No, I'm not. 21
関西でのライブハウスハシゴ旅は疲れたけどすごい良い経験になった。
東京に帰ってきてからはおとなしくSPRでバイトしながら夏休みの宿題をさせてもらい、俺の夏休みはあっという間に終わり、新学期がやってきた。
八月分のお給料は現場に行ったときの危険手当が思いのほか高かったので、うきうきしながら木下楽器店に駆け込み、当初の予定通りエレキを購入した。
なぜならバンドの演奏で使ってるエレアコからピックアップを外して、普通のアコギに戻せるからだ。
残暑の厳しさはいつしか鳴りを潜めて、肌寒い日々が続いた。
学校の指定セーターを着ようと探したのに、入学前に一式買ってどこやったんだかわからなくなった。袋からは開けてあるはずなので、多分冬服の中に混ざってるんだろう。
結局見つけられなくて、貰いものの白いカーディガンを着て学校へ行くと女子にはカワイイと好評だった。
放課後は友達にクレープ食べに行かないかって誘われたけど、俺はギターをメンテナンスに出してることを理由に断り一人で教室を出た。
ドラムに興味のあるタケくんがそわそわしてたけど、俺がRainのだってバレかねないので誘わなかった。
木下楽器店に行くとオッサンが俺の顔を見るなりニチャっと笑い、ギターならできてるぜと得意げに取り出した。ちょっと見た目でソンしてるけど、気のいいオッサンだ。
「前のとは雰囲気変わンだろ。外で弾いててもの使ってたやつだってわかりゃしねえよ」
「いいねえー」
ピックアップを外したついでに塗装し直してもらったので、見た目ががらっと変わっている。
内側に向かってグラデーションで色が変わっていくサンバーストタイプだったボディは今、全体的に黒く染められ、シンプルでシックな仕上がりになっている。
色を塗り直したことで細かな傷とか汚れも一掃されて、つやつやのてかてかだ。
「ストラップもボロくなってただろ、これ店の安モンだけどつけとくわ」
「いいのー!?赤だ、カッコいい」
ギターを確認し終えて修理代を払っていると、レジ台の下から取り出した赤いストラップをぽんっとギターの横に置かれた。
前のは劣化して繊維が伸びてたけど、新品は手触りからして固くて、見た目も洗練されている。
手早くギターに取りつけてケースにしまってくれたので、俺は木下さんに愛してるよーと投げキッスしてから店を出た。
足取りは軽く、俺は我慢できずに公園に入ってギターのケースを開けた。
ストラップは後で長さ自分で調整しなよって言われてたから、それもしたかった。
音も確認はさっきしたんだけど、やっぱりちゃんと弾いてやりたくてうずうずしてる。
平日だけど、都心の大きな公園にはそれなりに人が居て、休憩してたり通り過ぎていく人だったり、遊んでいる子供だったりと、様々だ。
たまにここで楽器とか、手品やらジャグリングの練習してる人を見かけたこともあるから、ちょっとだけならいいかな……と俺もギターを弾く。
クラシック・ギターの柔らかみのある音に没頭するのとはまた違い、ナイロン弦の硬くて尖った響きが気分を高揚させた。
大声ではないけど、ギターの音と合うように歌っていると、少しだけ人が集まって来る。
女子高生や散歩中の老夫婦、小学生くらいの男の子、通りすがりのサラリーマンや、買い物帰りらしき女性、まさに老若男女の顔ぶれだ。
披露してたのは大衆的な歌だし、皆も聴いてて楽しめたんだろう。
「どうも、ありがとうございまーす」
歌い終えるとわっと拍手が向けられたので、深々お辞儀をする。
「お上手ねえ~聞き入ってしまったわ」
「バンドやってるんですかー?」
「もっと弾いて!」
温かい声援に嬉しくなって、俺はじゃあもう一曲、とギターを握って持ち直す。
その時ふと、観客の中に雰囲気の違う女の人の姿を見つけた。
───落ち込んでる。と、その感情が俺に届いた。不思議だけどこういう同調が稀にある。
なんだろう、多分、惨めな気持ちなんだ。そして、やり場のない、行き場のない怒り。
彼女をじっと見つめると、目があってはっとされる。
俺はにっと笑いかけて、歌と感情の焦点を決めた。
「くだらねえと、呟いて 醒めた面して歩く───」
歌は前奏もなく、ギターをほぼ同時に始まった。
そこには、少しムシャクシャした気持ちを乗せる。
少しの共感と、それから励ましを届けたい。
「あふれる、熱い涙」
夕暮れに差し掛かろうとするその空気が、これから夜になる。
次第に皆、家に帰る。そして一人眠りつく。
自分を励ませるのは自分の持ってる心次第だ。
家族とか恋人とか友人とか、誰かがそばにいようと、どんなことを言われようと、心が下向きじゃ一向に気分が晴れない。
一人で立ち向かえというわけじゃない、本当の孤独を味わう歌ではないからだ。
ただ、辛いことがあって落ち込んで帰る夜道に、月を見上げて励まされて、明日に思いを馳せるような───そんな歌。
アンコールに応えたが、リクエストも何も無視して一人の落ち込んでいそうな女性に全部向けちゃったけど、聞いてた人たちは心のどこかの琴線にひっかかるものがあったんだろう、聞き入るような顔がそこらじゅうにいた。
歌い終えると、みんなの熱い感情が混じった拍手や歓声を浴びる。
その顔ぶれを見まわすが、さっきの人が居ない。
家に帰ったんだろうか。歌に集中してしまったし、周りには人がたくさんいて話しかけてくるからよくわかんないや。
「ねえ、」
「ん?あれ?原さん……?」
いつのまにか観衆の中にいた人が俺の腕をつかんだ。まさかそれが顔見知りだとは思わず二度見する。
彼女の隣には最初から歌を聞きに来てくれた女子高生たちもいて、なんだろう、と原さんを見ている。
「私も明日、愛を探しに行く……!」
原さんは、俺に微笑みかけた。
その柔らかく細められた目から、ぽろりと涙が垂れたのが、日差しに反射して光ったように見えた。
「───!よし、いってらっしゃい」
落ち込んでた人が上を向いたかのような躍動がそこにある。
歌詞を引用した決意に俺も嬉しくなって、思わず原さんの身体を激励を込めて抱きしめた。
「がんばれ!」
「元気出してー!」
横にいた女子高生も、シンパシーからか一緒になって抱き着いてくる。
やっぱりみんな、落ち込むことがあって、歌を聞いて少しの気晴らしになったんだと思う。
聴衆はいつしか俺たちが仲間だと思ったのか、青春の一幕を見守るようにして遠ざかる。
そして女子高生たちも風のように去っていき、原さんは俺の腕が肩に絡んだ状態で突然、はっと目を見開いた。
「あたくし……」
俺は我に返ったかのような原さんをぱっと放す。
そういえば、いつまでも去らない人たちがいて───滝川さんと渋谷さんもここに来ていたみたい。
「なんで三人でここに?」
俺は一瞬、相関図を思い浮かべた。
「シゴト。麻衣ちゃんも呼ばれたはずよ~」
「何度か電話したんだが?」
「ありゃ」
俺は慌てて、ギターケースの上に置き去りのスマホを見る。確かに渋谷さんから着信が来ていた。
なんでも、この公園ではカップルを狙って水をかけてくる怪奇現象がたびたび起こるらしく、原さんからの依頼で調べに来たのだそう。原さんと渋谷さんが二人で囮になって、俺も滝川さんとそうするはずだったわけだ。……俺たちカップルに見えないと思うけど。
「え、いまからやる?」
「いいえ、もう───昇っていけたようですわ」
「さっき真砂子が憑かれてたってことかい」
聞けば先ほど原さんが突然しゃがみこんでしまったそうだ。
そしてふらふらと俺を囲む聴衆の群れに入っていったのだとか。
「麻衣さんの歌を聞いてる人の中にいましたわ。二十代くらいの女性で、この公園で辛い思いをされた方のようです───仲睦まじい男女を見ていると腹を立てていた」
「あ、へえ~」
人混みの中にしれっと霊がいたのかよ……。
どうやら原さんが見るに、その女性が水をかけていたとのことだ。
とはいえ、さっき俺の歌を聴いた後、成仏したらしいので、これ以上調べようがない。
「麻衣、さっき何をいわれたんだ?」
「さっき?ああ……」
───明日、愛を探しに行く。
亡くなった人が、辛い思いから脱却して、あるはずのない明日へ希望を持てたのか。
そのことに今度は俺が目頭が熱くなる思いだった。
原さんは記憶がなく、渋谷さんと滝川さんは遠かったので聞こえてなかったみたいで、彼女の最後の言葉は聞かなかったらしい。
「んー、歌の感想かな」
きっと俺とあの人だけの共感だから、言葉にしたって伝わらない気がした。
next.
歌う主人公といえばこういう感じかな、って、ずっと書きたかった話。
霊と目が合ってるけどそれは誰も知らない。
Oct.2022