I am.


No, I'm not. 25


渋谷さんは生物準備室のドアをためらいなくノックした。
返答があるまでに数秒要したけれど、それが俺にとってはとても長い時間に感じられた。
「失礼します。笠井さんはおられますか」
「……何のご用かしら?」
渋谷さんがドアを開けると中には女性教員らしき人と、女子生徒がいた。
この二人が、顧問の産砂先生と笠井さんだろう。
笠井さんの方は俺たちが入ってくるのと同時にふいっと背を向けて沈黙してしまう。
「渋谷サイキックリサーチの渋谷と申します。笠井さんに話を聞きたいんですが」
「ああ、はい……どうぞ、入ってください。私は生物を教えています、産砂恵といいます」
「……めずらしいお名前ですね」
おめえ人の名前に関心もってそんな風に雑談ができたのか……と渋谷さんの背中にひっそり投げかける。決して口にはしないけど。
産砂先生は言われ慣れているようで、にこりと笑っただけだった。こういう時出身地とか、漢字や意味とかの話題になりやすいんだろうけど、本題は笠井さんにあったのでそうもいかない。
「笠井さんに、ということは九月の事件についてですのね?」
「何も話すことなんてない!ほっといて!」
「変な誤解をされないためにも、きちんとお話した方が良いわ」
「いや!どうせうそつき呼ばわりされるだけだもん」
笠井さんはすっかり他人への信用を無くして、背を向けたまま。
渋谷さんと俺の姿なんてまだほとんど目に入れていない。
「でも、心霊現象を調査してらっしゃるのよ?頭からあなたのいうことを否定したりはなさらないわ」
「……」
心の中で産砂先生の説得を応援する。
この時ちょっと、松崎さんを連れてこなくてよかった、と思った。

渋谷さんがまず笠井さんの緊張を解き心を開かせるために何をしたかというと、スプーンを曲げて見せることだった。
スプーン曲げくらい自分でもできる、と宣ったのでなんだと、と固まったのは俺だけじゃないはず。
笠井さんと産砂先生も一瞬目を見開き、復活した笠井さんが準備室にあったスプーンを渡してやって見せろといった。
すると、渋谷さんは自分で言ったくせにやりたくなさそうな態度をしながらも、スプーンに指をかけて押した。するとくにゃりと曲がったので、指を離す。───すると、スプーンが一瞬だけ震えたと思えば曲げたところから折れて床に落ちた。
チィン……と、金属が当たる音が静かに響いて、さっきよりも長い沈黙が下りた。

笠井さんはこの一件でわずかな信用を抱いたみたいで、自分がスプーン曲げを出来るに至った背景を語る。
「───夏休みに、テレビの深夜番組を見てたの」
テレビで見て、真似してみたらできたという、なんともあっけないきっかけに信じられない気持ちが浮かぶけど、渋谷さんと産砂先生はわかったように頷く。
なんでも、ゲラリーニ現象という名前のつくあるあるで、ユリ・ゲラーという超能力者の放送を見たり聞いたりした人が超能力に目覚めるというブームが起こったらしい。一時社会現象にもなったそうで、そういう人のことをゲラリーニと呼ぶんだとか。
「……詳しいんですねえ、先生」
「笠井さん、今でも曲げられますか?」
「できるよ!」
俺が産砂先生の解説に感心してる横で、渋谷さんが笠井さんの力を見てみたいとばかりに問う。ところが笠井さんは、その一言に慌ててスプーンを掴み、うずくまる。なんだか、むきになっているように見えた。
「そんなことしてはだめだ」
身体を丸めて、頭を下げて足の間に潜り込みそうなほどの姿勢になった笠井さんに、叱咤するような声が飛ぶ。俺は隣にいた渋谷さんの様子と、びくりと身体を震わせた笠井さんの顔を交互に見る。
「そんなことをしていると、本当にゲラリーニたちの二の舞になる」
「二の舞って?」
「いまのはトリックだ」
俺が解らないでいると、笠井さんの手からスプーンを取りさった渋谷さんが俺を見下ろす。
「スプーンが身体の影に入ったところで、先を椅子の縁にあてて曲げようとした……」
「おお……」
俺は自分の足を少し開いて、椅子の縁を見る。確かに丸まってここに入れ込めば見えないなと思う。
「ゲラリーニたちはほとんどが極めて短い期間で超能力を失ったんだ」
渋谷さんの解説に顔を上げた。
「力をなくした後、こうやって凌いでたってこと?」
「そう。その典型的なトリックが今彼女がやろうとしたこと」
「で、でも、曲げたことがあるのはほんとだから!」
「そういうトリックを一度でも見つかってしまうと、何をいっても信用されない」
そういいながら渋谷さんはスプーンを机の上に置く。
信用って失った後の取り返しがなかなかねえ、とウンウン頷いてしまった。
「ゲラリーニの能力が不安定なのは研究者ならだれでも知っている。できない時は出来ないといっていいんだ」
笠井さんは渋谷さんの言葉に驚きの表情を浮かべる。
「それで信用しない人間は頭から信じる気がないんだから無視していい」
「わたしが教えたんです。ほかの教師からにらまれて、どうしてもスプーンを曲げなきゃならない状況だったので……」
産砂先生が庇うように笠井さんの肩を抱いた。
笠井さんも必死だったので、まあスプーンを曲げたかどうかはどっちでもいいとして、その後学校で起こってる数々の事件が関係してくるのかってことだ。
本人は呪い殺してやると発言したとはいえ、まったくもって自分で呪ってるつもりはなさそうだったので、きっと違うんだろうけれど。

「渋谷さんもスプーン曲げ出来るんだなー」
「そのことなんだが」
「ん?」
渋谷さんが廊下にそっと立ち止まる。背中にぶつかりそうになって足を止めると、なんだか弱弱しい声が聞こえてきた。
「さっきの……スプーン曲げだが……皆には内緒にしてくれ」
「……?」
そろりと顔を見に行く。
なんか非常に不貞腐れたような顔で、すいっと目を逸らされた。
「とくにリンには」
「おお……わかったー……」
「すまない」
あらたな一面を見てしまったかもしれない。
再び歩き始めた渋谷さんに来ないのかと言われるまで、俺はしばらく立ち止まっていた。


ベースに戻ると、滝川さんとジョンがぐるりと一周してきたところで休憩していて、その後原さんと松崎さんも戻ってきた。
午前中にも言ってたけど、まったく霊の姿はないそうだ。
そう結論付けた原さんに、滝川さんがそんなはずはないと反論する。
「少なくとも例の席にはいて当然だ。四件も事故が続いてんだぜ!?」
「あたくしたちは騙されてるんですわ」
「学校の連中全部に!?冗談じゃねえぞ!」
松崎さんも原さんの霊は居ないという発言に辟易してたけれど、滝川さんまで受け入れられないと声を荒らげた。
原さんの言い分はあんまりだけど、それくらい自信をもって言ってることがわかるし、滝川さんもある意味では原さんの目を頼りにしていたわけだ。
ジョンがまあまあ、と止めてるのを後目に、渋谷さんの様子を窺うと厄介な事件だと呟いた。
結論はまだ出ないけど、渋谷さんとしてはいくら人の思い込みがあろうとも、学校関係者だけでこんなにおかしな現象が出ると言って騒ぎが大きくなることはないと考えてる。だから原さんの霊視だけが頼りだったのに、霊は居ないということになって、結局一歩もことが進まない。
お得意の機械での計測とかも、数が多すぎてどこから手を付けたらいいのだかわからないし、途方もない作業になるだろうってことで、踏み出すことができないのだ。
「……がいたら」
「ん?だれ?」
「なんでもない。信頼できる霊視の能力者がいたら、と言っただけだ」
「うわー……」
渋谷さんがなにかボソボソ言うので聞き返したら、あんまりな発言が返ってきた。
今の原さんが聞いてたらショックでは……と思ったけど、松崎さんや滝川さんの声が大きかったので多分聞こえてないはず。
結局みんなはもう一度見回りに行くというので会議室を出ていき、俺はまた一人静かに待機することになった。
正直退屈だし、資料のまとめは終わったし。ああ、ギター持ってくればよかった。
他校の空気とか、新鮮だからかなあ、いいメロディーラインが浮かびそうなのに。

とろりと瞼が重くなり、帳が下りる。
その闇から、自分の頭の中ではないどこか別の空間に意識を飛ばそうと試みる。
こうするといい閃きがあるんだよな───。

脳裏に描かれたのは黒と白に反転した、校舎の景色。自分の学校ではなくて多分ここ、湯浅高校だろう。
こんな角度から見たことはないけど何となくわかった。
線で描かれたみたいな校舎の中は透けていて、ぼんやりと白い炎みたいなのが見えた。
俺は一瞬その風景を譜面に見えて音にした。いやこれ、滅茶苦茶な曲になるだろうな……。
それになんいか、うごめくような、息吹きのような風の音がして、うすら寒い。
「なぁんか不吉……」
そう思って目を開けようとしたのに、俺はまだ暗闇の中にいる。
え?と周囲を見渡すとやっと見つけた光の中に渋谷さんの姿を見つけて駆け寄った。
「わーよかった、迷子になったかと」
「みれた?」
「……なにが?」
「───鬼火」
オニビ……?と首を傾げたところで、今度こそ目を開けて小会議室の視界を手に入れた。
もしかして、居眠りしてた……?と時計を見てみるも、さほど時間は経ってない。
手元にあったノートには、さっきみた不協和音の楽譜が出来ていて───なるほど、これが鬼火か、と不思議としっくりきたのであった。



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思考回路が音楽方面に全振りしてるタイプの主人公。
Oct.2022

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