No, I'm not. 61
調査の撤収どころか、神事とやらにも参加せず、俺はいちはやく吉見家を発った。
何故なら俺にはイベントでライブするという仕事があったから。
東京からの帰り道で事務所の車に拾ってもらってライブ会場へ向かわなければならないほど、ぎりぎりだった。事前にバックバンドの人たちと顔合わせの予定もあったのに、『トモダチのシブヤがキトク』といってキャンセルしてたので、現地で初めましてと相成った。
一人だけ初めましてじゃない、翔くんがベーシストとしていたのは笑ったけど。
ライブが無事済んで、打ち上げをしていた夜に滝川さんから電話がかかってきた。
なんでもまだ東京に帰っていないらしく、安原さんが入院してるんだとか。
ついでに、滝川さんやジョンも傷を縫う処置を受けたのでしばらく石川で療養してから帰るらしい。不謹慎だけどちょっと良いなーとか思った。
吉見さんちもすぐには営業が再開できないし、滝川さんたちがまだしばらく居てくれると精神的に助かるようだ。
……とくれば、俺はしばらく事務所に出勤をする必要もないか、と思い至る。
渋谷さんには東京に帰ってくる日が決まったら教えてって連絡を入れて、今まで入っていた出勤の予定を全て消した。
───翌日、東京まで帰る途中で休憩に立ち寄ったのは長野県、ナントカ字ナントカ、という聞き慣れない地名の山腹。車はダム湖からほど近いキャンプ場兼公園の駐車場に停めた。
スタッフはトイレに行くか喫煙所に行くか売店に行くかに分かれて、思い思いに時間を過ごす。
俺も身体を伸ばすべく車から降りて外を散策した。森林を抜けて道路に出ると、その向こうにダム湖がある。水面の、キラキラした光の反射に目を奪われた。
少し歩けば湖畔に辿り着き、砂利の上を歩き水際による。
突如、目の前が真っ暗になった。
「え?」
思わず声を上げると、足から力が抜けて、立っていられなくなる。
───眼前に広がるのは夜の湖だった。
今度はとうとう自分の身体の感覚を全て失った。なぜなら視点が変わりはじめるから。
そこに俺という存在はなく、宙にういているのか、はたまた誰かに乗り移っているのか。
少なくとも俺以外に誰かが一人いて、その人は暗闇の中湖にボートを浮かべて漕ぎだす。
不穏、としか言いようのないそれを、見たくないと思いながらも、目を離せないでいた。
ボートには布だかビニールだかに包まれた大きな荷物が乗せられている。
暗くて色のわからない黒ずんだ塊だったのが、ふいに、月明かりに照らされて銀色に光った。
隙間から、『髪の毛』が見えた気がする。
ここまでくればもう、人であると分かった。この人物は夜の闇に紛れて、人の身体を湖に沈めに来たのだ。
焦りや疲労、恐怖に震えながら、覚束ない手つきでボートからずるずると押し上げる。
ボートを大きく揺らし、時には転覆しそうになるのを慌てて押さえて、何度も何度も外に押し出そうとした。
とうとうそれは湖にすべて投げ出され、ゆったりと沈んでいく。
ボートはひと際ゆれ、乗っていた人は肩で息をしながら、次第に小さくなっていく塊をじっと見つめていたようだ。
黒い水の中に、姿が消えていく。次第に、呼吸から勢いはなくなったが───ずっとずっと、震えていた。
そうして俺は、昼間の湖に戻って来た。
「どしたん、」
後ろで砂利を踏みしめるような足音がして、声が降ってくる。
しゃがんで、顔を覗き込んでくるのは翔くんだ。
「顔まっさおだ」
前髪をくしゃりと持ち上げられて、まじまじと見つめられる。
わななく口が、翔くんの名前を情けなく呼んだ。
───どうしよう、どうしよう……どうしよう。
「ここ、」
「うん?」
「死体が沈んでる……」
「は」
考える間もなく口からついて出ていた。
翔くんは一瞬面くらって、湖と俺を交互に見比べる。
俺が渋谷サイキックリサーチでアルバイトを始めたことも、いつだか超能力が目覚めたことも、調査の中でどんなことがあったかも───守秘義務のあるものは除いて───ほとんど筒抜けの相手だ。
「……マジ?」
「わかんないけど……でも今、変な光景見た」
「げー……」
死体への拒否感からか、翔くんはわずかに湖と距離をとった。
これが俺相手にだったらショックだけど、そうじゃないのは態度でわかる。
「どうする?どーしたいよ、」
「どうって……」
思わぬ問いかけに、変な笑いが零れる。けして楽しくないものだ。
翔くんは戸惑う俺に「ケーサツ、呼ぶ?」とスマホを掲げて見せる。俺は咄嗟に、首を振った。
「信じてもらえない……悪戯だと思われる」
「じゃ、ほっとく?」
「……」
本来なら放っておくのが一番な気がする。たかだか俺の白昼夢だ。
もし万が一何かが沈んでいるとして、それは俺とは全く関係のない事。
だというのに、俺はさっぱり忘れ去ることもできない。そのくらい強烈で、鮮明な光景だった。
俺はこの地に残ることにした。
旅行したいでも、作曲のインスピレーションが湧いたでも、てきとうな理由をつけて皆には帰ってもらう。
どっちにしろ当面予定がなかったので反対されることはなく、夏休みだからいっか……と許された。
翔くんも居るって言ってくれたけど、これからやることに巻き込むわけにはいかなくて、アドバイスだけ聞いてあとは自分でやると決めた。
まず湖に人を入れる許可をとる。それからダイバーを雇ってこっちに来てもらう手配。
俺が近くで待機できるように、キャンプ場のバンガローを借りた。
翌日、昼頃にやってきたダイバー三人につとめて冷静に捜索を依頼する。
湖の大きさとか深さ、流れとかもあるのでまず心当たりの場所を探すことになった。
探してほしいものの特徴は、『死体』とまではさすがに言わなかったけど、1.8Mくらいの長方形で、重さはそれなりにあり、灰色か銀色の布か何かにくるまれている───と説明すれば、相手の目つきが変わる。人くらいの大きさ、とか言ったのが悪かったかもしれない。
悪戯だとか、気狂いだとか、殺人犯だとか、いろんなことを思われていたりして。
それでも、口に出したり、仕事を断られたりなんかはしないあたり、金銭の発生する仕事として割り切っているのかも。
こうして始まった、俺の奇妙な探し物は難航を極めた。
そもそも湖の広さに対してダイバーが三人というのも少ないし、水の透明度は低い。堆積物もたくさんあるそうで、目当てのもの、それらしきものが見つけ出されるのは簡単なことではないだろう。
次第に範囲を拡大しての捜索に移り二日、三日と日が経つにつれてキャンプ場の客の間で『死体を探してるらしい』と噂に上がるようになったのを、これまた噂で聞いた。
直接ではなくて、泳ごうとしていたカップルが、気味悪いから泳ぐのをやめようか、と言ってるのとすれ違った時だ。
俺自身はまったくやることがないので、せめて夏休みの課題を持ってくるべきだったかと悔やんだ。
でもないものはない。これ幸いに音楽を聴いたり曲を作ったりと、自由に過ごして気を紛らわす。
湖を眺めながら音楽をやっていても、あれ以上の手掛かりを見ることはなくて、嬉しいやら悲しいやらだ。
だから今日も無為に、作業するダイバーを遠くに眺めている。
ある時、尻で踏みつぶしていたスマホが震え出した。電話の相手は滝川さんだった。
「おーっす」
『あ。出たじゃん』
「なに?俺、連絡無視とかしてたっけ?」
『や、してねーけど』
滝川さんの声の他に、松崎さんとジョン、あとは安原さんの声まで聞こえ始める。まだ一緒にいんのか。
あれ、でももう東京にはついているはずだけど……と思ってたらオフィスで慰労会やってるらしい。
いいなー俺も出たかったとぼやいたら、カメラをオンにしてくれて、皆の姿が映し出される。
渋谷さんの姿までそこにあるので、珍しいなと眺めた。
『谷山さんは来られそうにないですか?』
『ライブ終わったんだろ?』
安原さんと滝川さんがかわるがわる声をかけてくるのを、さすがに無理だって苦笑した。
「俺いま東京にいないんだー」
『またどっかでライブ?それとも遊びに行ってるの?』
松崎さんの声が聞こえたので、外側のカメラに切り替えて景色を映す。
おお、と何人かが感嘆の声を上げた。湖や山々が広がるその光景は、一目で東京の渋谷近辺ではないことがわかるだろう。
「旅行みたいなもんかな」
『……旅行なんて予定してたか?』
旅行の予定はほぼ確実に渋谷さんに報告していたせいか、話に入ってくる。
ちょっと気まずくて、居心地が悪くなった。
「あ、そういやスケジュール全然打ってねんだった」
『シフトも』
一度消した先の出勤予定を改めて組むことなく忘れてた。というよりいつ帰れるのかもわからなくて億劫になってた。
途中で、誰かが余計な気を回して、滝川さんのスマホを渋谷さんに渡しやがった。
説教するつもりなのか受け取られてしまったし。
……スクショしてやろうかな。
画面の中の渋谷さんはもちろんカメラ目線ではなくて、風景の映し出される画面を見てるようで視線は外れている。
『出勤するつもりがないなら───』
小言を言いかけた渋谷さんの表情が、驚きに変わった。
『……今、どこにいるって?』
「え?長野」
『長野のどこ?』
見るからに真剣な顔つきになり、周囲の声も止む。
有無も言わせない様子に俺は覚えてる限りで地名を並べた。
「なんだっけ、しのだ?しのだ湖キャンプ場ってとこ───」
そして、それきり、プツンっと通話が切れた。
「……なんなん?」
かけ直す気も起きず、そしてかけ直されることもなく、スマホは静まり返った。滝川さんは帰ってきたら声かけろってメッセージいれてきたけど。
そして俺はのちに、なぜ居場所を丁寧に教えてしまったのか、と頭を抱えることになる。
next.
次回!!「来ちゃった♡」
未成年が潜水作業の依頼とかできるのかってのは問わないでもろて。
Apr.2023