Remember. Ⅱ_01
予期せぬ接触に反応するのは苦手だった。腕を組まれたり、挨拶のキスをされると、自分の中の安寧が崩れる。組み立て直すには時間を要し、その所為で思考や行動が遅れた。
潜在意識に在る恐怖や嫌悪は厄介で、もはや反射となった硬直を、わざわざ治したいとは思っていない。
触れられる必要などないし、日常生活に支障はない。
だが、日本に来て、のんきな連中の特にのんきな男の所為で、接触が増えた。
は人に触られるのも、触るのも好きなようだった。ぼーさんや松崎さんに頭を掻き混ぜられている最中にはよく笑っているし、ジョンや安原さんに声をかけるときにはよく体当たりをしている。
酒が入るともっと懐いてくるのは、身を以て知った。
ある時間違えて酒を飲み強烈な眠気に襲われていた僕は、の部屋のベッドで介抱され横になっていた。
意識を浮上させればいつもよりも赤らんだ顔と、柔らかい声をしたが僕を心配していて、優しく撫でる。
いまからホテルに戻るのは億劫で、店や他人の家ならともかくのベッドであるなら良いかと考えてもう一度眠ろうとした。
ソファなんてあるわけがなく、も同じようにベッドに入って眠る準備をしているが、僕の具合を心配してモゾモゾと動き回る。
だから眠れと言いたくて引き留めた。
そしてやっと動くのを諦め眠る挨拶をされたので、念を押すように返せば、はふっと笑い当たり前のように僕に顔を寄せて、まるで我が子や愛する人にするように唇を落とした。
慣れた力加減で優しく押し当てられたが、それは思っていた程柔らかくはなくて、アルコールの香りがした。
満足そうに笑って隣に倒れ込み、そのまま眠ったの背中を僕はずっと見ていた。動く事も出来ず、眠る事も出来ず、瞬きをしていたかどうかも怪しい。寝返りをうったに驚き身体が震え、自分の硬直がやっとのことで解れたと気づいて、ため息を吐いた。
───は何かを可愛がったり甘やかしたり世話をするのが好きなようで、酒が入るとそういう気持ちが高まる。
だから、思考がおぼつかないまま、深い意味も無くああいう事をしたのだ。
大学四年になったは論文の提出期限が迫っているからと数日程バイトを休んでいた。出勤した時には風邪を引いていて、連日の不摂生が祟ったらしい。
「アンタなんでそんなんで出勤してきたのよ」
「いあー、ずっとやすんでたから」
掠れた声と鼻の詰まったしゃべり方は、体調が悪いことを最初の挨拶の一声で僕たちにしらせていた。
より先にきて勝手にソファでくつろいでいた松崎さんとぼーさんも、心配そうにしている。
「体調が悪いなら帰って良い。悪化されたら面倒だ」
「え、へーきだよ、もう治りかけだから」
「それこそ帰って休めって」
ぼーさんが困ったように肩をすくめた。
「ほら、これお土産持って来たのあげるから」
「ん~?あ、おいしそ」
松崎さんから焼き菓子を渡されたは喜んでその場で袋を開ける。帰れと言われたのが聞こえていないのか、目の前の差し入れに夢中になっていた。
「それ食ったら帰って寝ろ、な?」
「わかったよお」
過保護なぼーさんに拗ねたように返事をしてから、大口をあけてかぶりついて咀嚼したのちに飲み込んだ。
そして、首をかしげる。
どこか様子のおかしいに、ぼーさんと松崎さんが気づいて呼びかけていた。
「?どうしたの、固まっちゃって」
「やばい、これ、酒使ってる」
「あれ?ラム苦手だったっけ?」
「体調悪い時、少しでも酒入ると、駄目なんだよね」
「ええええ!?」
へらへら笑ったは、心なしか顔が赤くなり始めていた。
ぼーさんと松崎さんは急いで詰め寄り、の様子を見ている。
僕は袋に記載された成分表を確認した。ただの焼き菓子だと思っていたが、コーティング部分にラム酒が使われており、加熱が甘い為アルコールは飛んでいない可能性がある。
を見れば、アルコールが飛んでいないことは明白だ。
「か、かえるね……こりゃ無理だ」
ぼーさんと松崎さんから逃れて、はよろけながら僕の方に歩いて来た。
「待て、危険だから、」
「ん、ありがとう、大丈夫……」
腕を掴んで引き止めると、赤らんだ顔でへらりと笑って僕を抱きしめてから、唇の横を啄んだ。
横と言っても、半分は重なっていた。あの時と同じ、慣れた力加減でぶつかる。
「今日はタクシーで帰るから」
は引き止められる前に事務所を出て行った。
「お、おい、今なにした?の奴」
「さあ」
「いや、ナルちゃん、さあって」
「アンタ達いま明らかにキ───」
僕は追求から逃れるために所長室に戻った。
その二日くらい後、僕は風邪の症状に見舞われて体調を崩した。
いつまでもホテルの部屋から起き出さない僕を心配したリンには気づかれ、「谷山さんが風邪をひいていましたから、うつってしまったのかも」と零す。
悔しいがその可能性が高いので、僕は一日休んでいるからリンは仕事に行くよう追い出した。
何かがあれば連絡しろと言われたが、たかだか風邪くらいでリンに頼むことは何もない。
と、一日休息をとっていたはずなのに、夕方くらいになると僕の額に濡れたタオルを置かれて気が付いた。
「……、なに、やってるんだ」
「え、看病」
「……なぜ?」
部屋のスペアキーを渡してあるリンではなく、がそこにいた。
僕の髪の毛をするりと撫でた手で今度は頬に触れる。「あついな……」と小さく呟く通り、僕の熱はまだ下がっていない。
汗をかきにくい体質なので、熱を逃がすのが苦手だと自覚していた。
「アイス枕いれるから、ちょっと頭持ち上げる」
ベッドに膝をついて乗ったは、僕の頭の後ろに腕を差し入れて持ち上げる。それから宣言通り平たくて冷たいものが敷かれて僕の頭は戻された。
熱に浮かされ霞がかった思考のまま、ぼやける視界でを見た。どんな表情をしているのかはよく見えないけれど、困ったように肩をすくめて、なにかを思案しているのは分かった。
「ちょっと、我慢な」
の顔や声が近づいて来た。さすがに目前に迫れば表情は見える。は目を伏せ僕の顔に覆い被さった。
ぬるい温度の何かが口を塞ぎ、呼吸を邪魔されて息が詰まる。苦し紛れに声を発すると、隙間から「ん、ごめん」とが謝ってまた僕の口を塞いだ。
わずかな時間だったはずだが、酷く長い時間に感じられた。
それから、二三日休んだ後に復帰して、二週間経つころには調査が入った。
ぼーさんをはじめとする協力者たちを呼んで仕事の確認をしていたところ、揶揄するように風邪をひいていたことを指摘し、体調を尋ねてくる。
呼ばなくとも頻繁に事務所にやってくる面々は、これだから厄介だ。
「が治った途端ナルが風邪ひくなんて、アレが原因じゃない?人にうつせば治るって言うのはホントだったのね」
からかうように言う松崎さんに、ぼーさんは失笑し、他の面々は首を傾げた。僕は返答したくないので黙っていたが、はへらへら笑って口を開く。
「え~?キスで風邪がうつって治るんなら、ナルの風邪だってすぐ治んむぅ!?」
馬鹿な瞬時に止めようと、咄嗟にの口を手で塞いだが遅かった。
看病に来た時のあれは、風邪を貰って行こうと思っての行動だったのか……なんとなくそうは思っていたが。
「馬鹿かおまえは」
「むぁい」
言わなくて良い事を言い出したを僕は睨む。しかし、それよりも多くの視線が僕たちに突き刺さっていた。
「おまえら、……そーなの?」
ぼーさんが僕とを交互に指さして窺って来る。不名誉な噂と恥を暴露されて、僕は知らず知らずのうちに口を塞ぐ手に力を入れていた。
は僕の手を叩いて抵抗しているので手を離す。
「……一応言いますが、風邪は同じ空間にいるだけでもうつりますし、僕の風邪はからうつされた可能性が高いことは確かです。ウイルスが自発的に拝菌されるのは治りかけの状態の為、が治ったのは自然なことだというわけです」
つまり、の行動にはほとんど意味がない。
「えーそうなんだ!素面だから結構恥ずかしかったんだよ」
があっけからんと言うが、もはや口を抑える術も意味もない。頭が痛い気がする。
「んんー、まあいいや。仕事の話にもどろう」
「アンタたちそれでいいの!?」
松崎さんが騒ぎ始めそうになったが、がいつものように軽く手を叩いて「いいのいいの」と言ったので仕事の話に戻る事にした。
僕は別に良いわけではないのだが、話をしたくはないし、聞かせるのも嫌なので、ファイルに視線をおとした。
その調査が終わると、は今度こそバイトを辞めた。
以前一度辞めたときはひと月前に申告して来たが、今回は内定が決まった夏の終わり頃には辞めることが決まっていた。当然ぼーさんたちも知っていたので、すでに辞めて就職していた安原さんも呼んで送別会が行われた。
今回ばかりは僕とリンも参加させられ、にはまたアルコールが入る事になった。
事前に体調は悪くないかと松崎さんや原さんに聞かれていたので問題は無いだろうが、僕だけは知っている。体調が悪くなくとも、飲み過ぎればはやると。
「ジョンだいすきだよ~」
ジョンの頬に顔を埋めているのを尻目に、僕はやっぱりとため息をついた。
二時間ほどして騒がしい宴席からがふらりと姿を消したのに気づいて僕も席を立つ。
は店を出て夜風に当たり、気持ち良さそうに目を細めている。
「飲み過ぎたのか」
「ん?ううん」
歩道の柵に腰掛けていたは、僕に気づいてゆっくり立ち上がった。
初めて会ったときはまだ成長期が来ていなかったらしく僕よりも低かった目線が、今では同じくらいになっていた。声も低くなったし、のど仏も目立つようになった。
「───ナル、いままでありがとうね」
濡れた瞳が街灯の光を受けてきらめいて、薄い唇はいつも通り弧を描く。
快活そうな顔はいつもより柔らかくて、寂しげだった。
僕はなんと答えたら良いのか分からなかった。そもそも、感謝される意味が分からない。もともと手が足りなかったし、給料だって正統な報酬だ。
「どういたしまして」
月並みな返答するとは喉を鳴らして笑い、ゆっくりと顔が近づけて来た。僕はの瞼を見つめる。
鼻頭が頬にあたったが、僕の唇を撫でたのはの吐息だけだった。
next.
ナル落ち(?)短編からの続きです。
接触が苦手だったのが、主人公に触れるうちに慣れてきてるので、いろんなものが和らいじゃうナルを見たくない人にはお勧めできません……っていうかそういう葛藤してるのは私なんですけどね。なんとか「ナル」の範囲内でやりたいけど難しいです……。風邪は人にうつせば治るっていう理由(?)を聞いて驚きました。主人公はそこまで知らないんで移しちゃったんだから貰って行けるかな?ってやってみました。BL世界ではよくある人体のメカニズムかと。
Sep.2015
Aug.2023加筆修正