I am.


No, I'm not. 55

リンさんに九字を教わった時、人にやってはいけないことを聞いていた。
それでも俺は人の背中に向けて指をさす。

「臨、」
どうしてこんなことに───そう、思いながらも口は止まらない。

「兵、闘、者、」
昨日次男の靖高さんが両手首を自傷して救急車で運ばれていった。
何とか一命をとりとめたけど、滝川さん曰く霊に憑依されていたようだ。
つまり、この家には渋谷さんに憑く霊以外がいるということになる。
「皆、陣、烈」
松崎さんが家族と俺たちの分の護符を作ってくれたので、それを配ってまわっていた。
始めに渡したお嫁さんには断られ、次に目についた子供、克己くんと和歌子ちゃんもえらく嫌がって逃げるから、おかしいなと思って追いかけた。
「前、」
話しているうちに、克己くんの様子が豹変した。
和歌子ちゃんはなんとか捕まえて、通りすがった松崎さんと家の人に預けたが、克己くんは崖から飛び降りると言って俺たちを脅す。
説得で何とかしようにも聞く耳持たず、彼は弾けるように飛び出して海のある方へと駆けて行った。
だから、だから……。
「行───!」
言い終えた途端、自分が宙に描いた格子模様が光った。
それが一瞬にして遠ざかり、柵を開けて更に先へ駆け出そうとした克己くんの背中に撃ち込まれるように見えた。
「ぎゃあぁあ!!」
衝撃を受けたように叫んで転び、同時に和歌子ちゃんも声を上げた。
克己くんの背中から黒い煙みたいなのが上がったと思ったら、それはたちまち、どこかへ飛び去っていく。
「うわああぁあん!!」
「あぁぁん!!いたいよお!!」
何いまの??と思っていたら前後で一斉に子供が泣き出した。
「ど、どうしたの?痛い?」
「克己くん!」
和歌子ちゃんは松崎さんに任せ、俺は倒れている克己くんを抱き起こしに行った。

背中が痛いと泣くので、Tシャツを捲り上げれば、九字の形が火ぶくれみたいになっていた。
「なにかしら、この模様……?」
お、俺だーっ!!!俺の九字だーっ!
家の人……たしか、光可さんと呼ばれた彰文さんの上のお姉さんが困惑して、二人の背中を見ていた。とりあえず軟膏を塗って手当をしてくれるが、俺と松崎さんは一瞬黙り、それから素直に謝った。
「ごめんなさいっ!!!」
「それは先ほど彼が切った、九字護身というものの影響で……。咄嗟に除霊しようとしたのだと思います」
「ああ……そう、だったの」
「本来なら人に向ける物ではありませんし、効果があるかもわからないものです。本当に申し訳ございません」
「申し訳ございませんっ!」
松崎さんが説明しながら謝ってくれるのでそれに続く。
俺はわけがわからないものを、もしかして、でぶつけました……。
言い訳がましくなっては謝罪の意味がないので、怒られる覚悟はしていたんだけど光可さんは克己くんの豹変を見ていたので、仕方がないことだったと言ってくれた。
ちなみに子供たちは痛いことをしたのが俺だとも、どうして俺が謝り倒しているのかもわからないで、泣き止んだ顔できゃらきゃらと笑っていた。

その後俺は、騒ぎを聞きつけた滝川さんに捕らえられ、リンさんへと突き出された。
教えたリンさんにもダメージが行くはずなので、俺はきゅうと声帯がすぼまる。
「───九字を人にうったのですか」
「ゎぅ……」
「人に向けてはいけないものだと教えたはずですが」
「はい、重々承知で、……ええ……」
「……褒められたことではありません。ですが、あのままでは子供が一人確実に命を落としていたのでしょう───それなら、叱ることもできませんね」
「リンしゃん……」
「おいおい、甘いんじゃないの、リンさんよ~~」
「あの場合は最善でしょう。ほかに助ける方法がありましたか?」
「だからそもそも、そういう状況を作っちゃなんねーの」
教育方針の違いから言い合ってるなと思ったら滝川さんが俺を見た。な、と重ねられて正論にぐうの音も出ない。
とはいえこんな特殊な状況で、俺みたいなのがどうやってそこまで判断できよう……。
今回九字を人にむけたのも、最善を考えたんじゃない。咄嗟に試した方法がたまたまうまくいっただけだ。
自分だけのせいじゃないとか、運が良かったと言えば簡単だけど、俺は確かに子供の背中に傷を負わせた罪悪感をしっかり胸に刻んでいたので静かに頷いた。
「……ン」
「お前才能あるよ、拝み屋の」
「い、いらねー……そんな才能っ」
顔を手で覆って声を押さえながらも叫ぶ。
滝川さんは大笑いしながら、俺の頭を撫でまわした。



家族全員に護符を渡せたのかと情報共有が始まると、奈央さんが行き先不明で渡せていない、と原さんと松崎さんが報告をあげた。
子供たちみたいに『受け取りを拒否』した者は他にいないかと、滝川さんがあえて条件を狭めて聞いた時、もう一人俺が拒否された人を思い出す。
そっけなく去られたことと、その後の子供たちのことがあってショックで忘れていたけど。
「たしか、お嫁さんが」
いいかけて言葉を止める。廊下からドダドタ、と乱暴な足音が響いて何事かと思って。
ここには全員居たので、家族にまた何かあったのではと身構えると女性が一人血相変えて部屋にやって来た。さっき俺が護符を渡せなかった人だ。
「子供たちに怪我をさせたのは誰!?」
和歌子ちゃんのお母さんである光可さんは不問にしてくれたけど、克己くんのお母さんに怒られるのは当然かもしれない───けど、なんだか様子がおかしい。
「克己にあんなことをしたのは誰なの!?おまけに変なものを持たせて」
「変って……?」
言葉もない俺に代わって滝川さんが冷静に聞きかえす。
「あのやくたいもない護符のことよ。さっさと外してちょうだい!」
子供たちは外せと言っても外さないのだと糾弾した。それから、ほかに霊と関わったとされる家族にも何かをしただろう、と荒い息とともに吐きだす。
「これは身を守るために必要なものです。陽子さん持ってますか」
「……そんなもの役になんか立たないわ」
「そんなことはないですよ、どうぞ」
滝川さんは護符を差し出す。
今度こそ、静かに受け取った彼女はその手の中で護符を燃やしてみせた。
火種なんて持ってない、素手である。
「ほら、こんなもの全然なんでもないじゃないの」
滝川さんは松崎さんに『七縛』というやつを指示したあと、ジョンに声をかける。
言葉少なく応じたジョンは小さなボトルを開けて、中の水を振りまいた。
朗々とうたうジョンの声がひときわ強まった瞬間、陽子さんは一瞬だけ藻掻くような声をあげて崩れ落ちた。
皆しておずおずとその顔を覗き込みに行くと、ぼんやりとした顔が次第にはっきりしていく。
ジョンがお守りにロザリオを渡す間もおとなしくて、ただ不思議そうにしているだけ。
もう一度護符をわたせば、素直に受け取り───俺たちのことを一切知らない人を見る目で見ていた。



───『殺してやる』『この家の連中も』『おまえも』
克己くんに憑いてた霊の言葉は、この土地で死んだ霊のものだったと思う。でもそれがどうして吉見家にこんな害意を向けてくるのかはわからない。
窓を少しだけ開けて、桟に腰掛けて夜の風を浴びて物思いに耽る。
映像に撮れたみたいな白い光は肉眼で見えることもないけれど、意識して耳をすませれば波の音の先にあるものを感じられた。
ベースに人が出入りするのや、松崎さんに「落ちんじゃないわよ」と言われた声が遠い。
目の前の星や黒い海、夜の匂いも透き通り、俺は違う場所に立っている。

───ドンッ
ふいに、背中が押された気がして、身体が揺れる。
寄りかかっていた低い柵に胸をぶつけて跳ね返ったが、頭の中では宙に身体が投げ出されていて、自由が利かない状態だった。

海が、岩が、波が、降ってくる。

「っ谷山さん!?」
!!」
畳みにのたうち回るように転げたんだろう。誰かが驚き駆け寄ってくる。
目がぐるぐるして、息がままならない。
いろんな手が俺の身体を押さえた。暴れたり、藻掻いたりしていたからだ。
「は、は、っ、あ」
「過呼吸かもしれません」
「下向いて、ゆっくり息吐くのよ」
指示を聞きながら息を吸いすぎないようにして、誰かの膝に頭を乗せて背中を丸める。
背中をさすられていると次第に呼吸が落ち着いてきて、強張っていた身体も力が抜け始めて、ごろりと上を向く。
「はー……ごめん」
「落ち着きました……?」
原さんが俺を見下ろし、白いハンカチで汗ばむ額を拭ってくれた。
ふわっと良い匂いがして清涼感に安堵する。
「大丈夫ですか」
「窓のとこに座ってたと思ったら急にこっちに転がり落ちてきたんだから」
リンさんと松崎さんが俺の背中を擦ったり身体を支えたりしてくれてたみたいで覗き込んでくる。
身体も落ち着き、頭もさえてきたのでゆっくりと起き上がった。
それでも心がせくのは、最悪の事態を想像してしまったからだ。
「今なんじ」
「一時ちょっとすぎ」
「二人は?」
「まだです」
松崎さんと原さんの回答に、深い息を吐く。
滝川さんとジョンは、彰文さんに奈央さんが日付を越えても帰らないのだと相談されて一緒に近くを探しにいった。もう一時間くらい経ってるだろう。
「俺もいってくる」
「今からじゃ遅いわよ」
「同じところ探してしまいますわ」
「でも、ちょっと見てくるだけ」
心なし重たい身体を引きずって立つ。
リンさんが無言で俺を見つめたと思えば、ゆっくり口を開く。
「私も行きます」
「え、でもリンさんはここにいないと」
「式を残していくので、何かあればすぐにわかります」
反対しない上に、付き添うとまで言い出したリンさんに俺は驚く。
それどころか急かすように俺の腕を引いた。
「ちょっと、本気!?」
松崎さんの慌てたような声を背に聞きながら、俺とリンさんは無言で廊下に出る。
「何を見たんですか」
「…………海に落ちる夢」
「行き先は」
「洞窟。きっとあそこに辿り着くから」
リンさんは、驚くことなく頷いた。



next.

リンに九字を教わったので、主人公のことはリンの責任もあるし、リンに叱らせて自分は慰めて(甘やかして)やるつもりだった滝川。
先に甘やかされたのでおい~ってなっている。お父さんお母さんポジションチェンジの兆し……。
Mar.2023

PAGE TOP