I am.


No, I'm not. 15


結局、朝方までまんじりともせず礼美ちゃんの部屋に気を張ってしまった。
温度が下がる以外に異変はなかったけど、この関東圏で急に部屋が氷点下まで落ち込むなんておかしすぎてそりゃ寝てもいられませんわ。
朝が来てから仮眠をとって、日中は比較的安全だろうからと温度計測やカメラの整備に明け暮れ、午後になるとまた休憩をもらった。
夜にまた何かないとも限らないので、仮眠とっておけってことだろう。

用意されてる二階の客室へ向かう途中、勢いよく礼美ちゃんの部屋から出てきた香奈さんに遭遇した。その剣幕に驚いたけど、俺と顔を見合わせるとばつが悪そうに視線を逸らした。
「なんかありました?」
「いえ、なんでもないのよ……別に」
「礼美ちゃん、元気そうでした?昨日怖い思いしちゃっただろうし心配で」
「わからないわ……私には」
「え」
「懐かれてないのよ、あんまり」
一緒に過ごしてたんだろうと思って声をかけたらあんまりな回答が返ってきた。
確か礼美ちゃんは前妻との子で、香奈さんは再婚を機にこの家での同居が始まった。一年と経ってないというから、もしかしたらまだお互いどう接したらいいかわからないのかもしれない。
「さっきも、おやつを持っていってみたけど会話もしてくれないし、食べてもくれない……」
はあ、と深いため息を吐きながら、俺に愚痴ってしまったことをすぐに後悔したようだった。
忘れて、と言い残して香奈さんはとぼとぼと階段を下りていく。俺はその背中を見送るしかなかった。
「……!~~~っ!」
今度は礼美ちゃんが何か強く言う声が聞こえてきた。
香奈さんの姿はもうなく、気になって部屋のドアを開けると中には典子さんと礼美ちゃんがいた。
「失礼、大きな声が聞こえたので……」
「あ、心配かけちゃってごめんなさいね、礼美が変なこと言うから」
「変じゃないもん!!ミニーが教えてくれたんだもん!」
「へ?」
典子さんも参ったように苦笑してて、多分そういう態度が礼美ちゃんを余計必死にさせているような気がした。
「おやつに……どくがはいってるって」
「毒?」
「あのひとはわるいマジョだって。まほうでおとうさんをケライにしたの!」
童話チックな妄想ともとれるけど、これはなかなか、穏やかではない。
曰く、礼美ちゃんと典子さんが邪魔だから殺そうとしているらしく、お母さんが出したおやつは食べてはいけないのだとミニーが教えたという。

「どうしちゃったのかしら、礼美ったら」
香奈さんの毒入りだというクッキーやお茶を手に、典子さんと俺は廊下に出る。
しれっと一枚食べてみたところ笑われたけど、よければもらってと言われたので、もう一枚口に入れながら典子さんの話に続きを促す。
「この家に来てから、なんて言ったらいいのかな……急に大人しくなっちゃって」
「もともと大人しいわけじゃないんですか?」
「ううん、元は人懐っこくて元気よ。兄の再婚を機にこの家に引っ越してからこうなの」
「……礼美ちゃん、何か不安なのかなあ」
「不安?」
クッキーが美味しくてもぐもぐと咀嚼すると、典子さんが俺の顔を見てきた。
あ、ちょっと恥ずかしい……。口元を手で隠してにこっと笑ってごまかした。
くいしんぼじゃないんだよ、本当はね。手持無沙汰だったといいますか。
「口に出す言葉がすべて素直な感情とは限らないし。でも、あんなふうに言うってことは何かしら心に抱えてるんだと思います」
ごっくん、と飲み込んでから、口の中に残ったクッキーの滓を舌で穿る。
「変わった原因が再婚か、引っ越しか、この家で何かが起こり始めてからか───そういうの、ありますか?」
「どう、だったかな」
「といっても、難しいですよね、何を理由にして、いつ心に変化が出て、それによって言動が変わるかなんて」
典子さんと俺は、途方もないなあと思いながら同じ方向を見て肩を落とした。



客室のベッドに座ってギターを開いた。ここ二日、礼美ちゃんにちょっと披露した程度しかしてないので、なんか落ち着かなかった。
歌までは歌わないけど、無意識に思い浮かべた旋律を思うがままに手で鳴らす。ナイロン弦特有の柔らかい音は部屋いっぱいに響いて、部屋の外の世界を断絶するみたいだった。
元々部屋同士の遮音性は高く、二階の隅にある客室だから、ベースまでは聞こえないだろうと高をくくる。
家主の許可は得ているし、休憩時間なので文句は言われないだろうけど───。

ぎし、とスプリングが軋む音がした。
ギターの音色に包まれたこの部屋で、妙に耳についたのはきっと、俺の座るベッドに誰かが腰を掛けて、身体に直接音が響いたからだ。
後ろには窓、前方にはドアがある。でも誰も入ってきていないのに、なんでベッドに俺以外の重みが加わった?
「、」
ゆっくりと隣を見ると、背格好がそう変わらない身体が横に座っていた。
シーツに手をついて、こっちに身を寄せる。
「礼美ちゃ……け……」
「ぇ」
耳元で静かに囁く。音階もなく平淡で、微かな音色。
「礼美ちゃんが、キケン?」
そう聞こえたような気がして繰り返すと、控えめにふわりと笑って目の前で消えた。
周囲を見回しても渋谷さんの姿はない。
「……意識飛んでた?やば……」
軽く自分の身体を撫でて、感触を確かめる。それからギターの弦をぴんと弾いて音を聴く。
「ウーン……起きてる」
ほうっとゆっくり安堵の息を吐く。
またしても渋谷さんの幻覚を見ることになるとは……疲れてんのかな。



next.

白昼夢という認識(大体合ってる)。
Oct.2022

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