I am.


No, I'm not. 27


ベースでまた一人きり、皆の連絡を待つだけの時間が続く。
俺は昨日書き散らかした譜面とにらめっこしながら、ペンの先でカタカタとリズムを刻み、頭の中で音を流す。
あの漠然としたインスピレーションを、どうにか曲に落とし込んでみたいのに……、良いメロディにはならない。
───鬼火。
と、言われた音の粒たちを、繰り返しノートに刻むように塗り込む。

ガラッと、音がしてペンをとり落とす。
集中力が切れたというよりは、眠気が醒めたみたいな。
どうも、あの景色を思い出そうとしていると意識が遠のくのだ。
起きたときにそれを覚えていられるかどうかがわからなくて、俺はなかなか意識をそちらにやれずにいた。
「お茶いれる?」
俺がどんな内職してようと、もはや構わなくなった渋谷さんは静かに部屋に入ってきて、椅子に座って資料を見直していた。
ああ、と小さな声で呟くので立ち上がり、ついでに自分の分もいれてマグカップを渡した。
「進歩あった?」
「……まだ何とも言えないな」
「ふうん」
湯気に鼻先をつけて、目を潤す。
ゆっくりと口をつけながら、靄の向こうの渋谷さんを見て、ぽけーっと口を開く。
「ねえ───鬼火ってどういう意味?」
「は?」
「あ……違うや」
余りに神妙な顔つきをして示唆されたんで、渋谷さんと混合しかけていたけど、あれは現実のことでは無い。俺の深層心理だか、夢だか、よくわからない次元の話である。
自己完結して、はふうと息を吐くと、マグカップから立つ湯気が揺らいだ。

カタッ。

「ん」
天井から物音がした気がして、上を見る。
俺だけの気のせいかと思ってたけど、渋谷さんも傍で身じろぎをしたので、同じ音を聞いただろう。
蛍光灯が点滅したかと思うと、消えた。
心なしか部屋の温度が下がった気がして、立ち竦む。
声も出ずにいる俺の横に、さっきまで座っていた渋谷さんが立ち上がって居た。
「───なに、あれ……毛?」
カタン、カタン、コト……と天井裏から物音がして、視線を逸らせない。
やがて黒い毛のようなものが天井からぶら下がってきて、次第に長く伸びる。
長い『髪の毛』がずるずると下りてくるようだった。きっとその先には顔があるんだろうと思っていれば、渋谷さんが俺の前に立ちながら「おちつけ、動くな」と指示をした。

目を瞑った女の首が露わになり、急に見開かれる。
睨むような目つきは渋谷さんを見ていた。
「うわ……」
ニタリと笑った気味の悪い顔が、今度は胸のあたりまで降りてき始める。
全部天井から出たらどうなるんだろうって、目が離せない。
「あれがこの学校の霊なら何もできない、大丈夫だ」
渋谷さんはそう言いつつも、俺を背中に庇って後ろに押し付ける。
人の身体が傍にあるというだけで少しの安堵がよぎった。

パチッ……と、耳元で、奇妙な音を聞き取った。
既視感が蟠りのようにして胸に残る。
「……?」
「───ナウマクサンマンダ、バザラダンカン!」
耳をそっと澄ませていた俺の意識を劈くように、滝川さんが勢いよく部屋に入ってきて何かを唱えた。
不確かなものを一掃するような張りのある声。女はそれに怯むようにして、天井の中に引っ込んでいった。
俺は安堵よりも違和感を抱いたまま茫然としている。
「なんだいまの!?」
「とうとうここにも現れるようになったらしいな。これで今回原さんは頼りにならないとわかったわけだ」
渋谷さんの肩に寄り添ったまま二人の会話を聞く。
……なんだろう、さっきの既視感は。
「おうい、そこで固まってる麻衣ちゃんよ」
「もう大丈夫だ」
滝川さんが俺の顔を覗き込みに来て、渋谷さんは少し離れて俺に声をかける。
一応心配してくれているらしい。
「昨日……見た気がして」
「なに?あれを?」
「いや───鬼火、を」
「鬼火?さっきもそう口走っていたな」
俺ははて、ととぼけながら、渋谷さんと滝川さんに促されて話す。
「学校中に白い炎みたいなのがたくさん見えて───最初はそれが、楽譜になるんじゃないかって思ったんだけど」
手元のノートにある、ぐちゃぐちゃに入り混じった音階を見下ろす。
どう頑張っても曲にならなかったものだ。
「この数だけ見えたってことか?」
「もっといたかも」
「……それがどうして鬼火だと思った?」
わかんないから渋谷さんに聞いたんじゃないかよ。
決して知らない単語というわけではないけど、こういう場合に使うセンスはないはずだ。だから渋谷さんからの受け売りなんだけど。
「わかんないけど、さっきのあれは、渋谷さんのところに現れたもののような気がする」
なぜなら、あいつは俺のことなんてこれっぽっちも視界に入れなかったからだ。


翌日、学校には俺が一番に来ていた。
松崎さん曰く、除霊には気力がいるので疲れるんだって。だからみんな朝はゆっくりしてから来るんだろう。俺は昨日バンドの集まりと称して夜遊びしていたけど、逆に眠くないんだが。
皆がまだなら俺は気分転換にギターでも鳴らしちゃれ、と抱え込む。
その時、ゆっくりとドアが開き、小さな隙間のまま止まった。
歌いだした声がするりと廊下に漏れ出ていく気がしたけど、俺は歌うのを止めない。
「思い通りにならない日は、あした頑張ろう───どうぞ」
歌の合間に声をかけると、笠井さんが顔を出した。
「ずっと見てる夢は、私がもう一人いて」
口パクで、こんにちは……と言いながらドアを閉めて、中に入ってくる。
パイプ椅子にいそいそと座るその顔は、心なし楽しそうだ。
「人生は、紙飛行機。願い乗せて、飛んでいくよ」
にこりと笑いかけた時丁度サビに差し掛かる。
笠井さんはテーブルに肘をついて、聴き入るように目を瞑った。

さすがに一曲丸ごと披露すると時間がかかるので途中で切り上げると、笠井さんは小さく拍手をしてくれた。
それから控えめに、調査が進んでいるかどうかを気にして話だす。
自分の言葉が原因かもって思えば、不安にもなりそうだよなあ。
「笠井さんのせいじゃないよ」
「え……?」
「って、思ってたほうがいい気がする。勘だけどね」
「単純」
そういいながらも、笠井さんは笑った。
俺はそんな様子を、にこにこと見返す。
「な、なによ……あたしの顔なにかついてる?」
「笑ったな、って」
「や、やだ!……───あのね、恵先生がさ、手伝えることあったら言ってくれって」
「ん?」
「感動してたんだよ、渋谷さんが陰陽師だって話したら。あたしも手伝うし、何でも言ってよ」
「ほんと?ありがとー」
俺が歌ったりしゃべったりして思いのほか長居させてしまったかな。笠井さんが話したかったのはこれなんだろう……と、思っていたら渋谷さんが部屋にやってきた。
「じゃ、とりあえず仕事の邪魔しないように、あたし教室帰るね」
「またねー」
渋谷さんの後ろにはリンさんも居て、あの日のように二人とも愛想はないけど、今度は笠井さんはも逃げるようにして出ていくことはなかった。
あの時はそもそも、渋谷さんってば見るからに俺を睨みつけていたしなー。
「なんか目が赤い……寝不足?」
「───ああ、朝まであいつと睨み合ってた」
渋谷さんは羽織っていたコートをテーブルの上に少しぞんざいに投げ落とす。
うんざり、といった感じだ。
「……まさか、昨日の?」
「ああ、麻衣の勘はあたったな。夕べ僕の部屋に出た」
視線を逸らしたらまずいと思ったんで一晩中睨み合ったらしい。
俺は思わず、「根性あるぅ」と言いかけたけれど、リンさんが身を乗り出してくる。
「どうして私を呼ばなかったんです?」
「いや、何が起こるかなとちょっとした好奇心で……眠ってるのを起こすのも悪いじゃないか」
「壁を叩けば聞こえました。何かあったらどうするつもりだったんです?」
真砂子と綾子の失恋が決定したってことか……?
俺は意外な私生活を覗き見てしまったようで気まずくて、窓を開けて空気を入れ替える。
煙草を吸うみたいに、秋の冷たい空気を肺に沁み込ませて、循環した息を吐く。それは煙にも、白い息にもならない。そこまで寒くないしな。
「襲われたりはしてないの?」
「ああ、睨み合って終わりだ。……そんなことより笠井さんはなんの用で」
「用って言うより気になってるみたい。自分の所為だと思ってるんじゃないかな」
「へえ」
「渋谷さんのところに現れたのが霊なら、笠井さん霊は全然見えないっていってたのに、霊なんてけしかけられるわけ、ない……でしょ」
「……」
渋谷さんが俺の言葉にみるみる顔色を変えていく。え、まさか。
「できるかんじ?」
「───霊をけしかける……」
俺は両手をまとめて顎の下に持ってきて縮こまった。
「リン……」
「……その可能性はあります」
いつのまにか背後にはリンさんが立っていて、前には渋谷さんが神妙な顔で立ち上がるので、俺はその延長線に居たくなくて、そっと横に一歩ずれた。



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上司と同僚が同棲してるっぽくて、偏見はないけど気まずい気持ちになるのを、お空綺麗って乗り越える話。
Oct.2022

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