No, I'm not. 72
ナルとリンさんは十月の頭に日本に戻って来た。そして早々に調査の依頼を受けたらしい。
俺は音楽の方の仕事を受けていて暫くバイトに行けなかったので、新しくバイトに雇われた安原さんから聞いた話だ。
ちなみに、その依頼人が来た時ナルの態度があまりに悪かったから、森さんが人目をはばからず「めっ!」と叱ったらしい。めちゃくちゃ見たかった。
そして森さんはナルが戻って来たことでイギリスに帰って行ったようだが、安原さんはその手腕をもってしても彼女が『どこへ帰る』のかは聞き出せなかったそうだ。
調査が始まって二日目の夕方にやっとこさ仕事が終わったので、依頼人の阿川家を訪ねた。
シャワーを浴びて制服に着替えたのは、明日の朝ココから学校へ行こうと思ってのこと。
「こんにちはー」
家の門を開けて、玄関の前に立つ二人に声をかける。
本当はインターホンを鳴らそうと思ってたけど、手間が省けてラッキーだ。
一人はスウェットっぽい服を着た若い男性、もう一人はこれまた部屋着っぽい年配の女性。
手前にいたおばちゃんが、俺を観察するようにじっとり見る。その目つきがヘンで、一歩敷地内に入ったところだったけど、戸惑って立ち止まる。
たしかお母さんが精神的に相当まいっていて、おかしなことを言いだすとか言っていたから───。
「阿川さんですか?」
「あなたは?どなた?」
この人がお母さんかと笑いかけると、答えはなかった。
それどころか聞き返される。とはいえ、こういう対応は珍しくもない。
「渋谷サ」
「お、俺の友人です!!」
「あらそうなの?」
依頼人の家に後から合流する場合は先についてる『渋谷サイキックリサーチ』のアルバイトですよって言えば話が通るんだけど、俺の自己紹介は遮られた。
若い男性はきっと依頼人のイトコさんだろう。
お母さんを刺激しないためにナイショにしてる……とか?俺は事態が上手く呑み込めなかったので、とりあえず話を合わせることにした。
「遅くなってごめーん」
「いや、入って。じゃ、すみませんがこれで」
お兄さんは近づいて来た俺を玄関の中に引っ張り込んで、おばさんをしめ出した。
お母さんじゃなかったか……。
「とりあえず中に入れたが、君は?渋谷くんの連れなのか」
「すみません阿川さん。えーと俺はアルバイトの谷山といいます」
「───俺は阿川じゃなくて広田。翠さんの従兄弟だ」
「そうでしたか。どーも」
依頼書で名前を見た気がするけど覚えてなかった。依頼人は阿川翠さん、と覚えているけど正直お母さんの名前も曖昧である。
「谷山くんはここへは、何をしに?学校帰りか?」
「えーと。───あ、きたよー」
大人ってヤーね、すぐ学校って言うんだから。
説明をしようと思ったが、広田さんの後ろの廊下にひょっこりナルが顔を出したので話を逸らす。
ナルはナルで、俺が見えてないかのようにスルー。
「広田さん、さっきのは誰です?随分と好奇心が旺盛な方のようでしたが」
「笹倉夫人だ、隣の。いつから聞いてた?」
「ほぼ最初からでしょう。チャイムの音で目が覚めましたから」
サンダルを脱いで家の中に上がる広田さんと、会話が繰り広げられる。これは俺も上がっていい流れか?と思っていると頭に一瞬靄がかかったように意識が遠のく。
あれ……何で誰も、いないんだろ───。
目の前に二人がいるのに、奇妙な静寂が俺を包み込む。
しかしそれを切り裂くような、警告が身体を突き抜けていく。
───入っちゃだめ!!!!
───そのまま出て行って!!!!
風圧を浴びたかのように身体が後ろに跳ね返り、玄関のドアにぶつかった。
後ろ手にノブに手をかけてたくらいに、逃げようとしていた。
だが鍵は閉まっていてドアは開かない。
「?」
ナルは訝しみこっちを見ていて、広田さんも音に驚き振り向いた。
名前を呼ばれたことで我に返り、俺はまたいつも通りの思考に戻る。
なんだお前、俺のことちゃんと視界に入れてたのか……。
「えと、オジャマシマース。そいで、阿川さんは?」
俺がイソイソと家に上がり込むのに、二人は特に何も言ってこない。
空気をかえるように、挨拶したいからと家主の所在を訪ねると、ナルは短く返答をよこす。
「お母さんは買い物、翠さんはまだ会社だ」
「広田さん?は?」
「しばらく僕の下で働いてくださるそうで」
カワイソウに……。
憐みの目でちらっと見たら、ん?って顔をされた。
「───というところで、お茶をください」
「なんで俺が!」
「僕は人使いが荒いと言いませんでしたか?」
俺は、なんで来て早々!と言いかけて、広田さんが隣で声を出したので口を噤む。俺じゃなかったか。
スタスタ歩いて台所っぽいところへ行くナルと、言い返せず渋々歩き出す広田さんの二つの後姿がなんだかおもしろい。
興味本位でついていくと、ナルは窓にはめ込まれた鏡を眺め、広田さんはその様子を後目にお茶の準備をする。
「───水仙になっても知らんぞ、ナルシストめ」
「望むところです」
広田さんはじっと鏡───に移る自分の顔を眺めているようにさえ見えるナルに向かって、粋な揶揄をした。なるほど、ナルキッソス。愛称のナルともマッチするので俺にはより面白い。
「……どうして鏡なんだと思う」
「んー?」
「採光が悪いからだろう?」
聞いてはいたけど変なデザインだな、とナルの隣に立って鏡を見た。
するとナルの問いかけがあり、広田さんの返答がある。俺は意見を言うタイミングも興味も失った。
「ボロ隠しのつもりなんじゃないか?窓の外がすぐ隣の壁だし」
「しかし前の持ち主は自分たちが住むつもりで改装したんでしょう。広田さんが持ち主だとしたら窓に鏡を嵌めようなんて思いますか?」
「……まあ、確かにどれだけ採光がわるかろうと普通にガラス窓の方が良いな」
二人がぶつぶつと意見交換をしてるのを聞き流し、廊下に出て奥へと進む。
玄関から入って真っ直ぐ進んだ廊下の突き当りには、大きな姿見があった。
近づいてくる俺の顔が妙に強張っている気がして、いっそ顔をゆがめる。鏡の中の俺も同じくアホ面を晒した。
しかし暢気にしていられるのも最初のうちだけで、ナルとはまた違った風に俺はまるでとり憑かれたように鏡の前に棒立ちになる。
自分の姿があるのに、俺の目にうつるのはどこか違う。
ここは『ドア』だ。
ここは『開く』。
この先には『コソリ』がいる。
インスピレーションで得たフレーズが、頭の中で弾けて、自分の神経に焼き付いていく。
改装する前が『ドア』で、その用途が残されていたという想像はやろうと思えばやれるだろうが、『コソリ』ってなんだ。
誰かが何かを、そうやって名付けた。俺の中に新しい世界観が出来ている。
だけどそれは、背後で玄関が開く音でかき消された。
「ただいま……あら、どなた?」
「ぁ、……、っ、」
急な音に驚いたみたいに振り向いた俺は、中に入って来た年配の女性に、はくはくと言葉を吐き出そうとして、声が出なくなる。
俺がこの家に入って来た時にした警告と一緒だ。俺に浴びせられたものとは違い、今度は俺が叫び出しそうになるのを堪えた結果、帰宅したおばさんは戸惑ったように俺を見ていた。
「お、おかえり……なさい。あの、あの、俺は───」
このままじゃいけないと、なんとか声を絞りだすと、ふいに身体が軽くなる。
一過性のものだったみたいで、同調したり憑依みたいなことにならなくてよかったと、こっそり息を吐いた。
next.
初手からガンガン浴びてる主人公。心がオープンだからかな。
June.2023