I am.


Ray. 05

八歳の時にアメリカからイギリスに引っ越して、新しい父と母と兄が出来た。
父は超心理学を教えている教授で、僕たちの噂を知ったのが引き取ることになったきっかけだろう。母はとても優しい人で、僕たちにとても同情してくれた。兄は歳が離れていて身近な気はしなかったけれど、悪い人ではなさそうだった。真面目な父と大らかな母に育てられた人なので、父のように勤勉で、母のように心の広そうな人だった。ただ、歳が離れているのと、忙しそうなので殆ど話す機会はなくて仲が良いかといわれると全くそうでもなかった。人としては良い人なのだと思う、それだけ。
幼心に、兄と言う存在に胸が躍った僕はちょっとだけ落胆した。
ケンブリッジ大学に通っているは朝、慌ただしく出て行くか、逆に僕らが学校に行く時間にも起きて来ないで知らない間に学校へ行くかだ。帰ってくるのも夜遅かったり、普通の時間に帰って来ても自分の部屋に居て夕食のときまで課題をしていたり、あとは友達と飲みに行くとかで帰って来ない日もあった。大学生ってこういうのが普通なんだろうなあ。友達のお兄さんも、忙しそうにしてると思いきや遊びに行ったりしていて変則的だと言っていた。
僕と遊んで欲しい、とは思わない。だって歳が離れているから、話が合うかも分からないし、僕にだって友達は居る。そして僕と兄は友達ではない。
ナルが熱を出して学校を早退することになった時、初めて僕たちの為に動いている姿を見て、ちょっとだけ胸が暖かくなった。僕らを引き取ると決めた両親だけではなく、急に弟が出来てしまった忙しい彼も僕らに時間をさいてくれる。
本当は、両親に『自分に何か出来ることはあるか』と聞いてくれていたことも、僕は知っていた。忙しいのだから気にしなくて良いと両親に言われていたし、僕もの邪魔をしたくはないからそれでよかったのに。
ナルを抱き上げて、僕の額に手を当てて、ちょっと笑いながら叱ったを見て、僕は一瞬で『ほしい』と思った。

大学院に進んだはますます忙しそうにしていた。というか、姿を見ることが減った。今までは午後からの講義だと家に居たけれど、修士課程を一年でとるらしく朝から夜まで勉強だという。
けれどある日、学校から帰ったらめずらしくがリビングのソファに座っていて、先に発見したナルが傍に立っていた。どうして居るのかと聞いたら、どうやらナルと同じことを僕は聞いたらしくては疲れたような顔で目を瞑ったまま答えてくれない。だからナルが代わりに教授が体調不良になったことを教えてくれた。決して無口ではないはずのがだんまりして、面倒なことはしたくないナルがわざわざ答えるほどなら、きっとはとても疲れているか、機嫌が悪いんだろう。こんなとき、どんなことをいったらいいのか分からない。
深いため息とともに立ち上がったを見ていると、ふいにこっちをむいて口を開いた。
「コーヒー飲む?」
僕たちはきょとんとしてしまった。まさか、が誘ってくれるとは思わなかったから。
すぐに背を向けられて、返事をしてないことに気づいた僕は慌てて返事をしてについていく。きっとナルも飲むだろう。
お湯を沸かしている間のはぼんやりポットを眺めていて、僕はそんなの横顔を見る。僕は笑わないようにしてるつもりなんだけど、そうでなくともじっと見ているからには気づかれている筈。
程よく通った鼻梁、頬は大人だからそんなにふっくらとはしてないけれど、なだらかなラインをしていて唇は薄い。
「……荷物置いて来な?」
ゆっくりと視線を外してリビングのソファの方を見てから、目線だけでこっちを見たは苦笑した。
そういれば僕らは学校の鞄をソファの所に起きっぱなしにしていた。たしかに、お湯を沸かしているだけの今、じっとしている必要は無くて、そして遠回しにあまり見るなと言われて、僕は大人しく部屋に鞄を置きに行った。
戻って来たら三つ分出しておいたカップにコーヒーが入っていて、はおかえりと言いながら取っ手を僕らに向けて渡してくれた。大きくて、少し骨張っていて、大人の手をしてる。
カップはそれなりに熱くなっているはずだし、湯気が掌に当たるのに、大人は平気なのだろうかと考えた。僕らよりは多分手の皮はあついんだろうけど。
熱くないのかと問えば、平気といいながら指先を見つめたは、手を振った。それ、熱いってことじゃないかなと思っていたらナルが突っ込んでいる。
僕たちがソファに座っている時、は砂糖やクリープを入れるためにまだキッチンに残っていた。少ししてソファに戻ってきて静かにコーヒーを飲み始めたのカップの中身は淡い色をしていて、たっぷりクリープを入れたことが分かった。


僕らはは普通の人だと思っていた。けれど、ずっとずっと前に僕らのことを知っていた。本人には記憶がないようだけど。
うとうとして夢うつつに未来を紡ぐ様子は、スリーピングプロフェットのようで、それは有名な予言者エドガー・ケイシーが言われていたものだ。彼はリーディングにたけた人物で、催眠状態に入ると顔も見たことの無い人物であっても名前と住所さえ分かれば、身体を透視して病気を当て、治療法までもをあたえたといわれている。情報源はアカシックレコードという概念のもので、原始からの全てのことが書かれている。未来であったり、過去であったり、何かの方法であったりと。
それをは持っているのかもしれないと思ったけれど、当の本人はあっけからんとしていて、全く興味を示さなかった。
逆にナルは少し興味を持ったようで、ESPテストをやらせていた。僕も結果には興味があったから見ていたけれど、は全て当ててみせた。本人は若干眉を顰めていたけれど、全部当てたこともさほど気にしていなくて僕はそのことに驚いた。
もっと知りたかったのだけど、は修士課程を修了して博士課程に入ったので、更に忙しくなって家によりつかなくなってしまった。
彼は父のように教授になりたいらしいので、僕たちはそれを邪魔できない。ナルはわがままだけど研究熱心だから、分野は違えど同じく『研究』に勤しむの気持ちがわかっていた。

が博士号を取得したと聞いたのは、本人の口からではなくリンの口からだった。
リンはナルがPKをコントロールする為に気功術を教えてくれる人物で、と同じ大学院にいた。父と懇意にしていて、その関係で僕たちを受け持つことになったのだけど、との接点はまるでない筈だった。同じ院にいるといっても科目は全く違う。父の紹介で顔を合わせるというのも無くはないけれど、とにかく彼らは僕たちの知らない所で友人関係にあったらしい。
リンはちょっと人付き合いが嫌いで、イギリス人や日本人という人種も嫌いだったから友達というものを殆どみかけない。これは本人から聞いたのではなくてまどかから聞いた。
は逆に友達が多くて、人付き合いが良いらしい。これは母から聞いた。
そんな二人が仲が良いのを見て、リンの知り合いは三度見したらしいけれどの評判を聞くと納得していた。って本当に人付き合いが良いんだ、と僕はその時初めて思い知った。忙しくて家に居ないだけではなく、それなりに時間を作っては友人と遊びに出掛けたりしている。
僕は友人でもなんでもないから彼に会わないだけなのだ。
リンと初めて会った時も、の名前が出て来たけれど自体は僕らのことをなんとも言っていなかったみたいで、僕はこっそり落胆した。そして博士号をとったというのだっての口から、せめて家に帰って両親のどちらかから知らされればマシだったけれど、奇しくもリンにからしらせが来た時僕らは傍に居て、リンから聞いてしまった。

その時はまどかとナルと僕がいて、最初は電話に出ようとはしなかったけどまどかが出たら良いのにと言うので少し困ったようにリンは携帯を出した。
「もしもし」
〔リーン!!!!!〕
少しだけそっぽむいて電話に出たリンの携帯電話から、思い切りはしゃいだ声が聞こえて来た。電話越しだけれど、なんだか知っているような気がしていたら、リンは呆れたように小さくと呼んだ。やっぱりだったんだ。僕はがはしゃいでいる所は見たことがないけど、こんな風になるんだ。
それ以降はの声が聞こえてくることはなかったけど、おめでとうとリンが言っているので何か良いことがあったのは分かった。
「いまのって、?」
「……ええ」
電話を切ったあとにまどかが聞くと、リンは苦笑しながら携帯をしまう。
「おめでとうというのは?」
「博士号をとれたそうですよ」
ナルの問いには、いささか気まずそうに答える。
「ジーンとナルにもきっとすぐ電話がくるわね」
「……僕、の番号しらない」
「あら」
まどかはそっと口を抑えた。
僕たちは研究所や調査に行くことが多いため携帯電話を持っていたけれど、と連絡をとったことはなかった。そもそもに電話をする用がないのだから仕方が無いのだけど。
リンはきまずそうに視線をそらし、僕は少しだけ落ち込んだ。用が無いという関係が切なく思えて来た。
のことは知らないことばかりだ。同じ家に住んでいるとしても顔を合わせることは少ないし、歳が離れていて生活が違う所為もあるけれど、日常会話もありきたりなものばかりでについてのことを本人の口から聞いたことが殆どない。しいていうなら、コーヒーを飲む時に甘めにすることくらいだろうか。
予言や記憶について、は一度実験や研究に協力してESP能力者としても発表されたけれど、僕たちはその研究には携わることはなかったし後で論文になったものを読んで知った。特にのゼノグロッシーには驚かされた。霊に憑かれた時にその霊と同じ言語を話すこともそうだけれど、前世の異言を話すこともまたそう。日本語は驚く程流暢であった、と記されていて僕とナルは顔を見合わせた。初めて会った時にはもうすでに前世のことを思い出していたというし、ならば僕たちが日本語で話しているのも聞いていたんだと思う。もちろん、そのことを言わない気持ちはよくわかる。超心理学分野に理解があるとはいえ、異常な体質をやすやすと口にすることはできないだろう。
日本で仕事をすると聞いたときは驚いたけれど、理由はなんとなく想像がついた。それにはいつか離れて行くような気がしていた。もともと傍に居たわけではなかったけれど。
もう学校に行かないは、仕事が始まるまでは何も予定がないらしく、気ままに旅行したり家でごろごろしていたり、両親の手伝いをしていたりと様々だった。時折予言を頼まれているようだけど、は自分の予言の力をあまり信じていないようだから断っている。
催眠状態に入って前世のことを思い出しすぎる可能性もあると示唆されていたので、身近な人達は決してに予言をさせようとは思っていない。ただ、やっぱり名前が売れてしまったので願う人は後をたたなかった。

が日本に行ってからはクリスマスと年末年始以外は殆ど帰って来なくて、ナルが博士号をとったり本を出した時は電話をくれたくらいだ。母が手紙を出すので律義にも返事を書いてくれているから、縁が切れたわけではないのだけど、やっぱり僕との間で何かをやり取りすることは殆どなかった。
けれどある日、僕は日本での調査依頼を受けてに連絡を取った。母はもちろんのこと、リンにまでにしらせろと言われたから少し驚いた。
日本に行くときは母から持たされたへのお土産をたっぷり抱えて空港に居た。にちゃんと会うのは二年ぶりだったけれど、自体はあまりかわっていない。むしろ僕の方が変わっていて、背が高くなったり声が低くなったと言われた。
との身長差が縮まっていて、前よりもが身近に思えた。歳の差は縮まらないし、歳をとってるはずなのにおかしなはなしだと思うけれど。
「空港まで来てくれて大丈夫だったの?」
「暫く休みだから良いの」
「え?休み?」
さっと大きな荷物を奪って持って行ってしまうに慌ててついていく僕は、の言葉を思わず聞き返す。
迎えに来ると言うことは、もちろん時間があったからだろうけれど、暫くと言う程の休みがあるとは思わなかった。どうやらは僕の滞在中に合わせて休みをとったらしい。
「そこまでしたの?」
「したの」
車に荷物を運び入れて乗り込んだ。車の中は少しだけ煙草の匂いがした。
ホテルはとらなくて良いと言われていたけど、案の定僕はの一人暮らしをする部屋に泊まることになった。
は僕の滞在中殆どつきっきりで傍に居た。
車の運転をするはちょっと格好良くて、イギリスに居てくれたら運転を教えてもらえたのになと思った。


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しぼうふらぐはたたきつぶす!ぜったいにだ!
ジーンの『ほしい』はwantではなくpleaseよりです。あなたが欲しいではなく、僕を見て、って感じでとって頂ければと思います。
Dec 2015

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