I am.


Mirror. √M 03

*三人称視点

二人分の足音が階段を下りてくるのがルエラの耳に聞こえた。
特徴があるというわけではないけれど、二人分というところにくすぐったさを感じる。
今は亡き(と、ルエラは思っている)ナルの片割れジーンがいるみたいだからだ。

トン、トン、トン───トンッ!

妙なリズム感さえ、似ている気がした。
けれどリビングのドアを開けて入って来たのはナルと、日本から来た麻衣という少女の二人だ。
彼女の姿を見て、別人であることに落ち込む暇はなかった。
なぜならジーンが居なくなって一番辛いのはナル。そんなナルが連れてきた彼女をルエラも夫のマーティンも希望のように感じていた。



ナルとジーンはその昔、辛い境遇を生き抜いた子供だった。
特にナルは身体的にも精神的にも不安定で、特別な能力をもったあまりに体調を崩すということも多かった。それを支えたのがジーンの存在である。
言葉を発したがらない、人と関わりたがらないナルの代わりにジーンが話して人と関わった。
人の温もりを嫌うナルをジーンが温めた。
持て余したナルの力はジーンが宥めた。
つまり、ナルにとってジーンはなくてはならない存在だった。孤児院からデイヴィスの家に引き取られる際に、ジーンが行かないと言った時にはあまりのショックで暴走しかけるほどに。

成長するにつれて、ナルの能力も、精神も落ち着き、体力も少しずつついてきて体調を崩すことも減った。目に見えてジーンから距離をとれるようにはなったが、だからといってジーンを遠ざけるほどでもなかった。
家族や関わる必要のある他人は最低限の距離を保ち、関係のない人間は最大限に遠ざけるナルにとってジーンの存在はやはり、最もナルに近かったと言える。

だから、ジーンが一人で日本に行って行方不明になったと分かった時の、ナルの様子は酷かった。
口にはしないが、何かを見たはずのナルは二日程意識を失った。そして目覚めた時には、ジーンを探すことしか頭になかった。
ルエラもマーティンも、恐れていた事態が起きたと思った。ナルはジーンを失ったらどうなってしまうのだろうと、常々心配していたのだ。それはきっと、将来いつか起こるべくことでもあるが、もっと穏便に───たとえば、ジーンに恋人ができるとか、独り立ちするとか、そういったものだと思っていた。
一人で日本に探しに行くと言ったナルを、さすがに許可できないと、何とか研究と絡めて大人を一人(ナルの能力の面倒を多少見れるリンが最適だった)連れて行かせることには成功したが、約一年半もの間ナルが両親に自分から連絡を入れてくることはなかった。

それが、つい先日やっと一度帰ると連絡を入れてきたのだ。
少し前に、日本での研究に興味がわいたとして分室を維持する申請を出したことは、まどかやマーティンを通してルエラに伝わっていたけれど、自らの足でジーンのいる国から一度離れると決めただけでも十分な進歩だと思った。
それどころか、一人日本で助手をしていた人物を連れて帰るというので、ルエラもマーティンも驚いていた。
実際に会ってみて、ナルと年頃が近い異性であったことにはもっと驚いたものだ。



「───麻衣は婚約者(フィアンセ)だけど」

ルエラは自分の呼吸が止まったことに気が付いて、はっと息を吐く。
先ほどまでの思考が一瞬にしてまっさらになるほどの衝撃があったからだ。

「婚約者……?君たちは交際をしているのか?」
「……まあそういうことになる」
「はっきりしない物言いはやめなさい」
「結婚する約束をしたのは確か」

マーティンがナルに追及していく間に、ルエラは徐々に記憶を整理していく。
さっきまでジーンの葬儀をしていたが客人が皆帰ったことによって、ナルとマーティンが何気ない会話をしていたのだった。
その末に、ルエラとマーティンは麻衣とナルはどういう関係なのかと踏み込んで聞いてみた。単純に、日本で出逢った助手だというには、あまりにも親密な気がしたからだ。
そしたらこんな突拍子もないことを言われたのである。

あまりに親密に見えて、万が一、万が一にも、付き合ってる可能性はあるのでは、と思った二人だったけれど、まさか結婚の約束までしているとは思いもしなかった。
ナルの様子を見ていても、麻衣の様子を見ていても、そうは思えなかったのだもの。

そこへ、麻衣が階段を下りてくる足音がした。マーティンが先ほど呼びに行ったからだろう。
ナルも気づいたようで、三人でリビングのドアが開くのをじっと見つめた。
「……?」
そしてドアを開けた麻衣は、注目を浴びることに不思議そうにしながら入ってくる。
麻衣が説明を求めるように視線を動かすが、当事者であるナルは何も言おうとしないのでマーティンが口火を切った。

───結婚の約束をしたのは確か。と、ナルはいった。
それを麻衣に確かめる必要がある。
勿論ナルはそんな冗談を言わない。冗談ではなく嘘も言わない。
だから麻衣は案の定、困惑しながらもはっきりと肯定の意思を示した。

「まあ、まあ、……まあ、なんということでしょう」

本当は喜ばしいことなのに、上手くその感情が沸かなかった。



その日の夜、ルエラとマーティンはやや放心状態が続いたまま寝室にいた。
ナルと麻衣に結婚の意思があることは確認したが、具体的な話まではまだしていないままだ。
「ナルが結婚か……」
ぽつりと呟いたマーティンに、ルエラは髪をとかしていたブラシを下ろす。「君はどう思う」と問いかけられて振り向いた。
「麻衣と家族になることは、反対じゃないの」
「それは私もだ」
二人は目を合わせて、目尻に皺を深く刻んだ。
麻衣は親しみやすく愛嬌があって賢くて、ドジで、そんなところが可愛い。どこか、ジーンとも似てる。
「でも喜んでいいのかがわからないの」
「ジーンのことを気にしているのかい?」
立ち上がったルエラはベッドに腰掛けながら、マーティンに身を寄せる。
彼もまた、ルエラの肩に手を回して受け入れた。
「ナルは悲しみのあまり、麻衣のことを利用していないかしら、だってあの子なんだか……」
「ジーンと麻衣のことは切り離して考えないと。それに、ナルがそんな愚かな真似をするはずはない───ジーンの代わりになれる人なんて、それこそナルが一番認めないだろう」
そう言われて、ルエラは少しだけ心が浮上する。それもそうか、と納得できたのだ。
「ナルは私たちの知らないところで、少しずつ折り合いを付けた。───ジーンの最期も話してくれた。そのうえで日本で研究すると決めて、彼女を連れて帰って来たんだ」
「そうね、そう……一番悲しかったのはナルで、そんなナルが選んだ人だもの。私たちは喜んでいいのね……」
「ああ、未来は明るいと思えば良い」

二人はゆっくりと凪いでいく悲しみと、押し寄せてくる多幸感と眠気に身をゆだねた。




その日、ルエラは夢を見た。
自分はキッチンで朝食の準備をしていた。そこに、階段を下りてくる音がしてくる。
トン、トン、トン───トンッ!
ちょっと癖のある最後の足音に、ふっと吐息まじりの笑いが零れた。
「珍しいのね、一人で起きてくるなんて、まさか一晩中起きてたわけじゃないでしょうね?」
冗談を言いながら、開けられたドアの方を見る。
彼はそこで佇み、柔らかく微笑んだ。そして「ちゃんと眠ったよ、おはよう、母さん」と言った。

目を覚ましたルエラは、視界の霞が晴れて明瞭になるのを待ってから、ベッドから起きだす。
隣で眠る夫はまだ夢の中にいるようだった。
時計を確認するとまだ十分に時間があるようなので起こさないことにする。彼もまた夢の中であの子に会っているかもしれないからだ。

寝室から出て、夢で見たようにキッチンで朝食の準備をした。
目覚めが良かった為、皆が起きてくるよりも少し時間が早そうだから一人でコーヒーでも飲もうかとケトルに水を入れる。
そうしていると、階段から降りてくる足音が聞こえて、ルエラは反射的に蛇口の水を止めた。
トン、トン、トン、……トン……トン。
一度立ち止まったかのようなリズムだった。それでも静かな足音。
ああ───夢を見たせいね。ルエラは小さな落胆と罪悪感を抱いて気を取り直す。
やがて開くだろうドアをちらりと見ながら、二杯分の水を入れることにして蛇口をまた捻る。
「おはよう、いつもより早いのね。あまり眠れなかった?」
「ううん、ただ、ご飯を作ってるのがわかったから」
ドアを開けて佇んでいたのは麻衣だった。
そう言えば彼女は、早起きが得意でルエラが朝食の準備をしている時にタイミングよく顔を出す。もしかしたらいつも、音や匂いに気が付いて下りてきていたのかもしれない。
「お腹空いてるなら、もう食べちゃいましょうか」
「みんなが起きてくるまで待つよ」
「じゃあコーヒーでもどう?」
「もらおうかな」
向かいからキッチンカウンターに顎を乗せた麻衣は柔らかく微笑んだ。
ルエラはまた、ジーンと麻衣が似ている部分を見つける。
この些細な積み重ねをどう受け止めたらいいのか、悩みかけた日もあるけれど、不思議と今朝は頭が冴えていた。

似ているから好きになるのではない。彼女のありのままを、好きになる。
それはかつてジーンを好きになっていったのと同じ、純粋な気持ちに他ならない。
ナルもきっと、その積み重ねをしてきたはず。

「昨日言い忘れてたけど、婚約おめでとう、麻衣」
「ありがとう、ルエラ」

ルエラはコーヒーを手渡しながら麻衣に伝えた。



next.

階段を下りるときの癖のある足音、お母さんもちゃんと知ってるんだよ……。
亡くなった兄弟を探しに行った息子が将来のお嫁さん連れて帰ってくるサプライズを受けるデイヴィス夫妻を書きたかった。わはは。
続きは一応考えてて、本編の方で書かなかった、悪夢の棲む家も書いてみたいなと思います。
Dec.2024

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