No, I'm not. 37
十二日おきに火事が起こるという更衣室を、昨日松崎さんが除霊をした。原さんの指示のもと、一緒に向かったそうだ。それは俺が夢に見た通りの組み合わせだけれど、少し考えればそう指示されていただろうし当てずっぽうでもわかること。
ところがさらに、更衣室の霊が放送室に移動して大きくなったのを見たように、今度の火事は放送室で起こった。それも、被害は大きくなって。
安原さんは俺の夢の話を渋谷さんに伝えたらしく、消火活動を終えた四時三十二分……俺に電話をかけてきた。
ただでさえ遅くに寝たのに、そんな時間に起こすなんてひどいじゃないか。
「だからー……学校中に霊がふあふあしててー……食い合ってるんだってー」
『その霊はどのくら数がいた?』
自分が声を出せているのかもわからないけど、多分会話は成立していたはず。
「数えきらんないくらい」
『他に、邪悪なものはどこにいた?』
思い出そうとして、ほぼ目を開けてないのに深く目を閉じる。
そしてそのまま、くぴー……と眠った。
次に会った時、渋谷さんは不機嫌な顔して俺を出迎えた。
俺だってまけない……という気持ちで睨んでたんだけど、すぐに怖じ気付いて、安原さんの後ろに隠れた。渋谷さんは比較的、ジョンと安原さんのことを睨みつけたりはしないのだ。
「谷山さんの夢が説得力あるとわかって、一歩前進ですね!」
安原さんのありがたいフォローを受け、渋谷さんがため息を吐くのをやり過ごす。
「……、特に大きいものがいた場所は覚えてるか?」
「印刷室とーLL教室……あと保健室?」
渋谷さんが俺の言葉を聞きながら、ホワイトボードに貼られた図に、印をつけていく。
それを遠目に見ながら俺は昨日見た光景を思い出した。
「あの量が本当に霊だっていうなら、学校中で流行したヲリキリ様が本当に成功してるんだろなー」
「数えきれないほどいたんだったか」
「ぶわーっと」
頭の悪い例え方をした。
「うっわ……」
「ほとんどの生徒がやってるわけでしょ?そりゃあね」
「それに……一人一回に限るとは、おまへんし……」
滝川さんに続き松崎さん、そしてジョンが途方もない問題を前に頭を抱える。
「流行らしたそいつが戦犯だな。火であぶろう」
「そんなことしたって何にもならないわよ、おバカ」
たいへんねー。みんなこれがお仕事だもん。
授業中の校舎内をうろうろするとき、先生に出くわすと嫌な顔をされるんだけど、今日会ったのは今最もよく見る嫌な顔としてお馴染み、松山だった。
まず「おい」と呼び止められるところから始まる。名前呼ばれたいとも思ってないし、多分名乗ってもいない気がするけど、どうにかならないのか、おい。
「どうだ、除霊とやらはすんだか。今朝、また火事があったそうだな。除霊なんかできてないんじゃないのか?」
黙っていればどんどん畳みかけてくる。
こうやって人を頭ごなしに否定して、反論する余地も与えず、心を叩き折ったんだろうな。
大事にしていた本を叩き落され、捨てられる───そんな風景を思い出した。
「───幽霊だなんだと馬鹿な迷信に振り回されるやつがどうなるか、教えてやろうか!?」
少しでも関わったら気力が絡めとられるような気がして、無視しようと背を向ければ気を引くように投げかけてきた。
うちの学校にもいたんだ、とニヤニヤしながら見下す視線は気分が悪い。
自分のことじゃないのに、自分のことのように傷つけられる。
「『僕は犬ではない』……」
「!───なんだ、知ってるのか?ああならないように気を付けるんだな」
口からついて出たのは、俺のものじゃないような気がした。
それは『坂内』の言葉だ。九月に自殺してしまった一年生。
「あいつは利口な犬にすらなれなかったよ!」
苛烈な学生生活が走馬灯のように頭を駆け巡った。
俺が体験したことではないのに、見聞きしたかのように憶えている。
この悔しさと、悲しさと、渇望が胎の中をぐるぐると渦巻き、目の前の光景や声を出すことも忘れさせた。
「きゃあぁあ!!」
唐突に、ものがぶつかる音や悲鳴が廊下に響いて、驚きで身体が動く。
松山を放って騒ぎの方へかけていくと、すぐに人が集まってきた。
授業をしていた教室に、以前より大きな犬が現れて暴れていた。
人の頭よりも高くにある口は、机を噛み、いともたやすく歪ませる。血走り狂ったような目と、興奮から零れる涎やうめき声が気味の悪さを際立たせた。
教室は机や文具などが散乱し、生徒達は犬がいた場所から離れようと散り散りになっているが、下手に動けずに茫然としていた。
犬が投げつけた歪んだ机は、大きな音を立てて別の机や椅子にぶつかる。何人か怪我をした生徒がいたようで、項垂れたり、患部を押さえている子もいる。
「麻衣!」
いつのまにか来ていた滝川さんに引っ張られて、後ろに下がる。
自分がたいして動けないでいたことに、この時ようやく気付いた。
フーフー、と興奮した息をする犬は、ひとしきり暴れ、人々の恐怖を煽ったことに満足して笑ったように見える。
そして、スッと目の前で消えた。
「な、なんですの、今のまるで実体を持ったような……」
渋谷さんと来ていた原さんは初めて見た犬の様子に動揺している。
一方で渋谷さんは、俺についてきていた松山に救急車を呼ぶよう指示を出す。
「でっかくなってない?」
「ああ、間違いなく」
「───強くなってるんじゃないか……?」
バタバタと走り去った松山を見送り、俺たちは前回との相違点を共有する。
すると原さんが小さな悲鳴を上げてしゃがみこんでしまい、反射的に駆け寄ろうとした俺も、同じように崩れ落ちる。眩暈か、と思っていたのも束の間、暗闇がおりてきた。
次第に目が慣れるようにして、白い光みたいなものが見え始める。それはいつかみた霊だろう。
その中にひと際大きく、邪悪なものがある。
周囲に揺蕩う霊を手あたり次第掴んでは取り込んでいるのをみると、さもありなんというわけだ。
「あ、……」
ひとつぶの霊が捕らえられ、人の形をつくった。叫ぶみたいな口、手に力を込めて抜け出すみたいにもがく動きがわかる。たぶん、男の子だ。
認識したらそれは、新聞で見た少年の顔になる。でもすぐに呑まれて消えた。
───「たすけて」
悲痛な声が、俺の耳に届いた気がした。
「おい!大丈夫か!?」
「え」
頭の中で、奇妙な虫が甲高い鳴き声を上げる苦痛に耳を塞いでいると、低くしっかりとした肉声がはいってくる。
俺は原さんと、昼間の廊下の真ん中で二人そろってへたり込んでいた。
現実に帰ってきた安堵と戸惑いで、覗き込んでくる面々をしばらく呆然と見返した。
「どうしたんだ、急に二人してうずくまるからびっくりしたぞ」
原さんはまだ、顔を覆ったまま俯いていた。
「いま……」
「……ええ、坂内さんが───消えました……」
俺が声をかけると、ゆっくりと顔を上げた原さんは大きな黒い目からはらはらと涙を流していて、同意するように頷いた。
きっと同じものを見たと思った。
「坂内くんはどうなるんだろ」
「もう二度と元には戻れません」
「元って?」
原さんは憔悴しきった顔をしていたけど、隣を歩きながら誰にでもなく問いかける俺の声に反応した。
「人間として生きていた霊というのかしら……」
「ふうん」
「霊は変化する。周囲の環境に影響されてな。───それで、自分を保てなくなるってことがあるんだが」
俺と原さんの話を聞いていた、前を歩く滝川さんがちらっと振り返る。
「今回の場合は『喰われた』っていう認識のが近いんじゃないか?どうよ、真砂子ちゃん」
こくりと頷く原さんの頭が揺れたのが分かった。
俺たちは皆、それきり口をきかずにベースへ戻った。
next.
坂内くんとは無意識にちょっとだけ同調している。
Nov.2022