I am.


No, I'm not. 59

(綾子視点)

が奈央さんの死霊を前に膝をついた時、この根性なし!と声を上げそうになった。
それをしなかったのは、まるで耳元で息を吸うかのような音が聞こえたと思えば、静寂がその場を支配したから。
時間にして、わずか一瞬のことだった。

が沈黙を破るように歌いだした途端に、目の前で空気が弾けたかのように入れ替わる。
死霊を見下ろす後姿に駆け寄ろうとしていた私たちは、動くことも声を出すこともできなくなった。
それが出来るほどに、の独壇場になっていた。
美しく気高いのにどこか切なさを思わせる、音が慈雨のように降り注ぐ。
信仰とか祈りほどの強さはないけど、魂を感じさせる凄みがあった。だからきっと、効いたんだと思う。
……いつだったか真砂子と聴いた歌は、確かにこんなふうに命の輝きと心の解放を促す不思議な引力を持っていたっけ。

は歌にうろたえる死霊を見て、ゆっくりと立ち上がった。
そうしてひたり、ひたりと、窓の前に立つ。
その間も声はよどみなく、のびやかに歌い続け、その声から逃れるようにして死霊たちはじりじりと後退した。
歌声が揺れないところは相変わらずで、音楽やってるときだけはいっちょ前に格好良いのよね。絶対に教えてやらないけど。
「あ……」
歌が、止むような気配がした。
この空気がどれくらい持つのかは、正直わからない。歌い続けさせるのも酷だとわかっている。
甘受しているだけだった意識を立て直して警戒する。もしもう一度死霊がとびかかってきたらあの子を引倒して守ってやらないと。
そう考えてるのはあたしだけじゃなくリンもだったみたいだけど、結局杞憂に終わる。
廊下から足音がしたと思えば勢いよく部屋に入って来た坊さんが、独鈷杵を窓の桟に突き立てて部屋に結界を張ったから。


家族たちを全員ベースに避難させ終わったところで、ようやく一呼吸をおけた。
坊さんはあられもなく畳に転がって、口ではぶつぶつ言いながらも、一晩眠らず結界を維持する覚悟でいる。あたしが祈祷してもよかったけど、霊の気が立っている今やるよりはきちんと仕切り直した方が良いと思って口には出さない。
「俺も、夜通し歌ってよ、か?」
「あー……………………お前の歌は正直聴きたいけどそれはまた今度」
が気を使ったのか冗談なのかした提案に、随分迷った末に断った坊さんの頭を叩く。寝転がって額が露わになっていたので良い音がした。
「ただの私利私欲じゃないのよ!」
「いて!……だってよう」
「今度カラオケいこー」
「いく……」
「さ、滝川さんも手当てしましょう。怪我は?」
ふざけて笑い合ってる二人に今度は安原くんが救急箱を持って近づいてきた。寝転がっていた身体を起こして、Tシャツの背中をまくってみると軽薄な態度とはうらはらに、酷い出血があった。
「……はい、しみますよ」
「あだだだだだ!!!」
びちゃっと水の音をさせながら安原くんが消毒液を患部にかける。案の定酷い痛みに声をあげたけど、場の空気をこわさないよう明るく泣き言を言う。二人のやり取りに、家族は恐怖や不安を少しずつやわらげた。
───とにかく朝がくれば、あたしがなんとかする。それまでの辛抱よ。


真砂子曰く、この家にいた霊はすべて誰かに使役されている霊だった。
存在感だけは強いけど感情が見えてこない空虚な霊だと評していたのに、とあたしが出会った霊が恨み辛みを吐いて悪意にまみれていたのは、その憎しみを利用されて『使われていた』からにほかならない。
「……だから、引き寄せられるんだ」
「なに?」
「奈央さん……行きたくないって言ってた」
「───そう」
家族が寝静まってから噛みしめるようにが囁く。どういうことかと聞けば、奈央さんの抵抗を感じていたみたい。
同調したり、魂に語りかけるようなことをしたにはきっとそれが感じられたんだろう。
成仏したくてもできない、ずっと深い苦しみと憎しみの中にいる辛さを。
今回ばかりはさすがのも堪えているのは見て取れた。奈央さんの死を見て身体を見つけたのもあの子だし、その後の声だって聞いている。
それだけじゃなくきっと、耳が育っているんだと思う。それは音を聞くだけじゃなく、感じる心というのかもしれない。
現場に来る経験を重ねて、心が揺さぶられて、育った証拠。
歌が上達するように、こっちのセンスも磨かれて行ってる。
そういったらきっと酷い顔して嘆くんだろうけど。

、あんたも来る?」
「は!?」
朝が来て、一晩中気を張っていたジョンと坊さんを押さえて立候補したついでに、に同行するか聞く。悔しいけどあたしが今まで大して役に立たなかったせいで、その誘いはあまり良いものとはとられてない。特に坊さんに至っては本人より先に顔を顰めた。
「……行こうかな」
「お前、本気?いつもこういうとこ来ないじゃん」
「んー、今日の松崎さんはいつもと違う気がする」
「そーよ、わかってるじゃない」
当の本人は珍しく、まるで放課後友達に誘われたみたいな軽い調子で了承した。
そもそもはサボり癖がある以外に、危険な場所には行かないという潜在能力がある。だから今回は危険じゃないと判断したってこと。
外野がうるさいのは無視しして、準備があるので三人から離れて部屋に向かう。

大将に酒を用意してもらい、身体を清め、巫女装束に身を包むと、不思議といつもより背筋が伸びた。
も着替えを済ませたのか店の玄関であたしを待っている。
案の定、ついてくると言い張った坊さんとジョンの姿もそこにあった。
「いきましょ」
「うん」
は素直に答えて、あたしの後をついてくる。
朝靄広がる道を行くと、薄藍色の影が見え始めた。近くに来てようやく、神社の輪郭が露わになる。
鳥のさえずりは遠く、あたしたちの足音と榊の枝にさげた鈴の音、酒が揺れる音は近い。
「───なんか、良い朝だね」
「そうね。場所もいいわ……小さいけれどちゃんと信仰が残ってる。樹も生きてるし」
神社や樹の良し悪しまでは理解できないだろうけど、には漠然と感じることができるだろう。
この空気の条件は、樹が生きていること、力が宿っていることだと肌に教えてあげればいい。
「本当を言うとあたしには大した力はないんだと思う。でもね、あたしは巫女だから」
酒瓶の蓋をあけて樹の根元に捧げる。
はしずかに、その空気感に耳をすませた。

は巫女じゃないから、神仏精霊を下ろしたりなんかは出来ないだろう。
でも、あたしにない力がある。

「よく見てなさい。───はじめます」

まずは祈祷して呼び掛ける。
空気が澄んで、ゆれた葉からのいらえを受けて鈴が鳴った。
淡い光のような精霊たちが樹から出で、地に刺した榊の枝に融け込んでゆく。
その数だけ、風も無いのにまた鈴が鳴る。
あたしは榊の枝をとり、朝靄に黒くにじむ気配に声をかけた。
「さあ、あなたたちにも眠れるときがきました」
駆けだすようにして寄って来た死霊に、枝を振りかざして舞う。

あたしがするのはただそれだけで、あとはおすがりした樹々の力が浄化をたすけてくれた。
巻き込まれて命を落とした奈央さんも和泰さんも、その中にある。
そしてこの事件の原因だと考えられていた六部塚の三人と、一揆の首謀者だった五人も触発されるようにして出てきた。それすらも、生きた樹に宿る精霊にはかなわない。
目の前の三つの塚は亀裂が入り、割れる。
そしてようやくこのあたりの霊がすべて浄化されていったのがわかって、柏手を打ち場を収めた。
おすがりした精霊への拝礼と、昇っていった魂の冥福を祈って。

「いいもんみた……」
「そうでしょ」
の囁くような感想はどこか馬鹿っぽいけど、惚けた顔やいつもより少し高い声には、心からの賞賛が込められているとわかった。
笑いかけるとにこにこして寄り添ってくる。
「松崎さん本当に巫女だったんだな、ホレ直した」
「あんた、ホント台無し……」



next.

綾子ちゃんの見取り稽古です……。主人公の歌声に浄化の力みたいなのを感じてたらいいなって。
主人公はいろんな意味で、無しよりの無し。年下なの我慢してあげてもよくない。
松崎さんも結構人の名前呼ばないトコあるので、滝川さんのことは唯一坊さん(ぼーさんではない)呼びにしました。
どうにか避けてるけど所長は「ボウヤ」か「所長」……かな。
主人公は前回、霊に歌った時の感覚で「霊の本意ではない」とわかるんだけど、それを「使役されたもの」と結び付けられないのは真砂子との経験の違い。あとまあ式の気配もさすがにわかってないかなってところで。
Mar.2023

PAGE TOP