I am.


No, I'm not. 53

家の周囲を散策すると、この場所を良い場所でも悪い場所でもないと表現する原さんの反応と、神社をえらく良い場所だと褒める松崎さんの反応が印象的だった。
滝川さんやジョンはそういうことを言わないので、個人の感覚の問題だろう。
俺自身は、この地に足を踏み入れた時のあの空気感を、どうにも言葉に出せないでいる。
気のせいと思えば気のせいだし、松崎さんのように手放しで喜べるみたいな快適さはなく、かといって原さんほど奇妙に感じなかった。

「きゃあ!……も~っ」
崖を降りて洞窟に向かう途中で、松崎さんが凹凸のある地面に足をとられて転びかける。近くに居た俺に掴まり、うんざりした声を出す。
滝川さんは松崎さんの動き回るにはふさわしくない格好を見て自業自得だと窘めたが、火に油を注いだだけでしおらしくなんてなりゃしない。
「……つかまってれば?」
「そうしとく」
よたよた歩き出そうとする松崎さんが俺の肩から手を離したので、腕を掴んで引き留める。
松崎さんは少し考えた後、諦めたように俺と腕を組んだ。
原さんも和服と草履なので滝川さんやジョンに一言心配されていたが、気を付けて歩くといってエスコートを断ったみたい。
洞窟の中に入ると当然、陽の光が遮られるようになり暗くなる。
風も通り抜けていくわけではないから匂いも違うし、音の反響の仕方も変わった。
この家に来た時の緊張感と似ている気がして畏まる。
そんな俺の気配が腕を通して松崎さんに伝わっていたのか、不思議そうにしてこっちを見てきた。
「雰囲気あるー」
「そうね」
誤魔化すように笑うと、松崎さんは俺から興味を失い視線を外した。
海の方から風が吹いてくるのは当然として、俺は何かもっと質量のあるものに背中を撫でられているようだった。
例えるなら泡が俺に当たってパチパチと弾けていくような。
けれど実際に何かが弾ける音がするでもない。

ゆっくりと息を吸って吐く。誰にも気取られないように、震えないように、溺れないように。
───死が打ち寄せてくる。この海で死んだ数多の生命だ。
原因はそれぞれ、感情もそれぞれ、境遇も種族も寿命も問わない。
原さんの言う『浮遊霊』みたいなものなんだろう。
一つ一つを細かく理解するわけではないけど、そこにある強い感情や感覚の片鱗が少しだけ俺に伝わる。
その魂たちはただ自我もなく俺を通り過ぎていくだけで、俺に傷をつけていくことはなかった。とはいえ頭が疲れて、身体がむず痒い。
「う、」
「なに?」
「んでもない……」
うっとーしいと言ったら、死んだ命にたいしてあんまりか。そう思って口を噤む。
あとは松崎さんにも誤解を与えかねないし。
「……ここには霊が流れ込んできています」
ふいに、原さんが囁くような声で言葉にした。
ぼんやりと上を向いてる横顔に問いかける。
「普通こんなことあるの?」
「理由はわかりませんが、ここはそういう場所なのかも」
「あーパワースポット的な?」
「───関係があるかわかりませんが、ここは、よく死体が流れ着くんです」
彰文さんが俺たちの会話にひっかかったのか、沈痛な面持ちで口を開いた。
潮の流れから、大きな動物だと特にこの洞窟に辿り着くらしい。
ペットの犬が死んだと聞いてたけど、その子たちもここで見つかったそうだ。
「だから祠があるんですよね……」
「若旦那、中に入ってるこりゃなんだ?」
「ああ、流木です。そうだと思います」
店を継ぐわけではないのについたあだ名を呼ばれ、彰文さんは疑問に答えていく。
祠の中には変な形をした木があって、それを「おこぶさま」と呼んでいるそうだ。
さっき海の先に突き出た二つの岩を雄瘤と雌瘤と呼んでいたけど、それとはまた別ものなんだとか。ややこしいな……。


洞窟にカメラを置くことになって、俺と滝川さんとジョンで作業していた。原さんとリンさんはベースに待機していて、松崎さんは上でコードを降ろす役。
今回の調査は最初から一緒に居なかったから、余計にこの作業が恨めしい。
「もう俺はお役御免のハズだったのに……」
ざざーんという波音がタイムリーに響き、俺の哀愁をたっぷり演出する。
「つーか、なんで調査員じゃなくなったんだ?」
「そうやったんですか?」
滝川さんとジョンは俺の肩書き変更に首を傾げる。
アルバイトになった当初は事務員と雑用みたいな肩書だったけれど、前の調査から半人前だが調査員に昇格した。
それをやっぱり事務員に戻してくれと頼んだのは俺だった。
滝川さんが知ったのは今回俺が調査に同行していなかったことで渋谷さんから聞いたんだろう。だけど何故そうなったかというのを、きっと渋谷さんは言わない。
「あー俺、プロダクション入ったんだよね」
使わなかったコードを丸めている滝川さんと、持ち帰る道具を持ち上げたジョンが、はたりと動きを止める。そして数秒後に「ええ!?」と身を乗り出してくるのだから相当驚いたらしい。
「そんな驚くこと?」
「いや驚いたっつーか、もっと早く言えよ」
「兼業っちゅうことですか?」
「そー。別にデビューが決まったわけでもないし、まだまだ収入安定しないんでこのバイトは続けるよ」
俺がプロダクションに入ったのは二か月くらい前だけど、それから何度かこの人たちには顔を合わせている。
ペラペラしゃべるほどのことでもないので、もっとちゃんとした仕事を受けられるようになったら言えばいいかなと思ってた。
「まじかよー……SNSにも書いてなかったよな」
「あー。……とにかくそういうわけで、不定期な調査までついていくのはさすがになって」
口ぶりからすると滝川さんは俺のアカウントを見ているっぽい。
今度SNSのアカウント情報に所属を書いていいのか聞いてみよ……。
「たしかにその方が良いな。大事な時だし、そっち優先しろよ。今回は呼んじまったけど」
「今日は平気やったんですか?」
滝川さんとジョンは喜んでくれてるが、それと同時に心配もしてくれるらしい。
平気かと聞かれると平気ではないから、一度渋谷さんの電話を断ってるわけなんだけど。
「んー、死なれたら寝ざめ悪いし」
二人とも何ともいえない顔で、ぎこちなく笑う。
俺は一度口を閉ざしてからもう一度開いた。
「母親が死んだときさー……、会いに行かなかったんだ」
え、と固まった二人にかいつまんで事情を話すことにした。
俺の母親は中学の時に交通事故で死んでしまった。
当時は携帯電話なんて持っていなくて、挙句の果てにはバンド仲間とか友達の家に好き放題出かけていて家にいつかなかった。おまけに学校もよくサボっていた。
だから母親が事故に遭ったとき、命が危うい時、息を引き取った時───何も知らずに遊び歩いていた。
「久々に学校行って、担任に会った途端もーガチ切れ。死んじゃってから一週間くらい経ってのたかな」
ちゃぷ、ちゃぷ、と揺れる波音が足元でする。
妙に静かな時間がわずかにあった。
「……それは……」
「仕方ないことかもね、人って突然死ぬことあるし」
滝川さんが慰めか何かを言おうと口ごもるのを明るく遮った。
そもそも、今だって電話にでなかったり、家や学校に居ないでフラフラしているので、行動をあらためてもいない。
ただ俺に残されたのは、母親が死んでるのに一週間のうのうと過ごしていたという事実。
それを後悔と呼ぶのかどうか、まだわからない。

「ちょっとそのこと、思い出した」
滝川さんはジョンは俺がへらへら笑っても、つられたりなんかしなかった。



next.

わざとじゃない。たられば考えてもきりがない。でもずっとおぼえている。
今回の主人公はグレてた()から……。
Mar.2023

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