I am.


Mirror. 50

*三人称視点

小学校の中に閉じ込められた後、まずは麻衣がその姿を消した。
校舎内を見回って麻衣を探している最中に、リンも続いて消えた。

依頼を受けたときは、軽い心霊現象や霊の目撃情報程度だと聞き及んでいた。売店で軽く聞き込みをした際にはそもそも霊が出ると言う話を聞いたことがないとまで言われていた為、ナルがこの依頼を受けたのはただの時間つぶしだったのだ。
だがその認識は、安原が町で聞いて来た話によって覆された。


「はい、どうぞ!」
ナルの思考を、幼い声が遮った。つられて視線をむけると、プラスチックのコップを差し出す少女、マリコの姿がある。
気の抜けた顔をしたタヌキの絵がプリントされているのが目について、ナルはマリコとコップを交換した記憶を呼び起こす。
たしか彼女がキツネの方が良いとか言ったのだった。……気がする。
───たかがコップひとつに思いをはせてしまったのは、おそらく子供を六人も連れて校舎内をさまようのに疲れていたからだろう。
少し前なんて、ツグミが教室にお小遣いの小銭を落としてしまったといって泣きべそをかいて、ナルを困らせた。
あの時は子供だけで別行動をとった為、非常に気を揉んだ。
そこまで考えて、ここに大人は二人しかいないからといって子供だけで行かせただろうか、と疑問抱く。ナルは世間的に見てまだ子供だけれど。
「ん?なに」
ちらりと滝川の様子をみると、彼は子供たちから渡されたコップをしまりのない顔で受け取ったあと、飄々としてナルの視線に応えた。
別に用があったわけではないので「いや」と濁したが、滝川に何か意見を聞こうとしていたような気がして、胸の閊えがとれない。
「なあナルちゃん、壁とか壊せないの?おこぶ様を除霊した時みたいにさ」
教室を一つずつ除霊して霊を追い込む予定を立てていたはずだが、反して滝川はナルに脱出路を作らせようとした。ナルにとってもそれは考えてなかったわけではない。
「いざとなればそうすることも考えよう」
「いまがいざって時じゃねえか?」
「……、」
慎重に返答したが、滝川の重なる問いに言葉が詰まった。
ここで閉じ込められて全員が死ぬくらいなら、ナルが命をかける価値はあると思うけれど、何故だか今それをしてはいけない気がした。
滝川がいるので倒れたナルを引き摺って外に出すくらいは出来るだろうが、それなら滝川に除霊を試みて欲しいのが本音である。

「───僕は、一人で除霊をしたのか?」

この疑問は思考から絞り出したのではなく、本能的に口にしていた。
え、と口ごもる滝川をよそに、ナルは弾かれたように動き出す。滝川の背を強引に押した。「走れ!」と短く告げた後、滝川はぎょっとしながらもナルの言う通りにする。
「な、おい、ナル、子供たちが」
「子供たちなんか、いるはずがないんだ!」
「!」
後ろを気にかけるような滝川だが、ナルが吐き出すようにそう言えば、彼の足取りから迷いが消えた。
階段を駆け上がり、あいた教室に飛び込み後ろを確認しながらドアを閉める。そして滝川はマントラを唱えて床に独鈷所を突き立てた。結界のようなもので、この教室程度なら当分持つはずだと言う。
「僕と滝川さんだけで、この調査に依頼に来たはずがない」
「ああ、───……!見ろよ、車が二台ある。ナルは運転ができなかったよな」
滝川は息を整えながら、教室の奥に向かって窓から外を見て指をさす。
彼の言う通り、校庭には車が二台停められていた。
「廃校になった小学校の調査に在校生はいない。よって子供は関係ない。僕は関係ない人間を調査に連れ込むような真似はしないから」
「偶然外で居合わせて、案内頼んだんじゃなかったっけ?」
「その案内を頼むのもおかしいが……だとしたらコップの数が"合う"と思うか?下に子供は六人、コップが丁度八つあった」
「子供なんて一人もいなくて、俺たちを除いたら六人の仲間がいたっつーことだな」
ここまで二人で会話をしながら理解が出来ても、記憶までは取り戻せない。
取っ掛かりになるのはまず車を運転できる人物。それはおそらくナルと共にイギリスから来た人間であるはずだ。両親はジーンを探しに行くにも、ナルが力を使わないためにも、一人で行くことを許すはずがない。
「ま、とにかく除霊に成功するか、校舎を出たら思い出すだろ」
思いだせない記憶に見切りをつけた滝川は、「一発ドカンと頼みまっせ、ダンナ」と笑った。やはりまだ、横着しようとしているらしい。
「僕は一人で力を使うことはできない」
「え」
なげやりにナルは答えた。ここで言い渋って口論になるのは体力の無駄だと思った。
どうせ力は見せてしまっている上に、なぜか"成功"しているので。
「一人って……」
「僕と相性の良いアンプリファイアがいないと、大した力は使えないんだ」
「なんだそれ」
「わずかな気をトスすると、それをコントロールして増やせる人間がいたんだ……多分」
「はあぁあ……じゃあなに、やっぱり俺が除霊するしかないってこと?」
「最初からそれが仕事のはずだが」
滝川はうんざりとして肩を落とす。
「おそらく首謀者は死んだ子供たちの担任、桐島だ」
「だろうな。子供たちにあんな手口思いつけるはずがねえ。かといって子供たちを使って抵抗してくるだろうし。いなくなった"仲間"はどうしてると思う?」
「自衛くらいは出来て欲しいものだが」
「冷たいやつ」
言いながらナルと滝川は、記憶にない仲間のことを気にかけているのは事実だ。
除霊能力は高い滝川だが、人質がいて、その人質がどの程度抵抗できるのかが読めないのだから。

「少なくとももう一人か二人は除霊が出来る奴がいただろ……あ、ジョン。───ジョンだ」
何気ないやりとりから、紐解くように零れ落ちた名前に、ナルも驚いて目を向ける。
それを皮切りに、ナルの記憶の蓋も解かれた。
「!……それに、リンと安原さん」
「思い出してきたぞ。あとは真砂子と綾子に───」
ところが、あと一人がどうしても思い出せない。
滝川も「あれ?」と首を傾げたのち、悔しそうに自分の額を叩く。
ここまできたら全員を思い出してから除霊にかかりたい。
目を強く閉じ、思い出せないだけの記憶を求めた。

それはきっと、ナルの力を補う、ジーンの代わりだったはずだ。



───ふつりと、一瞬にして途切れるよう、周囲の音が消えた。
その不自然な無音に、ナルは目を見開く。
周囲には滝川の姿がない。教室に結界を張り、徐々に仲間を思い出してきた矢先の出来事に、警戒心を強めながら様子を窺う。

天地も左右もない黒い空間にナルは立ち尽くした。
そんなナルを追い抜く何かが視界に入る。それはひらりと舞う蝶だった。光のない空間でも、蝶は不思議と色を持ちナルの目に映った。

蝶は人の魂を導く存在や、『生』と『死』そのものだったり、それこそ『魂』を象徴する。
これはただの虫ではないと、ナルは本能的に理解した。
気づけば周りにいる蝶は一匹ではなくて、数えきれないほどの蝶が現れて黒い地面に細い足をつけた。
まるで、水を飲みにきて翅を休めているような仕草だ。
鏡のように、黒い地面に蝶の姿が反射して映っているのも、その認識を助長させる。

やがてたくさんの蝶たちはいっせいに飛び上がり、再びナルの周囲を飛び回った。
その蝶の群れの合間に人影が見えて、思わず息をのむ。
それは黒ずくめの服装をした人間だった。頬や耳の形、手などの肌は見えるが容姿までは見えない。
歩み寄ろうとしたナルの足元は薄い水が張られたように、ぴちゃぴちゃと音を立てた。
手を伸ばし、いくら走ろうとも、不思議とそれには近づけない。もどかしいと思いながらも、ナルは近づこうとするのを辞めなかった。
「誰だ……?そこにいるのは……」
声をかけても、その人は器用に蝶の影に隠れながらナルに背を向ける。
ナルが忘れているのは、一人だ。きっと彼だ、と思うのに、喉に張り付いたようにその名前が出てこない。

焦燥感にかられたナルの手は、蝶の中に潜り込む。
やっとの思いで肩のようなものに触れた気がして引っ張ると、彼は振り返ろうとしたが、その身体がたちまち崩れた。
その破片がみるみるうちに蝶へと変わり、ナルの視界を大きく遮る。

一歩後ずさり、反射的に顔を守ろうとして腕で視界を遮り、気づいた時には奇妙に美しい蝶の旅立ちの光景しかなかった。

いったいこれは、どういうことなのだろう。
───そう思っていたナルの耳元に、はっきりとした声が響いた。
「おい、ナル?」
肩を掴まれた衝撃に振り返ると、怪訝そうな顔をした滝川がいた。
どうやらナルは幻覚を見ていたらしい。滝川曰く、急に静まり返ってしまったというのだ。
しかし霊に何かされたとは思い難く、「なんでもない」とだけ返す。
滝川はそのことを追及しようとしていたが、校舎の中に人の気配が戻ってきたことに気づいてそれどころではなくなった。
廊下を歩く音や誰かの呼ぶ声などが響いており、ナルと滝川が教室を出ると消えてしまった仲間が安堵した顔でそこにいた。



「───で、誰が除霊したんだと思う?」
「ボクはなんも」
「滝川さんもブラウンさん違うようでしたら、リンさん?」

校庭に人が集まってきて、滝川が言い出すとジョンや安原が首をひねる。
リンは除霊をしていないと首を振り、綾子もここは自分が力を発揮できる場所ではないと否定した。
「んじゃ、真砂子か」
「いいえ───きっと、谷山さんですわ。浄化の光は見えなかったけれど、たくさんの蝶が飛んでいくのが見えましたもの」
そこでようやく麻衣の存在が口にされて、皆が弾かれるように声を上げ始める。
ナルもだが、皆にとっても麻衣の記憶はかなり強く封じられていたらしい。
「そういえば麻衣は!?」
「あいつ、出てきてねえ」
「ど、どっかで倒れてはるのかも」
「谷山さーん、聞こえてたらお返事をー」
滝川とジョンが校舎に入って行こうと駆け出し、安原は校舎の窓に向かって呼び掛ける。
結局麻衣は数分後に滝川に背負われて戻ってきて、何をしていたかと聞けば「じっとしてた」とのことで、皆なんともいえない感情に襲われた。



その晩、ナルは夢を見た。
記憶の夢だと思うが、人の脳はとても"優秀"で、実際になかった出来事だったとしても、脳が勝手に人にとっての真実を緻密に作り上げてしまう。
ともあれ、ナルは夢の中で薄暗く汚れた部屋にいて、それが生まれてから数年だけ住んでいた最初の家だ認識したので、やはり『記憶』なのだと思う。

部屋はものが散乱していて、埃や土などで汚れた床に力なく横たわる、やせ細った小さい手が目に入る。
ナルとジーンが保護される直前の、ナルが最も命の危機に瀕していた時の光景のようだ。
当時は死にゆく感覚というのを理解できなかったが、記憶を改めて見ているナルの中にも何の感情も浮かんでこない。興味本位で、その後何が起こるのかを黙って観ていた。

すり、と床を擦るような音と、みしりとわずかに軋む音がした。
床にへばりついた耳から、その微かな振動は強く頭に響く。
誰かがそこに立っていてこちらに一歩近づいて来たらしい。

視界に影がかかり、指先かなにかで、顔にかかる髪を退けられたのが分かる。
身体の衰弱などは感じないのに、そのくすぐったい感触だけはリアルに再現されていた。
目にかかっていた髪が退けられてもナルの視界は滲んでいて、誰がそこに居るのかはわからなくて反射的に瞬きをする。
そうしたら、いくらか明瞭になった視界が開けた。

見えたのは、くちびるが、動いたこと。

───「"俺"を呼んだのはお前か?」

聞こえた声と言葉を理解した時、ナルは飛び起きるようにして目を覚ました。



next.

麻衣の記憶が強く封じられてたのは霊の警戒のせいだったりそうでなかったり。
ナルはこれまで度々思い出す片鱗があったので、その積み重ねと今回麻衣を思い出せなくされたことによる意地でこじ開けた感じ。
Oct.2024

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