I am.


No, I'm not. 58

松崎さんと原さんとベースに戻ると、酷いありさまだった。
特に渋谷さんの眠る襖は包丁でズタズタに切り裂かれているし、畳にはいくつか血が飛び散っている。
「渋谷さんは……起きてないね」
襖に穴が開いてるので中を覗き込み、ほっと安堵の息を吐く。
振り向くと原さんが心配そうに見に来ていたのでその場所を譲り、救急箱を手に座っている松崎さんの方へ近づいた。
「怪我でもした?」
「あたしたちは平気。あんたは?血が出てるんじゃないの」
「あれはリンさんと和泰さんの」
「そう」
「俺は体当たりされたくらいかな」
イテテテ、と呻きながら座って、そのままごろんと横になる。
あ、こうしてると楽かもー。
原さんと松崎さんは能天気な俺に呆れつつも軽く笑って、寝転がってることを許容した。
ウトウトする気はなかったけど、和泰さんに攻撃された時のことを静かに思い出す。
あの時、一瞬だけ、嫌な光景が見えた。
それは奈央さんの背中を、押す手だった。
俺の中に、次々と確信めいた情報が浮かび上がっていく。
多分、和泰さんが彼女を殺した。
犬や鳥などのペットを殺したのも、車に細工をしたのも、家に火をつけたのも彼だ。
俺の九字で霊が身体から出て行くかに差があったのと同様に、護符が効くかも差があったんだろう。つまり、和泰さんに憑いた霊は強かったんだ。
どうか他の家族のように霊から解放されて、すべて忘れて戻ってきてほしい。
───そう願ったが現実は無常で、和泰さんは霊に憑依されたまま崖から飛び降り、命を落とした。


夜、調べ物から帰ってきた安原さんが、しょげた俺たちの報告を聞いて硬い顔つきになった。
それでも「元気出しましょう」と発破をかけてくれるので頼もしい。
滝川さんが彼に依頼したのはこの家『吉見家の代替わりの変事』を調べてほしいということ。

まず吉見家は代替わりの時に家族から多くの死人を出すという曰くがあった。
今回も依頼人のおばあさんが旦那さんを亡くして家族に異変がでたことで依頼に踏み切った。
元々吉見家は金沢市で店をやっていたのを先々代が今の能登に移した。
先代からは十三人、先々代からは新聞記事で確認できる限りでは六人の死者されている。情報が古いので定かではないと言うけど。
「実際に吉見家で代替わりの時に大量の死人が出ているのは、先代と先々代の時だけなんですよね」
安原さんが調べた結果───この土地に問題があるのではないか、という。
元々今の彰文さん達は吉見の分家にあたる。金沢から越してくる前は本家の吉見家が安政三年からこの地に住み始め、大量の死者を出して途絶えた。分家が越してきたのはその五年後だった。
それどころか、吉見の本家が住むよりも前に、藤迫という家がこの土地に住んでいた。それは安政元年───本家が住むほんの少し前に途絶えている。
藤迫家は二代分しか過去帳が残っていなかったと言うけど、十分すごいだろ。
「なるほど、場所か……」
「ね?それでこのあたりの歴史とか伝説を調べてみたんですよー」
軽く言ってのけるが、滝川さんがびっくりしている。
金沢と能登を何度か行き来しているように感じるんだけど、やっぱり気のせいじゃないよな。
「まさか第三の渋谷がそこまで来ている───?」
くんはいい子だからねんねしてて」
口を挟んだら、滝川さんが後ろから手を伸ばしてきて口を塞いだ。もがもが。
そのまま膝の上にずるずると乗せられて大人しくするしかなくなる。
「当たらずとも遠からずですね!図書館で新聞を閲覧するより先に、何をしたと思います?」
「なに?」
「暇そうな学生風の女の子にバイトをもちかけたんでーす!彼女を安原二号とします」
渋谷さんの二号扱いを謝ろう……プロトタイプ安原に。
「急ごうと思ったら人海戦術しかないでしょ?で、金沢でも一人コピー要員の三号を確保しまして、こっちの二号と連絡をとりつつ資料を集めたわけです」
「───採用!!!!」
滝川さんの抱っこから逃れ、不在の所長に代わって採用を出す。
「わ、ほんとですかあ……じゃあバイト代は渋谷サイキックリサーチから出ますよね?」
「だしましょう」
「あーよかった!」
リンさんもその手腕には感服したのか、微笑みながら頷いた。

洞窟にある祠に祀られたおこぶさまのもとになったと思われる伝承、異人という名の霊能者殺し、その遺体を葬ったとされる三つの塚。またそこで起こる裏切りによる死と祟り。
よくもまあそんなにこの土地にゴロゴロ伝承があったもんだし、調べてきたもんだ。
不確かなので似たような話がいくつかあるけど、だからこそ実際に何かがあったんじゃないかという信憑性が高まる。
特に裏切りによる死───一揆の首謀者五人を村のみんなが上に突き出したという境遇は、克己くんに憑いていた霊もそんなことを言ってた。
庭を散策した時に石が五つ、三つと別れて置かれていたのと、ようやく合点がいく。
「今のがこの土地を祟ってるってこと?」
うまく感覚にハマらなくて問いかける。
たしかにそれらの霊は在る……と思うが。
「一揆の五人と三人の六部……どっちだろうな」
滝川さんはゆったりと立ち上がり、身体を伸ばして気合を入れていた。
「どちらか限定するには手掛かりが少なすぎますよ」
「と、なりゃジョン、五人と三人手わけしようぜ」
「ハイ」
そんな当たればラッキー、祓えたらオッケーみたいな感じでいいのか……。
リンさんは滝川さんにどうするかと聞かれて、今日の騒ぎで式を一つ飛ばされたらしくこの場を離れられないと答えた。
俺が躊躇してるあいだにでたアレかな、申し訳ないことをした……。
「しばらくすれば戻ってくるでしょうが───ひとつ、申しあげてよろしいですか」
「なんだえ?」
「力を分散させない方が良いと思います。猛烈な抵抗があると思いますよ」
リンさんに言われて、言葉に詰まるような、図星をつかれたような調子の滝川さんが口を開きかけたその時───ドォンと部屋全体が揺れた。それから何かがバタバタと叩きつけられるような音。機会がエラーを知らせて警告を出してくる音が続く。
「温度が下がる……」
「だめです、サーモグラフィーはすべてエラー」
「モニター……!」
温度が下がったと思ったら計測不可能になり、カメラから来るはずの映像はすべて遮断された。
一瞬の沈黙の後、砂嵐のホワイトノイズが部屋に残った。
安原さんと滝川さんはわざとらしく軽口をたたき合いながら先手を打たれたと笑う。
すると低温のうめき声みたいな、ジョンの言う『恐竜の寝息』がし始めた。次第にそれはお経になる。
「六部の三人か。さもありなんってところだな」
得心したような滝川さんは様子を見に行くと言ってジョンを連れてベースを出た。
それからすぐに松崎さんが自分も行くと言い始め、驚きのあまりどう引き留めるべきか考えているうちに、部屋の電気がすべて落ちる。
「なに、」
「きゃっ……」
松崎さんは異変に息を飲み、原さんが短く悲鳴を上げる。
「なに、どうし……」
「……あれ……」
暗闇の中ぼんやりと見える原さんが指さした方───窓を見る。
上から下にむかって、黒く細長い何かが、だらりとぶら下がっていた。
まるで人の腕みたいなフォルムと、曲がり方───と思っていたらそれはまさしく人の腕で、ぬるりと頭みたいなのが這い出てきて部屋の中を覗く。
窓にべったりとへばりつく一体。外にある柵にぶら下がる一体。下から、上から、隣の部屋から、どんどん人影が窓に密集した。
コン、コン、コン───。
コン、コン、コン───。
ドン、ドン、ドン───。
窓を、叩き始めた。次第に強く激しくなっていく。
「安原さん、こちらへ」
原さんの静かな声が下がっていき、壁を背にして座った。
そして小声で何かを唱え始める。
今にも部屋に入ってこようと窓を強く揺らすそれをみて、自分の身は自分で守らなければならないのだと覚悟を決めた。
バンッ、バンッ、バンッ───。
バキッ、バンッ、ガシャッ───。
ガラスを叩き割ろうとする音の雨の中、すうっと息を吸って、きゅっと呼吸を止めた。
その時、とうとう窓ガラスが割れた。飛び散るガラスが光って、中に降り注ぐ。
隔てていたものが無くなると、外にいた者たちは明瞭に姿が見えはじめた。
髪が生えて服を着ていて人の形をしているが、身体があちこち傷んでいて、およそ生き物とは思えない風体。
リンさんが指笛を吹いたのと、松崎さんが九字を唱えたのはほぼ同時で、部屋に入ってくる蠢きが少し止まったり、窓の外に跳ね飛ばされ、落ちて行ったりする。
!あれは死霊だから遠慮はいらないからね!」
「わか、っ───」
それでも這うようにして窓から中に入り込んでくる『死霊』が目に入った。
「奈央、さん?」
決めたはずの覚悟が、困惑に塗り潰されて行く。
彼女がどうして、こんなところにいるんだ。洞窟で『再生の儀式を』していたはずなのに。
「ぼさっとしてんじゃない!!」
「……、」
!?」
松崎さんが何もしない俺に焦れながら必死で声をかけてくる。
よろめきながら、痛々しい身体を引き摺り畳を這う彼女の前に膝をついた。

「───夕闇せまる雲のうえ、いつも一羽で飛んでいる」

奈央さんに九字を撃てなかった。
ただ景色を見て気分転換をしていただけの彼女が、そこで命を奪われた。
それだけじゃなく魂まで洞窟に吸い寄せられ、こんな姿で、こんなことをさせられて。
「鷹はきっと悲しかろう」
手を伸ばすと、奈央さんの身体はびくっと震えて後ずさる。
自我があるようには見えないが、歌か俺を嫌がっているように見える。
悪いものは寄ってこられない、とユージンが言っていたっけ……。
ゆっくり言葉を重ねて歌うたびに死霊たちは音から逃げるように顔を背け、身を縮こまらせ、後退する。俺は近づいていくほど積極性はないが、動きが鈍るのならと立ち上がり、窓の前に立った。
「───心を何にたとえよう、鷹のようなこの心」
もどかしいな、と思いながら声の圧を上げる。
死霊たちは奈央さん以外もすべて、ただ死んでしまった人たちのようだった。
恨みがあろうとなかろうと関係なく、ここにいるのは、本心ではない。そのしがらみを俺の歌が解くことはできない。
「心を何にたとえよう、空を舞うような悲しさを───」
ふいに歌が途切れようとしている。この後に何が起こるかはわからなかった。
再び入ってきたら歌を続けるか、リンさんや松崎さんがいてくれているから時間を稼いでもらうか……と備えていたら滝川さんの低い声が響く。
気合の入った長い呪文に、なぜだかびりびりと肌が刺激されて、不謹慎だけど胸が躍った。
滝川さんを見るとほのかに赤く光っている。それはとてもエネルギッシュで、熱い。
「こ……これで、入れるもんなら───入ってみやがれ……ってんだ」
窓の桟になにかを刺した途端、死霊の群れは外に飛び散り壁に阻まれたように中に入ってこなくなった。
「よ、よかったー……!滝川さんが来てくれなかったらどうなることかと」
リンさんと松崎さんは前に出ていた俺を引っ張り戻そうとしてくれてたけど、肩や腕を掴む手から力がなくなり離れていった。
俺も安心して力が抜けたついでに、ぜいぜいと息をする滝川さんに這い寄り、背中を感謝を込めて撫でる。
すると手が濡れて、血がつく。
「あいててて」
「うわごめん、怪我してるじゃん。あっちで何があったんだよ」
「土左衛門のデモ隊に囲まれたぜ……ゾンビ映画かっつーの」
「ブラウンさんは」
「若旦那たちを先導してる……じきにくるぜ」
景観と精神衛生が悪いので障子を閉めるリンさんと滝川さんを手伝いつつ、状況を聞く。
こっちと同じようなことがあり、吉見一家を守りながら対応していたようだ。
滝川さんはここに結界を張ってくれたらしいので、家族もこっちに集まってくるらしい。今はジョンが一人なのか、と心配した瞬間に子供が泣き叫ぶような声が聞こえた。
「くそっ」
「!」
滝川さんと松崎さんは弾かれるようにベースを出て行く。
俺も心配だったが、とりあえず原さんと安原さんの隣にどかっと座った。
だってもー疲れたし、俺が出来ることはないし。
「谷山さん、守ってくれてありがとうございました」
「え?そりゃ原さんでしょ」
「途中で必要なくなりましたもの」
安原さんに笑顔でお礼を言われて驚くと、原さんまでにこりと俺に笑いかけてくる。
「歌が退魔法になるというのも、確かなようですね」
「あー……あんな、土壇場で試すことじゃないけどな……はは」
リンさんもずいぶん動いたから疲れたんだろう。ネクタイを外してシャツの袖を捲りながら休憩がてら口を開いた。
「ただ、奈央さんがいたから……こわくて、九字が撃てなかったんだ」
気遣うような視線がいくつか向けられる。
「でも俺じゃ、奈央さんを解放してあげられない」
膝を抱えて俯くと、皆何を言うでもなく、少しの時間が流れた。
やがて騒々しく足音や声がし始め、滝川さんたちが家族を連れて、ベースにやって来た。



next.

咄嗟に歌うなんて無理くない?って九字を教わったけど、今度は咄嗟に九字がうてなかった……。
あと真砂子がおまじない(?)をしだしたのを参考にして、あれならできるかも、と思ったかなと。
余談ですが主人公はところどころ、専門用語ワカンナイのでぼーさんの真言とかも『呪文』って言ってる。多分綾子の祝詞という呼び名もわからないだろうし、真砂子が『何か唱えだした』というのもそれだけの認識。まあ真砂子が何を唱えてるのか私もわからないのですが。ジョンはギリ、聖書読んでるくらいはわかってるかな、と思います。
Mar.2023

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