Mirror. 49
学校内を見まわるにしても、全員で行動したほうが良いと言うナルの指示のもと、まずは昇降口周辺を安全地帯にしてから動くことになった。リンとジョンが下駄箱を互い違いに置いてる間、俺は隅っこで大人しく座っていた。
力仕事はするなと厳命されているため、手持無沙汰の俺はもう一度周囲の様子を窺う。集中すればここに居てももう少し広範囲のことが分かるのだ。
───『あしたはえんそくです』
こんな言葉が俺の中を過る。
子供の拙い文字だとか、声のような気がした。
小学校という場所だけになんら不思議な事ではない。だけどこの場所に最も強く残る思念のかけらがこの言葉だというのは不思議な事でもあるだろう。
「ねえ本当に麻衣も連れて行くの?」
「一人にするほうが危険だ」
不意に、ポソポソと話し合う声が聞こえて顔を上げる。
綾子とナルは視界の端に俺が動いたのがうつったようで、ちらりとこちらを見た。
俺以外皆立っていたので、そろそろ行けるのだろうと立ち上がる。
「もう結構歩けるよ?」
「疲れたらゆうてくださいね、ボクおぶりますよって」
「わかった」
ジョンの気遣いにはにっこり笑って返事をして、皆の元に近づいた。
その時何人かが含みを持った視線を彷徨わせたが、何も言わずにバリケートを抜けていく。
その先は、薄暗い廊下が長く続いていた。
職員室らしき部屋、物置になっている部屋、ほとんど使われていなさそうな空き部屋をいくつか見た後、ようやく教室らしい教室を見つけた。
中に入った途端に、席に座る子供たちの面影が俺の目に映る。
年齢は少しバラけているが、生徒数の少ない学校だからクラスが同じのようだ。教卓の上にある席表を一瞥し、日誌を覗き見ている綾子とナルの元へ近づいた。
「明日は遠足です」
思わず読み上げたのは最後のページと思しき場所の一文だ。さっき、俺の中に強く過ったメッセージでもある。
「……以降は途切れているな」
「せやけど、黒板の日付が違いますね」
「帰る時に次の登校日の日付を書くのよ。だから、遠足から帰って来た日があの日付ってことだ……でもそれにしたって変よね」
ナルやジョン、綾子が俺の些細な言葉に反応して会話を繋げていくのを他所に、ピースが嵌まるようにして情報や読み取れた記憶を組み立てていった。
もう一度教室の中を見れば、生徒全員が何らかの外傷を負った状態でその席に座っていた。
村長たちが言うに小学校が廃校になった理由は、ダム建設に伴い近隣住民が大勢移住し、学区が変わり生徒数が減少した為だった。けれどそうだとすれば廃校になった時期が五月であったり、生徒の荷物、学校の教材、飼育していたらしいペットの死骸などまで残されているのは不可解だ───とナルたちは話している。
それもそのはずで、俺の見た記憶によれば最後の生徒はある日いっぺんに死んだ。遠足に出かけた時に乗っていたバスが事故か何かにあったのが原因だ。
「麻衣さんっ、乗っておくれやす」
「え」
ふいに、気を引くように腕を掴まれる。ジョンが俺に背を向けていたので反射的にとびついてその肩につかまった。
ナルとリンと綾子は慌てた様子でいながら俺達のその姿を見ており、やがて廊下を駆け出した。
さっき横でされていた会話を思い起こし───「ドアが開いてしまったらどうする」とナルが焦っていたことに気が付く。
滝川さんがたちが戻ってきたらドアを開けてもらおうと目論んでいたが、万が一俺たちの居ぬ間にドアが開いてしまって、彼らが中に入れば全員がこの学校の中に閉じ込められるはめになる、ということだ。
ナルとリンは身軽に階段を駆け下りて行くが、綾子は二人よりわずかに遅れる。最後尾にいるジョンと俺を気遣っているせいもあるだろう。
先の二人が一番下まで階段をおりきったとき、俺とジョン、そして綾子はまだ踊り場にいた。
すると、
───ドンッ
と、衝撃音がして、地面が突きあげられるように俺とジョンの身体が浮く。
バランスを崩して転んだ時、「麻衣、ジョン!」と綾子が悲鳴のような声を上げた。
綾子自身も立っていられなかったようで、俺たちと同じく床に這いつくばっている。
「すんません麻衣さん、大丈夫ですか?」
「麻衣、立てる?あと少しだからがんばりなさい」
「うん」
まるで地面に縫い付けられたように身体を起こすのがしんどかったが、ジョンと綾子に手を引かれて立ち上がる。
足や手を縺れさせながら階段をかけ下りていくと、一時足を止めていたナルとリンがこちらに背を向けた。急げ、という思いがありありと感じられる。
だが俺の手を、ふいに引っ張った何かがいた。
振り返ると、誰もいなかった。ジョンや綾子の足音が遠のいていく。
なんだったんだろう、と拍子抜けした俺は進行方向へ向き直って、改めて階段を下りる。遅れて昇降口に到着すると既に滝川さんたちが戻ってきて中に入ってきており、ドアは閉まっていた。
「それより、一人足りなくねえ?」
ドアが開かない、閉じ込められてしまったという現状を聞いた滝川さんが、ナルたちの遥か後方にいる俺を見てそう言う。否、俺さえも通り越した所を見ている。
どうやら全員、俺がの姿が目に映らないようだ。
「麻衣?……───っ、あ、あたし、手を繋いでたつもりだったのに」
「ボクが転んで下ろさんかったら……」
悔やむような綾子とジョンに、滝川さんはあっけからんと「まあ過ぎたことは仕方がない」と割り切ってみせる。それは賛成。
おそらく俺の手を引いたのは、あの教室にいた子供の霊の誰かなんだろう。
不意を打って俺を皆と引き離し、孤立させたというわけだ。
皆はしばらく俺を探しながら校内をうろついたが、一向に俺の姿を見つけられない。
そして、ある教室にやって来た時、黒板を見て眉を顰めた。そこにはチョークで書かれたらしい字がある。
『まいちゃん おめでとう』
なにがめでたいのか、俺にはさっぱりわからん。
滝川さんが「悪趣味」と言っているので、あまり良い意味ではないということだろう。
外は雨のせいだけではなく、日が暮れてすっかり暗くなっていた。
ほとんど使われてなかったであろう教室に、皆は輪を作るようにして集まって座った。
ここへ来るまでに、新たにリンがはぐれた。そのリンも俺の目には映っているが、皆の目には映らなくなっており校舎内をぐるぐると彷徨って、皆の姿を探している。
ちなみにリンが一人になったとき、今度は俺を認識できるのではないかと期待していたがそれも無理だった。
俺とリンでさえ同じものを見ているわけではない───つまり、単に一人一人の認識を変えてしまっているということになるのだろう。
「とりあえず一度休憩して頭を整理しましょっ。ええと、タヌキのコップは誰でしたっけ」
ウンウンと無い頭を働かせている俺を他所に、安原さんが声を上げた。
「麻衣のよ」
「あっ……」
「───少年、さては結構動揺してるな?」
だが俺の名前が出ると、途端に空気がしんみりしだした。
安原さんは苦笑しているが、そこにこの場には似つかわしくない幼い声が投じられる。
「これあたしの」と、小さな手がタヌキのコップを掴んで、顔の近くに持ってきた。
俺は咄嗟に「ちがう」と声を上げた。それが届くはずもないのに。
「ちがう」
だけどナルの声が響いて、子供───少女の表情が固まる。
「僕のだ」
「あっ、そうだった。交換したんだったね」
「こっちはぼくの!」
しかしナルはキツネのコップをその少女に渡すし、リンが使っていたはずのウシが書かれたコップは突然現れた少年がさも当たり前のごとく手に取った。
瞬間、何かに弾かれるような感じがして距離が出来た。
霊がその姿をあらわしたことで、ナルたちから俺やリンが存在した記憶まで封じるほどに力を行使しているらしい。夜になり活性化してきたせいかもしれない。
ナルは一瞬眉を顰めたものの、タヌキのコップを眺めているだけで何も言わなかった。
気づいていればさすがに、皆に警告をしてその場を離れるはずだ。おそらく違和感を飲み込まされた。
俺は思わず「ヤるな」と独り言ちるほどには感心していた。
その時ふと、子供の霊二人と目が合った。多分。
麻衣の姿でいると、やはり生きた人間として霊の目に映っているのだろう。だが意識に介入できないあたり、俺に何かが出来るわけではない。かといってここで、俺の存在感を強め、警戒されるのも得策ではない。そう考えて、俺は姿を消した。
麻衣の姿ではなければ、それはもう人間ではない。
霊たちは一瞬目が揺らいだようだったが、怪しんで俺を探したりはしなかった。
もはや霊たちの認識のなかにも、麻衣の存在はいなくなったかもしれない。
なのでこれ幸いとばかりに俺はナルたちから離れることにした。奴らが生きた人間に注視しているなら、俺は奴らがどこから狙いを定めているのかを確認するチャンスだ。
安原さんが調べてきた情報とも合致したが、遠足に行ったきり死んだ生徒たちはなぜか強い気持ちで母校に戻り、生きた人間に手を伸ばして道連れにしてきた。
死んだ人間からすれば、生きた人間というだけで羨望、嫉妬、恨みの対象とも成り得るので深く考える必要性を感じないが、謎なのは学校に戻って来た理由である。子供たちに残された感情はもはや飢餓しか感じ取れず、記憶だけでその感情を推察するのは俺には難しい。
ナルを話し相手にできれば、多少の疑問は解消したのだろうが。
「───ああ、お前か」
霊たちの記憶を順に読みながら、一人に行き当たる。子供たちの記憶は短いし、ほとんどが同じような記憶ばかりだが、今読んだのだけは違った。
それは担任教師の桐島だ。
声をかけたせいか、姿かたちを取り戻して立った。二十代半ば頃の男は、黒い瞳を揺らす。
「、だれ、……かいるのか……?」
俺の声を聞きとったようだが、俺を見ることはできず、狼狽えたように視線を巡らせた。
その目に映る為に俺がとったのは、桐島自身の姿だ。そうすることによって、より近い存在へと成り記憶を引き継いでいく。
「……なんだ、これは?いったいお前は」
「"僕"はきみ、きみのかがみだ。きみの姿、真実、あるいは理想、時には醜さを映すもの」
戸惑う男に囁き、動揺から心を探る。
桐島には餓えだけではなくて、強い願いが心のうちに秘められていた。
それをどう表現したら良いかわからないが───『回帰』とでも言おうか。肉体が死にゆく前の魂が強く願うことの中でも、かなり多く見られるパターンだ。
助けて、死にたくない、時間を戻して、ってね。
「戻りたいから───子供たちを連れて学校に戻って来たんだね」
「っ、そうだ、僕は戻って……」
「それで?」
「そ、それで……」
「今日にとどまり続ける?」
「あ、ああ!そうだ僕は、僕たちはずっとこのまま……」
「それはどうかな」
俺は桐島の顔をしたまま、肩をすくめた。
もっと奥底に願いがあったじゃないか、と。思い出させて、その目に映すのが俺の役目だ。
「"あしたはえんそくです"」
今度は死んだ生徒の姿をとって、そう告げる。
next.
主人公、一番最初に消えてみた。
ナルがタヌキを自分のって主張するのかわいい(?)
単に自分が使ってるコップ人に使われるの嫌だからだけど。
Oct.2024