No, I'm not. 16
柔らかく弦を撫でて、ぽろぽろと音を零す。
ミニーが礼美ちゃんに色々と吹き込んできて、そのことで礼美ちゃんが不安になるというなら、何かよくないことの前兆としか思えない。
子供って思いのほか繊細で、無垢で───傷を負ったら、それがこれから先の人生に長く長く、響くこともある。
言葉にならない歌を紡ぎながら、ぼんやりとミニーと礼美ちゃんの姿を思い浮かべた。
辛い現実から逃れるために人形に依存して、その結果自分の殻に閉塞しているとすれば、中々よろしくないいことだ。
その時、部屋のドアがキィ、と音を立てて開いた。
ギターの音につられて礼美ちゃんが遊びに来たのかも……。
視線をやらないまま、ふっと笑ってリズムに身体を揺らした。
しばらくして、おもむろにギターをやめると、もう部屋には誰もいなかった。
俺があまり相手しなかったからかな?でも、礼美ちゃんの距離感って独特で、懐っこい時もあればよそよそしい時もあるから、ぐいぐいいかない方が良いと思ったんだよな。
それこそ、周囲の人間を警戒するようにってミニーが言うくらいだもん。
……同年代じゃないとやっぱ、心開きにくいのかなあ。
「おそよー」
「え、遅い?」
ギターをやめてからはほんの三十分くらいしか寝てないはずだけど、ベースに戻ってくると滝川さんが出迎えた。
渋谷さんやリンさんが無言なのに比べたら、このくらい可愛いモンだけど。
「近くの部屋に置いたマイクにおまえさんの演奏、入ってたぞ」
「あー……それは思い至らず」
エヘエヘ、と笑って後頭部を掻く。
でもそれなら渋谷さんが速攻でやめろって言いに来ると思ったんだけど。
「ギターの音に混ざって、異音が録れた」
「うん?」
おずおずと渋谷さんの様子を見ると、おもむろに口を開く。異音というからには、正体不明の音だったんだろう。前の旧校舎の時に聞いたけど、ありとあらゆる物音のデータを持っていて、それと照らし合わせて音の正体を突き止めてるって言ってたから。
「麻衣の演奏を止めさせるか迷ったんだが、刺激しない方が良いかと思って」
「あ、そお……」
「それに───」
渋谷さんに怒られることはなくってほ~っとしていたのも束の間、ガシャン!と音がした。
例えば二階から外に向かって何かを落として、地面に叩きつけられたような……。
窓から身を乗り出して外を見ると、二階の少し離れた部屋の窓が開いていて、子供の手が見えた。
さっき俺が仮眠をとっていた客室だ。
咄嗟に向かったのは二階の方だった。
物音に気付いた人たちがぞろぞろと部屋から顔を出してきたけど、そんなの構わず、客室のドアを開ける。
「あ、あ……───」
ベッドに縋りついた礼美ちゃんが、力なく座り込んでいて、俺が部屋に入ってきたのを真っ青な顔で見上げていた。
壁に立てかけていたはずのギターがない。
物音とか、部屋の位置から、なんとなくわかってた。
礼美ちゃんを避けてベッドに乗り上げて窓から顔を出すと、ギターが地面に落ちていた。
「───礼美?なんでこのお部屋にいるの。それにさっきの物音は……」
ベッドの上で窓の桟に手をかけて、力なくへにゃりと項垂れてると、あとから典子さんがやってきた。
「おうい、なんだってお前さんのギターが空を飛んだんだい」
「飛べてないからそうなってんでしょー……」
外に出て落ちた物を見に行った滝川さんと渋谷さんが、下から俺を見上げていた。
典子さんも何があったのか、と目を白黒させている。
非常に言いづらいけど嘘を言っても仕方がないかと口を開いた。
「あ、ギターを窓から落とされたみたいで」
「え……、どうしてそんなことをしたの!?」
典子さんまで顔を真っ青にする。
俺は礼美ちゃんの背中を抱き寄せながら、ベッドから降ろした。
「礼美じゃない!!」
「何言ってるの、嘘いわないでっ」
びくっと震えた礼美ちゃんは俺と典子さんを交互に見て、ぎゅうっと目を瞑り、こぶしを握る。
何かに備えて身を守るようなしぐさに、胸が痛んだ。
「わかったよ、礼美ちゃんじゃないんだね」
俺は礼美ちゃんと目を合わせるようにかがんで、肩を両手で握る。
すごく小さな生き物だな、と場違いなことを思う。
「ちがうの……礼美は止めてっていったのに、……いじわるするの……」
「うん、礼美ちゃんはギター守ってくれようとしたんだろ?」
抱き上げると、俺の肩に縋りついて泣き出す。
「礼美が、おにいちゃまのお歌、またききたいって言ったから」
「そっか」
典子さんが叱ろうとするのは目で制して、礼美ちゃんの背中をとんとんと叩く。
いま俺のことおにいちゃまって呼んだけど、最初から私服で会ったから仕方ないね……。
「お歌好きになってくれたの?」
「うん……っ」
「大丈夫、ギターがなくてもお歌は歌えるよ」
一番の楽器は自分だもん、なんて得意げに笑ってからすうっと息を吸って、歌を口ずさむ。
俺の声を聞いて、泣きはらした顔がもぞりと動くのを、視界の端に止める。
「ずっと守ってあげるから……君のために歌お」
歌に聞き入るとようになると、涙が止まっていた。
ああよかった、とキリのいいところで歌を止めて、身体を屈めると自分の力でしっかり立つことができるようになっていた。
「お顔洗って、ジュースでものんどいで」
「ん……」
礼美ちゃんは俺に促されると、一人で部屋を出ていった。
いつのまにか滝川さんと松崎さんが見物に来ていて、小さな頭に顔をやって見送りながら、また俺に視線を戻す。
「はー……あんた、結構キザね」
「お見事」
「センキューゥ」
両腕を挙げて人差し指を立ててポーズした。それは褒め言葉として受け取っとく。
「んで?結局ギターはなんでおチビちゃんに投げられたわけ」
「は、……ギター……!!!骨拾ってやらなきゃッッ」
滝川さんに言われてギターのことを思い出し、礼美ちゃんのように二人の間を駆け抜けていく。
外に出ると渋谷さんがギターのところにまだいた。
棹の部分がボッキリ折れてコードが伸びてて、ボディにも少しだけひびが入って割れている。
「ああ、なんて無惨な姿に……」
「修理は無理だろうな」
典子さんが後から袋をもってやってきてくれて、ひとまずここにと渡してくれる。俺がお礼を言いながら受け取ると、本当にごめんなさいと深々頭を下げられてしまった。弁償しますとまで言われてしまったので、さっと手で制す。
「や、いんです。子供たちの前で弾いたんで、興味出ちゃったんでしょー」
「子供───たち?」
典子さんに袋を広げてもらいながら慎重に入れる。
横から渋谷さんに聞き返されて、俺はそういえばと思い出す。ギターを投げて落としたのは礼美ちゃんじゃなかったのは何となく覚えてる。でも部屋に行ったときそこには礼美ちゃんしかいなかったから隠れたり逃げ出したりしたんだろう。
もー……狡賢いんだからー。
「礼美ちゃんの他に子供が来てるんですか?」
「……え、いいえ……?」
渋谷さんと典子さんは顔を見合わせて、それから俺を見る。
え……、やばいやばいやばい。俺だけなんか見てるモン違う。
next.
ギター、死す……。
Oct.2022