No, I'm not. 77
(ユージン視点)
小柄な子供を膝の上に乗せて歌う、の姿があった。
あの声を吹き込まれる心地よさを、僕は知っている。羨ましいとさえ思いながら二人を眺めた。
やがて少年はの胸にすり寄ってから消えていく。
浄化されたわけではないけど、落ち着きを取り戻し、眠るようにしてその存在感を薄めた。
この家が騒がしくなければ、きっと自然と逝けるだろうけど、───おそらく現状では難しい。
は歌い終えると、一階で眠りについた。
僕はその意識にゆっくりと近づいていき、音を探すように耳を傾ける。
けれどは歌ってはおらず、暗い家の中に茫然と立っていた。同調しているからか、酷い血の匂いを感じる。
「───悪夢だ……」
ぽつりとつぶやいたにそっと手をかけると、ビクと震えて僕を見た。
「ナル?───いや」
そして安堵したような顔、それから訝しみ、最後には目を丸めてまじまじと僕を見る。
震える唇が、音を出すのを僕はいまかいまかと待ちわびた。
「ユージン……」
かすかに微笑んで見えるのは、きっと僕の名前の発音のせいだ。
の意識が完全に僕に向いたから、薄暗く血に塗れた家の中から、何もない暗闇へと景色が様変わりする。
いつかみたいに、二人で地面みたいなところに並んで座り込んだ。
「もう会えないんだと思ってた」
「───ごめん」
「なにが?」
僕が謝ると、は不思議そうに首を傾げた。
「ずっと、黙っていたから」
「好んで言いたいことじゃないだろ、別に」
「それでも」
「知ってほしくなかった?」
「───、」
顔を覗き込まれて、言葉に詰まる。
僕を見つけられるとしたらナルだけだと思っていた。だからこうしてに見つけられて、僕のことを知られるということを考えたこともなかった。
は以前、僕のことがなんとなくわかる感覚でいると話した。
僕を僕としてただ想ってくれているみたいに聞こえて嬉しかった。それが僕の死という事実で塗り潰されてしまうのだとしたら、知らないままでいて欲しかったのかもしれない。
「……わからない」
「そ」
上手く言いたいことがまとまらなくて、この感情を知らないふりして言葉を濁した。
すると、の視線はふいに外される。
「さっきの夢、見た?」
「ああ……五人殺された」
僕はさっきが見た光景を思い出す。この家で起きた凄惨な事件はの唸る通りに悪夢といってもいいだろう。
老人、両親、それから男の子が夜のうちに殺された。もう一人いる女の子はその日出かけていた───だが翌日帰ってくることになっている。家族はその少女に対して『帰ってくるな』と警告を出し続けているのだ。
けれどその願い虚しく少女は帰宅し、殺された。
「皆、死んだこと以上に不安から抜け出せないんだな」
「そう」
一つのことに夢中になって、死んだことも気づかない。というより、思い至らない、考える余地がない。霊というのは視野が狭まりがちになるから。
「あの男の子もまだ、成仏できてない?」
「に随分感化されてたんだけど、この家はまだあの夜に閉ざされているから」
そういうと、は肩をすくめた。
自分でも浄化されたわけではないことは感じていただろう。
「───悪い思念を感じるんだ。ここには殺された人々の魂がさまよっているけど、それだけじゃない」
僕は家の中に、霊に、思いを馳せた。
家族の霊が急激に切羽詰まって牙をむくのか、悪い霊に転じてしまうのか、もっと悪い意思を持つのか。それとも、他になにかがあるのか。それはわからない。
ただ今はまだ表面的でしかないことを伝えた。
は僕の言葉を受けて、おもむろに首を回す。
「確かにここは暗くて、……怖いな」
「怖い?」
きっと言葉にしきれない違和感があるのだろうけど、僕にはそこまではわからない。
「ずっと見られている気がする……」
心なし青白い顔色で、たしかにいつもよりも覇気がない。
少年に感化されているのかもしれないし、他の理由で見られているからかもしれない。もしくはにだけは感じられるインスピレーションの可能性もある。
その感情を、僕が型にはめてしまうのは勿体ない気がして、その吐露した言葉をそのままにして返す。
「なら───気を抜かないで、ここは危険だ」
「……ン」
ぐっと喉を嚥下させたは、真剣な目つきをしていた。
拳を強く握って、僅かに震えてる。その手に触れてゆっくりと開かせて、そっと撫でる。
安心させたいとか慰めたいという気持ちもあったけど、のどこか健気な様子が珍しかったというのも理由の一つだ。
「……、少し変わった」
「?」
「本当はこういうこと、好きじゃないのに」
こちらの世界に興味がなかったは、いずれ僕たちから離れて行くはずだった。
だから最初は自分の見たものを自分が一番信じていなかったし、口にもしなかった。僕の存在も、調査でみる夢も、本当は恐ろしかったんじゃないかと思う。
「好きじゃなくても、……選んだから」
「選んだ……?」
白くなった手に血色が戻っていき、今度はその手が僕を掴んだ。
「俺自身を」
同時に胸まで掴まれるようだった。
ないはずの心臓が跳ねる。
「湖でユージンを見つけたのは、まぎれもなく俺なんだって」
さまよう僕を律するような声に、強く惹きつけられる。そろそろ離れないとと思っているのに、この声からは離れられない。それどころか、否応なしに胸に熱が灯るのを感じた。
知らないままでいて欲しかったくせに、僕はとのつながりを喜んでいるらしい。
だけど、それもそうか、と、心のどこかで納得している自分がいる。
なぜなら僕は自分から名前を彼に告げた。教えない方法はいくらでもあったのに、僕はその声に呼んでほしいと思っていたから。
「───ユージンに、言おうと思ってたことがあるんだけど」
「、なに?」
不意に零された言葉にわずかに期待を抱いて待つと、「……やめとく」と言われてしまった。
そんなこと言われると更に気になってしまうんだけど、は感情を明確に言葉にしたがらないから仕方がないかもしれない。
「じゃあ、歌ってくれる?」
「ヤーだ」
機嫌を損ねてしまったのだろうか。僕はのそらした顔を覗き込むためにその頬を追いかける。
いっこうに目だけは合わず、しまいには距離をとられてしまった。
いつもなら歌ってくれるのに、と残念な気分になりながら、僕もとうとう諦めて肩をすくめた。
「おまえ、───俺の歌では眠れないじゃん」
が口を開くのが、スローモーションで見えた。
そしてそれきり、僕たちの繋がっていた意識は途切れた。
next.
やっとジーンに会えたし、ジーン視点をかけました。
前回ナルと意識がリンクしたことから、今後はジーンと繋がらなくなる展開にしようかな、と思ったんですけど、さすがに話が中途半端すぎるので……。
明言はしてないんだけど、ジーンが原作みたいにナルのサイコメトリーの情報を主人公に伝えないのは、主人公も見たものを口にしないと分かっていたから。
June.2023