I am.


No, I'm not. 31

(渋谷視点)


ジョンからの連絡を受けた僕は電話を切ったその手で、通話履歴の一覧から二番目にいる麻衣の名前をタップした。
しかし一向に電話に出ない。まだ眠っているのか、それとも取り込み中かと諦めて、今度は滝川さんの名前を探してかけた。
間もなく電話に出た滝川さんは、僕の依頼内容を聞きすぐに了承した。
その後僕はリンに声をかけて機材と車の手配を頼む。
結局、麻衣から折り返しの電話がかかってこないまま事務所を出ることになった。

「……おたくのバイトちゃんは?」
目的地の教会で合流した滝川さんは、目ざとく麻衣の不在を指摘した。
「電話に出なかった」
「またかよー……」
「えろうすんまへんです、朝からお呼び立てしてしもて……」
以前もこういうことがあったな、と滝川さんの反応を見て思い出す。
雇う前から分かっていたことだから、事前に決めていた日以外の出勤を期待していない。
とはいえ電話にくらいは出て欲しいものだが。
「まだ寝てんのか?俺でさえ電話で起きたってのによー」
「さあ。折り返しがないとなるともしかしたら取り込み中かもしれないな」
「はー」
特に演奏中だと電話に気づかないということは、ここ半年ほどで理解した。
麻衣の生活は学校へ行くよりも、バイトをするよりも、音楽をすることの方に比重が傾いているのだ。



神父をしている東條さんから話を聞き終えた。教会の子供たちに頻繁に憑依する霊の正体───『ケンジくん』が行方不明になった三十年前当時に彼が身に着けていたホイッスルの落ちていた場所を見に来ていた時、僕のスマートフォンが鳴り出す。
着信と表示された名前をみて「麻衣か」と呟きながら電話に出ると、少しの喧騒をバックに麻衣の声が聞こえてきた。
『おつかれー電話なんだった?』
「……今日の予定は?」
『今日?急だなー。今用事終わって帰るとこ。そっちは?』
「ジョンの依頼で教会にきている、そのままこっちに来られないか」
教会の名前や住所を告げると、麻衣の考え込むような声が電話口から聞こえる。どうやって来ようか、もしくはサボろうかと考えているのだろう。
滝川さんやジョンは、興味深そうにこちらの様子をうかがっている。
リンは僕が視線をやったので身じろぎをした。
『タクシー使っていい?それかリンさん手が空いてたら迎えにきてよ』
タクシーで来るのが一番早いだろうが、現状滝川さんかリンのどちらかに迎えにいかせても問題はないだろう。

「それなら、」
「おとうさん!!」

突如、リンの腰に子供が飛びついてきた。
『なんかあった……?』
「……?」
僕は電話を持ったまま動きを止める。
滝川さんとジョン、そしてリンは 慌てふためいていた。
電話口の麻衣はこちらの異変を感じたようだが、当然状況が読めていない。
「タクシーで来てくれ、離れられそうにない」
『了解』
説明するのも面倒なので、麻衣には自力で来るよう指示して電話を切った。



「麻衣くるって?」
「ああ」
「昼飯食ってからくるーとか言わないよな」
滝川さんは麻衣の意欲のなさをよくわかっているが、僕の考えとしては少し違う。
「そもそも折り返しの電話をかける前に昼食を済ませてるだろう」
「賭けるか?」
「意味があるのか?」
「あはは……」
ジョンが僕たちの会話に苦笑していたが、それよりもリンが必死に僕たちに助けを求めている。
子供に急に飛びつかれたくらいで情けない。
いくら宥めても離れていこうとしないので、子供をそのままに建物の中へ戻ることにした。職員や東條さんを見ればそちらに行くだろうと思ってのことだ。
それに、昼食の準備ができたと呼ばれていたので僕たちも中に用があった。

リンから離れようとしないのは、褐色の肌に黒い髪、東南アジア系らしい顔立ちのタナットという名前の子供だった。
どうやら今朝からずっと隠れていたらしく、今もおそらくケンジくんに憑依されている。
お父さん、と呼び掛けた通り彼はリンを父親だと思っているようだ。
「この子は父親に似た人を見るとこうなってしまうんです。なんだか……あなたは特別似てらっしゃるような気もします。三十年も前のことなので記憶がはっきりしませんが」
東條さんはリンを見ていう。
「さっきお父さんって言ってたが、ケンジくんはしゃべれなかったんじゃないですかね」
「元からではありませんでしたから、なにかのはずみで声になることがあるようで」
「とはいえ、直接話を聞けそうにないか……」
「隠れ場所から出てきたので、じきにはなれると思います。……それまでよろしくお願いします」
東條さんの言う通り、僕たちはケンジくんならびにタナットの世話をリンに任せた。


しばらくカメラを回しながら見ていたが、ケンジくんはタナットから離れていく様子はない。録れたのはおかしなホームビデオだけで、このままでは埒があかないため、ジョンに落としてみないかと提案した。
ケンジくんはジョンが向き合ってもリンから離れてはいかず、事は楽に進んだように思えた。
タナットの力が抜けて、ケンジくんが離れたその時、部屋にラップ音が響いた。
妙だと思いながらもタナットを見れば、困惑気味だったが言葉を話し、リンにも興味を示さず部屋を出ていくのでケンジくんは離れたのだろう。
僕たちも東條さんに報告へ行こうと廊下へ出ると、ちょうど彼がこちらに歩いて来るところだった。後ろには麻衣の姿があるので案内してきたのだろう。
「タナット、食堂に行ってお昼を食べておいで」
「うん!」
「───ケンジくんは離れたようですね」
タナットの様子から憑依されてないことを判断した東條さんは安堵して笑い、後ろにいる麻衣を振り返る。
「後からいらっしゃるとお聞きしてた谷山さんが先程おつきになられて」
「やーっと来たか麻衣」
「麻衣さん、おおきにさんです」
滝川さんやジョンの歓迎を受け、東條さんの後ろから歩み出てきた麻衣は僕たちに近づき───やがてリンの目の前に来ると、手を伸ばして抱き着いた。
「たったっ、たっ、谷山さん……!?」
その様子は、つい先ほどケンジくんに憑依されていたタナットと似ていた。

「すんまへん!すんまへん!麻衣さんの中に入ってしもうたみたいです~!!」
「…………、」
ジョンは悲鳴に近い声をあげ、滝川さんは言葉を失った。
「ブラウンさん、どうにかしてください!」
「ハ、ハイ!!」
「いや、しばらく相手をしてるんだな、お父さん」
「え、」
部屋の中にリンと麻衣を戻して、滝川さんとジョン、東條さんに話を聞く。
麻衣はどうやらついさっき来たばかりで、東條さんがそろそろ終わる頃だろうとここへ案内してくるまでは、おかしな様子はなかったそうだ。
おそらくケンジくんが落とされ、タナットの身体に居られなくなり、一番近くにいて入りやすかったのが麻衣なのだろう。
ジョン曰く、いつもこうではないらしい。すぐに次の子供に憑依したり、ラップ音が鳴るのも初めてだった。
近頃その憑依が頻繁になり、隠れる時間が長くなっていた。落とす時も、いつもより抵抗を感じたということで、事態は変化していることが推測された。

「───、───」
ふと、部屋の中から声が聞こえた。
廊下にいた僕たちは同時に顔を見合わせる。その声はどこか不思議な音色だ。
リンでないのなら麻衣の声だろう。ケンジくんが話すことも、もしかしたらあるかもしれない。
「Near, far,───」
ドアを開けて通り抜けてきたのは、静かな歌声だ。
「wherever you are」
一瞬、部屋に入るのが躊躇われた。
視線の先には、座ったまま向かい合い、リンの手を握りながら歌う麻衣がいる。
「……麻衣さん、なんですやろか」
「どうだろうな」
歌うなら麻衣だが、ケンジくんに憑依されたままという可能性は高い気がした。
きっとなにかが麻衣の中で起きている。
僕たちは歌を聴くことしかできずにいた。
「───、谷山さん!」
やがて、リンが血相を変えて麻衣の肩を掴む。
僕たちが少し離れていたところで見守っていたのとは違い、リンには何か異変を感じたようだ。
歌声が途切れ、麻衣の身体はゆっくりとリンに向かって倒れ込んでいく。
「どうした」
「なぜか凍えるように震えて……体温が下がっています」
リンは受け止めた麻衣を抱き上げようと、腕を背中に回して仰向けにする。
近づくと、僕たちにも麻衣の顔色が見えた。
「おい、顔真っ青だ」
「震えてはります……」
唇まで色をなくし、歯をカタカタと噛み合わせて鳴らすほどに震えていた。
そっと頬に触れてみれば、驚くほどに冷たい。吐き出される息までもそうだった。
室内に居て、リンや僕たちは全く寒さを感じていないというのにこの震え方は異常だ。
「───んし、」
「なに?」
「天使のあしもと」
麻衣が、焦点の合わない目で僕を見た。
リンの膝の上で肩によりかかり、自分の凍える身体を抱きしめた。
労わるように、ぬくもりを探すように。
「……みつけたよ」
そして麻衣は微笑んで目を瞑る。
きっと、今の言葉は僕たちに言ったのではないのだろう。
次第に震えは収まり、体温は戻っていこうとしてる気配があったが、念のため身体を温め休めるよう、リンに別室へと運ばせた。

僕たちはリンに麻衣を任せたあと、麻衣の言葉を頼りに思いつく場所へ行った。
それは教会の外にある装飾の、天使の像だ。到底人が登れる高さではないが、当時はこの教会が建設途中で、外には足場が組まれていた。
───天使の足元には、小さな頭蓋骨が転がっていた。
時期は今と同じく十二月で、夜には雨が降ったと聞く。あの場所では、雨は避けられなかっただろう。

「麻衣は?」
「今は眠っています」
休ませた麻衣の確認に行くと、ちょうどリンが部屋から出てくるところだった。
憑依された時間は少ないが、憑き方が異常だったうえに違う気力の使い方をしただろうから、その疲労は計り知れない。
「ケンジくんの身体は発見された。麻衣の言った通りのところだ」
「…………、憑依されて同調したということですか?」
「おそらくは」
東條さんが警察と消防を呼んだので、外は少し騒がしい。
滝川さんやジョンもどこか落ち着かない様子で、僕の後をついてきていた。麻衣の様子が気になっているのもあるだろう。
「あん時、歌ってたのは麻衣だろ?ケンジくんは離れてたのかね」
「せやけど、ケンジくんもいてはったと思いますです。ただ、最後はきっと、昇っていかはったんやと」
麻衣に何があったのかはわからないが、ジョンの最後の言葉だけは皆同意した。


「は……」
夜になり、ベッドで目を覚ました麻衣は困惑して固まっていた。
ケンジくんの追悼ミサが行われる直前で、さすがにそろそろ麻衣に声をかけるかと思っていたところだった。
なんの配慮もなく顔を覗き込んだが、本人もそれを気にした風もなく、ただただ飛び込んでくる光景を無遠慮に見返す。
「夜……だな……?」
「麻衣さん、体調だいじょうぶですか?」
「お腹がへっている」
麻衣は身体をおこしながら、ジョンの心配に応じて軽口まで叩いた。
「何があったのか覚えてるか?」
「教会に来たとこまでしか……」
そういいながら、麻衣は自分の頭や身体に触る。
本人としても、意識が無くなりこの時間まで眠っていたことに困惑しているのだろう。
「どこもおかしいとこないんだけど、なんで?」
「来て早々霊にあてられて気絶したんだ」
「へーえ……で、調査は」
「終わった。麻衣の体調が回復したなら帰る」
「ご丁寧にどうも」
わざわざ憑依されていたことまで言う必要もないので簡単に説明すると、あっさり納得したようだった。調査が終わっていなければそれなりに説明は求めただろうが、もうやることがないと分かっていれば、特に気にすることもないらしい。
ベッドから下りて、靴を履いた麻衣はリンにコートを渡された拍子に視線を窓の方にやった。
「雪だ」
外では雪が降りだしていて、コートを羽織りながら近づいていく。
「……どうりでなんか、寒いと思った」
「ホワイトクリスマスだな」
明るく同意した滝川さんが麻衣と一緒になって外を眺める。
僕はその後姿と外の雪を少しだけ見ていた。



next.

憑依されるかされないかを迷ってあみだくじで決めました。
記憶はほとんどない。
今、主人公の心をしめてるもの:空腹>バイト代出るのか否か>寒い(一部ケンジくんの記憶の片鱗)
歌のチョイスはホイッスルからきてるんですが、作中では理由なんかなくインスピレーションで歌っているつもりです。歌詞とか映画のストーリーに、ケンジくんの感情や境遇の整合性があろうがなかろうが、なにか感じるものがあったのかなって。

Nov.2022

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