No, I'm not. 78
漠然と思っていた、正体が知れたらもう会えないんじゃないかという思い込みは砕けた。
目の前にいたのはどこまでも普通の少年で、その身にはきっと色々な感情を秘めている。
すぐに昇っていかないのも、そういうことだろう。
会えて嬉しいという感情のよそで、ナル同様に少し呆れた。
そんな暗いところで、一人でいるな。
「ゆうべ、ユージンが夢に出てきたよ」
朝になるなりベースに勢ぞろいした面々を前にして、惜しげなく言葉にした。
ナルは眉をひそめ、リンさんは少し目を見開く。滝川さんと原さんも、大なり小なり驚いているようだった。
「はあ?」
顕著だったのは広田さんの怪訝そうな顔と声。
皆その大きい声を一瞥はしても、結局俺に視線を戻した。
「それで?なんだって」
「悪い思念があるって。何かが起こるかもしれないから気を付けた方がいいって」
ナルが無視して俺に続きを促すので、広田さんの顔は見ないふりをした。
「あと五人のことだけど、多分家族だ。老人と、夫婦、息子と娘───娘は家族が殺された時に家にいなかった。それで家族は家に帰ってくるなって言ってるんだ」
「……でも、帰ってきてしまった」
原さんが俺の話を繋ぐように囁く。
「そう。帰って来た家に誰の気配もない。だから」
「『どうして誰も居ないんだろう』……?」
今度は滝川さんが、思い当たる証言を口にする。
俺と、翠さん、そして原さんが家に来た時に感じた違和感だ。
「───馬鹿々々しい、翠さんとおばさんの発言から作った話じゃないのか?だいたいそこで何故ユージンが出てくる?ユージン・デイヴィスと面識はないんじゃなかったのか?」
「夢で会っただけで面識があると言ってイイわけ?」
「ユージンは亡くなってからずっと谷山さん……この場合は渋谷さんなのかしら、彼の傍に居ましたのよ。そして谷山さんにはその姿が見えた。どうせ広田さんには信じられないのでしょうけど」
「調査のたびにこうして情報を伝えていたってわけだな。それがお前さんの信じられない夢の形で」
原さんも滝川さんも広田さんの態度にすっかり倦厭してしまって、確実に嫌味を含ませている。ナルの毒舌もメじゃないね。
そもそも俺の夢の話を信じもしないのに、そこに出てきたユージンの存在に目くじらを立てて、俺との関係性を疑ってくるあたりも筋違いだ。本人も自分の矛盾に気づいたようで、何も言えなくなり苦し紛れにナルに向かっていく。
「不謹慎じゃないのか?亡くなった身内への冒涜としか思えない」
「広田さんはこの家で何が起こったのか調べてみようとは思わなかったんですか」
「まさか、谷山くんの夢の話を信じてるのか?ただの夢だろう」
しかしナルが返したのは答えではなく、問いだ。漏れなく冷たい視線と声までついてくる。
広田さんは一向に自分の話が通じない周囲に、目を白黒させ続けた。
……それもそうだろう、広田さんの中にはもう答えが存在している。
「その夢が、ユージンの身体を見つけ出したのではありませんか」
「───それこそ、どうしてそう言い切れるんだ」
リンさんが口を開いたのも意外だったが、広田さんはめげない。
「……あのなあ、お前さん霊能者ってもんに偏見を持ってるだろう」
「それがなんだ」
「霊だの超能力だのを信じないのは勝手だが、頭から人を詐欺師だと疑い、のことを人殺しだと決めつけてかかるのは何か違うんじゃないのかい」
滝川さんは既に疲労を滲ませたような顔だった。
俺は自分をおいて話が進んでいくヨソで、学校遅刻だな……と軽めに悲観した。
お坊さんの説教が響いたらしい広田さんが居心地悪そうに俺を見て、目をそらした。そしてまたナルに体の向きを合わせて「では、質問する」と言い出す。
俺がどうこう、というよりも、皆が俺の夢を、無罪を信じているのが何故なのかを知りたいらしい。
ナルは研究者であり、その説明をするのが使命でもあるだろうとかなんとか。
ナルが例にしたのは俺ではなく、原さんの方だった。
彼女には実績があり、その積み重ねによって霊能者と呼ばれるようになったと説明がしやすい。俺の場合は確信に至ったのがつい最近で、調査の足しになるように報告したのも数える程度だ。
現に今だって、五人死んだという一つの情報で、安原さんにそういう事件がないかを調べてもらうきっかけを作っただけ。その事件があるかどうかは、まだ判明してないのだ。
「多くの実績がある人間はそれを、話のついでに語ったりはしないんですよ。よくいる連中のように」
ナルの穏やかな顔がいっそ不気味に思えた。
「確かに調査の時でもなけりゃ言わんわな。どういう扱いを受けるかは身に染みてっからなあ」
「放言はできません。口に出した以上は事実でなければならないのですから」
「そだねえ」
滝川さんは俺の頭を撫でた。
リンさんの発言さえ慰めに感じるのは俺の気のせいだろうか。
「自分の見たもんが幻覚だったんじゃないかと思う瞬間が一番怖いな。今のが幻覚なら、今までのもそうじゃないか。つまり俺は───そもそも正気じゃないんじゃないかと疑ってしまうからな」
胸に響くのは多分共感だ。
俺は今までずっと怖かったんだと思い知らされた。同時に皆も同じ道を歩んできたんだなという安堵もある。
そして仄かにまた、この家で見たものが広田さんの言うただの夢と、俺の勝手な想像であったらどうしようという不安。
いつもであれば口にせず、事実が明るみになって初めて一人でこっそり腑に落ちる予定だった。もしくは自分で調べて、納得すればいいだけだった。
でもユージンのことがあって、皆がいて、俺は少しだけ彼らに不安を共有してもらえるんだと思うようになった。なによりアイデンティティーを見つめ直した。
いつのまにか広田さんはすっかり大人しくなって、ナルは話を切り替えた。
家の過去は安原さんの調査結果待ち、霊にたびたび憑依されてるお母さんはジョンに頼ることにして待機。原さんは一家に説得を試みる、とのことだ。
「やってみてもよろしゅうございますけど……あまり期待しないでくださいましね」
とはいえ原さん自身この家にいる霊に少しも言葉が通じる気配がない、と自信がないようだ。
「お願いします。リンどうだ?」
「翠さんが子供に会った頃に浴室で温度が下がっていますね。これははっきりと異常だと思えるほどの数値ではありません」
「ほかには?」
「この部屋に何かが来たようでしたよ」
え、さらっとイヤなこと言う。
黙々と作業している中でそんな気配を感じて温度計をおいてみるだなんて……見習いたいなその姿勢を。
「とりあえず当面は浄霊の方向でいく。も原さん同様に説得を」
ナルがようやく俺に視線を向けたので、俺の存在覚えてたンだ、と笑ってしまった。
とはいえ俺は説得という名のリサイタルになるので、どうにも心もとない。
「おー……じゃ一旦帰ってギター持ってくる」
やっぱり今日は学校行けないな、と諦めた。
ここで放課後また来るねって言ったらさすがにヤバイ奴になることはわかっている。
家の中は今不安でいっぱいで、日中とはいえ何も起こらないとも思えない。何より気を抜いてはいけないというユージンの言葉も気がかりだから。
広田さんだけは何でギター?って顔をしていたが皆には何も言われず一時帰宅を許された。
そして着替えて荷物を色々入れ替えて、今度はバイクで家を出る。
翠さんには停めて良いって許可とったので、バンの隣の比較的開いたところにバイクを停め、ヘルメットを外したときにふと後頭部がヒリつく。
なんだ、と思って視線をやった時、隣の家……たしか、笹倉さんちのカーテンが揺れた。
「……、」
やけにこの家に執着していたあの様子を思い出し、ゾワゾワと恐ろしくなってくる。
初めて会った時もちょっと妙な目つきだったから、心が参っちゃってると噂の阿川のお母さんだと思っていたけど。
まだ、この家を見ているのか。
「谷山くん?帰って来たのか」
「あ、広田さん出かけてたんですね」
「仕事の話がちょっと。家の中ではさすがにできないからな」
外で立ち尽くす俺に気づいたのは、同じく外出してたらしい広田さんだ。
こうして普通に話す分には、真面目そうな兄ちゃんだなと思う。
「さっき、笹倉のおばさんが俺ンこと見てた」
「なに?」
そっと身体を密着させて小さい声で伝える。
家の中と外とはいえ、あまり大きな声で言うことでもない。
身体をこわばらせた広田さんは反射的に隣に意識を向けるが、今は見てないようだと息を吐く。
「尋常じゃない……まだこの家を監視しているのか」
「逆恨みとか、されてないといいですけど」
「翠さんには告訴を勧めたほうがいいかもしれないな」
「告訴ねえ……それこそ刺激がツヨいな」
「だが当然のことだろう?あの、数々の嫌がらせや執着。何かがあってからじゃ遅いんだ」
そういいながら、広田さんは手早く家に入ろうとする。
確かに玄関先でヒソヒソ話しているのを、またおばさんに見られてて変な勘繰りをされても困るから。
広田さんにつられて玄関の中に入り、カチャンとドアの閉まる音がして、さっきまでの不安が断絶された。
───なのに、隣にいる広田さんが茫然と立ち尽くす。
「どうかしました?」
「!い、いや、なんでもない」
俺を見て驚き、何かを振り切るようにして靴を脱ぎ始める。
どこか、広田さんの挙動はおかしかった。
思案めいた息遣いに、定まらない視線。やがて、薄暗い廊下の先に吸い寄せられていく。
「…… 駄 目 ……」
僅かな声を聞きとった気がして、広田さんと顔を見合わせる。
「入っ て……こ…… ない で」
俺はコートを脱ぎかけている広田さんの腕を掴む。
「誰かいる」
「おばさんだろう?いつものだ」
「ちがう」
急激に気温が下がったような体感でいたが、広田さんはそんなことを気にした風もない。
どうして、こんなに寒いのに。
パタッ パタッ……
パタタタ……
何か水が垂れるみたいな音がしてきた。
広田さんも俺から視線を外し、音の正体を探るように目を向けた。
やがて廊下に面した階段の上から黒い水が垂れてくる様子が目に入る。───あれは、夥しい量の血だと本能が理解した。
晩に見た、悪夢がよみがえり、濃い血の匂いに噎せ返りそうになる。
「出て行きなさい」
しゃがれた声がした。
「いい子だから、家を出なさい」
「じいちゃんとかけっこをしよう」
「じいちゃんが追っていくからお前は先にお行き」
「学校までどっちが早いか競争だ」
どこか感情のない、けれど優しい示唆。
廊下の先にはいつのまにか、背を丸めた痩せた老人の姿があった。
洗面所からは妙な物音、そして老人の姿、階段から流れて伸びてくる血はとうとう広田さんの足元まで到達する。
ドン、とすごい音がしたと思ったら地面や壁が揺れて、平衡感覚を一瞬だけ失った。
俺はすぐ後ろにドアがあったけど、広田さんは三和土に転ばされる。
何かを叩いたり、倒れたりするような物音、叫んだり、唸ったりするような声、それから強い振動に俺たちはつい身を寄せ合った。
───パァン!!
「!」
「うわ、」
玄関の上のライトが割れて、俺たちに降り注ぐ。
「───広田さん!?谷山くん!?いったいどうしたんです……!?」
破片がバラバラと降り注ぎ、ようやく静まり返った玄関に今度は翠さんが慌ただしくやってくる。
広田さんは頭を守った時に手を負傷したけど、俺は屈んだ時に背負っていたギターが盾になってくれたので大して傷は負わなかった。
手当をするという翠さんには断り、いつの間にか来ていたらしいジョン、滝川さんやナル、原さんが出てくるのを迎える。
「つくづく物を壊す奴だな」
「……俺が壊したわけじゃない。勝手に破裂したんだ」
「人の走る音と悲鳴が聞こえたのですけれど……何かがありましたの?」
「摂氏二度。ついさっきまでの玄関の気温だ」
「───、」
滝川さんが広田さんをイジるのを流しながら、原さんとナルの言葉を聞いてさっきのがやっぱり心霊現象だったのかと腑に落ちる。
今しがた原さんが下りてきたのは血に濡れていたはずの階段だけど、そんな痕跡は一切残っていない。
反応からして広田さんと俺は同じ光景を見ていたと思うけど、それが彼にとってはどう心に作用するのだか俺にはわからない。
あくまで自分だけのなかで起こったこととして、気のせいや勘違いで片づけたいのか。
俺が見たことで、誰かが仕組んだことだと思いたいのか。
「……すみません、少し休ませてもらっていいですか」
「大丈夫ですか?顔色が……」
「ちょっと寝れば治ります」
結局広田さんは俺に今起こったことを確かめることもなく、一人になることを選んだ。
少し考える時間をあげた方がいいだろう。
広田さんのような人にしてみれば到底受け入れがたいことだったはずだから。
next.
地味に書きたかったこの原作のシーン。リンさんとぼーさんが話す、自分の発言に対しての覚悟とか色々。
主人公にも突き刺さるだろうなって。
あとは主人公、広田さんにも共感出来るんじゃないかな……。
June.2023