I am.


No, I'm not. 71


懐かしいギターの音色がするな、と思いながら意識が浮上していく。
鉄弦よりももっと柔らかいそれは、今はもうない俺のクラシック・ギターと酷似していた。
そうか、夢を見ているんだな……と、理解すると視界が開けた。
一番に目についたのはギターと、そこに伸びる手。俺が弾いてるのかと一瞬錯覚したけど違くて、───父さんが俺を膝に乗せてギターを弾いて見せてくれてた。
よく見れば、ギターの下には短い俺の足と、父さんの足。小さい手もギターに回されてた。
俺はメロディが乱れるのが面白いみたいで、演奏を邪魔して、違う音楽にする。
ちっとも叱られなくて、それどころか笑ってくれるから身体が揺れて、ますます楽しくなっていた。
「麻衣はギターがじょうずだな」
「パパに似たのね」
笑う低い声が、耳をくすぐる。
それから少し離れたところで楽しそうに笑う高い声がした。
父さんと母さんの会話だなあ、とぼんやり認識しながら小さい俺はもぞもぞと膝の上で転回する。
肩越しに目が合った母さんは、俺を見てより一層深く笑った。
「でもいつも歌ってるところはママにそっくりだ」
「ウフフ」
ギターをどかして俺の背に腕を回す父さんに、ぽんぽんとリズミカルに叩かれる。
何を言ってるのだか理解していなかっただろうが、二人が楽しそうにして俺を見ていて、構ってくれているというのが当たり前に嬉しかった。そんな感情だけはわかる。

これは家族が揃っていて、幸せだったころの記憶だ。

成長するにつれて、なんで自分が麻衣と呼ばれるのかに違和感を抱き始めたり、父さんに男の名前を付けてもらったり、いつかギターを教えてもらう約束をしたり、果たせないまま死んでしまったり、と色々なことが起きた。
父さんの死も、母さんの悲しみも、俺は急激に受け入れられなくなった。
この身体に付けられた名も、家庭環境も、身体をめぐる血も、すべて。
どこにも居たくないと家を飛び出した。
受け入れられないとかいって、ギターだけは持っていたんだから、俺は結局何も否定できず、ただ逃げただけ。
仲間にだって、音楽を通して出逢ったくせに。


俺はいつのまにか暗闇の中に立っていて、そうして光を見つけて走り寄る。
逢いたい人はたくさんいたけど、俺が名を呼んでいたのは「ユージン」だった。
現実ではないので距離感がわからなくて、走っても走っても、一向に自分が進んでいる気がしないのがもどかしい。
それでも少しだけ近づいて、白く浮かび上がる端正な顔を見て安堵する。
「ユージン、俺……俺」
何が言いたいのかもわからないまま、穏やかな顔つきの彼に向って必死に呼びかけた。
ぐっと喉が窄まるのを、何とか開く。

「───歌うよ!」
叫ぶみたいに吐露した。

「ずっと歌う」
願うみたいに、繰り返す。

「この世界で、この身体で、歌って、───生きてくっ」

どんどん世界が暗闇に支配されていく中、ユージンは微笑んだかのように見えた。



目蓋を開けたとき、そこは自分の部屋のベッドの上だった。
無造作に起きあがり、手をついた布団の中でカサリと音を立てたものの正体を摘む。
そこには昨日行ってきた実家で見つけた家族写真と、ナルの母ルエラが送ってくれたユージンとナルのツーショット写真の二枚があった。
折れ曲がったり破れたりしたら嫌だから、写真をベッドから退けた。
そして立ち上がり部屋の窓を開けにいき、空気を入れ替える。
もう一度ベッドに戻り、足を床に下ろしたまま寝転がってまどろんだ。
夢をみたのは、タイムリーに手に入れた写真に触発されたからなんだろう。
たまに見る意味がある夢ではなくて、俺だけに意義のある夢。
記憶の整理とか、懐古や気持ちの発散とかいうやつだ。
本当にユージンに言えたわけじゃないのに、妙にすっきりしてるのは、これがユージンに言いたい事ではないから。
自分でただ言葉にしたかった決意だ。

まどろみから抜け出して、適当に着替えてバイトに行くために家を出る。
先日とうとうナルとリンさんがイギリスに戻ってしまったので、今日は所長代理がおわす渋谷サイキックリサーチに初出勤の日だった。
とはいえ特に意気込む必要もなく、なんだったらナルやリンさんよりも随分気楽に仕事が始まるので、もー、ずっとこのスタイルでいいかも。
「よう、完全復活だな」
「こんにちは」
午後になれば俺が出勤するって話を聞いた滝川さんとジョンが顔を出しに来たので、やっぱりなと出迎える。
「夏休みほとんど出勤してなかったんじゃねえ?」
「アハハ、そうかも。別件で忙しくて」
「それはようおましたね」
「だなー」
滝川さんもジョンも、俺のいう別件が二人の想像するソレであるとは限らないが。
「ボスはいねえの」
「今日から二人して長めの休暇~」
「二人ゆうことはリンさんもですか?せやったら、事務所って」
「あら~お客様?」
毎度渋谷さんに関してはここに居なければ所在を確認されるので、隠す必要もないかと答えると来客に気づいた森さんが所長室から出てくる。今まであそこはナルのおこもり部屋として、禁足地とされていたが、彼女にそんなものはない。
……というか俺が入っちゃいけない部屋だっただけか。今は良いみたいだけど。
「あれ、まどか嬢?」
「森さん?ごぶさたしてます」
滝川さんとジョンは、現れたその人物に驚く。
戸惑いは予想してたので、彼女を所長が休暇の間この事務所を統括する代理であることを紹介しといた。
「休暇ってーと、どんくらいで?」
「家庭の事情もあるみたいだから、そうねえ、半年くらいかしら」
「え、そんなにですか?」
追及に答えるのは森さんに任せちゃおーと思ってたが、あの人躱すのが上手いというわけではないんだった。
俺も半年戻ってこないとは聞いてないけど。
あーでも、一年半も親元を離れて暮らしていたうえに、ユージンが帰って来たこともあってすぐには日本に戻ってこられない、みたいなことを言ってたっけ。ルエラが寂しがるって。
なので、俺が口出すことはなく、とりあえず体よく逃げるためにお茶をいれてこようと立ち上がる。
「森さんもコーヒー飲む?」
「ううん、私はいいわ。ありがとね」
「俺はいつものー」
「滝川さんには聞いてなーい」
元々客人に入れてくるつもりだったけど、おどける機会を逃さない滝川さんさすがだな。
あしらいながらも笑って背を向け、給湯室に行くと残された三人はまた話し出す。
「結局、どっちの家庭の事情?」
「ああ、所長の方よ。リンはついでというか、保護者みたいなものだから」
「おうちのひとに頼まれてはるんですね」
「そうね」
コーヒーの湯気にあたりながら聞こえてくる話に、あんなんでも未成年だしな、と俺が納得している。
リンさんは、大学教授をしているナルの父マーティンの元教え子らしく、ナルとは幼いころから関わりがあったらしい。そのままSPRのフィールドワーク研究チームで一緒になって、今もゴーストハントをしているのだから今回一緒に来たのも納得の抜擢だ。一人でPK使ってしまわないようにという意味も込めた保護者だけど。
ちなみに森さんは結構偉いポジションで、チーフなんだとさ。
「おまちどー」
「サンキュ」
「おおきにさんどす」
滝川さんが英語で、ジョンが日本語の方言と、それぞれちぐはぐなお礼を言いながら俺の入れてきた飲み物を手に取る。
森さんはそんな俺を見て、ふっと笑いを零した。なに、と目をやればさらに笑い出す。

「谷山くんは、二人が恋人同士なのかもって、ずっと思っていたのよね」
「あー、ハハハハ」

滝川さんとジョンは同時に噴き出した。



next.

記憶の整理(補完)。父親と母親って呼び方が父さんと母さんに変わったり。
自分の人間性や音楽性のルーツにゆっくり気づいたり。
音楽ってやっぱりスゴいなあって思ったり(いつものこと)
リンさんとナルの関係♡はさすがに理解した。ホテル暮らしだって知ったので。

June.2023

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