I am.


No, I'm not. 41

(滝川視点)

緑陵高校での調査が一件落着して、二時間かけて東京まで帰ることになる為、ぐっと身体を伸ばして気合を入れる。
いつのまにかえらく仲良くなってた麻衣と安原少年が挨拶をしてるのを眺めていたが、東京に着くのが遅くなると言う理由で、麻衣の服の襟に指をかけて軽く引っ張る。
「ほら、さっさと車乗れ」
「え、いいよー」
「ん?もしかいてあっちの車乗るのか?勇気あるやつ」
「どっちもいいってば。自力できたもん」
ヘンなとこ遠慮する奴だな。
単独行動の目立つ奴だし、今回も一人だけ『通い』を選択したフットワークの軽さから見ると、さほど驚きはない。とはいえ、帰りくらいこっちの厚意に甘えりゃいいのに。
「なんで。電車とバスの乗り継ぎじゃ大変だろ、良いから乗ってけって」
「ううん、バイクあるから」
「バイク……?誰が乗るんだ……?」
頓珍漢な問いかけをすると、麻衣は俺を呆れた顔で見た。
間をおいて、こいつバイク乗れるのか、とようやく頭で理解する。
「え、谷山さん、バイクで来てたんだ……うちの教職員に見つからなかった?」
「そこは上手いことやったよ。こっちも学校にバレたくないしねー」
高校に免許証を預かられてしまう、とかなんとか安原と話をしている麻衣。
十六歳になれば二輪の免許はとれるし、バイトしてるあたり好きに使える金銭もあるわけだからバイクだって買える。常識の範囲内である。……しかし、それはそうとして、高校生なんてもっと不器用に、けれどのうのうと生きるだろう。
この年頃の少女の生き方などたかが知れてる、と無意識に思って詮索していなかった自分に気づかされた。

「滝川さんさ」
「あー?」
手始めにバイクの話に花を咲かせたいところだったが、綾子にどやされそうなんで、気を付けて帰れといって別れようと思った矢先、麻衣がごそごそ自分の身体をまさぐりながら話しかけてくる。
「これあげる」
人差し指と中指の二本でチケットみたいなものを挟んで差し出してきた。
まさにそれは、『チケット』で───。
「Rainの……最後のライブチケットじゃねえか……!」
素早く両手で捕まえかけて、大事に指先でつまむ。変な力が入って爪の先が色を失った。
戦慄く俺を見た麻衣が横で、楽しそうにカラカラと笑っている。
チケットと麻衣の顔を交互に見ながら、どうしてこんな貴重なものを持っているのか、あげるってことは俺が使っていいのか、自分の分はあるのか、なんてことを考えて言葉が出てこない。
「楽しんで!」
すっかり帰る気になっていた麻衣はいつのまにか俺を置いて遠ざかっていて、手を振っていた。
残された俺は茫然と麻衣を見送り、それから結局綾子にどやされて車に駆け戻る。
この後の運転は、サンバイザーに慌てて挟んだチケットが気がかりで落ち着かなかったのは秘密だ。


事情を聞きたいし、礼もしたかったんだが、麻衣はそれ以降バイトを休むようになった。
雇主曰く本業が忙しいとのことで、おおかた進級が危ういんだろう。多分馬鹿だもん。
春休みにでもなればバイトに精を出すかと思ったが、それよりも前の三月某日にRainの最後のライブが開催された。
ハコの前には会場入りするファンと、チケットが買えなかったファンとで、普通以上の客が押し寄せていた。
元々都内で活動するバンドの中では有名だったが、近頃の勢いは目に瞠るものでもあった。
下手にメジャーでやるよか、儲けも出るし順風満帆なんだろうと思ってた矢先に一部メンバーの諸事情により活動休止。
ファンは急なことに心が追い付いて行かない。
俺だってライブに行けたのも、たまたま打ち上げに混ざれた交流も一度きりで、もっとRainの音楽を生で聴きたかった。
最後のライブのチケットは普段以上に売れ行きすさまじく、あっという間に完売し、スマホを握りしめて泣いた奴がいっぱいいたはずだ。

麻衣は、会場にいるのだろうか。
二枚買ったが同行者が来られなくなってしまって、一枚を俺に融通してくれたのかもしれない。
とはいえ、もしそうだったら一緒に行こうって誘ってくれたらいいのに、距離感がわかんない奴だな。
笠井さんとかタカにもチケットを譲ってたくらいだし、相当運がいいとか、コネクションがあるとか、……もしかしてメンバーの身内か彼女か、なんて考えながら会場を見渡す。
ライブ前の期待が膨らむこの雰囲気は、心なし張りつめていて、いつか爆発してしまいそうだ。
暗闇のステージにはすでに機材が置かれていて、たまにスタッフかなんかが通りすがるだけで、ファンが悲鳴を上げかける。
俺自身も落ち着かず、麻衣を探すどころではない。……会えたらきっかり礼言って、感想を言い合えたらそれで良いだろう。
今はとにかく、Rainの最後のライブに来られたこの幸運と、興奮に身を任せたい。

───複数名の人影が、暗闇に乗じてステージに立つ。
さっきまではすぐに萎んでいた悲鳴は、今度こそあちこちで長引き始める。
人影はそれぞれ、キーボードの前に立ち、ドラムセット中に入り込んで座り、ギターとベースをぶら下げた形でフロントに立つ。
一向にスポットライトの当たらないまま、キーボードが一音、ドラムのスティックが四回、リズミカルに音を立てた。
照明器具が故障してるのか、と皆が戸惑ったその時、一瞬にしてステージ上が光に包まれた。
挨拶などの前振りもなく一曲目が唐突に始まる───その、演出だった。
大きな歓声と、Rainの代表曲のイントロの整合性は最高で、高揚感に胸が躍る。
「え、あれ?」
「うそ」
「まさか……」
今にも歌が始まろうとしているその時、周囲にどよめきが走る。
若干、立ち位置が違うのだ。
バンドのフロントマンはボーカル兼ギターの慧で、両サイドにギター担当の、ベースの翔が居る立ち位置のはずだったが、今日センターのマイクの前にいたのはだ。
時々コーラスしたり、声援に答えたり、まったく無口というわけではないのは配信されてるライブ動画やMVでもわかるが、メインで『歌う』ところなど見たことがなかった。

観客の戸惑いをよそに、はゆっくり口を開いて、歌いだした。
その声を聞いた途端に会場の雰囲気が一瞬静まり返った。
ぞくりと身体が粟立ち、心臓が飛び跳ねた。
声が魅力的だとか、歌が巧いとか、旋律が良いとか、上げだしたらきりがなく、感情が怒涛に押し寄せてくる。
音程の切り替えはわざと掠れさせたりして遊んで、低い音は甘く艶やかに、高い音は無垢に歌い上げ、耳から入ったその声に、まるで脳が揺さぶられるかのような刺激。
知ってる歌なのに、知ってるはずの声なのに、本気で歌われるとこんなにも破壊力があった───。

間奏中、ふは、と笑ったが、キャップを外した。
打ち上げに混ぜてもらった時すら、よく見えなかったその顔は、いまや、ライトを浴びて、汗を光らせ、さらけ出される。
「麻、衣───?」
くしゃりと前髪をかき上げて、悪戯っぽい顔でニヒルに笑うは、俺の知ってる麻衣の顔をしていた。
ファンたちも、普段顔を隠しがちなが、なんの影もなくライトを浴びてる姿に沸きあがる。
俺は目が合った気がして一瞬固まって、そんな俺を見て笑みを濃くしたみたいに見えたのは気のせいではないかもしれない。
……どうりで、俺にチケットを融通できるはずだ。



Rainの最後のライブはもう最高で、色々言いたいことはあるんだがもとい麻衣には感謝と、ついでに文句もちょっとだけ言いたい。
打ち上げで一緒になったあの日に教えておいてくれてたらよかったんだ。
知ったからって俺からライブのチケット譲ってくれなんて情けない願いは言わないし、の素顔だって吹聴するつもりもないのに。
ライブ後も俺からコンタクトをとるのは難しく、出待ちは禁止だし連絡先は知らないし、共通の知人もほとんどいない。打ち上げに混ざったのだって奇跡だったし、ライブをもって活動休止となったRainを呼び出すなんてことはできない。個人的に誰かしらと仲が良ければ別だろうが。
仕方なくバイトで会える機会を狙ってSPRに通ってみるも、不愛想な所長と不愛想な調査員がいて、アイスコーヒーも出てこない。そのうえ、ほかの協力してる霊能者の方が会う確率が高いんだからおかしな事態だ。

「ところで麻衣は?出勤しなさすぎてとうとうクビにでもした?」
「学校が始まりますよって、お忙しいんとちゃいますか?」
「最近全くお見掛けしませんわね」
「え、そうなんですか?」
とうとう麻衣と会えぬままに学生の言う春休みは終わり、新学期に突入した。
いつもの霊能者と、ついでに安原までもが呼び出されて調査に行くことになった今回、事務所に呼び出されたメンツにすら麻衣の姿がない。
綾子がクビになったかと軽口をたたくのも無理はないだろう。実際俺も、今日呼び出されて会った森まどか嬢を見て、一瞬麻衣の後任かと思ったくらいだ。
実際のところ、あの所長をも言いくるめてしまえる師匠らしいわけだが。
「噂の谷山さん、会うの楽しみにしてたんだけど」
「……麻衣は今日来るはずなんだが」
お嬢さんが残念そうにして、ボウヤがスマホを確認するように眺めるのでさすがに辞めたわけではないらしい。
バンドが活動休止になったとはいえ、麻衣自身はきっと音楽を続けているだろうから、逆に忙しくなったというのも頷けるが、こんなに顔をださないことがあるだろうか。

───カラン。
その時オフィスのドアが開き、同時にベルが鳴り、全員の視線がそっちに集まる。
「あ、麻衣、やっと来───」
綾子は途中で言葉を止める。

入ってきたのは、詰襟の男子用制服を着た麻衣だった。
前髪や襟足を伸ばして顔の輪郭や首筋が隠れていた茶髪は、幾分か短くカットされて黒髪になっている。露わになった耳にはいくつかシンプルだったりゴツいデザインのピアスがついていて、そのアンバランスな感じが逆に煽情的に見えた。
「ぃ~っす。聞いて今回は遅延だからー!」
短縮しすぎた挨拶に、笑顔と愛嬌をたっぷり乗せて、怒涛の言い訳が始まった。
背負ったギターや手に引っ掛けた学生鞄もそのままに、自分の上司のもとに駆け寄って、「はいこれ遅延証明書!」などと手に小さな紙を握りこませる。
「線路人立ち入りだって、フザけんなよなー。あ、安原さんいるじゃん、なんで?」
「谷山さんお久しぶりです。今回は渋谷さんに呼ばれまして」
「ウケる。あ、初めましての人までいる。依頼人の方?バイトの谷山でーす」
「初めまして、森まどかといいます。あなたが噂の谷山さんだったのね!名前からてっきり女の子だと思ってたわ」
「噂ってなに!あははは、紛らわしい名前ですよねー」
「あれ、もしかして谷山さん、声変わりしました?」
「ウン!した!!」

本人のその口ぶりからして、麻衣は男であった。

この一年何度も顔を合わせてきた俺たちだけを置き去りにして、目の前でその事実が明らかになった。

まさか、こんな暴露のしかたってあるのかよ。



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遅延証明書を誇らしげに出すバイト。
Dec.2022

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