Mirror. √M 01
※Mirror 51話途中から分岐した世界線。夢を見た。ナルと初めて会った時の、鮮明な出来事だった。
しかし俺にとっては夢を見るとか記憶を思い出すという行為は縁のないことなので、おそらくこれらは全て、ナルの感覚に起因しているだろう。
───つまり、ナルが見た景色を共有しているということ。
寝静まった部屋の窓から見る外は空がうすら白んでいて、外に出て行くと鳥の鳴く声がした。
バンガローを出て、無意識に足が進むのは湖とは反対の森の奥深く。
細く背の高い木々が並び、でこぼこの地面はやや歩きづらい。
視線を遠くにやると、霧のせいでよく見えなかった。
だがギリギリなんとか目で見えるところに、樹によりかかって立つナルがいる。
当のナルは俺が歩いてくることに気づいていながら、微動だにしないで待っていた。
「よんだ?」
「……ああ」
小さく頷いたナルは、樹に預けていた背を離して近づいてくる。
匂い立つような死の気配ではなく、テレパシーとよく似たやりかたでナルが俺を呼んでいるのはわかっていた。そんな俺のことを、ナルもわかっていただろう。
「昨日は雨で捜索が途中までだったらしいね」
「……」
「今日は出来そうかな」
「……」
「雨の後は湖の中が濁っているかも」
他愛ない話をしてみたが、ナルは答えない。
だがその視線だけは雄弁で、俺をじっと見ている。
「ジーンは見つからない」
突然ナルがそんなことを言ったから、言葉に詰まった。
これまでナルが熱心にユージンの遺体を探していたかを知っている。リンが言うにはかなりしつこく。
そんな風だったナルがそう結論付けたということは、……やはり。
「本当は、ずっと前から見つからないと思っていた」
「……ずっと前から?」
俺はてっきり、先ほど思い出したばかりなのだと思っていたのだが。
首を傾げる俺に対して、ナルはユージンの最期を知った時のことを語った。
───沈められた湖から、"這い上がって水面から顔を出すような"光景を見たと。
「そんな、……」
思わず狼狽えた声が出る。
ナルのサイコメトリーは、ユージンの身体で触れていた持ち物から、ユージンの動向を知れる。あの時……湖から這い上がった時の俺は───あァ……ユージンのままだったっけ。
くしゃりと、こめかみのあたりを握り込む。
「おかしな光景だろう?僕も信じがたく、誰にも言ったことはない」
「……」
気づけばナルが俺の目の前に来ていた。
そして俺が顔を抑えていた手を掴む。ナルの指が一周してしまう、細い麻衣の手首だ。強く掴まれてしまえば到底逃げることなど出来なかった。
「ナル、……いたいよ」
本当に痛いわけではないが、同情を誘うように言う。
でもナルが力を緩めてくれることはない。
「逃げるな」
「───、やめて」
今度は懇願したが、ナルは口をなおも開く。
確信を持った声色で、
「ジーン」
俺の正体を言い当てた。けして"ジーン"が"俺"の正体というわけではないが、"麻衣"には十分な打撃となる。
身体はキシッと音を立てて固まって、ぴきぴきと這い上がってくる罅割れの音に、本能的に恐怖した。
「な、」
───パキンッ
「る」
目の前にあったナルの顔がはっと驚きに変わった時、俺の視界いっぱいに亀裂が入って砕けた。
ナルに言い当てられたせいで、麻衣の姿が剥がれ落ちる。
麻衣だったものは今まで人間の肉体に見せていたものから、薄っぺらくて硬い破片となった。
突然のことに、俺の腕を握るナルの手の力が少しだけ弱まった。その隙間からも硬い何かが剥がれ、地面にパラパラ音を立てて落ちて行く。
それでもなお、ナルは"俺"を捕らえて放さない───。
「やっと見つけた」
「お、俺の、こと……?」
「ああ」
麻衣を見下ろしてた時とは違って、今のナルは俺を見上げている。
目と目が合った気配がしたし、会話が成立していた。
つまり、ユージンでも麻衣でもない、人間のフリをしていない俺自身をナルがその目に映しているということだ。
その証拠に、ナルの目を覗き込めばゆらりと影が蠢いた。
肉体なんてものはないはずなのに、ナルが認識しているというだけで俺も自分自身のことを感じた。胸がどきどきして、体に熱を持ち、息が上がるような高揚だ。
「その姿が本当のお前なのか」
「た、ぶん」
「元は、ヒト?」
「わからない」
「名前はあるのか」
「さあ」
ナルは俺の手を引っ張って身体をぐっと近づけてくる。
反対の手が肩にも置かれて、より強固に身体を捕まえられた。
俺の返答を受けたナルは、何かを考えるように目を伏せた。
そんなナルを見下ろすと同時に、目に入ってくる自分の身体を見る。
この身体は黒いシャツとスラックス、靴も身に着けていた。おそらく性別があるとしたら男だろう。……そもそも、無意識に自分のこと俺って言ってるしな。
ナルに掴まれてない方の手を持ち上げて、自分の指や爪の形を見たり、頭や顔に触れてみて髪や目鼻立ち、肌の弾力なども確かめた。
俺みたいなものは、正体がバレると姿を失う。浦戸とも似てると言いかけて、やっぱりちょっと違うかと首を傾げる。
それでも、ナルが俺を見ていられるのはきっと一度逢ったことがあったからだろう。なにより、俺たちは約束で繋がった関係だから。
「ナル、思い出したんだろう」
「全てとは言い難いが」
「でも、俺との約束は」
「ああ、覚えている。───死ぬまで一緒にいると言った」
「……」
今思うと、ヘンな約束をしたものだと口を結んでしまう。
そしたらナルが眉を顰めて「なんだ」と言ってくるので俺の不満が伝わったのだろう。
俺は、小さい死にかけのナルがかつて親への愛を強請ったこと、その願いに引き寄せられて俺が現れ、願いを叶える約束をしたことを説明した。
「……つまり僕の残りの命が短いと高を括ってあんなことを言ったわけだな」
「そうです」
「それはご愁傷様」
「………………それだけ?」
「なんて言って欲しいんだ?」
「いや、ほら、もう俺は要らないんじゃ?力は安定しているし、家族も出来た───もう、一人でも平気だろ。ナルが望めば、すべての記憶も思いだせる」
話しているうちに、俺の手首を握るナルの力が強くなっていく。
同時に、ナルのエネルギーがゆらぐのが見えた。少なからず動揺してるが、理性的に感情を押し込めているのも分かる。
「お前は軽い気持ちで約束をしたかもしれないが、僕はこの状態で十年もの間生きてきたんだ。今更なかったことにしようって?要らない記憶を押し付けられても困る」
「要らない……?」
「僕を捨てる人間に愛を乞うみじめな記憶だ」
みじめかなあ、と思いつつも、辛い記憶だと理解はする。
幼いナルは母親が帰ってくることを切望したのに、今日までに母親は現れてないのだから、願いは永遠に叶わない。
だけど、今後は母親ではない人にそう願えばいいだけの話で、自分の感情や記憶を取り戻すのを優先したほうがいいと思うのだが。
「この先ナルは、誰にも愛されたいと思わなくなるよ……?」
「どうせ記憶を思い出したとして、同じだと思うが」
ナルは、ふんっと小さく嘆息した。
つまり。つまり、どういうことだ。
俺がナルの傍にいると言う約束は続行というわけか………………?
ナルは湖での捜索を打ち切って東京へ戻ると言い出した。
困惑した皆をよそにナルは説明などしないし、俺はしれっと麻衣の姿を取り戻して車に乗り込む。
車内ではリンが念を押すように帰ってもいいのか聞いていたが、ナルはぞんざいに「もういい」と答えた。それに対してリンは小さくため息を吐いた後、このことは両親に自分の口から報告するようにと言って車を走らせる。
「それと、一度はイギリスに帰るべきです」
「わかってる」
一度は、とはなんだろうと思いつつ、俺達の今後を聞こうと思ってたので二人の会話に加わる。
「イギリス帰る?あたしもいく?」
「……パスポートがあるのか?」
「あるよ」
「……なぜ谷山さんも……?」
何食わぬ顔して一緒に行く気だった俺に、リンは戸惑った。
余談だが、パスポートの準備をしておいたのは約束を思い出すよりも前から、いずれナルがイギリスに戻るとき、ついて行こうと思っていたからである。
「なぜって、」
ついて行く理由はその時考えようと思ってたけど、早く使う時がきたな。
「ナルが好きだから?」
言った途端、車内に沈黙が走る。
リンは車を運転しているのであまりこっちを見られないが、それでも俺の様子を気にしてくるあたり、信じられない言葉のようだ。ナルすらも確かめるように「僕のことが好きなのか?」とか聞いてくる。……お前はそこ流せよ。
「ウン、スキ」
「そうか」
こく、と頷くとナルは何かを考えるように口を閉ざした。
「───でもこんなに早くイギリスに帰ると思わなかったから、何の準備もしてないや」
ふと浮かび上がる悩みに唸っていると、今度はナルは不思議そうに首を傾げる。
「準備なんて必要か?」
「ずっと向こうに滞在するにも、あたしの場合は手続きが要るでしょ?国籍が違うんだもん」
「そういうことなら、今回は必要ない」
「え」
聞けば、渋谷サイキックリサーチは今後も日本分室として維持される許可が下りたそうだ。ナルは日本の心霊現象に興味を持ったらしく、以前から申請していたと。
それを知っていたからリンは「"一度は"帰るべき」と言ったんだろう。
東京に戻った翌日、俺は(みんなに散々言われたから)病院へ行った後、ナルのいる所長室へ来ていた。
病院での結果はどうだったかをナルに聞かれたが、表面上の傷以外完治しており、抜糸も済ませてきたと言えば呆れたように肩をすくめる。
「本当に医者に見られて大丈夫なのか?」
「大丈夫。……もしバレたら消えればいいし」
「その所為で僕の周囲が騒がしくなるのはごめんだ」
「わかってる」
どんなに怪しかろうと人間ではないと断じるにはかなりの勇気が要るもの。早々バレることはないだろう。余程のことがない限り。
「───まあいい。パスポートは持ってきたか?」
「ああ、うん」
俺が今日呼び出されていた理由は、ナルの言う通り。航空券の手配に同行者のパスポートの番号が必要だからだ。聞かれれば答えられたが、ナルが預かっておくというので持ってきた。もしかしたら失くすとでも思われているのかもしれない……。
「出発は来週を予定しているが、学校にはなんていうつもりだ?もう新学期が始まるだろう」
ナルは受け取ったパスポートをろくに見ずにデスクに置く。
そして肘をついて顎の下で手を組んだ。
「これまで通りアルバイトっていうつもり。あながち嘘でもないしね」
「それもそうか」
「期間はどれくらいを予定?」
「一ヶ月だ」
「その程度で良いの?」
「ここを長く空けるわけにはいかない。まどかがその間はこっちにくることにはなっているが───」
両親はきっとナルを心配しているだろうが、当のナルがこの調子では本当に一ヶ月で日本に戻ってくることになるのだろう。そのくらい、こちらで録れるデータが気に入ったということだ。
ナルがつらつらと話す今後の予定を聞きながらそんなことを考えた。
「今回はこれでいいとして、本格的に今後のことを決めておく」
安原さんを事務員のバイトとし、俺を調査員に格上げして雇う───というナルの展望に、俺は頷く。
分室はひとまず一年延長でき、今後はナルの好奇心と、上げられる成果次第では都度更新されていくだろうが、さらに先の話も考えなければならない。
谷山麻衣という高校生の肩書を持つ少女は、どうやってナルと行動を共にするかが課題となってくる。
「ナルがイギリスに帰ることになったら学校をやめてついていく。ナルと同じとこ受験して留学でもしようかな?」
「わざわざカレッジに通って勉強する必要があるか?麻衣じゃ学費を払うのに苦労するだろう」
「金銭面に関してはなんとかするけど……学校に行くのは、前も言った通り麻衣は日本国籍なんだから、イギリスに長く滞在するにはそれなりの理由が必要になるでしょ?」
「だとしても、留学だって伸ばしたって限度があるだろう───その分学費もかかるし」
ナルは不満げに、背もたれに身体を預けた。
「卒業して、イギリスで働けばいいんじゃない。一番簡単なのは、ナルが麻衣を雇ってくれることだけど」
「麻衣を?……確かに僕が個人的に雇うといえば……」
言いながら言葉を切り、逡巡するナル。
肘置きに肘をついて、こめかみを抑えた。
ここで今、麻衣がアルバイトとして雇われているのは、ナルの裁量だ。
それがイギリスに帰ることになったら当然、人を雇うのはナルの手を出すところではなくなる。しかしナルには自由に使える研究費というものが存在する。
つまるところ、俺は研究材料になればいいのではないかということだ。
「───いや、いっそのこと」
ナルは何かを思いついたように顔を上げた。そして、
「結婚するか?」
と、言った。
一瞬呆けてしまったが、ナルの家族になるのが一番手っ取り早いと理解する。
それなら、ユージンだったころとほとんど同じだ。
「いいね、そうしよう」
俺はコクン、と頷きナルの提案に乗ることにした。
next.
ツッコミ不在。
ナルはユージン(主人公)とガチで結婚したいのか、単に雇うより娶る方が持続性が高いと考えたのか、兄弟も夫婦も法的な家族という括りでしか考えてない残念思考回路なのか色んな見方ができます。
原作ではジーンの解剖を目論んでたナルって、将来解剖したいヒト…♡と結婚しそう、遺産目当て婚ならぬ遺体目当て婚。ナル、輝いてるよ───!と思ってたけど……今回は解剖が無駄な相手になってしまった。遺憾です。
Dec.2024