No, I'm not. 42
ライブの後から声変わりが始まったので、バンドと共に俺の音楽活動もほとんど休止した。作詞や作曲、演奏の練習自体はしてたけど歌うのは控えて、ちょうどいいから春休みはバイクでいろんなところへ遊びに行くためにバイトはしばらく休んで、心の充電期間とした。
新学期が始まる頃には声も落ち着いてたし、バイト先に顔を出しに行こうと思ってたんだけどなかなかいくタイミングが作れず、ある日とうとう渋谷さんから留守録で出勤をねじ込まれた。曲作りに集中していて電話に出なかったのは悪いと思ってる。気づいたのが深夜だったから折り返しで電話しないで、メッセージで行くことは返事した。
そんなわけで俺は渋谷さんとも会話をせずに久しぶりの出勤をすることになり、いの一番に自分が男であることを明かすのだろうと思っていた───のに、ちょっと遅刻してしまった俺は自分の身の上よりもまず、遅刻の理由を言い訳した。
その後、ついつい目についた安原さんと知らない人に挨拶をかまし、へらへら笑ってみんなのことを置いてけぼりにしたのだった。
───そう、この日は渋谷さんがわざわざ呼び出しただけあって、よく会う霊能者のみんなが揃っていた。
「……黙っていた理由は?」
「あー、いうタイミングがわからず」
上司の冷たい目線に、ちょっと肩を竦める。
「あの、皆さん谷山さんが男性だと思ってなかった、ってことですか?」
「少年……コイツついこないだまで、女子の制服着てたんだぞ……」
安原さんが小さく手を挙げたので、滝川さんがじとりと俺を一瞥した。
初対面から私服だった前者、制服だった後者では、俺の性別に対する認識が大きく変わってくる。
どんなに女の子らしくなくたって、学校で女子の制服姿を着た女の名前の俺に出会えばそう思わざるを得ないだろう。
「ていうかあんた、学校では驚かれなかったわけ?」
「べつに、隠してなかったから。逆に今まで結構目立ってたんだけど、もうそんなに」
名簿も体育もトイレも、身体測定とかだって全部男と一緒になってやってたので、俺が男であることは周知の事実である。それが女子の名前で、女子の制服を着て、サボりがちで、ギター掻き鳴らしてる変な人だったというわけ。
「……どうりで」
渋谷さんは短く噛みしめ、ふうと息を吐いた。
多分それ以上コメントはなく、クビにはならないみたい。よかったー。
「ついでに改名の手続きも終わりまして、これ新しい名前ね」
バンドでもの名前で活動していたこともあって、俺は麻衣という名前を変えた。
さすがにこの出で立ちで『麻衣』は違和感が大きいだろう。
声変わりしてバイトを休んでいる期間に申請してた名前の変更に許可が出たので、戸籍や住民票に免許証、健康保険とか銀行口座とかも書き換えて、学校にも申請したのでもちろんこのバイト先にも名前の変更を申し出た。
変更に必要そうな書類をテーブルに置いて渡すと、皆もひょいっと覗き込んでくる。
「───になったのか、やっぱし」
滝川さんは一足先に知っていたようなもので、苦笑した。
松崎さんやジョンがどうして、と首を傾げているので、彼はここぞとばかりに俺が以前散々話題にしたことのあるバンドのメンバーであったこと、ライブのチケットをあげたこと、ステージでドッキリを仕掛けられたことをさめざめと語った。なんだよ不満か?
「でもライブ、ヨかっただろ?」
「~~よかったよ!!」
なら良し。
五日後から向かった依頼人宅───というか、持ち家の大きな洋館で、堂々と「谷山です」とフルネームを名乗った。
本来の依頼人は元首相のナニガシ先生だが、ここに複数やってくる霊能者をもてなすほどお暇ではないので、代理人として大橋という男性が俺たちを出迎えた。
年頃は五十代くらいの人で、物腰は柔らかく丁寧。
渋谷さんは偽名『鳴海一夫』。リンさんは『林興徐』と名乗り、香港出身の人だということが判明した。いやこれが偽名じゃないとも限らないけど。
「───ん?」
妙な臭いをかぎ取り、反射的に後ろや隣を見る。
一瞬すごく不愉快なものを吸ったような、嫌な気分がした。でも意識して息を吸ってみて、においのもとを辿ろうにもわからない。
おまけに背筋ざわついて、もう一度思わず背後を見てしまった。
でも開け放たれた大きなドアがあるだけで、何も変なことはない。
原さん以外の一緒に来たメンバーが大橋さんに案内されて中に進んでいくので、俺は慌てて一歩踏み出した。
すっと身体が軽くなって、元通りの感覚になればもうすっかり、さっきの違和感は払拭された。
「……これで謎が一つ解けたな」
「なにが?」
「いやーずっとリンって呼び方はどこから来てるのかなーと思っててさ」
追いつくと滝川さんと松崎さんが後ろの方でぽそぽそ話していたので、混ざって話を聞く。
確かにリンとしか呼び方を知らなかったけど、言われてみれば苗字なのか名前なのかも定かでないまま使ってた。
「名前だったらちょっと怖いなーとか……なんとか、リン……ちゃんみたいな」
「ばっ、ちょっとやめてよ」
「マイチャンよりマシだろ」
俺と松崎さんは小さく笑いながら渋谷さんたちの後を少し遅れて歩いた。
広い客室に案内されると、別で依頼を受けていた原さんがすでにいた。
ほかにも、渋谷さん曰く『マスコミにもてはやされる胡散臭い連中』である霊能者の姿がちらほら。
テレビに出ている原さんはオッケーなところを見ると、渋谷さんは何を基準にしてるんだろう。
イギリス紳士風の年配の男性が、かのナントカ博士だって紹介されてざわめいてるのを後目に、俺は小さくあくびをかみ殺す。
長野までの移動で眠ったけど、それが逆に俺の意識をはっきりとさせない。
───ああ、そういえば、こういう調査の時だからまた夢太郎に会えるかも。
とはいえさすがに今、とぼけた思考に陥るわけにはいかずに出されたお茶を飲むことで眠気を払うことにした。
「……まさか本家SPRがお出ましとはねえ」
俺は暇だったので松崎さんのつぶやきを拾って聞いてみることにした。
「なんていってた?すごいひと?」
「英国心霊調査協会───通称SPRってところがあるの。そこの研究者でPKとESPを両方持ってる有名人」
「オリヴァー・デイヴィス博士でおます」
「あーなんか聞いたことあるかも……ん、SPR?うちと同じじゃん」
松崎さんとジョンにヒソヒソと教えてもらいながら、なんとか記憶の引き出しを開ける。
たしか何かのついでに名前が出てきた人な気がする。
「名前似てて怒られたりしないかな……?」
「馬鹿、偶然でしょ」
「でもほら、うちのオフィスってドアにSPRって堂々と書いてるからさー……SPRだと思って入ってくる人がいたりして」
「そしたらあんたんとこの上司が追い出すわよ」
「たしかに……なら大丈夫か」
大橋さんの説明が終わるなり、デイヴィス博士を連れてきた南心霊調査協会の所長である南さんとやらがどんと胸を叩き他にも著名な霊能者とつながりがあるのだと豪語している。
それを白い目で見ているほかの霊能者がいて、嫉妬なのか胡散臭いと思ってるのかはよくわからないが、和気あいあいとはならないであろうことは理解した。
うちの学校に来た時の滝川さんと松崎さんも、大概自分以外を信じない感じしてたし、業界的にも大変なんだろう。
顔合わせ後は皆それぞれの部屋に案内された。
寝室には新品のマットレスとその上に布団を置いたような、間に合わせのベッドが人数分。リネン類は清潔だけど、部屋自体はどこか古い。
奥にもう一つドアがあって、開けてみると六畳くらいのバスルームが広がっている。一面タイル張りで、隙間はえらく黒ずんでいて年季がうかがえた。
「谷山さーん、ベッドどちらがいいとかあります?」
洗面所に顔を突っ込んでいちいち荒れてるところを取り上げていた俺は、安原さんの柔らかい声に気が緩む。
「え~選んでいいの?じゃあ俺こっち」
部屋に顔を戻すと、荷物を手にベッドもどき二つの前に立つ安原さんがいて、俺は特に理由もなく近くのベッドを取り、ギターケースと鞄を無遠慮に乗せる。
ぼよん、とわずかに跳ね返ってきたギターだけど、やがて大人しくなった。
「ギター持ってきたんですね」
「ああうん、うるさくはしないからー」
「夜中でなければ平気ですよ。それに僕、実は前回の調査で滝川さんたちと話をした後、Rainの音楽聴いてみたくていくつかダウンロードしたんです」
「え、うれしー」
「まさか谷山さんが演奏してるとは思わなかったけど」
「アハハ」
今回は泊まり込みということで、もちろんギターを持ってきた俺はいよいよ誰にも咎められることはなくなった。なんだか、俺がインスピレーションが働くのが没頭している時か、寝ている時という条件が定まって来たおかげでもある。
「荷物おいたら出ましょうか。皆さん待ってるかもですし」
「あいよー」
一息つく暇もなく、安原さんに促されて部屋を後にした。
この後は一旦ベースに戻って、怒涛の荷物運びが始まる。
next.
渋谷氏の「どうりで」には麻衣のことをクラスメイトに聞いたときに、すごく目立つ生徒だと感じたから。
単に見た目が派手だったり、素行の話ではないと腑に落ちた。
Dec.2022