Remember. Ⅴ_05
自然と目が覚めた俺の視界にはうすぼんやりとした部屋が広がる。のっそりと起き上がって、昨日いつの間に眠ってたんだろう、と考えながらあることに気が付いた。
左手の薬指に、いつの間にか指輪が嵌められていた。
きっと俺が眠っている間にナルが嵌めたんだと思う。
「……ナル?」
隣にはいないが、仄かにそこはあたたかい。少なくとも俺が起きる少し前まではここにいたことが分かる。
洗面所で身支度とか、シャワーを使っているかもしれないし、部屋に戻っているのかもしれない。
できればすぐ顔が見たいのに……と俺の部屋にとどまっている可能性を期待しながら歩き回ったけど、人のいる気配はない。
時計を見ればまだ朝7時にもなる前だ。
ベッドに入ったのは0時を回っていたし、そのあと随分ナルを付き合わせて夜更かしした覚えがあるので、睡眠時間は大してとれてないだろう。
それでもやけに頭がクリアなのは、今日が特別な日だからかもしれない。
「……」
胸がざわつくのは、多分、本来俺が死ぬ日ってことでプレッシャーを感じているからだと思った。
自分の部屋なのにどこか落ち着かなくて、ひとまずソファに腰を下ろす。
それからごろんっと横になろうとして手を着き、足を持ち上げたところで目の前のテーブルにあるメモ用紙に気が付く。
───部屋から出るな。
と、だけ簡潔に書かれた文字。
いうこと欠いてこれをわざわざ手書きで残すか……。
紙を指先で持ち上げて眺め、寝転がるのはやめて膝を立てて座った。
他にはスマホになんか連絡来てたっけ、と思って自分のスマホを見るも、特に新しい通知があるわけではない。
ナルは本当に部屋に戻っているだけなのかな、とスマホを顎の下にぐりぐりと押し付けて考える。
俺が死んだ正確な時間はわからないけど───事故に遭ったのは朝の通勤時間だった。
前に住んでいた部屋と違うが、大体このくらいの時間に朝の準備していたことを思いだす。
朝食は食べたり食べなかったりで、テレビをつけてザッピングしながら天気予報や列車情報なんかを聞くいつも。
おもむろに、自室にあるテレビをつけた。
───「ごめんなさ~い!最下位はおとめ座のあなた!」
テレビから聞こえる占いの順位発表を聞くと、あの時と同じ感覚を思いだした。
おとめ座ってナルじゃん。最下位だと謝られるのなんなんだろう。ラッキーメニューは焼きそばかあ。
───「今日も元気に、いってらっしゃい」
女の人の、綺麗で優しい声。
背中を押されるようにして、俺は立ち上がる。
あの日はこれを観て、テレビを消して家を出たんだった。
8時になった途端に番組が切り替わるのを、同じようにテレビを消して目を背けた。
そして俺は、ナルの言いつけを破り、慌てて着替えて外に出た。
ハア、ハア、と息を切らしながらたどり着いたのは事故のあった───これから事故が起きるはずの、交差点。
その先には俺の会社があって、よくいってたラーメン屋の看板がやけに目につき、大衆居酒屋の提灯がひとつだけ壊れている。ああ、あの時とおんなじだ。
「───!?なぜここにいる!」
「ナル……こそ」
人混みの中で探し物をしていると、俺の腕をぐっと掴まれる。
ナルがいたことには驚いたが、きっと事故が本当に起こるのかを確かめに来たってことかな。
「部屋から出るなと言っただろう!」
「おもい、だしたから」
「……何を?」
息を整えながら、俺はイライラしているナルの手をとって引き寄せる。どうせ人がぎゅうぎゅうにいて信号待ちをしているのだから、密着してたとしておかしなことではないだろう。
それでも周囲の人に聞こえてはいけないから、耳元に顔を寄せて囁く。
「助けようとしたんだ……」
思いのほか、情けない声だった。
「信号無視した車が突っ込んでくるのが見えた時、俺の前を子供が通り過ぎてった」
ナルは、はっと息をのむ。
「あの事故で誰が死んだか、ナル、わかる?」
「少なくとも、以外の死者は知らない」
「よかった───でも、今日の死者は誰にもわからない」
そっとナルから身体を離して、また周囲を見る。
位置の検討はついていたし、その子は学ランでヘッドホンを付けていたのが印象的だったから、人の合間を縫って進めばすぐにその後姿は目に入った。
途中、ナルの手がほどけて置いてきてしまったけど、ナルなら大丈夫だろう。
横の歩行者信号が赤になり、車用の信号が遅れて変わった。
そして、目の前の横断信号が青に変化すると、頭上から音が鳴り始める。
停まっていた人たちは逸るように塊となって揺れ、前に進みだそうとしたが、走行音があまりに大きくこちらに向かってくることで、反射的に動きを止めてそちらを見た。
また人混みが塊のように引いていく中で、一人が一歩踏み出そうとする。
学ランの少年で、ヘッドホンを付けた頭。
───道路に出る寸前で、その背中に手を伸ばした。
ブォンという走行音や風圧を俺たちに浴びせて、目前を車が走り去っていく。
制服を掴んで引き寄せたから、その子は勢いで俺の肩あたりに頭を軽くぶつけて、茫然としていた。
「───!?」
「よかった……」
ほっと安堵してから強く掴んでしまった背中を、皺を伸ばすように撫で摩る。
彼はオロオロしながらも、俺に会釈をして足早に信号を渡って行った。
「!!」
追いついたナルが俺の後ろで今にも文句を言いだそうと震えているのを、見ないふりして少年に手を振ったが、彼は振り向きもせず雑踏に紛れていく。多分、今何が起こっていたのかとか、もしかしたらどうなっていたのかとか、あの子にはわかっていないんだろう。
「ナル……ありがとう」
一息ついて、ナルにお礼を言うと怪訝そうな顔をされる。
「あの子に手を伸ばした時、指輪が見えて……絶対に生き延びようって強く思えた」
「そんなもの無くても生きようとしろ」
「おっしゃる通りです」
信号も渡らず横断歩道の前にいるのが邪魔になるから、その場を離れた。
ナルはまだ怒ってます、という顔でフンと息を吐く。
「お前はいつも一人で勝手なことをする……そのくせ人には能天気な願いを託して、余計な心配して、そういう自己満足に付き合わされるこっちを考えたことはあるか?」
ナルのお叱りに、ごめんなさい、面目ない、ゆるして、と色々な語彙で謝罪を繰り返す。
正直いつの何を責め立てられているのかもよくわかってないまま、ナルの説教を聞きながら歩いた。
まあ今回の勝手な行動は、心配してくれていたナルの気持ちを裏切ってしまったしな、という反省はもちろんある。
「……いやな思いさせた」
「まったくだ」
人気のない道まできてから、ナルの手をつかむ。
握り返されたその力は、思いのほか強い。
震えている気がした。
「ナル───新しい未来が来たからやっと言える」
少し先を行く後頭部に投げかけた。
「俺、ナルと二人でこれからも生きていきたい」
ぴたりと足を止めてゆっくり振り返った、少し驚いた顔は、あどけなく見える。
返事を促すように繋いでた手を親指で軽く撫でると、ナルはかすかに微笑んだ。
「ああ……」
静かな返事があったから、一歩近づく。
そしてまた俺たちは歩き出した。
「安心したらすごく眠い───早く帰って、ゆっくりしよう」
「そうだな」
どうかこれからの人生も、こんな風に二人で。
end.
→おまけ(ジーン視点)
寝ている間に指輪嵌めるなんてかわいいやないかい。プロポーズやないかい。
一応、ナルとしては願掛けみたいなものですね。
前話で寝かさない発言して、夜更かし(意味深)してるし、夜にシャワー浴びてきたはずのナルが朝からシャワー浴びてるかもって言ってる、匂わせを残しつつ完結です。ありがとうございました!
ナルに「幸せになって」「一人でいないで」願った主人公が、自分から「ナルと二人で生きたい」って言えてよかったねっていう話。主人公の「帰ろう」も愛情表現。
Aug.2023