No, I'm not. 35
松崎さんとリンさんが機材を積んで戻ってくるよりも前に東京に帰り、練習に参加して夜中に家に帰ってきてシャワーを浴びて仮眠。朝寝坊したら渋谷さんに怒られるので頑張っておきた。
昨日は喉を酷使しすぎたようで、若干かすれてる。最後のライブは一曲俺もボーカルをすることになっていたので、身が入りすぎた。
歌は好きだけどRainのボーカルというつもりじゃなかったので、今までバンドではギターだけに徹してきた。けれどメンバーは皆俺の歌を好いてくれていて、だからこそ最後のライブでは俺の歌もやりたいと言ってくれたのだ。
「ぉあ、よー」
「お前声変わりした?」
「一人前の男になんなさい」
生徒が登校した後、緑陵高校に入り込み滝川さんと松崎さんに会うと声の低さを驚かれた。
「うたいすぎたー」
「バンドの練習か?ほどほどにしとけよ」
「何?あんたバンドやってんの?」
「言ってなかったっけ」
原さんとジョンはまだ来ていないようで、ベースには昨日の夜到着した二人しか増えてない。
松崎さんは俺が音楽やってることはなんとなくわかってたけど、バンドを組んで活動してることはよくわかってなかったみたい。せいぜい学校の軽音部くらいに思われてたのかも。
「こいつ頑なに自分のバンド活動教えてくれねーの」
「見に来られたら恥ずかしいー」
滝川さんには結局、俺がRainにいることは言ってない。音楽活動中に会うことがなかったので仕方ないかなと思ってる。バイトでもバンドでも連絡先は交換していないし。
「そういやお前もRainのライブ行ってたよな、活動休止の話聞いたか?」
「うん、残念だよねー」
「残念どころじゃねえよー」
滝川さんが俺と共に悲しみを分かち合おうとして寄りかかってくる。
やがて松崎さんは呆れて離れていき、代わりに安原さんが近くでにこにこ話を聞いていたので入ってきた。
「お二人は同じご趣味で?」
「そんな感じ」
「おい、俺は一応本業だっての」
滝川さんの本業、俺の音楽活動、Rainの話、最後のライブのチケットが取れなかった話などなどを、安原さんにぐだぐだと話して聞かせる。彼は話上手だけど、聞き上手でもあったようだ。
原さんやジョンがくるまでには少しあるので、俺は安原さんと二人連れだって、温度の計測やマイクのチェックに行く。ちなみに、昨日は俺が帰った後滝川さんと設置したらしい。
「あらまーバイトの仕事なのにすみませんねえ」
「いえいえ、僕でお役に立てるならなんでもしますよ」
「にしても滝川さん……すっかり渋谷さん使われてしまって」
「あはは、渋谷さんて人の上に立ち慣れてるオーラがありますよね」
俺はふむ、とその言葉を噛みしめて廊下を歩く。
オーラっていうかあれは顔の力と太々しい精神力から来るものだと思う。あとは結局、滝川さんがお人好しなんだよ。
「あ、ここです」
「うい~」
安原さんに案内されるがままで特に気にしていなかったので、暢気に返事をしながら後に続く。
普通の教室の引き戸ではなくて、独特のノブがついた分厚そうなドアは密封性が高い。上にかかっているパネルの『音楽室』という文字に納得する。
「ここの怪談なんだっけ、よくあるやつ?」
「よくあるやつですね。使われていないはずの音楽室のピアノが鳴る」
「防音性高そうなのになー」
それなりの機能がありそうだと思って、室内をぐるりと見回す。
「だからこそ、聞こえてくるのが妙なんですよね。窓も基本的には閉められていますし」
「なるほど」
深く考えもせず安原さんに相槌を打つ。
ピアノに手を置いて、あることに気づいて首を傾げた。安原さんは俺の様子を訝しみ、どうかしたのかと問いかけてくる。
「いや、埃被ってるなって……」
「ほとんど使われてないですからね」
「ほとんど」
安原さんの言葉を復唱すると、苦笑気味に肩を竦める。おおかたこの学校は、芸術科目を軽視してるんだろう。
「……勉強ばっかりしてたら身体悪くしそう」
頭はよくなるだろうが、とブツブツ呟き、ピアノの鍵盤カバーを捲る。このカバーのおかげで鍵盤には埃が溜まってない。
指を軽く乗せると鍵盤が押され、柔らかい音が鳴りだす。
音は狂っていないようでちょっと安心した。
安原さんは俺が好き勝手に動いていても、にこにこと見逃してくれる。
部屋の温度を測るように設置までしてくれるので、本当に助かっちゃうなあ。
楽器が目の前にあれば鳴らしてしまう性で、ピアノを弾きながら歌を口ずさむ。
こんな鬱屈した環境で過ごす人たちへ向けた、思い付きの選曲だった。
滝川さんが言ってたみたいに、個性や自由を排除した身だしなみ。縛り付けるような言動の大人たち、不調を頭ごなしに否定され、耐えることを強制される。
夢や希望を抱いても、くだらないと言って怒鳴りつけられた。
自尊心を叩き折ろうとしてくる、高圧的な態度と視線。
怒りや恐怖、情けなさや反骨精神など、いろんな感情がないまぜになる。
胸がばらばらになりそう───。
「あ、」
「え」
感情込めすぎたな、と我にかえる。いつのまにか安原さんが俺のピアノのそばで歌を聴いていたのに気づいたから。
俺があまりにも急に音楽を止めたので、安原さんは戸惑ったように身じろいだ。
「温度はかれた?」
「はい……もう、ピアノ良いんですか?」
作業終わったなら、この応援ソングは不要だろう。
「良いでーす」
いけしゃあしゃあと答える。
本来なら安原さんが良くないだろうに。まずピアノを弾くなと責めるところだと思う。
「残念です。谷山さんの歌聴きたかったなー」
「調査が解決したらねー」
「ぜひ」
軽口をたたき合いながら、俺はピアノの前の椅子から立ち上がり、カバーをかけ直す。
ふと、さっきまでピアノを弾いていた時の、自分の中に在った感情がするりと剥がれ落ちた。それがどこか、自分のものじゃないような気がしてくる。
歌ってこうやって感情移入するから面白いんだよな。
音楽室を出るときにピアノを振り返る。
そこには当然誰もいない。
「霊が見えない!?どーゆーことよ、真砂子ちゃん」
安原さんとベースに戻ると滝川さんの素っ頓狂な声が俺たちを出迎える。
どうやら原さんとジョンが来ているらしく、目があったジョンはにこにこ笑って頭を下げた。
「まったく見えないわけじゃありませんのよ。存在は感じますわ」
「あれー原さんに霊がいるとこ見てもらって除霊するんじゃなかったの?」
さっそく立ち行かなくなりそうな空気を感じて口を挟む。
「だから、いきなり大ピンチ」
「ま、まあまあ……今はたまたま不調なだけかもしれまへんし」
がっかりした滝川さんや、つんとそっぽを向いた原さんを取りなすように、ジョンが苦笑を浮かべた。
自己主張の激しい霊能者たちの中でも、ジョンだけは相手のことを最大限認めようとする姿勢をしている。まあ、単なるお人好しなのかもしれないが。
「……存在は感じるんですね?」
「ええ。霊がたくさんいることはわかりますわ。どこにいるかも。でも、どんな霊なのかよくわかりません」
渋谷さんと原さんの会話を聞き流しながら、集めてきたデータをまとめていく。
安原さんは俺の手伝いをしつつも、周囲の会話も聞いてるみたいだった。あげくに俺があくびをしてるのまで見つけて、眠いのかと問いかけてくるくらい視野が広い。
「ああ、まあちょっと」
万年寝不足だが、とはあえて言わない。
ここで不摂生な生活を吐露したって顰蹙を買うだけだ。
「麻衣、サボってねるなよ」
「はーい」
渋谷さんにはなんでかバレていて、釘を刺されてしまったけど。
next.
ずっとこの歌だろって思ってた。十五の君へ。
Nov.2022