I am.


No, I'm not. 73


夜の18時ころ───、阿川家の電話が鳴った。
聞いてた話では悪戯電話だかなんかが多いらしいので、そのコール音に身構える。
広田さんが反応してベースから出て行くので俺もついていき、廊下に出た。すると、台所で料理をしていただろうお母さんが先に電話に辿り着き、オドオドしながらも電話に出た。
「……大丈夫ですか?」
阿川ですと名乗ったあと何も言えなくなり硬直し、ゆっくり俯き受話器を降ろす様子がいかにも不憫だった。広田さんが声をかけると、お母さんは苦笑いして「いつものいたずら電話だったわ」と気丈にふるまう。
「顔色悪いです、少し休んでください」
「平気よ、お夕飯の支度に戻らなくちゃ」
二人が会話をしてる周りをチョロチョロしていると、廊下の先の玄関から音がした。
お母さんはその瞬間、びくんっと震える。
「───ただいま」
「……翠、だめ、だめ!翠入ってこないで!!だめよ!」
ドアが開いて、誰かの声がした。
頭ではとうとう依頼人の翠さんが会社から帰って来たんだろうなとわかっていたのに、目の前で尋常じゃない様子のお母さんもいるのに、俺は呆然と立ち竦む。

あ、来た……。また、誰かの感情か、記憶が、俺にひっかかる。
お母さんの必死な声と共に、押し寄せてくる焦燥。
───「お願い、あの子だけは、見逃して」
想像なのかもしれないが、どんな状況なのかが手に取るようにわかった。
目の前には蹲る阿川のお母さんと、それを心配する広田さん、そして玄関から入り駆け寄ってくる女性、おそらく翠さんがいる。
しかし俺は、廊下に這いつくばり、誰かの足が板の間を踏みしめて部屋に入っていく光景を見ていた。
そこは『あの子』の眠る部屋───誰かは、棒を手にしていて、その先には刃物がついていた。
俺は動けない。どうして?ああ、そうか俺の身体は───。

「おい」
「、」

足の先から這い上がるような恐怖が、身体を駆け巡っていくと同時にありもしない痛みを想像しそうになって、我に返る。それは誰かに声をかけられて、身体に触れられたからだ。
もちろん、そのまま想像に耽っていたとして俺がそこまで忠実に感じられるかどうかは定かではないが、体感する羽目にならなかった安堵に、大量の汗が湧き出た。
今まで息をしてなかったのか、ってくらい、ハアハアと酸素を求める。
「大丈夫か?人が目の前で錯乱して驚いたか?」
「あ、はい。ハハハ」
広田さんが訝しげに、そしてちょっと心配そうに俺を見た。
「意外と気が小さいな」
「えー」
取り繕うように笑うが、広田さんは不満そうである。
「普段からこういう現場にくるのか?」
「ま、そーですね」
見るからにただの男子高校生が、こんなバイトをしているのはおかしいだろう。
そんでもって、ビビってる様子だったので、更に意味不明だったのかもしれない。向いてないんじゃないのか、とか、子供なんだから学校にだけ通ってればいいものを、みたいなことを思ってるに違いない。手に取るように心の内が分かった。
「よほど給料がいいのか?そんなに金に困ってるのか?」
「はぇ?」
「それとも渋谷くんに弱味を握られているとかじゃないだろうな」
「フッ、なにそれ」
思いっきり鼻で笑っちゃって、肩をすくめた。
翠さんは挨拶もそこそこに、お母さんと二階に行ってしまったので、俺は広田さんといつまでも廊下で立ち話している暇はなく、報告するためにベースに戻ることにした。

広田さんは、会話が成立しなかった俺に不満そうにしながらもついてきて、ナルの顔を見るなり俺をどういう経緯で雇ったんだと問いただす。
「え、なに、その話題続いてたんだ」
「君が何も言わないから」
がなぜここでバイトをしてるかは広田さんには関係のない事です」
「だが、こんな仕事に向いてるとは思えん」
珍しい難癖のつけ方だな。たかがお母さんの混乱にビビってた姿が、そんなに目についただろうか。ナルはその話を聞いて俺を一瞥する。
「おっしゃる通り立ったまま眠るほどの間抜けです。そういう時は叩き起こしてください」
この仕事に向いてる、とは言わないわけね。
俺はフンとそっぽむいて、静かなリンさんの方に逃げ込んだ。
だけどその時、家のインターホンが鳴ったので座るに座れなくなり、ナルを見る。
「滝川さんがきたのかもしれないな。行ってこい」
「うぃー」
「……誰だって?」
言われるがままにベースを出て行くと広田さんが俺についてきた。
「滝川さん。霊能者」
「霊能者?」
声が硬くなるのを聞きながら、インターホンを出ると案の定滝川さんの声がした。そして安原さんの声もしたので早歩きで玄関に向かった。
鍵を開けて出迎えると、二人が俺を見下ろしていた。そして広田さんを見るとおやっと表情を変える。
安原さんとは一度依頼に来た時に会ってたみたいなので、広田さんも覚えてたらしい。
滝川さんの紹介をするのは彼に任せ、俺は廊下の先で待つ。
「つかは仕事で立て込むんじゃなかったのか?」
「一応今日終わったから、見に来てみた。明日は学校行くけどね、こっから」
「あ、だから制服なんだ」
家に入ってくる二人から声をかけられ、返答をしながらベースに行く。
滝川さんはナルとリンさんに会うのが久しぶりなので絡み始めたが、それを躱して広田さんに「お茶を人数分」と言いつけた。わー、すがすがし。
こき使われる内容がしょうもないので、悔しそうにしながら文句も言えずに出て行く広田さんに、今度は俺が手伝いの為についてくことになった。


「さっき仕事とかいってたが、他にも何かしてるのか、君は」
「ですです。いち、にい、さん……」
お茶を入れるとしたら湯飲みがいいかな、でも数足るかな、と食器棚を眺めながら数を数える。
広田さんは俺との会話が成立しないことに苛立ちを募らせていく雰囲気だ。
「───俺がここにいるのは、ヘン?」
「え、あ、いや……そうだな」
だが、俺が改めて声をかけると、広田さんは急に言葉を濁した。
ポットの前に湯飲みを並べて、お茶を蒸らしている時間が暇だから、付き合ってやってもいいと思ったんだけど。
「俺の別の仕事っていうのは音楽関係。プロダクションに所属していて、歌手志望だけど今回は楽曲提供の依頼があったから、今日納品が完了したのでこっちを見に来た」
「プロダクション……じゃあ何故ここでバイトなんてしてる?」
「先にバイトしてたからってのもあるけど、プロダクションに入ったからと言ってすぐに生活できるほど稼げるわけでもないんで。ここは確かに、広田さんが想像するように、給料は良いし」
すぐに剣呑な眼差しになるので、逆に面白いのかもしれない。
「さっきの質問だが、そもそもどうやってこんなバイトを見つけたんだ」
「ソコ気になる?そっかー」
俺は思わぬ質問に、小さく笑ってしまった。でもたしかに、普通に生きてきてこんなバイト先を見つけるのは珍しいかもしれない。
「去年の春、高校に入学したばっかのとき。俺の通う高校に渋谷さんが来たのがきっかけかな」
簡単に、助手に怪我をさせてカメラを壊したアクシデントがあり、仕事を手伝うことになったと話す。広田さんの話を聞く顔は、疑問が解けたというほどすっきりはしていなかったけど、まあまあ興味深そうに俺の話に相槌を打った。
「───その調査が終わった後、バイトしないかって声かけられて、今に至る。オッケー?」
「お、オッケー……」
勢いでニコ!と笑ってポットに手を差し伸べる。
そろそろ茶葉は良いだろう、と。
「広田さんはどんな仕事をしてるんですかー?」
「え?こ、公務員だが」
「公務員のナニ?」
「なんでそんなことを聞く」
「そっちは俺のこと知りたがったのに……せつないの」
俺と仲良くなる気はないってわけね!と、湯飲みを集めてお盆に乗せる。
お茶をそそぐのは向こうでやった方が安全だろう。
不貞腐れた俺に慌てた広田さんだったが、俺はもういいと言って湯飲みの乗ったお盆を持たせてベースに行くよう促した。



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June.2023

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