No, I'm not. 79
昼過ぎ、安原さんがかつてこの家で起こった一家五人殺害事件を探り当ててやってきた。
事件の発覚はまず隣人───今は笹倉家となっている、関口家で夫婦二人が遺体となって発見されたことから始まる。
そして警察が付近に聞き込みをしたところ阿川家に当たる川南辺家の応答がなく、不審に調べてみると家では一家五人が殺害されていた。
広田さんは実際の事件が発覚したことで驚いているようだったけど、その夜事件の調書を持ってきた。
どういう風の吹き回しだろ、と俺が思っていることを滝川さんは言ってのける。
しかし広田さんはそういうのをすべて黙殺し、静かに事件の様相を語り始めた。
話を聞き終えてなお、ナルが腑に落ちないで気になっている様子だった。
それは、家の窓がほとんど全て鏡なこと。
滝川さんを始めとし、ジョンや原さんも意見を出し合いながら、その理由を探る。
意見交換をしているうちに、とうとう意外な人物まで口を出し始めた。───広田さんだ。
風呂場の換気扇という、外には到底人が入り込めないところから誰かが中を覗いていたらしい。風呂場で騒動が起きたとき何故服を着てそんなところを見ていたのかは知らないけれど、驚いてバスタブの蓋を壊してしまったのはそういう経緯があったからだ。
そしてその証言によってナルは、外から覗く誰かが霊で、この家に執着しているものだと割り出した。
川南辺家の五人はこの家の中に捕らわれている。外から覗いてくる霊はその五人ではない。とすると、笹倉家が手の込んだ嫌がらせをしてまで阿川さんを家から追い出そうとしていたことに、唐突に意味が生じる。
「笹倉家もまた閉ざされているんだ。あの家で死んだ、関口の怨念によって」
───あの時感じた妙な執着は、そうだったのか。
広田さんとした話が急に生々しく感じられた。
それはさておき、どうしたらいいもんか。
関口を除霊をするにしたって、隣人は依頼人でも何でもない。
話を聞いてもらえるかどうかも定かではない。
家に入り込むというちょっと乱暴な手段にでようものなら、広田さんが断じて許さないと目を光らせるし。
結局俺たちは新たな助っ人として松崎さんを呼ぶことにして翌日を迎え、何か出来ることと言えば、広田さんに笹倉家の説得をして家の外に引っ張り出してこいという無理難題を背負わせることだった。もちろん無理だった。
陽が沈むにつれて霊が活発化していく。それはわかっているんだけど、どうやらこの家に来た時よりも、もっとずっと激しくなり始めているように思う。
「───急激に異常が増えたな。どう思う」
「さあ、萎縮していた霊が緊張を解いてきたのか───それともこれがジーンの言った事なのか、そのあたりの判断に困りますね」
俺が感じていたということはナルも当然そうなわけで、リンさんと俺しかいないベースで二人が話し出す。
「悪い事というのはなんだろう」
「私にはなんとも。ただ、ここにいる霊がさほど強いものだとは思えないのですが」
二人の話がだんだんと遠ざかっていくのは、一家の警告が『うるさい』から。
騒音から逃げるように両手で頭を抱え込んでいると、気づけばリンさんはベースを出て行っていた。
「おい、眠ってるのか?」
頭を軽くノックされて、正気を取り戻す。
ナルが腰掛けている箱に寄りかかってた身体を、のたりと自立させた。
「うーん……音がうるさくて……」
「何の音だ」
「ぜんぶ。この空気のせいかな……いろんな音が俺の耳に入ってくる」
「空気……?」
空気っていうのは例えだからうまくは言えないけど。
霊の声だけじゃなくてリンさんやナルの声も、部屋の外で出かける準備をしている人たちの声も、お母さんと翠さんの囁くような会話も、ひいては誰ともわからない人達の声まで感じられるのは、張りつめた空気のせいだと思った。
「どうしたんだ、谷山くんは」
「音酔いだそうで」
「は?音なんてするか?」
「耳が良い人間なので、人には聴こえない音域も感じるんでしょう」
ナルはとうとう部屋で横たわりだした俺を黙認し、戸締りを終えて戻って来た広田さんになんかいい感じの説明をしてくれた。
原さんは今なお霊の説得にあたってくれているようだけど、きっと難しいだろう。
俺も午後、何か語り掛けられるのかとギターを弾いてみたけど、少しも波長が合わなかった。
きっと目の前のことで精いっぱいなのだ。
関口の霊をなんとかするといって、リンさん達が家を出て行っている。
除霊に成功したら、少しはこの家も落ち着くんだろうか。
───『あんな連中、隣に居なければよかったんだ』
濁った声が、耳元でした。蚊の羽音みたいなノイズ。
───『いなくなれば、そうしたら告訴もできない』
───『この世からいなくなってしまえばいい』
───『……殺してしまえば……』
畳みに寝転がっていた俺は、ガバっと起き上がる。
突如復活した俺の動きに、ナルや広田さんが目を向けてきた。
強い音のせいか、今は他の騒めきが気にならなくなっている。
一瞬立ち眩みみたいになるが、よろめきながら立った。
「お、追い詰められてる……告訴されたくない……って」
「なに?」
「───そうか」
ナルは俺の言葉を聞いて口元を抑える。
その瞬間、家の電気が消えた。
「なんだ?停電か?」
「……外の街灯はついている」
ナルはベースから廊下に顔を出して、玄関の方を見る。
ドアにガラスがはめ込まれている部分があるから、僅かに外の明かりが見えるんだろう。
機材は別の電源からとっているから動いているけど……と一瞥した瞬間に、今度はそっちも消えた。本当に家の中が暗闇になってしまった。
「やられた、リンにすぐ戻るように言うんだ」
「だめだ、圏外」
電気が消えたときにライトを使おうと思ってスマホを出していたけど、もうその時から圏外になっていた。
「……どうかしましたの?」
原さんがゆっくり、様子を見るために階段を下りてきた。お母さんと翠さんも続いている。
ブレーカーが落ちたのかと心配したが、ナルはそんなはずはないと断じて苦々しい声を出す。
「僕のミスだ、こんなことを見逃すなんて……」
「どういうことだ?」
「四人の霊が活性化していたのは明日の朝に向けてだったんだ」
「明日───たしかに事件があったのは11日にかけてだが……」
「川南辺家は娘が帰ってくる日に向けて、同様に関口も朝までにことを終えなければならなかった」
「それじゃあ毎年この家では死人が出てなきゃならない」
「トリガーがあるんだ。が言ったように、関口は告訴されるのを恐れた。翠さんはしないと言ったがそれを笹倉が信じた保証はない。むしろ今は疑心暗鬼の状態だろう」
家の戸締りは出来ているが、姿見は外から開く。それもご丁寧に笹倉家から出入りできるようになっている。
家の外に出ようにも、外から固定されていたようで封鎖されていた。おそらく二階のベランダの窓も開かないようにされているんだろう。
つまり、隣人は今晩俺たちを家の中で殺害しようとしている。
広田さんとナルで姿見の前にバリケードを作っている間、俺は二階のベランダに面した雨戸をこじ開ける作業だ。そして二人が一度戻って来た後は、その作業を原さんと翠さんに引き継いでもらって男三人は一階へ下りる。
階段の前に家具を置いて、その後毛布や布団とかも投げ落として二階への進路を妨害する。これに、俺たちが戻ることは考慮していない。
「姿見の前にバリケードを置いたことで、あちらの侵入に僕たちが気づいたということもわかる。おそらくなりふり構わず襲い掛かってくるだろう。おそらく息子も入れて三人だ」
「ン」
「だから迷わず九字をうて。殺されるよりマシだろう」
「そりゃそうだけど……ナルは?」
「人間を昏倒させるくらいならさほど力はいらない……それでも二人が限界だな」
「こっちだって三人いるんだから、目標は一対一で十分でしょ」
「そう簡単な話かな…………ジーンがいれば……」
「え、急に恋しがるなよ。びっくりするなー、もう」
「恋しがってるわけじゃない。ジーンは僕のPKを受け取って増幅して返せるんだ」
どういうメカニズムだって聞いたところで説明する時間はないだろうし、俺に理解が及ぶとは思えない。この兄弟テレパシーの他にもそんなにつながりが深かったとは。
「おい、君らは大丈夫なのか?」
階段の障害物を前にあーだこーだ話しているのを、広田さんが呆れたように口を挟む。
本人は武道の心得があるとかなんとか言ってるが、俺とナルは確かに健全な男子高校生程度の腕力か、それ以下だろう。
「一応は。俺よりナルのが非力かも。倒れてたら知らせてください」
「今は自分の姿に見惚れてるようだが」
「は?」
ンな面白い光景があってたまるか、と広田さんの視線の先を見れば鏡に向かって手をついてるナルがいた。マジだ……と思ってたらナルの後頭部ごしに、美しい微笑と目が合う。
「ユージン?」
「なんだって?」
「鏡に映ってるの、ナルじゃなくてユージンだ……広田さんは写真とか見てないですか、あいつら瓜二つの双子なんです」
「それは、しかし……」
口ごもる広田さんの様子から、ユージンの顔を知ってるかどうかはわからないが、とにかく今はそれどころじゃない。
俺がある時ナルと繋がれたみたいに、ユージンもナルに繋がることができたんだろう。
ナルの言う力のやり取りができるかはわからないが、もう自己判断にゆだねるしかない。
騒がしかった音たちもいつしか鳴りを潜めていたが、今は恐ろしいまでの静寂。
そしてだんだんと、冷気が這い上がってくる。
「───……来た。コソリがいるよ」
広田さんは俺の報告にぴくりと反応し、ナルも鏡を背に振り向いた。
next.
かけこみ展開ですが基本的には原作と同じ展開のところは書かんでいいかなって思って……主人公のいる会話の変化を細かく書きたくて……。言い訳です。
June.2023