I am.


No, I'm not. 19


滝川さんは這う這うの体でベースに戻ってきて、どへーとうなだれた。
「わ、冷た~」
「……労ってくれてんのか、そりゃ」
机に倒れ込むように身体を預ける滝川さんを見下ろし、無遠慮に頬に触れるとそこはひんやりしていた。
胡乱な目が向けられたので、にこっ!と笑う。
純粋に冷たいのかなって気になってやったけど、親切心ということにしとこう。
「そういえばもう部屋の温度戻った?」
「徐々に戻り始めている」
手をはなして話題を変えると、渋谷さんの返答がある。
温度を確認してみると、もう17℃くらいにまで上がっていた。
霊が捌けるとすっかり雰囲気かわるんだなあ。
「滝川さんまたやる?マイナス二℃って、シャボン玉凍るかな」
「……お前、あすこでシャボン玉やる勇気あんの?」
「ない」
全員に馬鹿を見る目を向けられた。
「───そろそろいいだろう、居間へ行く」
「いくかー……」
渋谷さんは俺がさっき見たように温度を確認して席を立つ。続いて滝川さんも、重たそうに身体を持ち上げた。
俺も来いと言われたので二人の後についていき居間へ入ったが、もうすっかり温度差を身体で感じないほどになっていた。

居間に開いた大きな穴は暗くて底が見えないほどに深い。
「さすがにこの深さは今出来たわけじゃないよね?」
「元は井戸だったんだろうな」
床に穴が開いたのはもちろん霊のせいなんだろうけど、深い穴自体は人工的につくられたものなんだろう。滝川さんの言う通り、井戸というのがしっくりくる。
床に四つん這いになって身を乗り出し、俺はハハハハハーと声を投げ込む。
滝川さんが何遊んでんだ、とこっちを見た。
「反響が返ってくるかなって。……だれか───」
まるで場違いな歌を口ずさみながら、割れ目の木くずを指で引っ掻く。
ぷちっとちぎって、パラパラと井戸の底に投げ入れてみるけど、物音はなし。
暗闇の先に、澄んだ水などあるわけもなく、今しがた恐ろしい女が出たばかりのそこに、夢見るお姫様の歌はひどく不釣り合いだろう。
たとえば、そう───慟哭。
小さな女の子が鞠をついてるのが見える。ふと、見知らぬ男がその子を連れ去り、帰ってこなかった。しばらくして、池に女の子の死体が浮かんだ。
その母親が嘆き、絶望し、身を投げたのがこの井戸───みたいな光景が頭に浮かんで、俺は歌うのを止めた。
「ん?」
「どうした」
横にいた滝川さんが首を傾げた。
「井戸を見てたら、なんだか、インスピレーションが」
「あ、そ」
そして呆れて、しっしっと手をふった。
渋谷さんは何やら連絡を取りに行ってしまったし、滝川さんの態度に甘えで、ベースで大人しく作曲でもしてよっと。


翌朝、原さんとジョンと松崎さんが家にやってきた。
居間の穴を見に来てるんだろうと思ってたら少しして滝川さんがベースに声をかけに来る。
「おうい、次は綾子が頑張ってみるってよ。俺はおチビちゃんとこ行くわ」
「はあい。───あれ?うちのボスは」
「なんかあと頼むって出てっちまった」
「はー……?」
なにがなんだか、さっぱり。
リンさんを見ると、一瞬だけ目が合ったけど何も言わずにそらされたし。
同僚が不愛想過ぎて上司の愚痴で盛り上がれないのは辛いな。

「あんたんとこのボス、姿消すの二回目よ」
「うん、二回中二回だな」
滝川さんに代わってベースに来た松崎さんが呆れた顔で俺に言う。
リンさんが動じてないから、あれが渋谷さんの通常運転というか、ありがちな行為なのかな。
「そういや、松崎さんが次やるんだって?頑張ってー」
ジョンと原さんを伴って滝川さんは家を出て行ってしまったし、あとはもう霊能者は松崎さんしかいないのだから頑張ってもらおう。
「……」
「この手はなんですか?」
巫女らしい格好をした松崎さんは俺の服の裾を掴んでいる。
渋谷さんが俺に任せる後を頼むというのは、結局モニターを見てることしかないはずなので、松崎さんが頑張るとこを応援するしかないと思ったんだけど。
「いっしょにきて」
「は?」
「怖いじゃない」
「やだよ」
一瞬何をいわれてるのかわからなかったけど、答えを考える間もなく断った。
ふるふる、と首を横に振ると、松崎さんににらまれる。
「こわ。……その顔なら負けてない、だいじょーぶ」
「はぁ!?あんた、しつれーな……!!」
くるっと背中に回って、ぽんぽんっと叩いて追い出すようにして見送った。
「松崎さんの雄姿はモニターでみとっから」
「この薄情者!あたしがどうなってもいいってわけね!?」
松崎さんは廊下を進みながらも、いつまでも文句を垂れていた。
さすが、口から先に生まれただけあるなあ、ラッパーとしてバンドには誘わないけど。


渋谷サイキックリサーチというのは心霊現象を科学的に調査して原因を究明するというモットーでやっている。つまり、記録やデータを集めて集めて、今後に生かす───ということで、松崎さんが怖いけどやるっていうお祓いを、俺たちはシメシメと録画するのだ。
リンさんは温度や音に気を配り、俺はモニターで現状を見る。録画されてないことがままあるので、手書きでも報告書を残したりなんだり、するわけだ。
「松崎さん、いつでもどうぞ~」
『麻衣ぃ、覚えてなさいよぉ~……!』
おかしいな、もう怨霊がいるようだ。
モニターごしに睨めつけてくる松崎さんには手を振った。向こうからは見えてないだろうけど。
マイクで準備オッケーを伝えると、松崎さんはため息を吐いてから、巫女然として謳いだす。
こういう時はちゃんと巫女っぽいなあ。
「部屋全体の温度が下がり始めました。……穴から冷気が上がっています。」
「穴から、青白い靄みたいな、煙みたいなんが出てきた」
俺たちの音声も念のため記録してるので、誰にともなく、報告をあげる。
ドンドン、と手で壁を叩くような鈍い音、コトコトと固いもの同士が当たる音、トントンと小さなものが軽く当たる音がしだす。
「松崎さん、続けて」
『わ、わかってるわよ!』
一旦口を閉ざしてしまった松崎さんを促す。
怖いという気持ちはわかるけども、あんた霊能者でしょうが。
『きゃ……だれかが触った!』
「井戸の方から、松崎さんに向かって手、みたいなのが、見える」
「───、」
「やめた方がよくない!?松崎さん部屋を出て!!」
見ててだんだん怖くなってきた俺は、マイクに向かって叫ぶ。
リンさんも俺の反応に立ち上がる。
そしてモニターを一瞥してからベースを出ていった。俺はここにいるよう短く指示をされたので待っていると、松崎さんがカメラ越しに、手に身体をとられて体勢を崩すのが見えた。
『や、いや、誰か来てぇ!!麻衣ぃ!』
「今リンさんが向かってる!───、」
『松崎さん!』
すぐにリンさんが居間に入ってきたのが分かった。
『リン!』
『つかまってください』
二人がかりで、手から逃れるようにして、リビングのドアの方へ行く。
俺はそのことにほっとして、念のため井戸のある穴を見た。
でも、そこからあの女が出てくることはなかった。



next.

口ずさんだ歌は白雪姫が井戸に向かって歌うやつ。
綾子のお願いは断る。冷たいんじゃなくてそこまで危険とは考えてなかっただけ。
コミックスで麻衣が引きずられて行くときに「麻衣ぃ!麻衣ぃ!」って泣いて動けないあやこちゃんすきよ……。
Oct.2022

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