Mirror. √M 02
空港に着いた時、ナルは迎えに来た両親から抱きしめられていた。そのぎこちない後姿を、ちょっとだけ離れた所でリンと並んで眺める。
やがて両親はナルとのハグを終えると何かを探すように顔を動かした。リンがゆっくりと彼らに歩み寄るついでに「行きましょう」と俺の背中を押すので、三人に近づいていく。
そんな俺とリンに気づいた両親───ルエラとマーティンはまずリンに微笑み、リンに連れられた俺を見てわずかに目を瞠る。
「こんにちは、麻衣です」
初対面らしく名乗って笑いかけると、二人は小さく頷き自己紹介を返した。
ナルが「彼女がうちに泊めるといった助手」と短く補足をいれてるが、俺をまじまじと見る二人の顔にはまだ驚きが滲んでいる。
「こんなにかわいらしいお嬢さんが来るとは思っていなかったから、驚いてしまったわ」
「ここにいるのを見るに、ナルとリンと上手くやれてるようだ」
二人の反応からして案の定、同じ年ごろの女であることは伝えてなかったようだ。
……そもそも、ナルの場合誰を連れて帰ってきても驚くか。
リンはわざわざタクシーで帰ると言って別行動をとり、俺はマーティンの運転する車に乗って家へ向かった。
久々に見る景色をぼうっと眺めていると、ルエラが「イギリスは初めて?」と尋ねてくる。
「……初めてです」
「行ってみたい所があったら教えてちょうだい、連れて行ってあげる」
「ありがとうございます」
「そういえば、あなたは英語が堪能なのね」
「勉強しました」
「もしかしてナルが教えてあげたのかしら?イントネーションがナルに似てる。ねえナル」
「…………ああ、いや」
ナルはすっかり自分は会話の外にいたつもりだったようだが、急に水を向けられたことで理解するのに少し時間を要した。
それからも車内は主に、俺とルエラが会話をぽつぽつと続けた。マーティンも時折会話に入ってくるけれど、元々この家族はナルとマーティンがあまり口数が多くない。無口ではないが興味があること以外はわりとどうでも良いタイプ。
ルエラだっておしゃべりという訳ではないが、彼女は二人より日常のささやかなことに関心を持つ。すると必然的にその会話に付き合うのがユージンの役目となり、この家族が揃うと今のような状況になるわけだ。
「───さて、二人の声が枯れる前に家に着いた」
家の前に車が停まった時、マーティンの言葉通りルエラはやや声が掠れ始めていた。
ナルは途中から俺たちが声をかけても返事をしなくなり、寝ているだろうと思っていたが誰に言われるでもなく自発的に起きだす。
マーティンがトランクを開けに車を降りたのにつられて、ナルもドアを開けて出て行った。続いて俺とルエラも車から降りたが、ルエラは玄関に行く際に俺を連れていく。
俺にも荷物があるのだが、とトランクの方を振り返るとマーティンがナルに俺の荷物を持たせながら手を振った。なるほど。
「ナルがあなたの荷物を運ぶので心配しないで」
「はあい」
ナルを"使う"数少ない人間がこの両親だ。
ユージンだったら俺もあっちにいたのだが、今は客人の麻衣である。ルエラが部屋に案内すると言ってドアを開け、中に入って行くのに続いて一歩足を踏み出した。
その時つま先が堅い何かに当たって、───カン、っと音が鳴る。
久しく聞いてなかったその音は、この家のドア枠に躓く時の音だと思い出す。つまり、今回も躓いた。その後成すすべなく転ぶ。
ルエラが振り返り、マーティンがすぐ後ろで驚きの声を上げたのがわかった。
そしてナルはあとでこういった。「やると思った」
実はユージンだったころも、ここはよく躓くスポットだった。救いようのない注意力のなさによって、定期的に自分の家の玄関で転びかける。実際に転ぶことは少ないけれど、今回は久々だったし、麻衣の身体だったこともあって足を踏み出すのが間に合わなかったのだ……。
マーティンに手を借りて起こされた後、ルエラに怪我の心配をされたが平気だと取り繕った。
二人には顔や掌に目立った損傷が見られないので大丈夫と判断され、まずはベッドルームへ案内される。
ナルやユージンの部屋とはちがい、物の少ない殺風景な装いだが、ルエラがきれいに掃除したのだろう空気の澄んだ明るい部屋だった。
この家に住んでいたころは、確かこの部屋にはルエラの趣味でミシンやトルソーが置いてあったが片づけられている。
反対に、今までなかったベッドがあった。たしかこれは引き取られてすぐのころにナルと一緒に使っていたものだ。シングルサイズだが子供二人なら問題なく使えたし、そもそもすぐに二人とも新しいものを買い与えられた。
従ってこのベッドの枠組みは屋根裏に保管されていたのだが、またここに組み立て直したのだと思う。
「少し古いベッドなんだけど、小さいころナルとジーンが使ってたのよ。マットレスやカバーは新調してありますからね」
ベッドをじっとみていると、ルエラがそんな俺に気づいて言った。
「お気遣いありがとうございます」
「僕たちが昔使っていた?」
「覚えてないの?」
ナルは自分が昔使っていた記憶がないようで首を傾げているが、俺が肯定することはできない。ルエラに答えを任せて笑った。
「ほんの数日だけ。二人には自分で選んでもらおうと思っていたから、すぐベッドを買ったから覚えてないのも無理ないわね」
そう言われて、ナルは思い出したのか納得したのか、小さく頷いた。
ルエラはそれから、ナルに家の案内を頼んだ後お茶をいれてくると言って下りていく。
ドアが開いたままなので、音が遠ざかっていく廊下をほんの少し眺めてから、顔を見合わせた。
「案内は必要か?」
「必要ない」
言いながら、二人してベッドに腰掛ける。
家の中に変化はあるとしても、造りが変わるわけではないので暫くの滞在には問題ないだろう。ただ気になったことを一つだけ聞くことにする。
「ユージンの部屋は今どうなってる?」
「変わってない。───日曜日、極少人数の知人だけで葬儀を行うらしい」
「ふうん、ナルも出るの?」
「僕が出ないとおかしいだろう」
「あたしもいていい?」
「物好き」
ナルは肩をすくめてから立つ。そろそろお茶が入れ終わっただろうからだ。
部屋から出て、廊下を歩き、階段を下りるナルの後ろをついて行く。
最後の一段だけ飛ばして、軽やかに地面に降り立つとナルが振り返って俺を見ていた。
「癖が出てる、ジーンの」
自分の行動を振り返ってみると、たしかにそうだ。家の階段だけ、最後の一段を踏まずに飛び降りるのが癖だった。
玄関で躓いたことといい、俺は案外この家でだけ特別な自分だけのルールが出来ていたらしい。逆に麻衣になって出来た癖もあるのかもしれないが、そんな一挙手一投足を覚えてる人間なんていないはずだ。少なくともナル以外は。
「……一応、気を付ける」
とりあえず、頷いておいた。
日曜日は俺の知る人間が数名きた。といっても、ほとんどがナルを通じて知り合った研究者だ。学生時代に友人関係はそれなりに築いていたが、ナルや家族は誰を呼ぶべきかはわからなかっただろう。それでも近所に住む人や、どこかから話を聞いた元クラスメイトの顔はあったけれど。
葬儀は格式張ったものではなく、進行内容があるわけでもなかった。弔問客と遺族が故人の話をしながら慰め合うというのが目的なのだろう。
唯一それらしい場所は、リビングに一時的な祭壇を設けて、写真を飾ったところに皆が花を手向けること。
こっそりナルの葬儀にしか見えないと言ったら呆れた顔をされた。だってしょうがないだろ、あれはナルの顔なんだから。
「ナル、ジーンのことは実に残念だった」
「気を強く持つんだよ、君にとっては身を引き裂かれるような出来事だろうけれど」
「お気遣いありがとうございます」
耳を澄ませてみると、ナルが丁度慰めの言葉をかけられているようだった。
自分の葬儀を見に来たのは物好きと言われたが、ナルも随分と物好きじゃないだろうか。人間ではないと知ってるものの葬儀を執り行うなんてさ。
退屈になったので、客が出入りするドアに向かって庭に出た。
石が敷いてある道ではなくて芝生を通って、仕切りの白い柵のところまでくる。ルエラが育てている植物の鉢がいくつかぶら下がっていたり、足元にはウサギのガーデンオーナメントが二体いた。
そんなものを眺めなら、背後から俺と同じく芝生を歩いて来たような足音がするのを振り返らずに待っていると、とうとう近くに来て立ち止まった気配がした。
「中に入らないのですか」
「相手をする人がいないから」
声をかけられて初めて振り返る。
そこにいたリンは、俺の返答に少しだけ肩をすくめた。
「リンは今きたところ?」
「ええ」
「みんな中にいるよ」
「……少ししてから入ります」
ふと家の前に停まっている二台ほどの車を見て言った。
恐らく中に客がいると察したんだろう。気にするほど多くの人がいるわけではないが。
「とりあえずあたしが相手をしようか。今日は来てくれてありがとう」
本来ユージンと面識がないはずの麻衣が言うのはおかしいかもしれないが、リンは気にしないだろう。俺がユージンの霊を見たと思っているし。
「こちらに来て不便はありませんか」
「ないよ。みんなよくしてくれてる」
「ナルは明日から研究所に来るそうですが」
「聞いてる、あたしもいくよ。リンもいる?」
「私もいますが……谷山さんもくるんですか?」
「他にすることがないもの。いけない?」
「ナルが連れてくるのならいけないことはありませんが……観光に行ってみてはいかがですか、ロンドンまで行けないこともないでしょう」
「別に観光を目当てに来たわけではないし」
「……本当にナルについて来ただけなんですね」
「うん、そう……だけどそうじゃなくてさ」
気づけば俺がリンに気を使われ、俺の話をしている気がした。
なので話を無理やり切ると、リンは首を傾げる。
「ユージンの話をした方が良いのかと思ってたんだけど」
「……してくれるのであれば」
「どんな話がいい?」
まかせろ、と胸を張る。
リンは少しためらうように、視線をさまよわせた。
「ジーンはまだそこにいますか……?」
「───いないよ。なんだ、信じてなかったのか」
「いえ、ただ、調査中に何度かジーンの存在を感じることがあったとナルから聞いていたので」
「そのことならナルとも話したけど、ぜんぶあたしだった」
「原さんの前に現れたのも……?」
「それは直前に真砂子があたしの顔を見たくないと言ったせい」
あらかじめナルから聞いてた話だったから、ウンウンと頷きながら誤魔化す。
この界隈には"見間違い"がまみれている為、そう思わせるのも容易い。
リンはやや沈黙したあと「そうですか」と頷いた。
「安心した?」
「しました」
「そう」
短い言葉の応酬の後、俺はリンの身体の向きを変えて背中を押した。
丁度ナルが見送った人が二人ほど出てきたので、中に案内することにして。
家の中はほとんど人がまばらで、両親はナルと日本にまで行ったリンへの対応につきっきりになる。するとナルは俺に「上に行ってろ」と言って他の客人を捌き始めたので素直に言うことを聞いて階段を上がる。
もう自分の葬儀は見物できたし、知り合いもいないので特に用はなくなったからだ。
階段を上がり切ったところで、俺はユージンの部屋が目について、ドアに手をかける。
ナルの言っていたとおり、中は出て行った時とほとんど変わりない。
時折換気や掃除をされているようで、埃が積もったり匂いが強くなったりなどはしていなかった。
何気なく部屋の奥の窓からさっきまでいた庭を見下ろしていると、背後でドアが開いて振り返る。
ナルが俺に気づいたのだろうと思っていたら、そこにはマーティンの姿があった。
「麻衣?……ドアが開いていたから」
「……勝手に入ってごめんなさい」
麻衣の立場を考慮して謝ったが、マーティンは気分を害した風ではなく、首を振った。
「ナルは君に随分気を許しているようだ、問題ないだろう」
「そうですか?」
「そうでなければ、そもそも君はこの家に来てないからね」
俺はそのマーティンの口ぶりに思わず小さく笑う。
ナルは自分の周辺に他人をおくのを嫌う。家族という致し方ない関係以外。だから自分の家に人を泊めるなんてこともしない。
「麻衣はジーンとは面識は」
「ないけど、知っています」
「ナルが話したのかな?それはすごい」
「……」
マーティンの勘違いは笑って誤魔化す。
勿論それ以上の詮索はなく、マーティンは「客人はもう帰ったから、少ししたら下りておいで」と言って俺を置いて部屋を出て行った。
そしてその通りにして下へいくと、言葉通り家族以外はもう家にはおらず、マーティンとルエラが身を寄せ合い何か言いたげに俺を待ち構えていた。
え、……なんだ……?と、思わずナルの方を見ると、ふいと視線を逸らされる。
「さっきナルにきいたの」
「君たちが結婚の約束をした仲だと」
な、なに───!?
俺はもう一度ナルを見たが、目が合わなかった。
「ナルがそんな冗談を言うとは思わないけれど、あなたにも確認をしたくて」
「あ、はい、そうです」
嘘ではないしな、と頷くと二人は目を見開く。
「!本当なんだね??」
「まあ、まあ、……まあ、なんということでしょう」
困惑している両親を見て、俺もさすがに驚いた。
「なんで言っちゃったの」
「悪いのか?」
「驚いてるよ、すごく」
「いつ言っても驚きは変わらないと思うが」
報告を終えたと、どこか満足げにしているナルの腕を引っ張り揺さぶる。
鬱陶しそうに返答があるのは、俺が否定的だからだろう。
「そもそも、何も具体的な話してないよね?」
「これから具体的な話をするにあたって両親の同意を得ておく必要がある。後々面倒なことにならないように譲歩した結果だ」
両親と俺、そしてナルは今後、直接会う機会が減る。そういうわけでこの帰省で俺を紹介することはナルの念頭にあったらしい。
そもそもナルのことだから、誰の許可も必要ないと言い出しそうなところを、両親に紹介しただけ配慮のある行動のような気もする。
そう思ったらまあ、いいか……???と、考えることを放棄した。
next.
普通は葬儀の場所で祝いごとの報告はしないのでしょう。
もちろん本当の葬儀であればしないくらいの常識はあるけど、ジーンは死んでないし、両親にとっては十分時間があったはず、という感じ。いやそれにしても不謹慎は拭えないけど、このちぐはぐな感じが気味悪くていいかなって。
Dec.2024