Mirror. -epilogue-
ナルは両親に、ユージンの所持品が湖で見つかったことを報告した。日本に来る前はユージンの死を確信していなかったナルだが、たとえナルがそう言わなくとも周囲の人間はうっすらと予測していたことだろう。
両親は電話口で涙を流し、すぐに日本へ来ようとしたが、それをナルは止めた。となると、ナルがすぐにイギリスに帰ってくるよう言われるわけだ。
ナルがイギリスに帰るにあたって荷物を片付けてるのを見て、俺は麻衣のことも片づけなければならないと思い至る。
俺の正体を知った人間は突然消えたとして理解はできるだろうが、他の人間は違う。ユージンに捜索願が出されたように、麻衣にだってそうされる可能性はあった。
家族がいないとはいえ、学生であり、下宿に身を置いていたので長く不在にすると怪しまれる。夏休みにアルバイトに出かけたまま連絡が途絶えたとなれば、当然疑われるのは雇い主であるナルだ。
というわけで、俺は再び麻衣の姿をとって、ナルが回収した荷物を手に下宿に帰ることにした。
ナルは一度イギリスに帰ってもまた日本に戻ってくると聞いたので、別行動をとることは許された。だが、ユージンにも麻衣にも成れるなら、どちらかの姿で帰ってくればいいのではないか、との協議がなされた。
ユージンの場合は行方不明になっていた期間が長く、後処理をするのが面倒という理由が最もだったけど、きっとリンが俺に気づいてしまうと思った。リンもあれでユージンとの付き合いは長いし、麻衣の存在が俺の正体に気づく選択肢を与える。
一方麻衣については、おそらく彼らの目に麻衣としてその姿が映らない可能性がある。
正体が悟られた時に俺を覆っていた虚像が砕けたのは、俺の力が破られたからだ。人間の形をとっているときの俺の肉体について、(詳しくは自分でも分かっていないが)多くは人の目を欺きそう『見せ』ているのだ。
物理的に何も存在しないとは言えないが、これはナルが本当に俺を解剖したくなったときに研究でもしたらいいだろう。
───というわけで、結局俺もナルも、互い以外に俺の正体を知られたいとは思わない、ということで終結。
麻衣はあくまで俺の正体を知らない人間に、失踪する前の姿を見せるためだけに使うことにする。
まずはナルのところのバイトを正式に辞めて、麻衣は下宿先や学校で存在しているように見せた。
一ヶ月が経ったころには適当な理由を付けて高校を退学した。すると下宿先からも退去することになるため、引っ越しと称して所持品を全て捨てる。
家具はほとんど下宿の備え付けなので、俺は衣類と学用品以外に持ち物はない。───唯一私物らしいものと言えばナルに渡されたキツネのコップくらいだろう。どうやら真砂子が麻衣の荷物を渡した際に、ナルに持たせたらしい。
真砂子が指摘するほど珍しく自分から欲しいと言ったわりに、今となってはこのコップに対して何の心残りもないので、例外なく処分した。
麻衣の処理を終えて十月に入ると、ナルがイギリスから日本へやってきた。
よく両親───とくにルエラが許したなと思ったけど、正式に分室としてオフィスを置いたからには、ナルがわがままを言ったのだろう。
オフィスの所長室にいた俺は、外で人の気配や話し声がするのを聞く。
やがてドアノブが動き、ドアが開くのを待った。
ナルは、見えているかどうかは定かではないが、部屋に入るなり真っ直ぐに俺の座る椅子に視線を向けた。
「ひさしぶり、ナル」
わずかに眉を顰めたので、見えてるだろうと察する。
でも返事をしてくれないのはなぜだろう。
機嫌が悪い理由がわからなくて、近づいていくとナルは大層疲れているようだった。……ナルは疲労に苛まれると興味があること以外へは大幅に気力を失う。
「ホテルに戻って寝てたらいいのに……あれ、客?今日日本に来たばかりなのに、タイミングが良いんだか悪いんだかわからないな」
勝手にしゃべる俺を他所に、ナルは小さなため息一つ。
部屋の外の様子を窺うと、女二人と、リンが対応している声が聞こえた。
「リンが帰してないということは、多少話を聞ける相手なわけだ。ナルは聞かなくていいの」
「見てわからないのか」
「疲れてるんだろう、でも興味が持てる調査かもしれない」
「どうかな」
普段相談に来た人間で、本物に当たる確率はかなり稀という経験則がある。ナルが日本に来てから引き当てる依頼はかなり当たりだろうけれど、だからっていちいち期待をしていたら疲れるのだろう。
「俺がナルのフリをして聞いてきてあげようか」
「は」
ナルは俺の言葉に驚き、目を見開いた。
すれ違うようにしてドアを開けようとしていたが、腕を掴まれて引き戻される。
少なくともリンにはまだ、ナルの姿が通じるはずだが。
「あれほど、リンに正体を明かしたくないと言っていたのに馬鹿なのか!?」
……たまになら良いと思ったんだもん。
それからの話を手短にしよう。
麻衣がいなくなったオフィスは、当然ナルとリンの二人だけの構成となった。
滝川さんやジョン、綾子と真砂子は時折顔を出しに来ていたが、不愛想なナルとリンが呼んでもない客をまともにもてなすことはなく、徐々に訪問は回数が減っていった。
───とはいえ、ナルは彼らに対してある程度の信用は寄せているので、調査の現場に呼ぶことはしばしばあった。
ちなみに、安原さんも調査に呼ばれることもある。ナルが倒れて俺が動けない間に役に立った実績もあるし、頭の回転の速さや人から話を聞き出す手腕は目を見張るものがあったからだ。いっそのこと、麻衣の代わりにアルバイトで雇えばいいと言ったのだが、ナルは彼がオフィスにいたらまた出入りが増えるだろう、と渋った。
麻衣がいなくなって、ようやく静かになったんだ……とかなんとか。
相変わらずで、とっくに知っていることだけど、ナルは人にあれこれ構われるのが嫌いだ。
この先もずっと変わらず、静寂を好んで周囲に人がいる環境を避ける。
でもどんなに一人を好んだって、俺がその目に映るのだろう。
ナルはそれが、望みらしいから。
◆◆◆◆
ナルが眠りではなく死につく瞬間をこの目に映した途端、俺の前には暗闇が広がり、ナルの姿さえも見えなくなった。
身体や意識が、少しずつその闇に溶けていこうとするのがわかった。
俺は役目を終えてこの世にいる理由も存在意義も失ったのだから当たり前だろう。
だけど、そんな俺の朧げになってゆく意識の中に、声が滲む。
「ぃ───おい、起きろ」
目を開けるような仕草で、ものを見ようと意識を引っ張りあげた。
見えたものは、誰だかはわからないヒトの顔。
「ジーン」
唇がそう紡いだ時、俺を呼ぶ相手の姿を探した。
だがどう見ても目の前の人からその声が出ていて、不思議になる。
ここにいるのはナルじゃない。でもナル以外に俺をそう呼ぶものはいないはずだ。
「……ナル?本当に?」
「それ以外に誰がいるんだ」
「でもナルはこんな顔してない」
気づけばどこまでも深い暗闇の中に、向かい合って立っていた。
目の前にある顔に手を翳して、両方の頬に触れて確かめる。
若いころも、年をとったころも、ナルはこんな顔じゃなかった。身長だって、俺の方が高くて見下ろしてたのに、今は同じくらいのところに顔がある。
ナルとユージンの姿であれば同じ位置に顔がくるだろうが、彼も俺も今はそうではないはず。俺はもう随分長い事誰の姿もとってないのだから。
「どんな顔をしている?」
角度を変えたりしてまじまじと観察していると、自称ナルは俺の手を掴んで顔を近づけてきた。
まるで瞳を鏡にするような仕草だ。だが勿論、瞳に映るのはせいぜい影である。
その影だけが存在証明だった俺だけど、ナルが自分の姿を確認できないのはかなしい事だと思う。
……また俺が鏡になろうか、と考えた。ナルは俺が見せる姿なら全て見られるはずだ。
「どんな顔って、こう……」
言いながら、手の形が少しも変わらないどころか、元々同じであることに気づく。
ナルは人間としての寿命を終え、今は霊体とか魂であるとしたら、おそらく最期の姿から変わることはできるはずだ。
大抵は動きやすい若い時代の姿に変わるが、動物になったりする霊もいる。でも、ナルの場合は、"誰"かというと───。
「もしかして、これは俺の顔?」
「そうみたいだな」
「───わあ、ナルが、俺を映す鏡になるなんて」
思わず破顔した。
ナルは相変わらず同じように笑ってはくれないけれど、目が少しだけ和らいだのはわかった。
その顔はナルの笑い方。
どんなに違う顔立ちをしていても、俺には分かる。
End. → side story
鏡に姿が映らない主人公を、ちゃんと映してくれた唯一無二がナルっていう終わり方で。
真砂子は鏡にはなれなかった。(双方なりたいとも、なって欲しいとも思ってない)
悪夢の棲む家については当然広田さんが来ないけれど、中井さんが翠さんに相談を受けて渋谷サイキックリサーチを探して依頼に来たという体でいます。
その後調査においてナルと原作通り色々あるけど、調査自体はナルと主人公がタッグを組んで理解が早いのですぐに終わる。隣人詰めないし告訴発言も出ないので奇襲もない。~HAPPY・END~
安原さんを雇わないのは、主人公がいる気配を誰にも知られたくないから(リンさんはしょうがない)。
Oct.2024