No, I'm not. 38
夜の校舎内を歩く。常夜灯などないので廊下は真っ暗闇で、懐中電灯で周囲を照らした。「う~……こわ……」
東京に帰らなかったのは、たまたま今日の練習がなしになったから。事態が変わって深刻になってきたし、俺のなけなしの良心がいたんで渋谷さんの「残れないか」のお願いをきいた。
すると、霊能者たちが各々の勘で校舎内を行く中、俺は一人で生物室のカメラチェックへと行かされた。
正直、誰かについてきてもらえばよかったな、と今更後悔している。
「あー……うー、」
闇雲に声を出して、怖い気持ちを誤魔化した。
気を紛らわすために無理やり、適当な歌を口ずさみ、ようやくたどり着いた生物室。
懐中電灯を上に向けて、ドアやその上のパネルを見比べる。中に入れば、入り口のすぐそばにカメラが設置されていた。
「あったあったー。これを、えーと、一旦止めて……あとあとー」
一人だから、あえて声を大にしてひとりごちる。
カメラの機能だのバッテリーだのをいじって、録画を再開。ほんのそれだけの為だけに来たんだけど、これが大事な仕事でもあり、俺程度でも出来る唯一のことでもある。
つくづく、こういう時のためのバイトだなって思った。
「ただいまー……あれ?」
やることが終わったのでいくらか気楽に歌いながら帰ってきたら、ベースには誰も居ない。
なんだー、と歌い残したワンフレーズだけ口ずさんで、しんと静まり返ったベースをぐるりと見渡す。
基本的にはリンさんが居たりするんだけど、渋谷さんのお供に連れ出されちゃったかな。
今更、東京に帰ってもなーと思ったので、皆がベースに戻ってくるまで書類整理とか、連絡が来た時のために待機でいいだろう。
パイプ椅子に座って肘をつき、ふう、と一息ついてると俺の意識はとろりと溶けはじめた。
───ああ、これは……。
睡魔ではないものに身体を委ね、目を瞑りながら何かを見ようとした。
瞼の裏側の夜に月だけが佇む。
「出たな、夢太郎」
「え……?」
月の正体、渋谷さんの顔がきょとん、とした。
「だんだん気のせいじゃなくなってきたし、夢に出てくるようになったからさ」
「ああ……」
戸惑いつつも納得したかのような返事。そのあと小さく笑って、「渋谷さん、じゃないんだ」と聞いてくる。
「だって渋谷さんではないだろー」
「じゃあ、誰?」
「俺!」
「ふふ」
笑ったら可愛い。この場合渋谷さんが可愛いのか、俺が可愛いのか。
それにしても、渋谷さんに会う前にこの顔だったのは、俺のESP能力的なものなんだろか。
とはいえ何で渋谷さんの顔?と思ったけど、俺は気を取り直して夢太郎に向き合う。
「で、何が危ないって?」
「危ない……?」
「おまえ大概、警告か歌聴きに来るかでしょ」
「……うん」
夢太郎が小さく頷いたとき、真っ暗だった景色はまた、すうっと白い線が走り始め、校舎を描く。いつの間にか外にいて、全体を透かして見ていた。
以前見たときは夥しく浮遊する霊がいたのに、今やすっかり数も減り、代わりに大きく禍々しい影が校舎にいくつか眠っている。目を凝らすとそれは───。
「幼虫みたい……」
「ああ……じき、孵化する」
気持ち悪さから、べえっと舌を出す。
「そうしたらもうだれにも手出しできない───あれは今、全部で四つ。保健室と、印刷室、それからLL教室に───」
説明を聞きながら、教室の場所を覚える。
これを渋谷さんに言わないといけないんだろうってことはよくわかる。
ふと、廊下を歩く安原さんとジョンが、大きな塊のそばを通ろうとしているのが見えた。
ほかにも渋谷さんたちの姿があちこち校舎内を歩いているけど、彼らはさほど、危険な場所には行っていない。
「あれ、危ないんじゃない……?」
「うん……印刷室の中に入らないといいんだけど」
ジョン達がいるのは印刷室のある廊下で、進行方向の通りに行くと、印刷室の前を通り過ぎるか、中に入って行くことになる。
元々印刷室の霊が大きいと伝えてあるから、調べに行くはずだ。
「起きて連絡とればいいかな……あ、連絡先知らないな……走る……?」
俺は焦燥感に親指の爪を噛む。そもそも、どうやって起きるんだろ。
「待って、麻衣は行かない方がいい」
「だって!」
腕を掴まれ、身体に戻ろうと足早に校舎に入って行こうとする俺は阻まれた。
「あれは麻衣の退魔法も通用しない───……なに?」
俺は違和感と、焦燥感と、いろんな感情が駆け巡って驚いていた。
そんな俺の様子がおかしいと思ったのか、顔を覗き込まれる。
「俺のこと、なんで麻衣って呼ぶの……?」
「え……っ?」
絞り出した言葉は、あまりにも自分勝手で。
でも、だってもう、渋谷さんのフリする必要もないのに。
「お前は麻衣って呼ぶな」
「ま、……───」
愕然として、麻衣と呼ぼうとして、口を噤むその顔が、傷ついているように見えた。
目を覚ましたら、さっきまでと同じようにベースの会議室で机に突っ伏して寝ていたみたいだった。
夢の中のことなのにはっきりと記憶していて、自分が直前に吐き出した言葉も覚えている。
ただ、そんなことよりも行かなければならない場所があるのだと思い出して、廊下に飛び出して走り出した。
「待ってー!!!」
印刷室のドアに手をかけようとしているジョンの影を見て、遠くから叫んだ。
「ジョン!!待って!!」
狼狽え、動きを止めたジョンに安堵しながら、なんとか駆け寄り飛びついた。急には止まれないっていうのと、早くこの場所から離れたかったのだ。
ジョンとその奥にいた安原さんもぶつかるようにして掴んで移動させる。
「え、あ……ま、麻衣さん?」
「どうしたんです?血相変えて……、」
二人は俺の尋常じゃない様子から、大人しく印刷室から離れてくれた。
「はー……よかったー」
「何かあったんですか?」
「え?ああ……印刷室はデカイのがいるんだ……二人が行こうとしてると思って」
「ボクたちがここに居てること、わかってはったんですか?」
「あの、見えた……っていうか……そうだ、本当にここにいたの、か……」
モソモソと説明すると、二人は呆然としてた。
俺だって今更ながら驚いてる。
必死だったから疑問を抱いていなかった。もしあれがただの夢で、誰もいなかったのなら、その時はそれで良いと思えたんだろうし。
「ここと、二階の渡り廊下と、保健室、LL教室に、やばそうなのがいた」
「え……」
どちらかが、いやたぶん、どちらも同じように口ごもる。
夢で見たなんて言いたかないけど、この夢に関しては当たってるような気がして、二人をもう一度見る。
───ズシン!!
その時、遠くで何か大きなものが崩れ落ちるような音がした。
「!?」
「なに、」
「向こうの方から聞こえました……!」
三人とも思わず駆け出し、音の原因を捜しに行った。
すると、校舎中に響いていたようで、渋谷さんや松崎さんも反対側から廊下を走ってくる。
「今の音……!」
「何があった?」
音がしたのは、保健室だった。
俺は特に危険だと思っていたから、ドアの前で開けるか否かを考えていた。ジョンは俺を窺うように見て、それからおずおずと手を伸ばすので、一度掴んで止めてしまった。
「入らしまへん、ちょこっと、様子は見てみいひんことには」
「うぅ……」
「二人は下がっといておくれやす」
俺の不安を何とか宥めて、安原さんと俺を後ろに下げる。
その間にも松崎さんや渋谷さんが近づいてくるし、もっと向こうから滝川さんまでやってきた。
ジョンがゆっくりドアを開けると、そこには床下が抜け落ちた保健室が広がってた。
大体人間一人分くらい沈んでいて、ベッドや机、棚なんかがその衝撃でずれたり倒れたりしている。
「なんだこれは」
「床が落ちたの……?」
ジョンを先頭に俺と安原さんがおずおず覗き込んで言葉を失ってるうちに、渋谷さんと松崎さんも辿り着いて惨状を目にする。
次第にミシ、ミシ……ミシ……と、何かが軋むような音が聞こえ始めた。
俺たちは自然と言葉を失い、音の行方を辿り、誰かにつられるようにして天井を見た。
松崎さんと渋谷さんが俺と安原さんを引っ張って下がらせ、俺がジョンのシャツの背中を握ってたのでつられて全員が距離をとる。
パキン……!と、ひと際大きな音がした後、天井が一斉に床下まで落下した。
その風圧と砂埃、僅かに飛んでくる破片に、ぎゅっと目を瞑って堪える。
「───孵化した……んだ」
俺はそう理解して、心底恐怖を感じた。
だってもう、誰も手出しができない。
next.
夢太郎はいなだ先生のMiiから頂きました。
そういえば多分初めて書いたGH夢で、ジーンのこと「太郎」って呼んでるなって思って親近感を抱きました。へけ。
Nov.2022