No, I'm not. 32
クリスマスのあとちょっと体調を崩したら、そこからうっかりインフルエンザにかかって寝込んだ。バイト先の上司に報告をいれようとしたら電源が入っていないらしく、仕方なく連絡先を交換して以降一度もしてない電話をリンさんにする。
安定の低いテンションだったんだが、俺が体調を崩したことをいうと、クリスマスの調査が原因かと聞かれて驚いた。てっきり「そうですか」の一言で終わると思ってたので、そんな風に話を広げられるとは思わなかったのだ。
来て早々ぶっ倒れたところを見てたなら、まあちょっとは心配されるのか。
とにかくしばらく休むことだけを伝えて電話を切って、ちょっとだけ優しさがシみるなあ、と感動したのはきっと熱の所為だ。
復帰後、リンさんにあの時は心配ありがとーと言いに行くと、一瞬びくっと震えられた。
普段仕事のこと以外で声をかけることはないし、挨拶をしてもほぼスルーだったんだけど、驚きとか避けるような動きとか、なんかちょっと怖がってるみたいな様子が見て取れる。
はて、しっかり休んだのでインフルエンザがうつることはないと思うんだが……と思いながらも残りの冬休み数日をバイトに費やしていたら、なんだかリンさんは俺が近づいたり笑いかけたりすると、身構えるようになったのだ。
お……おもしろい……!
こうして俺は、リンさんに近づいたり、目が合ったらニコッ!と笑いかけるようになった。
するとびくっと身体をこわばらせたり、おずおず距離をとるリンさんが見られる。
「おおっ……お、……ありがとー」
「いえ、」
そんな日を続けていたある昼下がり、事務所でお茶を運ぼうとして、出くわしたリンさんにぶつからないようにと身を引いたらお盆が揺らぎ、咄嗟に両肩を掴まれて支えられた。
もはやわざとじゃなく条件反射でニコーッと笑うと、まったく涼しい顔したリンさんが目前にいた。
「持ちますか?」
「だいじょうぶ」
俺の肩から手を離したリンさんがそっとお盆を取り上げようとしたので断る。
リンさんは皆───いつも来る霊能者───に配膳するほど暇ではなかろう。俺の仕事だし。
まあ渋谷さんはお客人ではないので茶など出さなくて良いと言いそうだが。
俺が平気そうなので、リンさんは今度こそいつもの素っ気ない様子で資料室に戻って行ってしまった。
その背中を一瞥して、皆の方へ行く。
どうやら俺がこぼしそうになったのに驚き、皆も硬直してこっちを見ていた。
「お前、いつのまにリンと仲良くなったんだ」
「は?」
ようやく落ち着いた皆がソファに身体を預けて座り、俺とお茶を交互に見た。
滝川さんの言葉はよくわからないが、俺とリンさんが仲良さそうに見えたのだとしたら、それは不思議な光景である。
「今のやり取りに仲良いとこあった?」
「うーん、なんとなく……リンも大概だが麻衣も今までそんなにあいつに絡まなかっただろ」
「それにリンは、ちょっとバランス崩した程度で心配するタマじゃないわよねえ」
「あーそれは……最近の……行いの所為?」
「なにかきっかけがありますの?」
「実は」
まずインフルエンザから復帰して以降、リンさんが俺にビクつくようになったことを話した。
全員がクッと笑いをこらえる。
「笑いかけるだけでも後ずさるんだぞ」
滝川さんがとくに想像してしまったのかブルブル震えていた。
「でも最近反応がつまらなくなっちゃって……」
みんなに今の見てただろ、と同意を求めると微妙な顔をされた。
「おまえ、リンの反応見て遊んでたのか」
「性悪ぅ~」
滝川さんと松崎さんは引き攣った笑みを浮かべる。
ジョンは苦笑、原さんは憐れむように資料室の方をみやった。
バイトを早めに上がらせてもらって、俺は望ちゃんと待ち合わせしているカフェに行く。
インフルエンザのこともあったので、会うのは結構久しぶりだ。
「あ、~」
「待った?」
「全然!」
椅子から立ち上がって手を振る望ちゃんに、座るように言いながら足早に近づいて、向かいの席に座る。
俺は荷物を籠に置きながら防寒具を外して椅子の背に掛ける。
「この度はおめでとうございます」
「ありがとう」
望ちゃんは俺のお祝いに微笑み、両手をお腹にやった。
そこには新たな命が宿っている。
「には急なことで……それに、インフルエンザで大変だったのにごめんね」
「そんなこと気にしなくていいよ」
「浩介とあたしがバンドを抜ける以上、Rainが今まで通りやるのは難しいことだってわかってたけどさ……こんなことになって本当に」
「謝らないで」
望ちゃんと浩ちゃんがいつのまにか付き合っていて、子供が出来て、結婚することになった。だから二人はバンドを抜ける選択をした。最近の俺たちは少しずつ利益を出せるようになってきていたけど、子供を産み育て生活していくことを考えたら浩ちゃんは仕事を探すという結論になったし、望ちゃんは音楽活動をするのが体調的に不安ということになった。
二人のその決断を責める気はない。
「翔くんと慧くんはもともと、兄弟とはいえ……いや、兄弟だからかな?反発し合うこと多かったじゃん」
「だよね……今回を取り合って拗らせるってことにならなくて本当によかったけどさ」
「あっはっはっは」
二人が抜けることになってRainを今後どうするかという問題で。慧くんはバンド名はこのままに新たなメンバーを探して続けることを望み、翔くんはこのメンバーを変える気はないといって反対した。
結果、無期限活動休止となり、慧くんはほかのバンドに加入したり単独で音楽やれる場所を探すことに。
「翔があたしたちの帰りを待つっていってくれたの、正直無理あるだろうって思ったけど、ちょっと嬉しかった」
「浩ちゃんは?」
「浩介もそう。もし許されるなら子供が大きくなったらまた集まって、皆で演奏したいなって言ってる」
それはきっと今までの熱量とは違うのかもしれないけど、俺はその光景を思い浮かべたら嬉しくなった。
「俺もそれでいいと思うよ」
「あんたは?寝込んでる間にあたしたちで話し合いしちゃって、ほとんど決まっちゃったけどはどうなの」
「俺は……まあ、どうとでもなるよ」
元々Rainは当時高校生だった皆のバンドに、小学生の俺がくっついてきただけ。俺の意見はもともとあってなかったようなもんだと思ってたけど。
「大学行きながら東京に通ってバンド活動始めたあの頃、本当は解散するかもって思ってたよ。本気で音楽やれるのか悩んだ」
「うん」
「でもとやる音楽を、ここで止めたくなかったのよあたしたち。あの頃のあんたをまだ、一人じゃ東京になんて行かせられないし……あたしたちでいろんなところ連れていこうって今までやってきた」
そんな風に守ってもらっていたことに少し驚いた。
メンバーのことはたしかに、俺を包む大切な家族みたいに思ってた。下手したら親の顔より見てたし。
チビのころから父親のギター背負って外フラフラしてたのを、翔くんが見つけて面倒みてくれて、家に帰りたくない時は望ちゃんの家で寝た。雨の日は学校に浩ちゃんがチャリで迎えに来てくれて、後ろで傘さしながら走ったっけ。楽譜の読み方もギターの弾き方も、ほとんど慧くんが教えてくれた。
「いつのまにかとなら夢見れるなって思ってたけど、この子の未来を見たくなっちゃった」
「うん、楽しみだね」
生まれてくる子供のことをたくさんたくさん考えたんだろう。
「Rainがなくなっても、ちゃんと、音楽やりなさいね」
───某日、RainのSNSアカウントから無期限活動休止のお知らせがファンに通達された。
突然だけれど、今度予定していたライブが最後になるということで、大混乱を招いた。
余談だが、ファンの呼称である濡れ鼠が泣き濡れたらしく、なにがどう転んだのか『泣き鼠』がトレンド入りを果たしたらしい。
next.
ギャルに怯えるリンさんが見たくて書いたエピソードなんだけど、主人公がギャルかどうかはちょっと自信なくなってきた。
Nov.2022