I am.


Ray. 01

※ファーストネームとニックネームを使用します。

入学式の最中、いつのまにか居眠りをしていたらしい俺はがくっと身体が落ちる感覚で目を覚ました。びくっと震えて姿勢を正すと、隣に居た人物がくすっと笑うのが聞こえて、恥ずかしがりつつも目配せをする。鳶色の髪に白い肌をした彼は高い鼻やブルーアイズを持つ同じ年頃の青年だった。おっと、留学生?
苦笑を返しつつも周りを見てみると、やけに外人が多い。日本人の方がすくないんじゃないの?と思っていた俺の目に飛び込んで来た風景は俺の知っている大学の講堂でもなんでもない。
耳に入ってくるのは英語で、意識をしっかりと保てばなんとか聞き取れるし、意味も理解できる。はて、俺はこんなに有能な耳や語彙力を持っていただろうか。そうだそうだ、今俺はオリエンテーリングに参加していてこれからのスケジュールをしっかり決めていかなきゃいけないんだった。
手元にある資料はパッと見アルファベットの羅列なんだけど、読めばちゃんと理解していた。

俺は今年からケンブリッジにある大学に通うことになっていた。
さっきまでの俺は何故か日本の大学に通うつもりでスーツ姿の筈だったけど、見下ろしてみれば普段着を着ているし、俺は日本に行ったことはなかった。
記憶が混同していて、日本人の俺と、イギリス人の俺が今まさに混ざり合って行こうとしている。
日本人の俺は女の子として育てられたが早いうちに両親を亡くし、その後女の格好で暫く過ごした。高校二年の途中で声変わりや成長期の兆しを感じたこと、それから自分の役目を果たしたことで男として生きることを決めて高校に事情を話した。バイトも一時的に辞めてなんとか性別を戻して通常通りに過ごせるようになってからはバイトを再開。バイト仲間以外は女から男に変わったことは知られていない。のこりの高校生活は課題提出や自主学習を認められて単位を貰い卒業証明を得て大学に進んだ。
イギリス人の俺は、勤勉な父と優しい母の間に生まれた極々普通の男で、今日まで両親の元ですくすく育った。この大学に入るまでものすごい勉強を重ねたし、父さんと将来についての話をしたり、勉強で疲れた俺に母さんが夜食を作ってくれたり、友人と息抜きにドライブへ行ったりした。極々普通の生活と、当たり前の努力と苦労と幸福がおり混ざる日々。合格通知が来た日は嬉しくて家のベッドでごろんごろん転げ回ってはしゃいだ。

二人の俺はどっちが本物の俺なのか。
記憶はどちらとも記憶でしか無く、信じられるのは今の俺の肉体だけ。日本人だった俺がいきなりイギリス人に身体が変わるわけではないから、イギリス人で合ってる筈なんだけど、本当の俺は日本人の男で、一度死んだはずだ。思考も、感覚も、人格も日本人に近い。今だって考え事をするときに日本語でものを考えている。
「僕はニコラス・ミラー。ニックでいいよ!君は?」
「あ、俺は。───・デイヴィス」
さっきまで隣に居た彼は、オリエンテーリングが終わった瞬間気さくに声をかけてきた。その所為で俺の思考はぷつんと途絶えて、すぐに英語で対応する。うわあ、俺、英語しゃべってる……て、思う当たりやっぱり俺日本人なのかも。
と言うそれらしい名前がくすぐったくて、すぐに愛称で呼んでもらえるように取り計らい席を立った。
ニックは俺と同じ歳で、三人兄弟の末っ子らしい。一番上のお兄さんはロンドン大学を出て今は商社で働いていて、二番目のお兄さんはミュージシャンになりたいからと十七の時に家出して未だに家に帰って来ないとあけすけに語った。ちなみに実家はロンドンなのでケンブリッジでは一人暮らしだとか。
俺は逆に実家暮らしだし一人っ子だと言うと、ちょっと羨まれる。
「あ、でも弟が出来るらしい」
ふと思い出した情報を付け加えると、ニックは眉をにゅっと上げて笑った。
「そうなの?おめでとう。随分歳の離れた兄弟になるね」
「養子をもらうんだ」
「そりゃまた、なんで?」
初対面であってもわりかしこういう家庭の事情を言えてしまう所は、ちょっと日本人離れしてるかもしれない。まあ、外人だからあけすけという訳じゃないけど。
「さあ?子どもの世話がしたいんじゃないかな」
ただし、新しい家族の話を勝手にするのは気が引けたのでジョークっぽく流しておくことにした。

苗字からも分かる通り、俺はデイヴィスさんちに生まれた。ちゃんと実子として。
そんな両親は来年八歳の子供を二人ーーー双子を引き取ることになっている。両親は俺にもちゃんと了承をとったけど、二人が言うなら反対する意味はないと頷いた覚えがあった。あのときは全然『知らなかった』から純粋に新しい家族が増えることに嬉しさを感じた。孤児で寂しかっただろうから優しくしてやりたいと思ったし、でも歳が離れているから接しにくいかな、と考えたもんだ。今思うと、俺大学で忙しいから子供とゆっくり会う暇もないかもしれないとか、母さんが喜んで世話をするだろうから俺の出る幕は無さそう、とか思う。
家に帰ると母さんが笑顔で迎えてくれて、温かい人だなあと実感すると同時に、これからやって来る双子はきっとこれに包まれるだろうから心配はないと思った。
実の両親という認識は、日本人としての記憶やナルとジーンのことを思い出した今でも拭われることはない。生まれてから今まで育ててもらった記憶もちゃんとあるんだから。
ただナルとジーンを今更弟として見られるのか、ちょっとだけ不安に思ったりもする。
ナルとは三年ほど上司として付き合って来たけど……身内となるとまた別じゃん。いやーでも弟だと思えば大丈夫か?会ってみないとわかんね。


一年後、ちっこいナルとジーンが我が家にやってきた。
俺は前とさほど体格が変わってない筈なので、これがあと十年したら俺と同じくらいの身長になって、もしかしたら追い抜かれるのかもと思うとちょっぴり切ない。これが……兄心?
二人は美少年というにはあどけない、つまりとっても可愛い子供だった。二人は無表情のまま父さんに背中をそっと押され、おずおずとダイニングにやってきて俺たちの前にくる。
はぁ〜!そっくり!ちっちゃい!
頭なでなでしてやろうかと思ったけど多分怯えられそうなので、身を屈めて二人の顔を見る。
一人は怪訝そうにして、もう一人は少し不安そうにした。
、怖がらせちゃだめよ」
「あ、ごめん」
母さんに言われて慌ててにこっと笑ってみせる。
いきなり大人に無表情気味に見おろされたら嫌だよね。
「俺は。ユージンとオリヴァーだね?どっちがどっちなのか教えてくれる?」
「ぼ、僕はユージン」
「オリヴァー」
お兄ちゃんの方が先にぱっと口を開いて、ちょっとはにかんだ。弟は名前だけそっけなく言う。んわぁ、ナルは小さい頃からこれって本当だったんだぁ。


ナルはもう既に人の数十倍苦労していたようで、食事も気を使わなきゃいけない繊細で虚弱な子供だった。それに、時々ポルターガイストも起こすみたい。ユージンは心の優しい良い子だけど、同情するぶん幽霊や悲しいものを見ると落ち込んでいる。
そこで慰めるのが俺の役目だとおもった?違うんだなあ。全部終わってから父さんや母さんに聞いた話。
俺は大学に行ってて知りませんでした、ごめんね。
「なにか、俺にできることある?」
は大学の勉強も大変だろう、気にしなくても良い」
「そうよ、はずっと頑張って勉強してきたんだもの。自分のことをがんばりなさい」
双子が寝た頃に帰って来た俺は、何もしてないことが申し訳なくて、双子の話を聞いた後に言ってみたけど俺自身もまだ両親にとっては子供なわけで、とくに頼まれ事はされなかった。ま、まあ、明日も明後日も学校なんだもんね、俺。

俺はめちゃくちゃ頑張って今の大学に入った。頑張った過去の俺愛してる。惚れる。いや、俺なんだけどさ。
日本人に引っ張られがちだけど、イギリス人として生きて努力して来た俺も、紛れも無く俺だから、時々日本人視点が入るくらいで、俺の学力がいきなり落ちたということはない。じゃないと英語だって喋れなくなってるし。
両親に言われるまま、そして俺も自分がどれほど頑張っていたか知っていたから、なおかつ折角良い大学入ったのだから無駄にしないため、しっかり、がっつり、どっぷり勉強した。
お陰で双子とはほとんど顔を合わせない。
同じ家で暮らしているから朝や夜、週末には顔を合わせるけど、おはよう行ってきますいってらっしゃい、ただいまおかえりおやすみ、みたいなもんだ。
初めて活躍したのは、双子が来てから一年近く経った頃。うん、おそすぎるね?
その日も俺は普通に大学に行っていて、家の電話から着信があったので出た。母さん携帯苦手だから基本的に家電を使って連絡をいれてくるんだよね。メールの方が便利なのに。
ただ今回は急ぎの用事だったので電話で間違いは無かった。どうやら、ナルが学校で体調をくずしてしまったらしい。父さんは今日学会に顔を出しているから、母さんが俺に電話をかけてくるのは当然だった。これでもし俺が忙しいところだったら母さんはタクシーで迎えに行っただろう。
俺は授業があるだけなので欠席することにして家に帰り、車に母さんを乗せ一緒にナルとジーンの学校に行った。
「え、?」
担任の先生と出迎えてくれたジーンは俺の顔を見て驚いた。
「───ナルの調子は?」
「あ、うん、ちょっと熱があるみたい」
「まあ。朝は気づかなかったわ……」
ちょっとショックな母さんの肩を慰めるようにぽんぽん叩いてから、ジーンと先生と一緒に保健室へ向かった。ベッドに埋まる不機嫌そうなナルを見て笑いそうになったけど、俺以外は真剣に心配しているのでなんとか堪える。
調査依頼とか研究じゃないんだからサボるのも躊躇ないと思ってたんだけど、なんでベッドに入れられているのがこんなに嫌そうなんだこの子は。プライドか?プライド高いからなのか?
一度学校に来た以上かっこわるい所は見せられない感じ?まあ、自分の体調を見誤ったようなものだからそう思うかもしれないなあ。
「……?」
俺に気づくと、ナルは怪訝そうにした。お前ら二人揃って俺が居ることに驚き過ぎじゃない?俺は基本家に居ないけど、年中忙しいわけじゃないからな?大学に友達がいるから大学に居ることが多いだけだし、弟が熱出したら早退くらいしてやるわ。
、ナルをお願い」
「うん」
「いい、自分で───」
ナルはゆっくりベッドから起き上がる。しかし構わず傍に腰掛けると、ナルは茫然と俺を見上げた。
ナルの片腕をとって首に回し、抱きしめるようにして持ち上げる。体調が悪いからなのか、スキンシップが苦手で動揺しているのか、固まったまま動かない。
「もう片方の腕も肩にまわして」
両手で抱っこしてるけど、自分でも掴まってくれないと困る。
一瞬だけ片腕を離してナルのぶらさがってるだけの腕を肩にかけても、ゆったりとしか力が入らない。あーもうあーきらーめた!落とさないように俺が頑張るよう!
「僕も帰っていい?」
「はぁ?」
くいくいと俺の腕を引くジーンに俺は思わず素で顔をしかめた。いや、心配なのは分かるけど??
よっこいしょとナルを抱え直して一時的に余裕をつくり、ジーンのおでこにぺたっと掌を当てる。まさか双子だから一緒に熱出してるなんてことは……あ、常温。
「だーめ。熱ないだろ」
しょんぼりしたジーンの頭をぽんぽんして、前髪を戻してやってからナルの背中に手を回す。
「今日は俺も家に居るから心配しなくて良いよ」
も?」
「うん。俺のが先にずる休みしたから、ジーンは勉強してきなさい」
「えー」
苦笑すると、ジーンもちょっと楽しそうに笑った。
抱っこしたままでいるのはさすがにしんどいので、ジーンとの話は手短に終えて俺と母さんは家に帰ることにした。

ナルはつきっきりで看病されたいタイプじゃないだろうし、されるとしても母さんのがマシだろうから俺はナルのために家に帰って来た割に自室に籠って課題に勤しんだ。
ジーンは帰って来たらナルの部屋を覗いた後に、珍しく俺の部屋にもやってきて、本当に居る……と呟いた。俺はそんなに信用ないですか。


next.

今までお兄ちゃんになる話はあまり書いてなかったのでやらかしました。もうなんでもありですね。名前変換面倒でごめんなさい。
歳の離れた、なおかつ血のつながらない、けれど同じ家ですごす兄。その距離感きっと美味しいよね。
Dec 2015

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