I am.


No, I'm not. 80


(ナル視点)

ジーンと鏡を通して繋がるラインがかすかに出来た。
生前でも遠く離れていると繋げないことはあったが、命を落としたことでより離れてしまったようで気をトスしても戻りが遅いし増幅も弱い。
それでも一人でやるよりはいくらかマシだったが、相手は正気を失って死に物狂いでこちらを殺しにかかってくる。なんとか気絶させても、しばらくしたら起き上がってくるのでこちらは消耗するばかりだった。
鏡のない窓に追い詰められた時は肝が冷えたが、ジーンはなんとか僕へのつながりを維持して気を返す。
笹倉家のおそらく息子───潤の腹に向かって溜めこんだPKを当てる。
それはスタンガンと似ていて、相手は一時的にショックを受け、床に倒れ込んだ。

「ナル、大丈夫ですか」
元々騒がしかったはずの部屋の外が、妙な温度感になっていることに気づいた時、部屋にリンが入って来た。
どうやら隣の家が無人であることに気が付いて戻って来たらしい。
PKを使ったことをに対する小言に言い訳をしながら、身体を預けた窓ガラス越しにジーンの声を聞く。
『───ナル、奴はそいつから離れた。コソリがくる』
『どこだ』
『裏口』
弾かれるように窓から離れ、リンとすれ違い廊下に出る。
そして滝川さんの姿を見つけて、声を上げた。
「滝川さん!来る!」
広田さんとを見下ろしていた彼は、僕の言葉に反応して臨戦態勢をとる。
指をさした裏口───姿見の開いた空間は薄闇が広がっていた。
温度がより一層低くなったように感じ、奇妙な静寂の彼方から足音が聞こえてきた。
やがて黒く大きな影が現れる。一瞬だけ得体のしれない生き物のようなシルエットをしていたが、次第に小柄な男のような体格に姿を変えた。あれが、関口の本来の姿だろう。
「……オン キリキリバザラ バジリホラ───」
フローリングの廊下を軋ませて歩いてくる音にも躊躇わず、滝川さんの祈祷が始まった。
まだ距離はあるが、スピードが上がらない保証はなく、緊張が走る。
「臨兵闘者皆陣烈在前」
「ナウマクサンマンダバザラダンカン」
関口が鉈を振り上げた時、滝川さんは九字を切りマントラを唱えて腕を振り下ろす。
目に見えない衝撃が、関口をわずかに揺らした。手に持っていた鉈は落とし、膝らしき場所が曲がり、前のめりに倒れていく。
音もせず、動きもなく床に転がった。
やがて、黒ずんだ人の姿は夜の闇と冷気の靄と共に消え去った。
「───よし、終わった。帰ろーぜ」
「テキーラ!」
「テキーラ!」
滝川さんの明るい声と、の間抜けな掛け声が場の空気を完全に払拭した。
応じてるのは滝川さんだけで全く意味がわからないが、聞くだけ無駄だろうと放っておく。

笹倉家は深い憑依が解けたことで眠りについていて、体格のいい連中に洗面所に運び込ませ一応隔離している。起きたとして何かをするとは思えないが。
二階で待機している原さん達のところへはと広田さんが顔を出しに行ったが、怪我の手当てをするといって皆降りてきた。
は顔を殴られて口を切ったようだし、広田さんも腕を切りつけられて出血していた。僕は外傷はなく貧血気味なだけなので手当てを断り、部屋の中の鏡に背を預ける。
『家の五人はもうほとんど消えかけてる。すごく弱いよ』
鏡越しにジーンの声が聞こえた。
『この分だと時期に消えてしまう……』
「───このまま、消えてくみたいだ」
丁度、滝川さんと広田さんが五人の存在について話している。
僕が口を開く前に、足元に座っていたが囁くように言った。
おそらくまだ耳が敏感なままなのだろう。この『場』では霊の動きは『振動』となり、に『音』となって伝わっているんだと僕は考えている。
それをどう感じて理解まで持っていくのかは不思議だが、独特の感性を持っているのでそれはまた今度聞いてみることにしよう。音楽バカなので言語化できないかもしれないが。

『……そういえば、言いそびれたけど───久しぶり』
鏡の中から笑いかけてくる見慣れた顔に頷く。
『?どうした』
だがひどく気怠い感じがして様子を窺うと、重たい声で『すごく眠い』と口にした。
おそらく存在するための場が解体されていくんだろう。霊が消えていくように、ジーンもきっと。
『僕、の歌では眠れないんだって』
『ん?』
ふいに出てきた名前に反応して、僕は視線を下ろす。
髪の生え際や鼻、頬のふくらみが少し見えるくらいで、今どんな顔をしているのかもわからない。ただ黙ってじっとしているので、眠っているのかもしれない。
『───わかってたのに、いざそういわれると、残念だなって』
『……そもそもお前は寝坊助だろう───おやすみ』
とジーンがどういう経緯でそんな話題になったのかはわからないが、言いたいことは少しだけわかる。
"それ"が出来るならとっくに、とジーンは永遠の別れをしていたはずだから。
今もまだ僕のそばで蟠っているということは、そういうことだ。



「ちょっとお!片付いたんならさっさとそう言ってよ!警察を呼んでから到着するまであたしが外でどんな気持ちで待ってたと思う!?」
「おー悪い悪い」
「騒がないでくださいまし、ご迷惑でしょ」
「軽い!なによ!!」
「すんまへんです……ボクたちもすっかり、安堵してしもて」
夜明けとともに、警察と松崎さんが家にやってきた。どうやら警察が来るまでは外で待機していたらしい。大層立腹しているのは他の人たちに任せ、笹倉家と警察を見送る。
彼らは武器を持って他人の家に押しかけてしまったので何らかの罪に問われることになるだろうが、それは広田さんがなるべく良い方向へ持っていく、と殊勝なことを言っていた。
「ていうかは?全然顔出さないけど」
「そういえば、寝てたからおいて来たわ」
松崎さんと滝川さんが、今ここにいないのことを思い出して廊下の先へと視線をやると、ギターの音が聞こえてきた。
誰かがあっと声を漏らした。朝から何をやってるんだと呆れる者もいれば、気が抜けて笑う者もいた。
歌い出した歌詞は聞き取れないが、聞き覚えのあるメロディはきっと、夏に吉見家で一人で歌っていた曲と同じような気がする。
そう考えたと同時に、僕はあの時の頭痛を思い出した。

勢いよく頭をぶつけられたので視界が一瞬にして真っ暗になり、衝撃が走った。そして遅れて頭が揺れ、痛みがやってくる。危害を加えられたと理解するのに時間がかかって、次第に怒りや苛立ちが沸き上がる。だが僕は改めて見据えた、至近距離にあったの瞳に怯んで、言葉を失ってしまった。
泣いている、と思った。
涙に濡れてはいなかったが───その目は『透き通る、暗い、海の底で息をしている水』だ、と。
あとで一人で歌っていた声を聴いて尚更、僕は自分がいかに無力であったかを思い知った。

「早朝だし、止めさせた方が───」
広田さんは苦笑しながら廊下を踏み出そうとした。
だが僕はその手を掴み引き留める。歌を続けさせたいというよりは、外から足音がし始めたからでもある。
この音楽の中で、耳に届く物音はきっと何か意味があるのだと思った。

───タッタッタッ、タンッ
次第に近づいてくる軽快な音に、皆がざわめく。
誰かがきたのか、しかし、ガラス越しに人影が写らない、と。
ジャラ、とキーホルダーかチェーンが擦れるような音がした。そして鍵が差し込まれて捻られた。
間もなく玄関のドアは開けられて、小学生くらいの少女が顔を出す。
「ただいまあ!」
おそらく、彼女は川南辺仁美。四人の家族がしきりに家に入ってくるなと警告した子供だ。
事件のあった日は修学旅行に行っていて、朝、帰宅した。
既に家族が死んだ家で『どうして誰も居ないのだろう』という不安を感じて、誰にも会えることなく殺された。
「おかあさん?……いないの?」
少女は手にしていた紙袋と、ボストンバッグを床に置き、靴を脱ぐ。
僕たちの姿は見えておらず、横をすり抜けて、家族を探すように呼び掛ける。廊下をパタパタと歩く足音が次第に困惑した足取りにかわり、静かになっていった。
「もおっ誰もいないのー?今日帰ってくるって知ってるでしょお」
階段から上の階を見上げたり、手前の部屋をいくつか見たあと、不満そうに洗面所のドアに手をかける。
誰かが息を飲む音がした。彼女はその後、洗面所で関口に殺されたからだ。

「せっかくお土産買ってきたのに」
ふと、少女はドアを開ける直前に、動きを止めた。

「歩きつかれて───、降りだす雨───」
僕たちの耳に先ほどからうっすらと聞こえていたの歌声が、より鮮明になる。
「……うた?」
少女も聞こえたような口ぶりだった。

の声は、彼女の悪夢の中に一筋の光として差し込まれた。
「実?───なんだあ……」
声のする方へ、少女は駆けていく。誰かが家にいるのだと、安堵したらしい。
その背中が小さくなり部屋に入っていくと、音楽がゆっくりと途切れた。
そして入れ違うようにして、ギターをぶら下げたが顔を出す。

「おはよー」

さも今起きたとばかりのマヌケ面をさげて、僕たちに気づいて笑いかけた。



next. >epilogue.

特に意味のないテキーラ!
June.2023

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