No, I'm not. 62
早朝に目が覚めた。
まだ売店の開いていない、捜索も始まっていない時間だけど、バンガローから出て外を歩く。
濡れた樹のにおいが充満する、森林の空気はどこか重たい。
曇った視界の先から人がやってくる影が見える。
キャンプ場にはちらほらと宿泊客がいて、そういう人の中には早朝の森林浴を好む人もいるだろう。
すれ違いに挨拶するか、くらいの心持でそれとなく眺めていると、だんだん姿がはっきりとしてきた。
「───え、」
この場にいるはずのない人の姿に困惑する。
あと雰囲気が相まって神秘的だったのもいけない。
「なんで、ここに?」
「用がある」
「はー……」
ユージン?いや、渋谷さんか。会話の中で納得して、肩をすくめた。
昨日の電話の様子がおかしいと思ったら、俺の居場所を聞きつけて、すぐさまやってきたわけだ。
「こんなところで会うとは思わなかったが」
今ここで会ったのはもちろん偶然らしい。その口ぶりからしてここへは俺に会いに来たわけではなく、別件で用があったってことだろう。
「いつきた?リンさんもいんの」
「昨日の晩、リンは後から来る」
「へえ」
「シフトのことだが、ちょうど良いからまだ入れなくていい。しばらくオフィスは休業する───もしくはこのまま閉鎖かな」
え、絶対俺のが先に辞めると思ってた。という妙なショックを覚えて言葉を失う。
そうこうしているうちに渋谷さんは去っていった。
この説明の少なさ……初対面を思い出す。
あの頃はまったくもって知らない人だったし、俺も興味なかったから流していたけど、ここまでくるとさすがにナイわー。
どんな理由があってここに来たんだか知らないし、俺に会うつもりもなかったみたいだけど、それならもっとちゃんと隠し通せよな、存在をよ。
とはいえ俺だって今は渋谷さんに構う余裕がないので、追いかけて問い詰めるなんてもってのほかだ。
───と思っていたら、二時間後くらいに渋谷さんがやってきた。
「ダイバーを呼んだのはおまえか?」
「へ?」
どこで聞きつけたのか、俺の泊まり込むバンガローに訪ねてきて、開口一番に問い詰めてくる。
「湖で、死体を探していると噂になっている」
「あー……なに、調査?」
「そうじゃない。僕もあの湖に沈んでいるものに用があるんだ」
渋谷さんがここに来た経緯がよくわかってないけど、そんな噂を気にかけるくらいだから調査なのかと思えば、信じられない言葉を耳にする。
「───なんで、しってる?」
「それはこっちのセリフだ」
デッキの手すりに腰を預ける、えらく尊大な態度の渋谷さん。俺を静かに見つめてくる目には、なぜだか逆らえない。
俺は仕方なく自分が見た夢の話をした。調査でもないのに夢を見るのも珍しいが、調査でもないのに渋谷さんにこんな話をするのはもっと稀だ。
「……俺、おかしいのかな」
「寝ぼけてみる夢にしては意味深だな」
夢を見たからって、一人で、何日もかけて、ダイバーまで雇うなんて。
これを言ったら、馬鹿にされるような気がしてた。でもそんなことはなくて、妙な感想をいうものだから肩透かしを食らう。
「渋谷さんは、心当たりがあってこの場所に来たんだ?」
「そうだ───とにかく、ダイバーの人数を増やそう」
「???」
「費用は経費で落とせる。先に捜索していたの許可が必要なんだ」
「え?え?え?」
渋谷さんは急かすように俺の腕をとり、部屋から引っ張り出す。
戸締りもさせてくれずに受付まで連れていかれ、勝手に事情を説明し、今度は何やら電話をかけ始めてしまった。
受付の職員もぽかん……としていたが、渋谷さんが『渋谷サイキックリサーチ』の名を出したおかげか、いくらか捜索にも箔がついたと思いたい。いや、それでも拭いきれない怪しさはあった。
道路のガードレールに手をついて下に広がる湖を眺める。
さっき追加で三名のダイバーが投入された。遊覧用の手漕ぎボートではなく、エンジンがついた業務用ボートが浮いていて、雰囲気を物々しく見せていた。
観光の邪魔になってることは否めない……。
「渋谷さんは、この場所に人が沈められたって、どうしてわかった?」
流され続けたこの問いは、もう三度目になる。
湖を眺めている横顔はあまりに整っていて、冷たくて、心が折れそうだったけど頑張った。
「俺とのテレビ電話で湖の景色を見たから来たんだろ?ここの住所もわからなかった」
「僕も見た───それだけだ」
「俺と同じ?」
「同じではないかな」
酷く曖昧な答えなのに、俺はそれでもいいや、と思えた。
「ン。……そっか」
はぐらかされるより、答えに近い。
そうとしか言えないというシンプルな言葉選びは、案外俺の感覚に近かった。
渋谷さんは少しして、今度は湖ではなく俺をみる。
「はもう東京に帰れ」
「なんでそうなる」
「いると邪魔だ」
俺がいつお前の邪魔になったよ……。言葉遣いの悪いやつだな。
なんとなくだが、言いたくないことがあるんだろうなってわかる。
だから不器用に人を遠ざけた。下手くそめ。
渋谷さんだけに限らずリンさんも、あの事務所そのもののことも、わからないことの方が多い。今まではその境界線の前に立ち止まっていたけど、俺の進む道にそれがあるなら、足を踏み入れるべき時が来たんだと思う。
「ヤだ。ここにいる」
ガードレールについていた手を離して、渋谷さんに向き直る。
少し眉をしかめた顔は、不機嫌そうだ。
更に尖った言葉が吐き出される前に俺は、言葉を重ねた。
「今投げ出したら、俺の生き方が揺らぐ気がすんだ」
「大層な理由だな」
「じゃなきゃ、最初からこんなことしてねーよ」
おどけてガードレールに腰掛ける。
渋谷さんは俺の様子に肩をすくめた。ちょっと納得はできるだろう。
「どっちにしろ、俺は関わっちゃったんだから……渋谷さんも諦めたほうがいいよ」
「何を諦めるって?」
俺の言葉の意味が解らなかった渋谷さんは首を傾げた。
「俺との運命♡」
「…………」
馬鹿を見る目をした渋谷さんは深々とため息をついて、どこかへ行ってしまった。
好きにしろってことなんだろう。
夕方、バンガローのドアを叩く人がいた。
渋谷さんがまた突然訪ねてきたのかと思えば、外にいたのは五~六十歳くらいの男が二人。
毛の薄い額をハンカチで拭って、妙にアセアセした態度で、居心地悪そうに立っていた。
「どなたですか?」
「し、渋谷サイキックリサーチの方でしょうか」
「そうですが……」
その名前を知ってるということは職員かなにかだろう。
ダイバーや捜索のことだったら、電話がかかってくるはずだけど……。
「責任者の方にお目通り願いたいんですが」
「失礼ですが、どういったご用向きですか?」
ついアルバイトの癖もあり、用件をざっくり聞こうとした。
湖の件の可能性だってあるし。
しどろもどろに「その、霊能者の方だと聞いたんですが」と、自信なさげに俺に問う。霊能者というよりは心霊現象の調査だけど……と言い方を変えて説明する。
この話の切り出し方は、何度も経験してきた流れだ。
「ご依頼ですか……?」
「……え、ええ。うちの村では困ってることがございまして。霊能者でも呼んだ方がいいんじゃないかと話しておりました時に、こちらの事務所に勤めている姪が、どうやらバンガローに泊まってる客にそういった専門家が居ると聞き……」
わりとすぐに疑問が晴れた。
彼らは町長の松沼さん、助役の畑田さんという。俺たちを知ってたことや、依頼をひっさげて来た立場に納得する。
にしたって、こんなときに依頼かー……。
まあ受けるか受けないかを決めるのは俺じゃないけどさ。
そもそも今って別にバイト中じゃねーや……。話を聞くのも、受けるのもあしらうのも、所長に投げようと思い至ったところで林の奥から人影が歩いてくる姿が目に入る。
黒づくめと背の高い二人の組み合わせは目立つな。
「おーい、渋谷さーん……と、リンさん着いたんだ」
「なんだ……?」
「……」
俺が見知らぬ大人を相手にしていたので、二人は呼びかけに応じてこっちに歩いてくる。
リンさんは手を振る俺に会釈してくれた。
「渋谷サイキックリサーチに相談したいんだって。町長さんと助役さん。こちら、所長の渋谷です」
デッキの手すりに手をついて見下ろすと、渋谷さんとリンさんは眉をしかめた。
俺が紹介した二人はまたしても汗をふきながら名乗りだし、俺にしたのと同じ話を切り出した。
「今は、」
「いい、どうせここに居てもやることはないし。……お聞きしましょう」
リンさん同様俺も今かよって感じなんだけど、渋谷さんが案外あっさりと聞き入れた。
…………うん、それはいいとして。なんで俺の部屋でやる???
next.
参加メンバーはなるべく変更しないように書いてたけど、今回ばかりは変わってしまいましたー。
ちょっと展開が変われば、石川からの帰り道であの湖に辿り着かないんじゃないかと思ったんで……。でもユージンのことは見つけたかったので、主人公が奇跡を起こすことにしました。
当初はライブの帰り道ではなくてツーリング旅行とかにしたかったんだ……だからずいぶん前からバイクと旅行フラグ立ててたのや……。
ちなみに石川までバイクで行こうかなとか、細工されるのバイクにして九死に一生スペシャル(バイク死す)やろうかな、とか考えてたけどボツになりました。
余談ですがこの間突発的に金沢に旅行してきました。能登までは行く計画立てられなかったけどいつかリベンジしたいです。
Apr.2023