し物があるってことか」
「そうだろうね」
「谷山さんは渋谷さんの探し物をご存じなんですか」
「───うん」
仰向けになって顎を上げると、安原さんと目が合った。
「でも言っちゃいけないんだ」
続けてこういえば、安原さんも、ジョンも滝川さんも眉を力なく垂れて肩をすくめた。


翌日、ダイバーが呼ばれて湖の捜索が始まると、瞬く間に客の間に『死体を探している』という噂が流れた。
ナルがユージンを探すにあたってどう説明したのかはわからない。
ともかくその噂は綾子の耳に入って俺たちの間にも駆け巡り、そんな情報を携えてナルのところに行った滝川さんが「兄が沈んでると……」と帰って来た。

「───兄?」

俺は相変わらず安静を言い渡されて畳に転がっていたが、起き上がる。
皆が「起き上がるなーっ」と大声を出したが、這いずって彼らの元へと近づいた。
「ナルが、そういったの?」
「え?ああ、おう……」
「なんで……」
「麻衣?」
俺は呆然としてしまった。



夜、皆が寝静まったころにこっそり部屋を抜け出した。
怪我を心配されて、俺は日中あまり動き回ることができないのである。
山の空気は澄んでいて、街灯が少なく星明りがより鮮明に見えた。
そうして、上を見ながらぼうっと歩いているとアスファルトの道路に出てつまずく。
「ぅえっ」
べちゃっと転んだ拍子に思わず声が出る。
すると俺の立てた音に反応したらしい誰かが、近づいてくる声がした。
「誰だ?」
その声からしてわかっていたけどそれはナルで、彼もすぐに俺だと言うことに気が付く。
「……勝手に抜け出して来たのか」
「日中は窮屈で」
「自分の迂闊さが招いたことだろう」
「えぇ~?」
俺は心底不思議に思った。
ナルが手を差し伸べるのでそれに掴まり、立ち上がる。するとすぐに手は離れたので傾斜のある道路を下りながら歩いた。
「ついて来なくてもいいけど?」
「僕もそっちに用があるんだ」
後ろから歩いてくるナルを一度振り返れば、そんな言葉が返ってくるので黙った。
徐々に湖の畔が近くなってきて、水が揺れる微かな音が聞こえ始める。
ごろごろとした石が敷き詰められてるところに足を踏み入れ、よたよた歩いていると、やはりナルもついてきて石を踏みしめた。
咄嗟に近くにいたナルの腕を押し、結局肩に掴まったりすると、ナルの手が俺の肘を掴んで支えた。
「ありがと」
「どこまでいくつもりなんだ」
「水に入れるかなって」
「やめろ、傷に障るし、泳ぐなら溺れる」
「あ、そっか」
ナルさえいなけりゃ勝手に泳いだり潜ったりしようと思ったが、それ以上湖に近づくのは意味がないのでやめることにした。
ちゃぷ、ちゃぷ、と不規則でいてどこかリズミカルに押し寄せてくる水の音から、少しだけ遠ざかる。
「ナル、安原さん達に言ったんだって?ここに"兄"が沈んでいるって」
「ああ……」
「どうして兄って言ったの?みんながそう言うから?」
ナルは俺の問いの意図がわからなくなったのか不思議そうに首を傾げる。
「ユージンの方がオリヴァーの弟なんだと思ってた」
「───それも、ジーンの記憶?」
「そうだね」
管理所や立て看板、紐で括りつけられた船を順に眺めてからナルに視線を戻す。
星明りの下のナルは黒髪が艶めいて、肌は光を集めたように白かった。
だがその表情は美しさに影を差し、陰鬱な気配を滲ませている。
ナルは近頃、ユージンの話をすると極端に口数が減ってしまう気がした。いい加減疲れたのかもしれない。死んだ人間について考えたってしょうがないしな。
「ユージンの話はやめようか」
「いや、……してくれ。ジーンのことは今更だが、わからないことが多すぎる」
言葉を変えれば、それはユージンのことを知りたいということだ。
それって、なにか意味があるのだろうか。
ユージンと十年近く一緒に生きてきたナルが、能力や生態について疑問に思うそぶりを見せたことはない。
目の前で起きた事を丁寧に実直に解明していくタイプだから黙っていただけだろうけど、その研究対象でもあったユージンが突如消えてしまったので、謎と後悔が彼に残っているのだろうか。
「リンから聞いた。僕が兄で、ジーンが弟だと言ったそうだな」
「うん……」
「オリヴァーという名前が、僕の名前だという確証はないと思わないか」
「え?」
どうして、と俺は思ってナルの顔を横から覗き込む。
目は合わないが、星明りに照らされた黒髪が艶めき、肌は光を集めたように白かった。
「保護された時に、先に口を開いたのがジーンだった。彼は僕をオリヴァーだと言ったんだ」
「だからそれが」
「生まれてこなかった者はきっと僕の方だった」
「───ありえないっ」
俺は思わず声を張る。ナルは少し驚いたみたいだけど、そんなのはお構いなしに言い聞かせた。
「ナルがオリヴァーだよ」
ナルは静かに噛みしめるように黙り、やがてふ、と笑った。

「……ジーンも、そこまで昔のことを明確に覚えて麻衣と共有しているというわけか」

あれ、なんか嵌められたような気がする。
これってやばかったかな。
「ま、まあそうだけど」
変じゃない───変ではあるけど、おかしくは、あるかもしれないけど、ええと。
「なら僕が記憶にない頃のことは?」
「え?」
「僕は保護されて孤児院に入る以前のことを覚えていない。それこそ、僕たちを捨てたという親のことも記憶にない。麻衣には……ジーンには、親の記憶があったか?」
ユージンと二人で保護されてから、ナルが何も言わないので薄々そうだとは思っていた。
そうでなければユージンという双子の兄弟の存在に違和感しかない。もしくは何か違和感があるからこそユージンを探してたりして、と考えたりもした。

だがこの様子を見ると、その記憶は伏せられたままだ。───もしかしたら、永遠に。俺のせいで。



next.

リンはナルじゃなくて父に『ユージンは存在しなかった』事情を尋ね、ユージン(仮)がその名前や存在をナルに譲った可能性がある、みたいな話をするのが理想だったけど、そうはならんやろとボツ。
ナルはああいったけど、名前や生まれなかったことにされてても、全然興味がないと思う。
Oct.2024

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