I am.


No, I'm not. 44

俺はどうやら部屋に戻った後すぐ眠ったらしく、夢を見ていた。
暗闇に浮かぶ夢太郎の顔は相変わらず渋谷さんだった。
「……俺であるはずがないよな、お前が」
「え……、ああ」
夢太郎は戸惑いながら、俺の言葉を少しずつ理解していく。
「この前、酷いこと言ってごめん。本当は名前呼んでほしくないなんて思ってない」
「酷いことなんて。……名前、呼んでいいの?」
「うん。麻衣でも、でも、どっちでも良い」
「今は……だろう?」
「そうだけどさ」
暗闇にたった二人だけで向き合って笑った。
夢の中とは言え奇妙な空間だな、と視線を一瞬だけ外す。そしておもむろに座り込んで、床というものを探してみる。
「なあ、お前の名前は?」
「夢太郎、じゃないの?」
「それも気に入ってるけどさ、名前あるんだろ。───仲直りしてくれんなら教えてよ」
夢太郎は俺の隣に並んで腰かけた。
ここが河川敷で、夕焼けだったら、青春の一ページだったのに。
「その言い方、ずるい」
ちょっと拗ねた顔した。可愛いかもしんない。
渋谷さんがいつだったか、ばつが悪そうに秘密を持ち掛けてきた顔にも似てる。
「怒った?」
「怒るわけない」
ふるふる、と首を振ったのち、夢太郎は口ごもりながら名前らしきものを呟いた。
「ユージン……?」
二度は言ってくれない気がして、慎重に聞き取って、大切に口にした。
小さく頷く顔を見て、宝物を手に入れたみたいな喜びを味わう。
どういう字を書くのかとか、それによって細かなイントネーションとかがわかるようになるんだけど、俺はその音だけで良いと思った。

勘でしかないけど、名前を明かしながら姿を変えない当たり、その顔は自前ということだろう。
「それで、ユージンは渋谷さんの身内?先祖?守護霊?」
「そんなものかな」
「……。なんで俺んとこくんの?」
矢継ぎ早に聞いたせいではぐらかす隙を作ってしまった。
深く追求するには時間が足りず、踏み込む気力も今のとこなかった。
なぜならこの逢瀬は大抵短いし、俺の知りたいことはたくさんあるし、向こうにも伝えたいことがあるだろうから。
にチャンネルが合わせやすいから」
「チャンネル……」
言いたいことは何となくわかる。
「それに、歌も聴きたいしね」
「そればっかりだな」
「───ここは、危険だよ」
「うん」
笑ってたのも束の間、ユージンは声を潜めた。
暗闇に線が入ると、いつもみたいに透けた景色を俯瞰から眺める。
白い光がそこかしこに浮いてるのは経験的に人魂なのかな、と思う。とすると、ここには霊がいるのだろうし、数も結構な量だと感じた。
でもそれよりも、建物の中心部が黒い靄で覆われていて、何があるのだかわからないっていうのが印象的。
「家の中心に行くほど危険ってこと?」
「ああ───僕にもまだ何があるのかわからない……充分気を付けて」
「ん、わかった。あのさ、前言ってた退魔法って、俺に教えられる?」
はもうできるよ」
「へ、どういうこと」
別れ際が近づいてきたんだとわかって、慌てて言葉を紡ぐ。
このまま教えを乞うことはできないと思ってたけど、想定外の答えに慌てて聞き返した。
「───歌うこと」
「歌!?」
「そうしたら、たいていのものは寄ってこない」
なんだそれ、と聞き返すも暗闇が戻ってきて、とうとうユージンの姿ものまれた。

───ピチャンッ

と、不思議な水音が耳についた。
気が付けば俺はベッドから起き上がっていて、周囲を見れば安原さんが隣のベッドで寝てた。
カーテンのかかっていない窓から月明かりがぼんやり差し込んでいるので、部屋の物の輪郭はわかった。
今なお、水滴の落ちる音が一定するので、俺は蛇口をしめるべく洗面台のある浴室へつながるドアに手をかけた。
ドアを開くと、音はひと際大きくなったように思う。
タイルの壁につけられた鏡の奥から寝ぼけた俺が歩いてきて、近くに来て俯いた。銀色の蛇口から雫が落ちてるような気配はなくて、ハンドルを捻ってみるがすでにきっちり締まっていたのでこれ以上動かなかった。
ピチャン……ピチャン……。
今もなお、音がする。
それがカーテンの向こうのシャワーや浴槽からだと気が付いた。

足取りが重くなる気がしたけど、ここまで来て引き返したら水音を気にしながら寝ることになる気がしてシャワーカーテンに手をかける。
途端、むわり、と異臭がしたのに俺の手はもうカーテンを開けていた。
どす黒い液体がたっぷり貯められた浴槽がある。そしてそこには、何か人みたいなのが仰向けになって浮いていた。

ぶわりと汗が噴き出すような感覚。
そしてビクッと身体が震えた時───俺はベッドの中で横たわって朝を迎えていた。
「わ、落下する夢でも見ました?」
大きく体が震えて目を開けたのを、起こそうとしていたらしい安原さんが目にして驚き、すぐに笑いに変えた。
「谷山さん、昨日ギター抱きしめながら寝てしまったので……そこに置いときました」
「えっ!ギター弾いてる途中寝たってこと?」
俺は昨日部屋に戻って先にシャワーを浴びさせてもらった後、ギターを抱えて弾いたり、歌を口ずさんだりしながら安原さんが次にシャワーへ行くのを見送ったということを思い出す。
きっと安原さんが戻ってきたときにはあられもない格好で寝こけていたんだろう。
「途中で電池切れちゃったんですねえ」
「幼児かー……」
頭をくちゃっとかき混ぜながら、自分の行動を省みた。
「あんがとね」
「いえいえ。良い夢は見られましたか?」
「どうだったかなあー」
起き抜けの回らない頭のまま、安原さんの質問もそこそこに顔を洗いに行こうとして浴室のドアの前に立ち止まる。
安原さん自身、雑談程度の認識だったのか俺の返答なんて気にしていないだろう。
「どうしました?」
「……や、なんでもない」
一瞬何か怖いなと思ったけど、こんな朝っぱらから何が怖いというんだろうと不思議に思ってドアを開けた。
シャンプーとかボディーソープの残り香がふわっと漂ってきて、昨日使用したという事実を感じさせる。
浴室自体は妙に穢い印象があって、あまり快適ではないけど。
すっかり乾いたタイルを踏みしめて鏡の前に立つと、なんかすこし、疲れた顔がそこに映った。


───しかし、本当に疲れるのはこれからだった。
渋谷さんに言われて男四人、一階から部屋の計測を開始した。昨日滝川さんたちが先行してやってくれているけど、続きをやっているうちにミスが発覚。その後気を付けるようにして、二回ずつ測るようにして丁寧に進めてきた。
ところがある部屋に入った途端に、また合わない事態が発生し、俺は記入表と部屋を交互に見て顔をしかめる。
「何回目だよ、行こうぜジョン、測り直しだ」
「ハイ」
「……おかしいよね、こんなに何度も測り間違えたりするかな」
滝川さんがジョンを連れて外のサイズを測りに行き、残された安原さんは首を傾げた。
俺も同意しようとして、くあーとあくびして笑われる。
「……外のサイズ、それで合ってるぜ」
戻ってきた滝川さんとジョンは、きょとんとした顔だ。
「えーでもこの部屋どう見ても正方形だよな。実際測った結果もほぼ正方形……」
「けど、外のサイズもおうてます。ちゃんとに二度測りましたし……」
「壁の厚さが三メートルってことになる?」
「でなきゃずっと前の方で間違えて、そのままずれてきてるんだ」
「……こういう可能性もあるんじゃないですか?───隠し部屋」
ぐだぐだ言い合いながらたどり着いた可能性に、滝川さんと二人でにゃーっ!と頭を抱えた。

仕方ないので、とにかく測り進めてみよう、との一言で四人でちまちま測量を勧めた結果、測れば測るほどズレが生じた。
窓のない部屋の中、懐中電灯をほっぽりだして四人で座り込む。
今いるのはおそらく家の中央部分で、安原さんは気を紛らわすためか、それとも何か考えがあるのか、間取りについて変だなと話し出す。
「内側に行くほど妙な部屋が増えてるんですよ。ほらこの前の部屋なんか、窓を開けたら壁になってたでしょ?人が住むための機能を果たしてないものが多くなってるんです」
「はー……そうかも。しっかし先代さんてのはほんとにここに住む気がなかったんだなあ……みろよ、この部屋に至っちゃ窓もねえ」
安原さんと滝川さんの話をぼんやり聞き流しながら、ほこりっぽく、ちょっとカビくさい部屋の空気を最低限だけ取り入れた。
昨日見た夢で、この家の中心部分はほとんど闇に覆われていて見えなかった。
ここは危険で、何があるかわからない───そう思ったらどうにも気が滅入る。
「あーああ、早いとこ出よ」
閉塞感を払拭するように息を吐き、声をあげる。
滝川さんが、だなー、と同意してちょっと勢いをつけて立ち上がったので、皆もつられて動き出した。



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短い夢太郎期間でした。
ユージンに、自分から名前を言わせたかった。
Dec.2022

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