I am.


No, I'm not. 46

降霊会から戻ってきた面々の中に、五十嵐さんとさっきペンを持っていた若い女性がいた。鈴木さんというらしく、五十嵐さんの助手だ。
さっきの壁を叩く音とか、ペンで書かれた文字とか、マジックが黒だったにもかかわらず一枚だけ赤いインクで書かれた文字だとかを精査するために、記録された映像を見ることにしたらしい。
そして見返すこと数分、渋谷さんが異変に気付く。
鈴木さんが荒々しく書き続ける横で、一枚空白の紙が床に投げ出される様子がスローで再生された。そして、床に舞い落ちる直前に赤く『死ニタクナイ』の文字が浮かび上がったのだ。
「───っ、」
息をのむ音がして、視界の端に揺れる頭がある。
原さんが顔を覆って前のめりになった。
近くにいた松崎さんが咄嗟に抱きかかえるようにして身体を支えて、俺も傍に居たので顔を覗き込む。
「ごめんなさい、部屋に戻ってもよろしいかしら……気分が悪くて」
「───松崎さん、一緒について行ってください」
「オッケー」
もしや同じような臭いがしたかな、と聞いてみたいところだが俺以上に敏感であろう原さんを今ここで引き留めるのはよろしくない。
松崎さんと共に去っていく二人の姿をおやすみーと言いながら見送り、またパソコンに集まるみんなのところに戻った。
「降霊会の部屋に暗視カメラと集音マイクをセットし直そう。───今日の調査はそれで終了ということでいいですか、所長?」
「あ、はい」
五十嵐さんと鈴木さんがいたから、渋谷さんは指示を仰ぐように見せかけてその場を仕切る。
やがて女性二人も、俺たちがバタバタしはじめたのでベースを出ていった。


「そういやおネムちゃんは大丈夫なのかよ、起きてて」
「あーもー大丈夫ー。っていっても、早く寝たいけどさ」
「つーか少年の話じゃ、昨日はシャワー戻ったらギター抱えて眠ってて、朝までぐっすりだったろ」
「ちょっとー勝手に俺の寝相の話しないでー」
「芸術的だったのでつい」
カメラを設置しながら、ダラダラとしゃべっている。
「にしても、原さんは大丈夫かね」
「せやですね、来た時からお辛そうにしてましたし」
「まあ、霊媒なんで色々見えんだろ、血の臭いするとか言ってたしな」
「あ───やっぱりそうなんだ」
「やっぱりって?」
一緒にマイクを立てて設置しているジョンが心配そうな顔をして、カメラを設置してる滝川さんと安原さんがひょいっとこっちを見た。
「血の臭い、俺もしたー」
倒れないように弄り、高さを変えて固定する。
スイッチって押してたっけ、押してなかったっけ。
「は?いつ!?」
滝川さんがびっくりして声をあげる。さっき確信したので、リンさんに言ったように報告すると、もっと早く言ってくれと言われた。
それは難しい話だな。俺の五つと一つの六感を、四六時中報告しなきゃならなくなっちゃう。それは現実のことかもしれないし、調査のことかもしれないけど、音楽のことでもあるだろう。
「あれ、霊の臭いってやつなのかな。緑陵でも異臭したじゃん?」
「───なるほど、あながち間違いでもなさそうな」
「おかげで夢見も悪くて、寝たのに寝不足だし」
「夢……ああ今朝の?」
「ん?」
またしてもダラダラと話ながら、コードを壁に沿わせる。
「ほら、ビクって身体動いて起きたじゃないですか。あの後どんな夢を見たのか聞いたらはぐらかされたので」
「はぐらかしたわけじゃなくて、起きたとき夢の内容覚えてないんだってー」
「今は思い出してはるんですか?」
「ンあー……、音声と映像、位置どー?」
手を動かしながらだったので、話が途中だったのについ、インカムのスイッチを入れてリンさんと渋谷さんに通信を入れる。
アングルとか接続とかを確認しないと、部屋を出られないのだ。
『問題ない───だから話はベースに戻ってからにしろ』
「ハ?……あ、聞いてたのかー」
やばーと大口開けて笑いながら皆を見たら、それぞれがキビキビと片づけを始めた。

俺はベースに戻るなり、自分が見た夢の話をするという中々に苦行を強いられる。
もう記憶も曖昧だけど、血みどろバスルームに人が浮いてたインパクトだけは消えてない。
「とんでもねえ夢だな」
滝川さんの感想に、俺は深く頷く。
「ラップ音がしている最中に臭いが強くなったんだな?」
「そう。それで、あーこんな夢見たかもって思い出して」
渋谷さんは俺の話を聞いて暫く静かに考え込む。
「その話を聞いてからだと、シャワー浴びるの怖くなりますね」
「ドア開けたままする?」
「いいですね」
その隙につい、安原さんと軽口をたたき合う。
「なんだったらシャワー中歌っとくわ」
「あはは、じゃあ僕が入ってるときもお願いします」
「まかせろー。いや、安原さんも歌ったほうがよくない?声が止んだら助けにいく」
「心強いですー」
滝川さんとジョンが苦笑していたけれど、俺たちの会話は特に意味も根拠もないものなので、聞き流していただきたい。その場を和まし、時間を潰すだけのものだ。
───もし今後、臭いが強くなったと気がついたら必ず言うこと」
「あ、はい」
「妙な夢を見たら報告」
「うん」
渋谷さんが口を開いたと思えば神経質にちまちまと指示をしてくるので、赤べこみたいにウンウン頷きその日は解散となった。


「安原さん先にシャワー浴びてきなよ」
「え、谷山さんおねむですよね?」
「今は逆に目が冴えてて平気」
皆俺のこと赤ちゃんにしたいのか?
肩をすくめてひらひら手を振ると、安原さんはお言葉に甘えてと先にシャワーを浴びに行った。
昨晩みたいに、今夜こそ歌いながら眠るという醜態を晒さないよう、ベッドではなくて窓のそばの椅子に座ってギターを抱えた。
少しだけ窓を開けると、春とはいえ冷たい夜風が首をくすぐる。

───金属の弦が硬い音を立てた。
ぴん、と跳ねるような衝撃で空気を裂いて、意識を切り替えた。
俺に出来る退魔法が『歌うこと』なら、どうか、今晩は誰にも邪魔をされずにゆっくり眠れますように。


音楽に没頭するように気をやるんじゃなくて、心を音楽で満たすことを意識した。
歌のチョイスや歌詞が合ってるかなんかもどうでもよくて、メロディーとか声や音の響きとか、そういうのを楽しむ。
不思議と自分の輪郭が強くなって、気持ちが強く前面に押し出されて行く。
前向きになれるとかそういうんじゃない、なんていうんだろう、生きてるなと実感するんだと思う。

ギターや自分の声だけでなく、シャワーの音もドライヤーの音も、外から吹く風の音もちゃんと認識していた。そしてとうとうドアが開く音が聞こえる。
次は俺の番だと思って歌を止めると、安原さんが心なしほかほかした顔で、微笑んでいた。
「あ、止めちゃった、残念」
「フフッ」
ちょっと行儀悪く椅子の上に片膝立ててた足も下ろして、照れ隠しに笑う。
歌を聴かれたことを恥じらうタマじゃあないけど。
「安原さんってシャワー早いね」
「そうかな」
雑談を交えながら、ギターのストラップを肩から外して立ち上がる。
ベッドの横に立ててたケースに仕舞ってから、自分の鞄からタオルとか着替えを引っ張り出した。
「俺も早いとこ、シャワー済ませて寝るかー」
「ごゆっくりどうぞ」
「先寝てていいかんね」
「うん」
にこっと笑った安原さんだけど、きっと律義に俺がシャワーから出てくるのを待っていそうな気がする。
どちらにせよ大した時間はかけないだろうけど、人が入った後の蒸気がこもる浴室は、夢とはかけはなれていて少しもこわくなかった。



next.

主人公は夢の情報を大事なことだと認識していない節がある。
先にシャワー浴びてこいよ(イケボ)をナチュラルにかます。
Dec.2022

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